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奇:事実は小説よりも奇なり

 俺の一日は、起床で始まって就寝で終わる。当たり前のことだ。朝起きて、一日が始まる。夜に寝て、一日が終わる。物理的な生活サイクルをさした言い回しであり、わざわざ言うべきことでもないくらいには当たり前のことだ。ならば、これはどうだろう。俺の一日は、読書に始まって読書に終わる。まあ、少し変わり者ではあるが、わからなくもない。この場合、一日にどれだけ本を読んでいるか、どれだけ本が好きかをさす比喩(ひゆ)として使われることが多い。では、この二つをあわせれば俺という存在の特徴を一行で言い表すことが出来るはずだ。


 俺の一日は、起床と読書で始まり、読書と就寝で終わる。


―意味がわからない。なんだ?起きた時点ですでに本を読んでいるのか俺は。それとも起床してすぐに読書を始めるのか。寝ているのに本を読んでいるのか。寝る直前まで本を……読んでいるけれども。それにしても、比喩なのか事実なのか訳がわからなくなってしまっている。

 まあ、何でもかんでも1つにまとめれば良いということではないということがわかって頂けただろうか。最近の工業製品の特徴のひとつとして、『これ1つで○つの物事を全て出来ます』的な傾向があるが、まとめてあれば必ずしも便利であるとは限らないということだ。さっきの例のように何に使うものだか何をするものだか何が伝えたいのか全くわからなくなってしまう。または、まとめてある1つのものが壊れたときにそれに含まれる全てのものが失われることになるのだ。たとえば、スマホことスマートフォン。あれは日本語で多機能携帯電話たきのうけいたいでんわというらしい。多機能だ。多くの機能がまとめてあるということは、このスマートフォンを1つ水没させることでそこに含まれる全ての機能が手元から失われるということに他ならない。まあ、完全防水などなら場合によりなんとかなるのかもしれないが、そのあたりの事情は省こう。


「というわけで、俺はその何でも1つにまとめようとする現代日本人の傾向に異を唱え、個別専用品の普及を進めるべきと提唱するわけだが。」


「え~?でも案外美味しいですよ。梅干コーラ。」


「美味しいとかの目先の利益に気をとられすぎず、その先にあるリスクにも目を向けなさいと言っているんだ。」


「○カ・コーラは日本じゃなくてステイツの会社ですし。その理論は穴だらけだと思いますよ。」


「バカモノ。それを言ったらスマートフォンの三大巨頭の1つであるア○プル社だってユナイテッドステイツの会社だろう。」


「自分で自分のボロを自白してどうするんですか。それにアッ○ルの多機能携帯電話はスマートフォンでは無くiフォンですよ。」


「そんな違いは知らんよ。まとめて言えばスマートフォンで良いだろう。中身が違うだけじゃないか中身が。」


「厳密には違いますよ。iフォンはタッチパネルがガラスですし、センサーの方式も違います。ネットワークも別個ですしね。しかも先輩は今、何でも1つにまとめないほうがいいという話をしてた気がするんですがね。」


「わかったわかった!!わかったよ。ったく。どうも俺の考え方は最近の若い奴には相容れないらしいな。今まで賛成してもらった例がないぞ。」


「先輩の考え方は懐古主義かいこしゅぎが過ぎるんですよ。今は、コンパクトに便利にまとめる時代です。リスクがあったとしても、それが痛みを伴ったり命に関わるものでさえなければ構わないんですよ。物は無くなっても買い換えればいいんですからね。」


「へいへい。どうせお前らは『安物買やすものがいの銭失ぜにうしない』なんて信じちゃいないんだろうさ。今に痛い目を見るぞ。」


「先輩こそ、時代にそくした生き方が出来ない人は歴史に駆逐くちくされますよ。気をつけてくださいね。」


 フン、と鼻を鳴らして事務椅子じむいすを回してテーブルに向き合い、本を開く。俺の一日は読書で始まり、読書で終わる。それでいいんだ。理解してもらおうとは思わないさ。理解してもらった事なんて無いからな。いや、無いわけではないけど、若い奴にはないな。一人を除いて。お年寄りなら結構あるんだけどね。やっぱ老けてるのか俺。

 そもそもこの文芸部で文芸を読んでるの俺だけだしな。こいつはいつもラノベだし、もう一人は基本的に俺の話しを聞いて書き留めるだけだし。一年生は今年は入らなかったし。こんなんじゃ文芸部じゃなくて趣味部になりそうだ。どうでも良いけど。

