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健全に迷走する会話

「……」

「……」


 向こうも、どうやらちょうど声を掛けようとした瞬間に突然振り向かれたらしく、口と目を大きく開いた状態で固まっている。


「……」

「……」


 助けを求めるはずだった俺も、口を開けたまま言葉を発せない。まさか、いやそんな……とだけ思ってしまう。

 数秒間の沈黙。

 やがて、相手の方が先に恐る恐る言葉を発した。それによって状況の頁がめくられる。ここからが正念場だ。対応次第じゃ大変なことになってしまう。


「……あ、あの……井上さん?」


 相手が放った第一手はかなりありがちなものだった。そうか、理解していないのか。そう理解した俺は簡潔に希望だけを述べる。


「成仏して下さい」

「え?」

「迷うことなんてありません! さあ早く!」

「ええ? あ、はいわかりました! って、ええ? わ、私、死んだんですか!? そう言えば足が……ありますけど?」

「最近の幽霊は足なんて平気で生やしてきますよ。見くびるな!」

「す、すみません! 幽霊を見くびってました! 私、私を見くびってました!」

「そうですよ、自分の可能性を自分で制限するなんて、愚の骨頂ですからね。以後気をつけて下さい」

「はい、すみません」

「ところで頭は大丈夫ですか?」

「へ? 頭? いえ、学生時代、テストで教科当たり三桁を割ったことはありませんが……」

「三桁って……100点以外に無いじゃねえか!」

「すみません! でも本当なんです! ごめんなさい!」

「2回も謝りやがった!」

「申し訳ありません!」

「3回も! 末恐ろしいよ! 末恐ろしい子だよ!」

「末も何も……もう幽霊ですから」

「ああそうか……で、頭は大丈夫ですか?」

「いえ、だから頭は……」

「頭脳自慢はもういいよ! そうじゃなくて箸だよ!」

「箸……?」

「刺さってるじゃないですか」

「え? いや、これはかんざしですが……」


 そう言うと彼女――そう、さっき玲於奈が箸をぶっこんだ階下の住人にして鍼灸師だという須藤さんだ――は、かんざしを抜いて「ほら」とこちらに見せた。纏めていた黒髪がばらりと広がる。鴉の濡羽色とはまさにこの髪のことを言うのかも知れない。

 何故かんざしを縦に挿しているのかはよくわからないが、確かにそれは箸なんかではなかった。


「あー、須藤さん?」

「はい?」

「実は須藤さんに言わなければならないことがひとつありまして」

「え! いやそんな、私の遺産を狙おうとしてもダメですからね! こないだみたいにはいきませんからね!」


 ちなみに「こないだ」っていうのは先日、須藤さんとの会話中何となく流れで須藤さんを生命保険に加入させ、受取人を俺にしようとした時のことだが……あれは特に俺が何かしたわけではないぞ?


「本当にダメなんですからね! 保険金もそうですけど、私は旦那様以外にはそういうことしませんから! 遺しませんから! 旦那様も旦那様候補も居ませんけど……そう決めてますから!」


 しかし、何故この人はまず最初にお金絡みのことが浮かぶのだろうな? 困ってんのか?

 今度何かおごってあげようかな……。

 ひとり喚く須藤さんをよそに、俺はそんなことを考えていたわけだが……そのせいで須藤さんの話す内容がズレ始めたのをうっかり聞き逃しかけた。


「それともアレですか! あ、こ、あ、愛の告白とかですか!」

「え? いや……」

「そうですよね! 遺産も保険金も、まずは旦那様にならなければなりませんものね! わかります。その考えはとてもよくわかります。でも、だからってその為に愛の告白だなんて……お金目当てだなんて……そんな……」


 そりゃそうですね。告白する気なんてさらさら無いんだが、それでもそれはどうかと俺は思います。

 が、それより俺の話を聞いてもらえませんかと、今俺は思っていますよ?


「……嬉し過ぎて成仏しそうです」

「え?」

「だって身体目当てじゃないんですよ? 健全です! 健全じゃないですか!」


 一体、この人は何を言っているのだろう?


「今まで、私に近付いて来る男と言えば、身体目当ての不健全男ばかりでした……」


 しかもこちらを無視して回想モードに入りやがった。


「私はそんな不健全男達の絡み付くようなよろしくない視線から、お金と貞操を守り続けて来たんです」


 お金関係無い。

 遠い目をしているところ悪いが、お金は関係無い。そして話がズレている。


「あの……それより……」


 とりあえず話を戻そうと試みる。


「そう、あれは私が初めて『資産運用』に目覚めた中学一年のことでした……」


 が、もうへこたれそうだ。須藤さんは「回想モード」から「資産運用講座モード」に転換している。


「……ですから、ただ貯金しておけば良いという考えではいけないのです! わかりましたか?」


 いや、まったくわかりませんし、聞いてもいませんし、そもそもそんな話をしようとした覚えがこちらにはありません。

 どうすればいいものか……考えてはみたが、良い考えがまったく浮かんで来ない。


「では次に、不動産株式は本当に中小型が狙い目なのかという話を……」


 して欲しいと思ってない。

 このままでは埒があかない。とりあえず、動く手を挙げて「先生、話がそれてます」と言ってみた。


「え? ああ、そうでした……すみません」


 話がそれても注意すればちゃんと戻ってきてくれるあたりが、玲於奈やあのブラコンとは違っていい人なんだよなあ。


「私のお金目当てで結婚したいんでしたよね?」


 ……戻りきって無かった。

 須藤さんに対する認識を改める必要があるなと思いながらも、話の軌道修正策を練る。我慢強いな、俺。

 まあ、それもこれも昨日があまりに強烈過ぎて、これくらいじゃ何とも思わなくなっただけなんだろうけれど。

 ともかく、早く軌道修正しなければ須藤さんが遺言状と婚姻届を用意し始めている。確か、保険金の時もこんな流れだったような。

 ……しかし、婚姻届を常時携帯するのは流行りか何かですか?


「ソレ、チガウ。オカネ、カンケイナイ」

「何で片言なんですか?」

「それはね、何だかちょっぴり呆れ始めているからだよ」

「何で呆れるんですか?」

「それはね、お前が人の話を聞かないからだよ」

「え? ちゃんと聞いてるじゃないですか、今。そんなことを言うのはどの口ですか」

「この口ですが、これはね、お前を食べるための口さ! って何させんだ!」

「食べるだなんて……やっぱり身体目当てなんですね!? 不健全です!」


 そう言って身体を隠すように手で自らを抱き締める須藤さん。

 彼女には現実を突き付けてやる必要があるようだ。

 軌道修正どころか、このままだと無限ループにハマり兼ねない。


「……お金目当てでも身体目当てでもないですから」

「じゃあ何目当てだと言うんですか?」


 何目当てでもねえよ。そもそも愛の告白でもねえよ。


「井上さんが私に愛の告白以外だなんて……珍しいですね」


 珍しくねえよ。というか愛の告白なんて一度もしたことないからね? そっちが毎回妄想先走らせてるだけだからね?


「……そうですよね。寝転がったまま愛の告白する人なんていませんものね」


 忘れてた。

 あまりに長い時間この状態でいたから慣れてしまっていた。

 人間の環境適応能力ってのは恐ろしいものだな。狼に育てられれば狼として育つってのも、今なら納得出来る気がする。多分。育てられたことが無いからわからないけれど。


「ええと……まずはここから出してもらえませんか?」

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