7.「もしもし、私メリーさん。今、あなたの後ろにいるの」
お化け屋敷の中は暗かった。一般的な照明は存在せず、緑やら赤などのライトが設置されている。怖そうな雰囲気と言うものが良く再現されていた。
「けっこう良くできていますね」
「そうね。お化け屋敷は私も初めてだけど、いい感じね」
「来たことないんですか? お化け屋敷」
意外だった。口裂け女は遊園地が大好きだったから、お化け屋敷にだって当然入ったことがあると思っていたのだが。
「だって、私たちはお化けなんだから」
「……それはそうですが」
よく考えると、これはなかなか面白い状態なのかもしれない。『口裂け女』と『メリーさんの電話』という、超メジャーな都市伝説を生み出している当の本人がお化け屋敷に来ているのだ。オカルトマニアがこのことを知ったら、どんな反応をするのだろうか。
最初は墓地だった。墓は『死』を容易に連想させる。最終的に死ぬことが決定している人間にしてみれば、この墓というやつは迫りくる『死』のイメージにぴったりなのだろう。怖がることはないのにな、と思う。
死んだらお化けになるだけだ。私だって、口裂け女だってそうだ。
墓の上に火の玉が舞う。その舞い方はとてもリアルで、お化けの特徴をよくとらえている。私は感心してしまう。
もし私が人間だったら、これは怖いかもしれないな。そんなことを考えていたら、私の中にある感情が生まれてきた。
それは、人間を怖がらせたい、驚かしたい、という感情だ。
人間は人形や照明などを使って、とてもうまく人間を怖がらせようとしている。それで作り出されるお化けなど、偽物に決まっているのに。人間の方だって、偽物と分かっていながら、怖がっているのだ。
人間が偽物でここまでできているのだから、本物のお化けである私にできないはずないじゃないか。そう考えると、妙な自信とやる気が沸いてきた。
私は自分の携帯電話を取り出す。仕事と、数少ない友人との連絡ぐらいしか使い道のない携帯電話だが、今は少しだけ輝いて見えた。今ここで、私は『メリーさんの電話』をかけるのだ。そんな私を見て、口裂け女が不思議そうにしている。
「どうしたの? 着信?」
「すいません。先に行っておいてください。お化け屋敷の出口の辺りで待ち合わせましょう」
私は特に説明はしなかったが、口裂け女は察したらしい。にやりと笑うと「がんばれ」と小声で言ってお化け屋敷の奥へと歩いて行った。
口裂け女に感謝しつつ、私は番号をプッシュした。自分が今までにらめっこしてきた電話帳のことを思い出す。ずっとあれを見続けていた私の頭の中には、たくさんの電話番号がインプットされている。その中から一つの番号を引っ張り出す。どこの番号かなんて覚えていない。でもそれでいい。どんな相手でも、私は恐怖を与えてみせる。
呼び出し音が鳴る。電話はすぐにつながった。私は深呼吸をした。
「もしもし、どちら様でしょうか」
相手の声は心なしか緊張して聞こえた。私はまだ何も言ってないのにと、不思議に思う。
「もしもし、私メリーさん。今、□□駅の近くにいるの」
電話番号から推測した、一番近くの駅名を告げる。距離は徐々に縮めていけばいいので、あまり細かいことまでは考えない。
相手が息を飲んだ音が聞こえた。どうやら恐怖を感じているらしい。私の体は□□駅へと瞬間移動する。移動を終えた私は間髪入れずに次の電話を入れる。再び着信音。そして緊張した女性の声。かなりの恐怖を感じているようだった。私はひさしぶりの手ごたえに嬉しくなる。ふたたび瞬間移動。
次の瞬間移動先は人通りの少ない場所にある公衆電話だった。もう一息だ。もう一回の電話で、電話主の元まで行ける。
電話をかける。今度は公衆電話からだ。ちょっとした気まぐれ。電話が取られ、通話が始まる音。私が声を出そうとした、その瞬間。
「おい」
