86.聖なる夜
「お腹いっぱい。幸せねぇ......。」
「そりゃ良かった。美味しかった?」
「......余は大変満足じゃ。」
「巫女様随分とご満悦の様子で。」
なんだか可笑しくて、二人は顔を見合わせてくっくっくと笑ってしまった。
今日はクリスマス。
子供達はプレゼントを楽しみにワクワクしながら床に着き、大人達は友人や家族、あるいは恋人などそれぞれ思い思いの人と一緒に過ごす特別な聖なる夜だ。
霊夢とレンも今日はクリスマスにあやかって里に晩ご飯のご馳走を食べに来たのだ。
......勿論レンの奢りで。
お陰でただでご馳走にあり付けた巫女様はご機嫌麗しいわけである。
店の外へ出るとやはりクリスマスだからなのか人通りが多く、もうだいぶ遅い時間だというのに今日はしんしんと雪が降り積もるなか沢山の人が歩いていた。
「わぁ......まだ雪降ってる。ホワイトクリスマスってやつね。」
「ああ、綺麗だね。」
白い花弁のような雪が空からひらひらと落ちてくる。
逆にほっと吐き出す息はすぐに白くなって夜の帳へと吸い込まれていく。
「......うう、寒いなぁ。」
「そりゃいくらなんでもそのローブだけじゃ寒いわよ。」
「俺が住んでいた世界では真冬でも制服の上にローブを羽織っていれば十分暖かかったんだけど......。」
「幻想郷の冬は寒さが厳しいんだから。あんまり防寒具ケチってると凍え死んじゃうわ。」
「はは、違いない。......霊夢は暖かそうな恰好してるね。」
肩には短めのケープを羽織り、巫女服の下には黒いタイツとスリーブを着込んでいる。
「でしょー?ふふっ、一応巫女服も冬仕様なの。」
「冬仕様?」
「ええ。ふわふわした生地になってて、普通のやつよりもちょっとだけ厚みがあるの。」
成る程見れば確かに夏に着ていた巫女服とはデザインはほとんど同じだが、生地が厚い分幾分か暖かそうだ。
寒さに揃って身震いしつつ、二人並んで横丁の方へと歩き出す。
やはり通りはどちらを見ても若いカップルばかりで、なんとなく肩身が狭い。
なんか皆幸せそうに手繋いで歩いてて羨ましいな。
隣を歩く霊夢も同じことを思っているのか、さっきから腕を組んだままわざとらしい溜め息ばっか吐いている。
なんだか巫女様ご機嫌ななめ?
よっぽど気に食わないのだろうか。
その様子を見てレンはちょっぴり笑ってしまった。
「ねえ......レン?」
「ん?」
「私、手が冷たいんだけど。」
「う、うん......。」
「いや、うんじゃなくてなんとかしてよ。」
「手袋でも貸そうか?」
「ああもう!そうじゃなくて!!」
急にぷりぷり怒りだす霊夢に、困惑するレン。
「もうちょっと気の利いたことできないの?」
「えぇ......?」
どうして俺怒られてるの?