 赤茶色に酸化したページをめくりながら、二段組になっている小さな文字を読み込んでいく。もう何度も読んだ話なのでほとんど斜め読みに近いが、同じところを何度も読むことでカバーする。というより、基本的に三回目以降はストーリーが頭の中に入っているのでほとんどおさらいに近いのだ。読み終わった場所を何度も何度もかみ締めるように読み進める。


「こんちにわ~、遅くなりました~。」


「遅いよ。もう先輩あの状態だし。」


 ページをめくる。ここも何度も読んだ場所だ。ここから先がどうなるかも知っている。


「あ~、また先輩読書ですか~?」


 ページをめくらない。また何度も何度も同じところを読み返しては読み進め、往復する。


「せ~んぱい~。今日はなに読んでるんです~?」


「うっるせぇな……。森鴎外もりおうがいだよ。」


「もりおーがい?」


 文芸部最後の部員、俺専属のインタビュアーに心底めんどくさく返事をしてやったら、かわいらしく首を傾げやがった。こいつ、文芸部のくせに森鴎外を知らないのかよ。


「森鴎外だ。高瀬舟たかせぶねとか、国語で習わなかったか?」


「覚えてないです~。」


「覚えとけ。基礎教養だぞ。ってか話し方うっとおしい。」


ピロリロン


もう一人の後輩のスマホがなった。なんか着信したようだ。せめてマナーモードにしとけっての。没収するぞ。


「了解です!!というわけで、もりおーがいについての授業をお願いします!!先輩!!」


「……はぁ、何で俺がお前のために…いいや、わかった。じゃあ、国語の教科書に載っている高瀬舟を1回音読してみろ。」


「すみませんが先輩。それ、後にしてもらって良いですか?」


 せっかく珍しく人が乗り気になっているところを潰してきやがった。こいつは俺の邪魔をするのが趣味なのか?


「なんだよ。お前も授業に参加したいのか?」


「いえ、森鴎外に関しては一通り勉強していますので。それよりも報告が。僕たちが中学のときに、有名な女子の先輩がいたのを覚えていますか?」


「……ああ。覚えてるよ。人間失格にんげんしっかくだ。」


 忘れることが出来るわけが無い。彼女は、中学では一番有名で、中学で一番影の薄い同級生だった。矛盾しているかもしれないが、その矛盾をたった一人で飲み込んでいたのが、彼女だった。


「にんげんしっかく?その人失格だったんですか~?」


「いや、違う。あいつがいつも読んでたんだよ。太宰治だざいおさむの人間失格。」


 そして、口を開くたびにどこかで引用していた。聞いていた人間の大部分は気付いていなかったが、引用された部分は人間失格の中でも比較的重たい一説ばかりだった。


「それは知りませんでしたね。人間失格、ですか。ある意味彼女のあり方を的確に言い表しているのかもしれませんね。」


「そんなことはいい。あいつがどうした?」


「ああ、そうですね。彼女なんですが、昨日高校からの下校中に大型トラックにひかれ、重体だそうです。」


「っ!?」


 息が詰まる。なんだって?コイツは今、なんて言った?重体?そんな馬鹿な。嘘だろ?あいつが?殺しても死なないような奴だぞ?色々な思考が脳裏を掠めていく。真っ白になるなんて事は無かった。おそらく、あいつと俺の関係自体が思考能力をきたえるための読書のような変な関係だったからだろう。イマドキの思考を放棄しても相手に気を許せる人間関係は、俺とあいつの間には不可能だった。それだけの話だったのだが。


「……どこだ?」


 活動を拒否する声帯を震わせ、閉じ続けようとするのどから無理やり声を出す。


「は?」


「病院はどこだ?」


「……行くんですか?」


「あたりまえだ。今すぐ行く。」


「……止めたらどうします?」


「無理やりにでも行く。あいつの学校の奴に聞けばすぐに口を割るさ。」


 後輩その1が、大きくため息を吐いた。その2も自体は理解できないまでも空気は読んでいるのだろう。気の抜けるような口調で割り込んでくることも無い。


「先輩が彼女とある程度仲が良かったのは知っていました。中学時代からそこそこ有名でしたしね。ですが、それはそこまでするほどのことなんですか?彼女は先輩にとって、そこまでするほど価値のある存在なんですか?」


