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治癒魔法の副作用 上

 親の決めた婚約を解消し、ようやく心から望んでいた人を手に入れたヨハネスは浮かれていた。


 婚約者との顔合わせの日、一目見て運命を感じた相手は婚約者ではなく、その姉のマルゴットだった。似ても似つかぬ妹リーゼとの婚約は覆されることなく、ずっと我慢を強いられてきた。

 しかし運命の再会を果たすと、ほんの数日で恋い焦がれた人は愛の言葉に頷き、結婚の申し出を受けてくれた。交わした甘い口づけに有頂天になり、ヨハネスは両親に逆らってでも婚約解消することを決意した。婚約者もまたこの婚約解消に承諾し、自分達の幸せを願ってくれている。

 あまりにも順調に話が進み、これこそが運命の力だとヨハネスは感じた。


 愛する者の手を取りながらの帰り道、途中の街で渋滞し馬車はなかなか進まなかった。通りに面した建物で壁面工事をしていたせいだ。マルゴットといれば渋滞さえも苦にならなかったが、その真下に差し掛かった時、すぐ横の足場が崩れ、壁のレンガと共に落ちてきた。とっさにヨハネスは最愛の人マルゴットをかばい、意識を失った。



 目が覚めると伯爵家の格の落ちる馬車で家へと運ばれている途中だった。普段は使用人が使う馬車だが、自分達が乗っていた馬車は動かすことはできなかったと聞き、意識を失う直前に起きた事故のことを思い出した。マルゴットをかばったことは覚えていたが、体はどこにも痛みはなかった。

 そばにマルゴットがいて手を握ってくれていた。何と温かな手だろう。これが治癒魔法か。

「ずっと君が…」

「ええ、ずっとおそばにおりましたわ」

 あんな事故に遭いながらも気丈に笑顔を見せるマルゴット。思わず手が頬に伸びた。柔らかな頬の感触にこれは夢ではないと実感した。

「怪我はなかったか」

「ヨハネス様がかばってくださったおかげで、どこにも怪我はありません」

 ヨハネスはもう一度マルゴットの無事を目で確認した。大切な人を守れたことに満足し、目の前の恋人に穏やかに微笑んだ。


「町の住民達に被害はなかったか」

 ヨハネスの問いに、同乗していた護衛の男が答えた。

「怪我人はおりますが、全員命はとりとめております。あの場に治癒師がいらっしゃったのは不幸中の幸いでした」

「うふふ、お役に立てて何よりです」

 マルゴットの言葉に護衛は何かを言いかけたが、口を閉ざし視線を落とした。しかしヨハネスの目はマルゴットしか追っていなかった。


「ああ、本当に君がいてくれてよかった。…リーゼは」

 こういう時のための治癒師だ。姉妹でさぞ活躍してくれたことだろうと思っていたが、

「ええ、もちろんリーゼも手伝ってくれましたが、今は疲れて眠っています。あの子は魔力が少ないから…」

 リーゼも、()()()()…?


 意識のなかったヨハネスを寝かせたまま運ぶため、この馬車に乗っていたのはマルゴットと護衛一名だけだった。その護衛が異を唱えなかったこともあり、ヨハネスはマルゴットの言葉のまま、それが事実だと受け取った。


 姉であるマルゴットが今もこうして治癒魔法を施してくれているにもかかわらず、疲れたからと先に寝てしまった薄情な婚約者、…いや、今は元婚約者だった。婚約を解消した相手のことなど興味はないらしい。ヨハネスは自ら婚約解消を突き付けておきながら怒りを覚えた。

 もしかしたら新たな婚約者となる姉にヨハネスに付き添う役割を譲ったのかもしれない。だとしても領の専属治癒師でありながらマルゴットより先に眠ってしまうとは。その程度の治癒師ならこの領には必要ない。ヨハネスはマルゴットを選んだ自分の正しさに確信を持った。



 家に着くと既に真夜中に近かった。先に連絡を受けていた執事が駆けつけ、ヨハネスの無事な姿を見て大きく安堵の息をついた。執事が取り乱すところを見たのは初めてだった。

 遅れて屋敷に貸馬車が着き、眠ったままのリーゼが屋敷に運び込まれた。

 寝入ってしまった子供のように起こしもせず、護衛が抱きかかえて運んでいる。既に医者が待機していて、すぐさまリーゼの部屋に向かった。自分よりリーゼを優先した事を不快に思ったが、慌ただしい様子を見ているとただの疲れではなかったのかもしれない。