「......ん。」
霊夢がレンの方へ徐に手を差し出す。
「......ん?」
「んっ!!」
ああ、はいはい。
手を繋げってことね。
恐る恐るレンは霊夢の白くて小さな手をそっと握った。
「もう......鈍いんだから。」
ちょっぴり恥ずかしそうに頬を紅潮させながら霊夢はぽつりとそう呟いた。
初めから手を繋ごうと言ってくれればいいのに。
「......レンの手、あったかい。」
「はは......そうかな。霊夢の手が冷たすぎるんだよ。」
「女の子の手は小さいからすぐに冷えちゃうのよ。」
「ひょえっ!?」
えい、と霊夢が急に首筋に冷たい手を充ててきたのでレンは思わず変な悲鳴をあげた。
「ふふっ......なによ、その声。」
霊夢がさも可笑しそうにくすくす笑うので、レンもつられて笑ってしまった。
なんだかんだふざけあったり軽口を叩き合ったりしているうちにいつの間にか人里の入り口に着いていた。
「さ......そろそろ神社へ帰りましょ。」
「ああ、俺ちょっと用事があるからさ。霊夢は先に帰っていてくれ。」
「えっ、用事って......こんな時間に?」
「いや、まあちょっとね。すぐに帰るからさ。」
「ふーん......。まあ風邪引かないように気をつけて。さっさと帰ってきなさいよ?」
「......うん。」
レンは粉雪の舞う中空を飛んでいく霊夢を見送ると、元来た道を引き返した。
※※※
音を立てて起こさないように気をつけながら、レンは襖を開けて部屋の中へと入った。
そして布団で寝ている小さな男の子ーー弥太の枕元に小包みを置いた。
露天で売っていたプレゼント......気に入ってくれると良いのだが。
すやすやと気持ちよさそうに寝息を立てている彼の頭を優しく撫でて、レンは小さくため息を吐いた。
あれ以来弥太が夜中に飛び起きて里の外へ出て行こうとすることは無くなったらしい。
あの話を聞いて考えを改めてくれたのか、甚兵衛と千代の二人とも最近は仲良く暮らしているようだ。
まだこんなに幼いのに親を失った悲しみを彼は彼なりに乗り越えようとしている。
境遇を受け入れて、必死に生きていこうと足掻いているのだ。
そんな彼の健気な頑張りを邪魔させない為にも。
ケリをつけてこなければならない。
レンは静かに立ち上がると、部屋を後にした。
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人里の南東の方に位置する深い深い森。
草木は息を潜め、得体の知れない魑魅魍魎が跋扈する。
妖の気質で満たされたこの森の奥地に、一人の男が立っていた。
こんな時間に森の中に一人......恐らく彼は人間ではあるまい。
たった一人生い茂る木々の間でぶつぶつと何やら呪詛めいたものを唱えている。
その手に抱えているのは......頭蓋骨か。
風化しすぎてしまっていて、もはや何の動物の物かは判別が付かない。
側から見れば呪術を行っているように見える光景、この森に立ち込める瘴気がこの男から発されているのは火を見るよりも明らかと言っていいだろう。
呪詛の詠唱を終え、男が薄ら笑いを浮かべたその時。
ーーすとん。
何か芯のある柔らかい物を刃で断ち切るような音が静寂を揺るがした。
そう、まるで腕を刎ねるようなーー
だが己の腕を見下ろせば、ちゃんとそこにくっ付いているではないか。
と安堵した次の瞬間。
男の二の腕の半ばから先が音もなく地面へと落ちた。
忘れていたかのように、数秒遅れて切り口から大量の血が噴き出す。
「ひっ......!?」
一体何が起こったのか全く理解出来なかった男は肺に残っていた空気を捻り出すような、小さな悲鳴しか上げることができなかった。
痛みなど感じている暇もない。
地面に滴りおちていく血の音が男から冷静さを奪っていく。
兎も角もこのままここにいては襲撃者の追撃を食らうかもしれない。
逃げるべく振り返ろうとしたその時。
彼の首元に、氷のように冷たい刃があてがわれた。
月光を受けて禍々しい程に輝くその刃を見て、男は凍り付いた。
「......お前が弥太に呪術を吹っかけた張本人だな。」
男の目の前にいつの間にか立っていたのはローブを纏った黒髪の少年。
たった今男の腕を跳ね飛ばしたというのに、少年が握るその剣の刀身には血の一滴すら付着していない。
「さあ......何のことだかさっぱり。」