低く唸るような声が、受話器から響いてきた。喉まで出かかっていた声が引っ込む。先ほどまでの優しそうな女性の声ではなかった。男の、それもかなりガラの悪そうな声だった。
ああ、なるほど。私は一人納得する。こいつは先ほどの女の彼氏か何かなのだろう。いたずら電話がかかってきたと相談されたこいつが、彼女に代わって電話に出たのだ。女は丁寧な感じだったが、男の態度はとても悪い。ああ、いるよな。いい子なのに悪い男にだまされる奴。
まあそんなこと、私には関係ない。男も女も、このメリーさんの呪いで死ぬことになるのだ。
「私メリーさん。今あなたの後ろにいるの」
私は三度目の瞬間移動をする。目指すは電話にでた男の背後だ。
瞬間移動した私が見たものは、大きな男の背中とオフィスのような空間、それにそのオフィスの隅の方で怯えたように震えている複数の人だった。いつものターゲットとは明らかに違う雰囲気に少し戸惑ったが、私はその男に呪いをかける。
この男が振り返り、私の姿を認めた時、男は苦痛と絶望の中で死ぬことになる。
すぐに男は振り返った。その顔が恐怖と驚愕に歪む。なぜか男は顔にプロレスラーがつけるようなマスクをかぶっていたが、男が感じている恐怖を私はしっかりと感じ取った。
男はそのまま倒れた。私の呪いは心臓に効く。ほどなくこの男も心不全で死ぬだろう。
私は男から視線を外し、辺りを見回す。しかし変なところに来てしまった。一体どこなんだここは。なにかのお店のようだった。えーっと、窓口のようなものがあって、わりかしきれいなところで、銀行員のような感じの人がいっぱいいて……。
銀行員のような人?
私は自分が呪い殺した男を見た。頭にかぶっているマスク。今まで気付かなかったが、手には拳銃が握られている。まじかよ……おいおい。こいつは銀行強盗だったのか。
私は銀行に『メリーさんの電話』をかけていたのだ。そしたら銀行強盗がいて、そいつを呪い殺してしまった。
そこまで理解した時「突入!」という声が聞こえた。何かが投げ込まれたと思ったら大量の煙が噴き出した。私は必死でその場から逃げ出した。
「いやあ、お手柄じゃない」
次の日、会社に出社した口裂け女がからかうように言った。あの後、私は遊園地には帰らなかった。「先に帰っていて」と口裂け女に電話すると、ひとこと「おめでとう」と言われた。口裂け女には全てがお見通しのようだった。結果的に、お化けが人間を救うことになったのだから、ちょっと複雑な気持ちではあるが、久しぶりに『メリーさんの電話』が成功したのはよしとしようと思う。
あの銀行強盗は、容疑者死亡ということで決着がついている。多くの銀行員が謎の女性の姿を見ていたが、そのような女は現場にいなかった。私はその後、迅速に現場から逃げていたから当たり前だ。逃げるのは昔から何よりの得意分野である。
私はこれからも『メリーさんの電話』を続けていくつもりだ。私は老い続けるし、またスランプになることだってあるかもしれない。
でも、それでいい。
『メリーさんの電話』は、私がお化けとして存在し続けている限りは不滅だ。たとえお婆さんになってからだって続けてやる。
それが私の『メリーさんの電話』に対する礼儀だと思う。
それが私の『メリーさんの電話』に対する覚悟だと思う。
それが私の『メリーさんの電話』に対する決意だと思う。
この思いは、誰にも邪魔はさせない。たとえ上司(人面犬)に何を言われようと、これだけは譲れない。そこまで考えて、私はふと気づいた。
そういえば、今日は上司(人面犬)がいない。なんだかんだで真面目な性格をしているので、会社をさぼるようなことはないはずだが。
「そういえば、上司(人面犬)がいませんね。珍しく休みでしょうか」
それを聞いた口裂け女は「あーっ!」と叫んで、立ち上がった。
「遊園地においてきちゃった、アレ……」
私は天を仰いだ。