治癒魔法の副作用 下
リーゼを身請けしたのはシリングス公爵だった。シリングス公爵領は魔物が出現する森と隣接しており、討伐の時には治癒師の派遣を依頼することが多く、修道会や教会とのつながりが深い。シリングス公爵がいくら積んだのかは明らかにされなかったが、金額以上の忖度があってもおかしくはなかった。とはいえさすがのボルフェルト伯爵も公爵家にけんかを売る気はなく、リーゼのことは諦めざるを得なかった。
それでも一人諦めきれない男がいた。
ヨハネスだ。
リーゼに命がけで助けてもらったと知ってからリーゼの愛の深さに感じ入り、それまでの自分の振る舞いを悔いていた。それ故に金で買われたかわいそうなリーゼを助けてやるのは自分の務めだと思っていた。
父から任される領の仕事は増え、うまくいかないことも多かった。マルゴットは治癒の仕事もしぶしぶだが、それ以外のことは自分には関係ないと思っていて手伝いどころか相談相手にもならなかった。自由になる時間は限られ、立場が悪くなるほど甘えてくるマルゴットの相手もしなければいけない。リーゼの様子を見に行きたいが公爵領に出入りすることもできず、どうすればいいか悩んでいたが、ひょんなことからリーゼには任期があり、三年過ぎれば公爵家との契約が切れることを知った。
それまでにリーゼを説得できれば治癒師として自分の元に引き取ることができる。父からも早急に優秀な治癒師を領に迎えるよう言われているが、リーゼを連れ帰ることができれば父も高く評価してくれるだろう。
これはリーゼを悲しませた自分の使命なのだ。
しかし、その後もなかなかリーゼに会う機会はなかった。リーゼは公爵領から出ることはほとんどなく、公爵領内を移動し、時には魔物討伐にまで派遣されているとか。
そんな恐ろしい仕事につかせるなどもってのほか。ボルフェルト領なら魔物に遭遇することはまずない。やはり任期が終わり次第ボルフェルト領に連れ戻すのが正しいことだと思えた。
仕事で王都に来た時、知り合いからリーゼが王城の夜会に参加していたと聞いた。
リーベル家を離れて平民になったのに王城の夜会に? 何かすごい手柄でも立てたのだろうか。ともかく王都にいるなら今がチャンスだ。
治癒師として公爵家に同行しているため、滞在先は公爵家のタウンハウスだ。警備は厳重で簡単には会わせてもらえそうにないが、治癒師のスカウトに行くだけだ。何もやましいことはない。そう自分に言い聞かせて、取り次ぎの手紙を出した。
翌日、ヨハネスの元にやってきたのはレオンハルト・ローヴァイン、王立騎士団の第二隊長だった。さすが騎士団の隊長をしているだけあって立っているだけで威圧感を感じた。背は高く鍛えられた体は服の上からでもわかる。通りすがりに体が当たれば吹っ飛ばされそうだ。
「シリングス公爵家の治癒師リーゼ殿への取り次ぎの返事を持ってきた」
何故この大柄の筋肉馬鹿に見える男がシリングス公爵家に出した取り次ぎの回答を持ってきているのか。察しの悪いヨハネスは首をかしげた。返事ならその場でもらって済ませてもよかったのだが、シリングス公爵家の使いであり、ローヴァイン家もまた本家は侯爵位を持つ家柄だ。失礼な対応は許されない。
玄関先で追い払うのは避け、レオンハルトを客人として応接室に招き入れた。
「手短に使いの役目を果たしておきます。取り次ぎの依頼への答えはNO。あなたに会う気はないと言っています」
予想した答えであったが、そうあって欲しくなかった。
ヨハネスは定型の手段をとったことを後悔した。気軽に応じられるよう街に誘い出すなどもっと配慮すべきだった。
「さすがに公爵家で会うのはよくなかったか」
ヨハネスはそう言ったが、公爵家の外ならもっと嫌がられただろう。