「惚けるな。お前がやったんだな?」
「......るせえな、誰かと思ったらガキかよ。舐めやがって。」
先程は不覚を取ったが......正面からやり合えばこんな子供など片腕で捻り殺せる。
男は傷口の塞がりかけた右腕から左腕を離し、不意を突いて少年を殴り倒そうとーー
ーーすとん。
再び先刻と同じ音が静寂を揺るがす。
今度は左腕が地面へとずり落ちた。
「......次は首だ。」
「がっ......!?」
ーー疾い。
予備動作が見えなかった。
男が瞬きした次の瞬間にはもう少年の剣は振り抜かれている。
「わ......分かった分かった、認める。あの子供に呪術をかけたのは俺だ。」
「なぜそんなことをした?」
レンの凍てつくような声が辺りの冷たい空気を揺るがす。
彼の頭の中は怒りで埋め尽くされていた。
この妖怪は弥太の両親を殺した張本人だ。
ただ妖怪が人間を取って喰うだけならばーー彼にとっては容認し難いことではあるがーー幻想郷における残酷な食物連鎖の一環とも言えるので文句は言えない。
......だが。
この妖怪は違う。
弥太の両親を殺し、その残留思念を利用して弥太を苦しめようとしたのだ。
弥太の部屋の掛け軸の裏に貼られていたのは呪術によって弥太の両親の死の直前の思念を封じ込めた札だった。
故に夜な夜な彼は両親の声を聞くようになったのだろう。
あの札から出てきたのは恐らく呪術によって捻じ曲げ、祟り神に仕立て上げた彼の母親の残留思念だ。
退治した時に落としたあの鼈甲の簪が何よりの証拠。
男が今その手に抱えているのは恐らく弥太の父親の頭蓋だ。
大方、再び彼を苦しめる為に次は彼の父親の残留思念を札に封じ込めるべく儀式を行っているところだったのだろう。
里で出会った笠男が言っていた瘴気は此奴が発生させていたのだ。
......許せない。
惨いことをするものだ。
よくもあんなに幼い子供の心を踏み躙るようなことを。
いったいどんな理由があって彼をこんな目に合わせたのか、レンは男を問い質さずにはいられなかった。
「......見てみたかったんだよ。人間が妖怪になる瞬間を。」
「......は?」
「この幻想郷では人里の人間が妖怪になることが一番の大罪なんだろう?以前人里に占術を使って人外になろうとした者がいたんだ。ま、そいつは人間を辞めた直後に博麗の巫女に消されたらしいがね。」
「霊夢に......?」
「俺はその話を聞いて人間の妖怪化に興味を持ってね。一度この目でその瞬間を見てみたくなったわけさ。この世界における最大の禁忌が犯される瞬間をね。でも俺は生まれながらの妖怪だから自分自身で実行することは不可能だった。そしたら......たまたま二人の人間が目の前を通りかかったじゃないか。尾行して話を盗み聞きしていたらそいつらに子供がいることも分かった。こりゃ利用させて貰わない手はないなって思ったのさ。」
男はさもつまらない話をしているかのように大きな欠伸をした。
「人間ってもんはなかなかに脆いもんで、一度心に大きな穴が開くとすぐに妖怪の気質が芽吹き始めるんだ。そこに継続的にストレスを与え続けて精神を病ませれば完全な妖怪の完成ってわけ。まあ......今回はあんたに邪魔されて俺の計画はふいになったけど。別に妖怪化するのはあんたでも構わないぜ。どうだ......あんたも妖怪になってみないか?」
男の問いに、レンは答えない。
少年はただただ何かに耐えているかのように震えていた。
「.........って...る....のか?」
「あぁ?」
「本気で......言ってるのか?」
「当たり前だろ。こんなとこで嘘ついてどうすんだよ。」
「貴様っ......!!」
レンは男を突き飛ばして地面に伏せさせると、剣先を下に向けて男の胸に突き立てるようにしてあてがった。
「ひっ......!?」
ーーあの子がどんな思いで必死に生きているかも知らない癖にっ!!
こんな奴に悪戯にあの子の人生を狂わされてたまるか。
沸々と湧いてくる殺意。
知らないもう一人の自分が此奴を殺せと囁いて来る。
ーー殺せ......殺せ殺せ殺せ殺せ殺せッ!!
腕や脚では駄目だ。
どうせ此奴は妖怪なのだからそのうち再生する。
今すぐ此奴の喉を掻き切って息の根を止めてやれ。
全身から冷や汗が噴き出し、息が浅くなっていく。
ーー殺れッ!!
