名は体をなんちゃら
入学式も無事に終わり、教室に戻ってホームルームが始まった。新塚が今後の予定を話す中、勇美は資料の中からクラス表を捜していた。受け取った物を適当に重ねていたため、整理もついでにすることにする。新塚の視線を気にしながら、そっと、一枚ずつめくっては重ねを繰り返す。クラス表は最後に見つかった。
「それじゃーあ、今日はここまでだ。挨拶は、熱心に資料を見ていた神田で、な」
まったくもって油断していた。夢中になっていたようだ。いつの間にか新塚の話は終わっていた。勇美は机と椅子をガタガタ鳴らして立ち上がった。
「き、きりーつ」
周りにクスクスと笑われながら挨拶を終えた。未だ動揺している勇美は椅子を引くと同時に、丁寧に重ねていた資料を豪快にばらまいた。幸先の悪いこと。深く溜め息をついて資料をかき集める。
「大丈夫か?お前新学期からやらかすなァ」
顔を上げると、なんと茶髪くんが一緒に資料をかき集めてくれている。
「え、と……ありがとう、ございます」
「いいよ別に。はい」
丁寧に重ねられた資料を差し出される。意外にも几帳面のようだ。勇美はおずおずと受け取った。ちょうど一番上にクラス表があった。もうチャンスは逃さない。
やっと、茶髪くんの名前が、わか……わかった……?
「おきの……さくら?」
沖野朔良。漢字は男っぽいが、読みとしてこれは、合っているのだろうか?『さくら』……女の子では?というのはとんだ偏見だろうか。
「オイ……神田。今度その……名前呼んだらぶっ飛ばす」
「はいい!?ごめ、ごめんなさいいい!!」
ゴッ。
机の脚に額がヒットした。音は地味だが赤くなった肌から痛さが見て取れる。沖野は一瞬固まった後、肩を震わせて笑い出した。勇美は額をさすりながら顔を赤くするしかなかった。
「ハハハ、俺がぶっ飛ばす前に負傷したな。まァ、でもな、マジで名前呼びは勘弁してくれ。小さい頃からバカにされてるから嫌なんだよ」
名前に、悩み。自分は名前相応な人間になれなくて。この人は名前自体が嫌いで。少し違うが、なんとなく親近感を覚えた。触れてほしくないこと。正直に教えてくれた方が、後々接しやすい。でも、こんなに軽く教えてくれるということは、もう割り切っているのだろうか。
痛みが薄れてきた。『朔良』が嫌だ……。沖野と呼べと。
「……ごめん、オレ、カ行の中でも『キ』の発音が苦手だから、んーでも嫌なモンは嫌だよね。……そうだなー、さっくんでいい?」
沖野は、再び固まった。
勇美が実は女子でした。という物語が終わってしまうような展開は微塵もなく、今日の学校生活をやり過ごした。元々、女の子らしいと言われるような仕草や振る舞いをしていなかった勇美にはほとんど支障はなかったのだろう。ただ、裸を見られても笑って流されたり、『ぶっ飛ばす』なんて物騒な言葉を投げ掛けられたりと、女子時代より扱いがぞんざいになっている気はした。まだ他人との関わりには難がありそうである。
そんな中、勇美が男の体になってから初めて出会った龍二とは、早くも仲良くなれそうな、というか色々な偶然が重なって関わることが多くなる予感がした。これはありがたいことだ。男子になってしまった以上、男子と関わっておいた方がいいだろう。さらにフレンドリーな彼だから、女子も周りに集まってくるので安心感を覚える。心強い仲間ができたことで勇美はだいぶ救われていた。同じ下宿先のため、今は一緒に下校中である。
「あ!さっくんバイバァイ!」
龍二の呼び掛けに、前方で自転車を運転していた沖野はよろけた。彼は体勢を立て直し、こちらをチラリと見て走り去った。
「……龍二も、『さっくん』って呼ぶんだね」
「うん!いさみんとさっくんの会話聞いちゃったもん。いいでしょ?」
うん、そうだねと言いそうになったが、自分にもあだ名が付けられたことに気づき、苦笑いをして龍二を見た。
「いいでしょ?」
これは『いさみん』についてだろう。自分でもしたことのない、首を傾げて上目遣いという技を使って尋ねられ、「どうぞ」と答える他なかった。元女子として負けたと感じた訳ではない、とは勇美談。
「ねぇ、僕はあだ名で呼んでくれないの?」
再び技を使って尋ねられる。特にあだ名で呼ぶ必要がなかったから付けていないのであるが。今は断る理由もない。勇美は、うーむと唸って考えた。
「りゅうちゃん」
「いさみん適当ー!まぁいいか、かわいいもん」
初めて会った時から、龍二は可愛い雰囲気だった。名前だけ見れば大変男らしいのだが、今のところ、それは見受けられない。彼もまた、名前と自分自身のギャップに悩んでいるのだろうか。あだ名を求められたことから、そんな憶測が飛び交った。
「……そーね、可愛い可愛い」
「いさみんってのもかわいいよぉ!僕には劣るけど」
とりあえず本人は幸せそうなので、考えないでおこう。
世間話をしながら、えがおの都へ帰宅した。