 鋭い視線を俺に向け、探るような口調で俺を問い詰める。いや、逆だったな。まだ動揺しているようだ。探るような視線を俺に向け、鋭い口調で俺を問い詰める。まあ、自然な反応だろう。同じ中学だったなら余計に、同じ高校でも特に、彼女の特異さは身に染みているはずだ。視線、口調、長くて綺麗な黒髪、真っ白な肌、細い足と腕、フラフラとした頼りない歩き方。その全てが、普通の人々の目には不気味に映るだろう。だから、誰も近づかない。近づこうとしない。俺も近づこうとはしなかっただろう。彼女の言葉の端々に散りばめられた自分との共通項に気付かなければ、だが。


「あいつはな、初対面の俺に向かって言ったんだよ。『あなたのようなおぞましい生き物がどんな気持ちで生きているかを考えることは、私にとって蚯蚓みみずの思いを探るよりも薄気味悪うすきみわるいものに感じられるわ。』ってな。わかるか?」


 後輩その1が眉をひそめる。おそらく元ネタはわかっていないだろうが、俺がどういうことを言われたのかはわかったらしい。その2はさっぱりわからないと小首をかしげている。普段なら少しはかわいらしいくらいには思うんだろうが、今の俺にはそんな余裕は無かった。


「あいつはな、初対面の人間に対して人間失格を引用してみせたんだよ。当時の俺はそれを挑戦状として受け取ってな。こう返した。『あんたは飯を喰う為に生きているみたいだ。道化の一線で人間を踏み外したのか?』とね。今思えば、あまり上手い切り替えしでは無かったな。あいつにも苦笑されたんだ。」


 それから、少しずつ俺たちは暇なときに話すようになっていった。とはいえ、目線を合わせて二言三言交し合うだけで、会話とも呼べないようなものだったのだが。その時交わす言葉も半分以上が引用のようなもので、自分たちの言葉で話したのはほんの一つまみほどの時間に過ぎない。そんな他人の言葉の中で、お互いに言いたいことを断片的だんぺんてきに拾っていくのが、俺たちの最大限のコミュニケーションだったわけだ。


「同年代で、若い人間の中で、唯一俺が同意を得ることの出来る存在だ。死に目を見ない理由が無いさ。」


 つとめてほがらかに笑ってみせる。今俺は、あえて死という言葉を使った。それは、俺の覚悟の表れかもしれない。仮定なのは、あえて使ったというだけで深い意味は無いからだ。少なくとも、今この言葉を使ったことで俺は多少の平静を取り戻した。さっきまでの語りを見ていて俺が平静じゃなかったと断言できるのは、あいつだけなんだろうが。

 後輩その1がもう一度ため息を吐く。深い、不快、ため息だった。俺があいつの所に行こうとすることに、心のそこから反対しているらしい。その2は首をかしげたまま、無表情で俺の目を見つめている。この状況で無表情問いのは、ある意味では、コイツも俺やあいつに次ぐ逸材かもしれない。もう少し早く仕込むことが出来ていれば、俺たちと同じ人間失格になれたのだろうか。無駄だろうな。どんな育ち方をすればこんなに純粋に育つのかは知らないが、仕込みようが無い。育ち方に隙が見えないのだ。


「わかりました。」


 その1が口を開く。


「情報をくれた友達に聞いてみます。しかし、今日中には無理です。そして―」


 みなまで言わなくてもいい。大体言いたいことはわかっている。俺をあいつの所に行かせるのだ。条件が出るのは予想済み。その条件のパターンも想定済みだ。


「―僕たちも一緒に行きます。これは、譲れません。」


「わたしもいきます!!せんぱいのお友だち気になります!!」


「わかった。タイムリミットは明日の放課後だ。お前らをあいつに紹介するのを楽しみにしとく。遠出とおでの準備をしとくよ。」


 なんともにぎやかな見舞いになりそうだと、俺は部室を出ながらあいつの顔を思い浮かべ、苦笑する。顔合わせのときになんと言ってやろうか。家で人間失格を読みながら復習しなければいけないな。やるべきことが次々と浮かんでくる。

 

「あ、部室に高瀬舟忘れた。」


 あわててきびすを返して部室へと戻る。まだ鍵を閉めていないと良いが。

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