感情に衝き動かされて、剣を振り上げたその時。
どこか遠くから狼の遠吠えする声が聞こえて来て、彼はふと我に返った。
「っ......。」
目の前の男の顔は恐怖で歪みきっていた。
「お前......人間じゃねぇよ。」
どこか遠い所を眺めるような虚ろな瞳で、男はそう独り言のように呟いた。
どくん、と心臓が跳ね上がる。
怒りで我を失っていた。
まるで自分の中に眠っていたもう一人の何か恐ろしい者が一瞬表に現れたかのような......。
ランセルグレアでも似たような体験を何度かしたことがある。
親無しであることを他校の生徒に執拗に侮辱されて激昂し、愚行とは分かっていながらも短仗を抜いて炎撃呪文を浴びせたあの時。
そしてサラを拉致した上で辱めようとした盗賊を怒りに任せて斬り殺したあの時。
アルテマの刀身にこびりついた鮮血のあの悍ましい程の光沢と鉄錆のような不快な匂いがふと記憶として蘇る。
「もう失せろ......二度とあの子の前に現れるな。」
男はレンを凝視したまま動かない。
「早く失せろ!俺がお前を殺してしまう前に!!」
男は小さく悲鳴を上げると森の奥へと消えていった。
「......。」
レンは剣を投げ出しその場にへたりと力無く座り込むと、しばらくの間......空の彼方が白み始めるまで血に濡れた己の手を眺めていた。
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ーー翌朝。
レンはもう一度弥太の家を訪れた。
弥太は玄関先に来たレンを見るや否や、急いで走ってきて飛び付いた。
「見て見て、レン兄ちゃん!僕のところにサンタさんが来てプレゼント置いていってくれたよ!!」
「そうかぁ、良かったね。きっと弥太がお利口さんにしていたのをサンタさんが見てたんだな。」
年相応の笑顔を見せてはしゃぐ弥太の頭を、レンは少し切なそうな表情で撫でる。
「レン兄ちゃんも遊ぼう?」
「あはは、ごめんね。今日はほんのちょっと弥太の様子を見に来るだけのつもりで来たんだ。俺もまだ仕事があるからすぐに戻らなくちゃ。」
「えー!?」
「はは......」
駄々をこねる弥太に、レンが困っていると。
「おーい、弥太。遊びに行こうぜ!」
弥太と同じくらいの歳と見える数人の子供たちが弥太を遊びに誘いにきたようだ。
「あ......うん、いいよ!」
弥太は元気よく返事をすると、
「じゃあレン兄ちゃん、また今度遊んでね!」
と言って友達と共に家を出ていった。
レンがその様子を見守っていると、家の奥から千代が出て来た。
「レンさん......どうやらあの子にプレゼントをいただいたようで。本当に何から何まですみません。」
「いえいえ、......弥太君も元気になって良かったです。」
「......全部、終わったんですね。」
「......ええ。根源は絶ったので、恐らくもう彼に災いが降りかかることはないでしょう。今日はそれだけお伝えしに来ました。では......弥太君のこと、元気に育ててあげてくださいね。」
「はい......本当に本当に、ありがとうございました。」
千代は両目に涙を浮かべたまま、深々と頭を下げた。
「何かお礼を差し上げたいのですが、少々お時間頂いても大丈夫でしょうか?」
「いえ、受け取れません。いつもこの類の依頼は無償で請け負ってますし......大したことはしてあげられませんでしたので。」
「でも......」
レンは軽く会釈すると、家を後にした。
弥太の家を出た後、彼はすぐに里の郊外へと向かった。
土の柔らかいところに穴を掘り、そこに先日残留思念を退治した時に拾ったあの鼈甲の簪を埋めた。
そしてその前にしゃがみ込み、手を合わせる。
ーー貴方方のお子さんはきっと大きく立派に育ってくれることでしょう。
どうかあの子の......弥太の行く末を見守ってあげてください。
祈りを終え、彼は溜め息を吐いて立ち上がった。
曇っていた空が割れて、日の光が大地へと差し込む。
なんだかいつもよりも太陽が眩しく思えて、彼は小さく眉を顰めた。