 その後ヨハネスも診察を受けた。体のどこにも傷は残っておらず、唯一胸に手のひらほどの赤い痕がついていた。痛みもかゆみもないが自分の体にこんな痣のようなものがあることに不安に感じた。しかし、

「完璧な治癒魔法が施されており、私がすべきことはありませんな。立派な治癒師をお持ちで、ボルフェルト領の将来は安泰じゃ」

 そう言って医者は顔を緩ませた。ヨハネスは安心し、そして確信を得た。

 自分を治したマルゴットの腕は確かだ。自分の判断は間違っていなかった。

 ヨハネスは後押しされた気分になり、父親が戻り次第この婚約者交代の話を進めようと決意を固め、その日は眠りについた。リーゼのことなど頭になく、医者に様子を聞くことも、部屋を訪ねることもしなかった。



 次の朝、マルゴットは領での治癒師の仕事があるからとリーベル領に戻った。四日後父親を連れて来ると言い、ヨハネスは別れを惜しんでマルゴットと口づけを交わし、その出発を見送った。

 屋敷の誰もが見て見ぬ振りをした。伯爵家の子息であるヨハネスに意見する者はいない。気まずくはあったが、父が戻れば解決することだ。みんなもきっとマルゴットを新しい婚約者として受け入れてくれるだろう。ヨハネスはそう信じていた。



 約束した日にリーベル子爵とマルゴットが来た。リーベル子爵はマルゴットを手放すことを渋り、それがよほどマルゴットの方が優秀なのだと思わせた。ためらう子爵に伯爵が追加の支度金を出すことでようやく話がまとまり、マルゴットとリーゼの入れ替えが成立した。

 父の力添えに、父が自分達を認めてくれたと思いヨハネスは嬉しくなった。いい子でいるだけでは駄目だった。時には父に逆らってでも自分の意見を通すことも大事なのだと改めて感じた


 リーゼは王都で働くと言っていたが、リーベル子爵に連れ戻されることになった。

 自分が婚約解消した女がそのせいで婚期を逃し、女の身でありながら働いて過ごすのは気がかりだったが、仲がいいらしい男を夫にし、伯爵家よりは格は落ちるものの領主の妻になるなら充分幸せだろう。リーゼの思い通りにはならなかったが、その結果はヨハネスの罪悪感を軽くしてくれた。


 自分のそばに立つべき女性はマルゴット。ついにその願いが叶った。

 ヨハネスの目にはリーゼも、母のリーゼを憐れむ姿も、使用人達の落胆も、護衛の気まずそうな姿も、何も見えてはいなかった。


 あの事故の帰りに馬車に同乗していた護衛は数日後辞表を出し、ボルフェルト家を去った。




 マルゴットが治癒に向かったのは家に来て二週間後、伯爵に促されてようやく重い腰を上げた。

 薬を作れないマルゴットがリーゼと同じ予算で手に入れられた薬は半分もなかった。リーゼが自作した薬を足していたのもあったが、薬師は以前のように値引きしてくれなくなっていた。とはいえかつて治癒師をしていたメレニアも薬作りは薬師に任せており、その頃と同じ程度に薬の予算は増やされた。


 ひと月で四か所も回るのは大変だとマルゴットは疲れた様子を見せたが、それはメレニアもリーゼもやっていたことだ。

「リーベル領ではどれくらいのペースで回っていたんだ?」

 ヨハネスが尋ねてもマルゴットははっきりとは答えなかった。



 一か月後、ヨハネスとマルゴットは伯爵夫妻と共に式典に同行することになった。

 着いたのはあの事故のあった街だった。道に散らばっていたがれきは撤去され、新しい足場が組まれていた。

 広場には街の人が集まっていた。あの事故の時にあれだけの人数に治癒を施し、一人の死者も出さなかった治癒師への感謝の式典だと聞き、ヨハネスは自分の事のように誇り高く感じたが、その横でマルゴットの顔色は優れなかった。