婚約を解消し、今は別の婚約者がいながら、あれほどまでに嫌悪していた相手とつながりを持とうとする男。
あきらめることなく、恐らく次の手を考えているだろうヨハネスを見て、レオンハルトは目の前の男にははっきりとわからせてやったほうがいいと考えた。でなければ今後もリーゼと連絡を取ろうとし、下手すると公爵家の任期を待たずに手を出してくるかもしれない。
普段はリーゼは公爵領内にいるとは言え、レオンハルトにもリーゼにも仕事があり、どこかに閉じ込めておくこともずっとそばにいて守ることもできない。リーゼの気持ちを思いやることもなく独りよがりな思いのまま突っ走る無神経な男だ。更に父親であるボルフェルト伯爵まで関与してくればたまったものではない。
「本人が拒否している以上、屋敷内でも外でも会わせることはできません」
「…まだ怒っているんだな。もう俺は嫌っていないのに」
相手が嫌っているという発想はないらしい。
「何でしたら、今のリーゼ殿の本心を聞けるよう、場を作りましょうか?」
レオンハルトの奇妙な申し出に、ヨハネスは怪しむよりも興味を持った。
「会わせてくれるのか?」
「直接会わせる訳にはいきません。あなたと会いたくないと伝えに来た私が待ち合わせをセッティングしたとなるとさすがに信用を失います。私が彼女を街に誘い出し、あなたのことを聞き出します。それをあなたは離れたところから聞けば、彼女の本音を知ることができるのでは?」
レオンハルトの申し出に、ヨハネスは希望を見た。
リーゼは姉に遠慮しているだけだ。慕う想いがなければ命をかけてまで自分を助けてくれる訳がない。自分の本心を押し隠し、相手の幸せを祈って身を引いた、けなげなリーゼ。
治癒を受けた後、赤い痕があった場所にほのかな暖かさを感じた。
もしその場で正直に自分への秘めた愛を告白したら、姿を見せてその想いを受け止めてやればいいのではないか。
「そんなことを、頼んで…いいのか?」
レオンハルトは小さく頷いたが、
「いい答えを聞けるとは限りませんよ?」
と念を押した。しかし、その言葉はヨハネスには届いていなかった。
その翌日の夕方、ヨハネスは街の酒場でリーゼが来るのを待っていた。庶民が使う店は椅子に布も皮も張られてなくて座り心地が悪いが仕方がない。とりあえずビールとつまみになるものを頼み、リーゼが来るのを待った。
十分ほどするとリーゼと昨日返事を持ってきたレオンハルトがやってきた。レオンハルトはヨハネスを確認すると、リーゼの視界にヨハネスが入らない席を選んで座った。
リーゼが着ているのはいかにも庶民的なブラウスとスカートだ。母が選んだものより清楚で飾りっ気もないが似合っていた。初めて会った時は痩せ細ってギスギスして見えたが、今は肉付きもよくなり、ボルフェルト領にいた頃以上に健康的で血色もよく、色気さえ感じる。あの頃は一緒にいるのも恥ずかしかったが、これなら大丈夫だとヨハネスは思った。
料理と酒を頼み、二人は乾杯した。
先に届いた酒をくーっと流し込む。いい飲みっぷりだ。ヨハネスはリーゼと共に酒を飲んだことはなかった。リーゼはいつも忙がしくしていてよく食事の時間がずれた。ヨハネスはリーゼに合わせる気がなく、いなくても気にせず食事を済ませていた。そんなことを思い出すうちに、日程を決める時はいつだって自分が合わせさせられた不愉快な記憶が蘇ってきた。
食事をとりながら酒が進む。ここに来る前に二人はどこかに行っていたようで、その話が長く続き、じれったいほどに自分の話にならない。ヨハネスは退屈に思っていたが、
「そういえば、昨日取り次ぎを断ったボルフェルト家の子息なんだが…」
ようやく自分のことが話題に上り、ヨハネスはじっと聞き耳を立てた。
「おまえに会えなくて淋しそうにしてたぞ」