 ヨハネスにエスコートされ、住民たちの前に出たマルゴット。小さなざわめきが起こったが、滅多にお目にかかることのない領主が現れると皆緊張し、場は静かになった。


 そんな中で、会場にいた子供がマルゴットを指さした。

「あれ、誰?」 

「この前、壁が崩れる事故があったでしょ? あの時にみんなを治してくださった治癒師の方よ」

 母親が子供に説明すると、子供は首を横に振った。

「違うよ。みんなを治してくれてたの、あの人じゃないよ。僕、見てたもん」


 子供の言葉に、会場はざわつきはじめた。そこにいた人達は次々に違和感を口にした。

「…そうね、もっと地味な感じの、でもてきぱきと動く子だったわ」

「中途半端な治癒をしよって、文句を言ってやろうと思っていたが、あんな美人さんじゃなかったな」

「…今思えば、あれだけの人数を一人で見てたんだ。全員を完璧に治すなんて無理だったんだな…」

「赤い痕もちゃんとなくなったし、あの時は悪かったと謝りたかったんだけど、あの人じゃ…」

「あの人、知ってる。ずっとあの隣の人のそばにいて、他の人になんて目もくれなかった」

「あの人が倒れたのって、あの男の人と女の人の所だったよな。何かされたんじゃないの?」

「あれは誰だったんだ?」

「今日は来てないの? お礼を言えると思って来たんだけど…」


 ひそひそと上がった声が広がっていくとともに、マルゴットに向けられた疑惑の目。いつもなら誰もを虜にする笑顔をむけてもその場が静まることはなく、伯爵は事の次第を理解した。


「…この事故現場で治癒をしたのは、マルゴットではなかったのか?」

 伯爵は二人に尋ねたが、二人を見てはいなかった。この場にいる領民に目を向け、不満とするところを聞き逃さないようにしている。

「私もっ、私もやりました。リーゼに手伝ってもらいながら、私も…」

 より強くなるざわめきに非難が混じり、ボルフェルト伯爵は

「今日の式典は中止する!」

と告げた。強い語気にその場はしんと静り、領主一家がいなくなるまで誰も動かなかった。



 伯爵夫人とヨハネス、マルゴットの三人は先に町長の家に向かったが、終始無言だった。

 しばらくして伯爵が戻ってきた。続いて老人が若い女性に付き添われて入ってきた。脱いだ帽子を両手で持ち、おどおどしている老人を座らせると、伯爵はマルゴットに命じた。

「この老人の治癒に当たれ。…今すぐだ」

 どこが悪いのかも言われず治癒を指示され、マルゴットは戸惑った。しかしマルゴットにもリーベル領の治癒師として働いてきた自負がある。

「わかりました」

 そう答えると、老人に、

「どちらがお悪いですか?」

と問いかけた。問診は治癒の際、普通に行っていることだ。引け目を感じることはない。

「この右側の腹が、しくしく痛みまして…」


 マルゴットがリーベル領で接してきた患者は、それなりに金があり、身なりも整っていた。今目の前にいる老人は農夫らしく、服は継ぎはぎがあり土や草の汁がついて汚れていた。少しためらいながらも患者が手で示した部分に手をかざし、治癒魔法をかけた。掌と体の間から光がこぼれ、その光景は実に神秘的だった。

 三十秒ほど治癒を施し、その手を止めたが、老人は光を見た時は目を輝かせていたものの少し顔をしかめ、治癒が終わっても首をかしげただけだった。

「これで終わりです」

「…ああ、…ありがとう、ございます」

 マルゴットは笑顔で老人から離れた。これで自分が治癒師だと認めてもらえたはず。


「…なってないわね」

 老人に付き添っていた女性が冷たい声で答えた。

「きちんと手を添えてないから魔力が漏れているじゃない。患部がどこかもわかってないの? 治癒魔法を流せば、どこが悪いかわかるでしょ?」

 マルゴットを睨み、施した治癒魔法を批評する女性。


 マルゴットが反論するよりも先に女性は老人の右腰に手を当てた。マルゴットの施術のように輝く光はなく、ただ手を当てているだけのように見えるのに、老人は顔を緩め、ほうっと安堵の息をついた。