「ええーっ? …今更会って話すことなんてありませんよ。レオンハルト様だって知ってるでしょ? 私が婚約解消されたの」
ほどよく酔ったリーゼは饒舌になっていた。
「婚約者と憧れの君を同行させて、人が仕事してる間もずっとイチャついて、二人で街にデートに出かけ、仕事終わりに呼ばれたらいきなり『婚約解消』ですよ? 大体、妹のためとかって偽善ぶって姉を家に招くところから卑怯でしょ?」
卑怯という言葉に、ヨハネスは自分が用意した建前は言い訳にもなっていなかったことを突きつけられた。自分の幸せに満足し、そんな設定をしていたことさえ忘れていた。今でも怒っているのだろう。会ってもらえないのも当然だ。
「どうせ姉の代わりに領の治癒師として働かせる気でしょ。ボルフェルト領に戻る気なんてこれっぽっちもありません。シリングス公爵は私達の仕事を理解してくださって、治癒師や薬師に丸投げになんてしませんし、他の治癒師の方も優秀で困った時には相談できて、安心して仕事できるんです。公爵家で仕事できて本当によかったと心から思ってます。…絶対取り次がないでくださいね、もうつながり持ちたくないんだから」
「だから、ちゃんと断りに行っただろ、俺が」
「頼りになるなぁ…。レオン兄さんって呼んでいい?」
「だーめ。兄呼ばわりは許さん。…おまえは、あの男に未練はないのか?」
「は? 未練? 最初っからそんなもんある訳ないでしょ。治癒師として雇われた政略結婚、こっちもいろいろ妥協してるのに姉に心奪われて、自分だけ被害者ヅラしてこっちに当たってくる小物。夫人に『やればできる子なのよ。励ましてその気にさせてやって』って言われたけど、やればできる子ってのはやらない子に言う言葉なのよ。励まさないとできないような人が領主やるの?」
リーゼは手にしていたグラスを傾け、一気に飲みきった。
「治癒師やって、薬師もやって、領のことも考えて、夫人の仕事もやって、夫の教育までやれって? 自分一人で道路の修繕計画も立てらんないような奴を領主に育てろ? 無理無理無理。あれから二年近く経ってるけど、多分まだ道の一本も直せてないんじゃない?」
きっぱりと未練はないと言われ、それだけでもショックだったのに、自分のことを小物呼ばわりされ、ヨハネスは怒りで手を震わせた。道の計画は確かに頓挫しているが、それは治癒師問題でかき回されたせいだ。マルゴットが自分を騙し、事故での活躍を偽らなければ父は二人の入れ替えを認めなかったはずだ。黙っていたリーゼにだって責任はある。そうとも。こうなったのは、マルゴットとリーゼ姉妹が結託してボルフェルト家を騙したせい、全ての原因はあのリーベル家の姉妹のせいだ。
ヨハネスは今すぐリーゼの元に怒鳴り込んで行きたくなった。
「でも、あいつを治してやったんだろ? あの事故の時、自分がぶっ倒れるのも顧みず…」
その言葉で、ヨハネスは我に返った。
そうだ。リーゼは自分を治してくれた。自分の力の限界を超えてまで。
「目の前に怪我人がいたら治すのが治癒師でしょ? 別にヨハネス様じゃなくても誰でも倒れていたら治すわ。それが仕事だもの」
仕事。ヨハネスへの特別な思いではなく、倒れていたら誰でも…。
それは治癒師としては当然で、善良な思いであっても、ヨハネスは裏切られたように感じた。
「姉があそこまで治癒が下手だと、あの時まで知らなかったのよ。小さい頃は私より魔力が多くてみんなから褒められていたんだから。ヨハネス様を治したらすぐに来てくれると思ったのに、ヨハネス様の傷さえ治せてない。目に見えている傷しかわからず、命に関わる怪我を見逃していて、あのまま放っといたら死ぬのは目に見えてたから、魔力すっからかんになってでも治すしかなかったの。領の専属治癒師が領主の息子を死なせたなんて事になったら私の沽券にかかわるもの」