「ああ、痛みが治まっていきますわい…」

 ゆっくりと、ゆっくりと力を流し、概ね三分程度。手を離すと、

「ありがとうございました。ああ、ようやく痛みが治まった…」

 老人は穏やかな笑顔を浮かべ、女性に礼を言った。

 老人に付き添っていた女性は治癒師だった。


 ヨハネスは目の前の治癒師の施術を見て思い出した。地味で速さもない、つまらない施術。しかし終わった後の患者はみんな朗らかな表情を見せていた。リーゼの治癒魔法がそうだった。


「手を浮かせても魔力を通せるようになるのはもっと熟練してからよ。あなたのように未熟な治癒師はしっかりと治療箇所に手を当てて魔力を奥まで通さないと、体の奥には全然魔力が届いていないわ」

 治癒師の指摘にマルゴットは怒りに声を荒げた。

「み、未熟って、私ずっと領の専属治癒師をしてましたっ! たった一人で、領を見てきたんです!」

「どちらの領?」

「リーベル領です」

「ああ…。教会からの派遣を受けていないあそこね。一人で大変だわね。でも、リーベル領は治癒師はいても高くて手が届かないって聞いたけど。治癒魔法を使う機会なんてあまりなかったんじゃない?」


 マルゴットは答えられなかった。

 治癒費を上げるたびに治癒魔法の依頼は減り、領内を巡る回数も減っていった。巡回する時に薬や食料品を届ければみんな感謝してくれた。しかし待っていたのは差し入れた物品。高い治癒魔法の治療を望む人は少なく、治癒を施しても助かる率は高くはなかった。


「リーゼとこの程度の女を交代させるなんて、どうかしてるんじゃないの?」

 治癒師の女性は老人を連れて部屋を出た。


「ここでの事故で怪我人に治癒を施したのはリーゼで、おまえはヨハネスの治療に専念していたそうだな」

 伯爵の言葉に、マルゴットはうつむいたまま顔を上げなかった。

「それさえも不充分で、リーゼが追加で治癒を施した。それがなければヨハネスの命も危なかった」

「そ、そんなことは…」

「父上、私を治してくれたのはマルゴットです。帰りの車内でもずっと私に治癒魔法をかけてくれて、だから私はこうして無事に」

 伯爵はゆっくりと首を振った。

「胸に赤い痕が残っていたと言っていただろう。…あの時、リーゼの治癒を受けた者には治癒を施した場所に赤い痕がついていたそうだ。痛みもかゆみもなくただ赤いだけだが、それがリーゼが治癒をした証拠だ。あれだけの人数を治した後、さらにおまえを治療し、無理がたたってリーゼは倒れたのだ」


 ヨハネスは自分の胸にあった赤い痕のことを思い出していた。

 初めは気持ち悪く思えたが、赤くなった部分が手を当てられているようにほんわりと温かく、それを感じなくなった頃、いつの間にか消えていた。

 あの痕は癒やしの力の名残だった。リーゼは自分のために治癒の力を使い、そして倒れた。


 出会った時からリーゼはマルゴットへの想いの障害だった。

 打ち解けることもなく、距離を置き、できるだけ無視していた。しかしリーゼは歩み寄ろうとし、ヨハネスが問いかければ誠実に答え、傷ついた自分を命がけで治してくれた。

 この献身こそ、本当の愛と言えるのではないか。


「マルゴット、ヨハネスに治癒の力を流してみなさい」

 マルゴットは目を背けたままだったが、伯爵からの威圧に恐る恐るヨハネスの手を取った。そしてわずかに治癒魔法を流し込んだが、

「っ!」

 とっさにヨハネスは手を離した。静電気のようなピリッとした痛みが走り、あの時のような心地よい温かさは感じなかった。

 伯爵は小さくため息をついた。

「教会でマルゴットの治療を受けた者がいたが、皆怪我の痛みとは別に小さな痛みを感じたそうだ。…車内で本当に治癒魔法を施していたのか? 手を握られて有頂天になり、体温を治癒魔法と勘違いしていたのではないのか」