愛ではなく、沽券…、プライドだったのか。心に風が吹き抜けた。愛なんかよりずっとしっくりくる答えだった。
「姉がろくに治癒もできないと知れたら姉との入れ替わりが成立しなくなると正直冷や汗ものだったんだけど、姉が事故の治癒を自分の手柄にしたと聞いて、もうのっかるしかないでしょ。護衛も口裏合わせてくれたみたいだし」
「…あれな、口裏合わせも言われはしたが、実際のところ黙っていただけらしい。あの坊ちゃんはおまえの姉の言葉を信じて、護衛に聞き返しもしなかったってさ」
「…ええー? 信じらんない。…って、何でそんなことまで知ってるの?」
「いや、あそこの護衛に俺の後輩がいてさ。地元に戻りたがってたから、仕事世話する代わりに情報もらってたんだ」
「…それって、スパイって事?」
「そんな大それたもんでもないさ。ちょっとおまえのことが心配で、どうしてるか聞かせてもらってただけだ。そいつも俺の紹介した先に転職したし、黙っていた奴も気まずくてやめたそうだ」
ここにきてようやくヨハネスは気がついた。
王立騎士団の隊長をしているような男が言伝てのためだけにヨハネスの元を訪れるはずがない。ヨハネスがリーゼとよりを戻さないよう、あえて使いの役を買って出たのだ。
そんな男がセッティングしたこの場がヨハネスのためな訳がない。ヨハネスにダメ押しをするために設けられたのだ。
おまえは好かれてはいない。おまえがリーゼを自領に連れ帰ることなど無理なのだと。
「ほんとに、…ありがとう。レオン兄が神に見える…」
「兄じゃないっつーの。いい加減、レオンって呼べよ」
「呼び捨てなんて恐れ多い…」
神をあがめるように両手を合わせて祈りだしたリーゼに、
「じゃ、おまえに神のお告げを言い渡そう。…おまえは俺の恋人になる運命にある。…てのはどうだ?」
レオンハルトがふざけて言った言葉に、リーゼは迷うことなく答えた。
「いいわよ」
「おま、…そんな即答…」
「レオン兄のこと、好きだもん」
「…兄かよ…」
「私の周りにあった『愛』は、大して愛されもしない私でさえ羨ましいと思わせてはくれなかった。誰かを想い、想われる気持ちに期待なんてもてなくて、愛なんて信じられないと思ってた。でもレオンのことは信じられる。人としても、あなたが私に向けてくれる想いも、ちゃんと信じられる自分に気がついて…。…私、レオンのこと、好きなんだわ」
レオンハルトはリーゼの肩に手を回し、自分のそばに引き寄せた。
「後で『酔ってた』はなしだぞ」
「酔ってるよー? ちゃんと酔ってます。酔ってても、前言撤回なんてしないよ?」
「じゃ、…もう、この際、結婚しようか」
「いいよー!」
「ぜっっっったい、酔ってるじゃ済ませないぞ」
「そんなに心配なら、しらふの時にもう一回言って。ちゃんと答えるから。ね?」
顔をほんのり赤くしてちょっと首をかしげたリーゼに、レオンハルトは嬉しさのあまり抱き寄せて、その場で人の目も気にすることなく口づけした。
周囲がはやし立てようと、恥ずかしがるどころか自分のものだと周りに示すようにリーゼを腕の中に抱き、にやけ顔を見せるレオンハルト。その腕の中で、リーゼは恥じらいながらもほころぶような笑顔を見せた。心からの笑顔だった。ヨハネスには一度も見せたことのない笑顔だ。
ヨハネスはそっと立ち上がり、そのまま店を出た。
あの男との結婚を決めたリーゼは、ボルフェルト領に戻ることはないだろう。
目の前でいちゃつく姿を見せつけられる、この虚しさ。
かつてリーゼが治癒のために手を押さえた痕が赤く残っていた胸。同じ場所に剣を刺されたような痛みを感じた。痛みと共に冷えていく治癒の名残をひしひしと感じながら、ヨハネスはひとり王都の家へと戻っていった。
追加話を含め、お読みいただきありがとうございました。