「そ、そんな…はずは…」


 ヨハネスはマルゴットに目をやったが、視線が合うことはなかった。

 打ちひしがれていてもマルゴットは変わらず美しかった。だがヨハネスの心にその美しさは響かなくなっていた。

 妹の手柄をとり、妹の婚約者を奪い、要の治癒の力さえ未熟。騙された思いだった。




 ボルフェルト伯爵は、マルゴットの治癒師ともいえない未熟さを糾弾し、再びリーゼを婚約者に戻そうとした。

 しかしリーベル子爵は何やらトラブルを起こしたらしく、領には国の役人が出入りしていて、話し合うような時間はとれないと言われ、また後で、そのうち、落ち着いてから、そう言い逃れて二ヶ月後、子爵は爵位を取り上げられた。


 その跡を継いだ遠縁の男は子爵でありながらボルフェルト伯爵に対して強気の態度を崩さなかった。

「婚約者を交代した時点でそちらとの約束は完了しています。治癒の仕事をしている婚約者をいたわることもなく、女と一緒についてきて、目の前でいちゃつきながら当然のように婚約解消を迫ったそうじゃないですか。いくら金を積まれようと、そんな家に戻れなどと言える図々しさはありませんよ」

 新たなリーベル子爵はリーゼとヨハネスが婚約解消した時のいきさつを伯爵以上に詳しく知っていた。それを聞いたボルフェルト伯爵は、これ以上交渉することはできなかった。


 元子爵は全ての権限を移譲し、領内の片田舎の小さな家に追いやられていた。子爵家との話し合いによる婚約者交代はもはや無理だ。マルゴットをヨハネスの婚約者として受け入れるしかない。しかし、マルゴットを専属治癒師としてこの領を任せることはできない。

 それならば、リーゼを治癒師としてこの領に迎え入れればいい。

 ボルフェルト伯爵は何としてもリーゼを取り戻すことにした。



 リーゼが修道院に逃げ込んだと聞いたヨハネスは、リーゼがよほど他の男と結婚するのが嫌だったのだと、哀れに思った。


 見習い修道女になっていると聞いたボルフェルト伯爵は修道会に連絡を取り、身請けをしたいと相談した。見習いであればたいした金額は取られないのが通例だ。しかし既に王立騎士団からも申し入れがあったという。

 多くの申し入れがあれば他も嗅ぎつけてくる可能性がある。事を早急に進めるため、伯爵は正規の修道女を身請けする金額にさらにその半額を上乗せして提示した。

 司祭の見せた笑顔から、王立騎士団よりはずっといい金額を提示できたに違いない。とりあえずこれで領は安泰だ。


 喜ぶ夫に、伯爵夫人は自分の抱く懸念を伝えた。

「本当に、それでいいのでしょうか。リーゼのことを思うと、姉とヨハネスがいるこの家で暮らすのは酷ではないかと思うのですが…」

「希望するなら外に家を与えてもいい。マルゴットだってまだ婚約者にすぎんのだ。状況によっては入れ替えることもできる」

 いつになくムキになっている夫を見て、伯爵夫人は説得を諦めた。どうなるかは運命に委ね、出た結論に沿って動くしかない。


 リーゼが戻ってくるなら二人とは離れて暮らせるように計らい、戻って来ないなら、マルゴットに治癒師の再勉強をさせながら、教会からの派遣治癒師を増やさなければいけない。この領を気に入ってくれる治癒師が出てきてくれたなら専属契約を打診することもできるかもしれないが、そう簡単ではないだろう。


 ヨハネスは格段優秀な子ではなかったが、やればできる子だと励まし褒めて育ててきた。親の言うことを聞く素直な子だった。父親の決めた縁談を勝手に覆すような子ではなかったのに。


 気の合う娘になれそうだったリーゼはこの家を去り、残ったのは仕事もできないのに着飾ることには余念のない女。磨き甲斐があり、自分の見立てを嬉しそうに受け入れてくれたリーゼとは違い、自らの好みを押し通し、好き勝手に散財したがるマルゴットをとてもではないが娘として扱う気にはなれず、早くから一線を引いていた。


 それが息子の選んだ人だ。いつか領を継げば領の運営も、治癒師の雇用も、妻の散財も自分で何とかするしかない。

 育て方を間違えてしまったかと伯爵夫人は内省しながら、修道会からの通知を待っていた。


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