85.親失せの童・3
「うぅ......やっぱり夜は一段と冷え込むなぁ。」
レンは縁側に座ったまま身震いをした。
かれこれ三時間ほど弥太の部屋の外で見張っていたが、未だ起き上がる気配すらない。
ちょくちょく部屋の中を覗き込んでみてもやはり弥太はぐっすり寝ているようだ。
まあまだ丁度子の刻に入ったくらいで日付も変わっていないし......きっと何か起こるなら丑の刻頃であろう。
レンは何か起きた時にすぐに抜刀できるように剣を抱えながら、弥太の部屋の縁側で壁に背を預けて座りつつ夜明けを待っているわけだ。
今の所まだ眠気の方は大丈夫なのだが、こう夜更かしをしているとだいぶ腹が減って来た。
横丁で何か軽食でも買っておけば良かった、と後悔しつつ神経を研ぎ澄ませていると。
「よぉ、レン。見張りご苦労さん。」
箒に跨った白黒の魔法使いが空から降りて来た。
「ああ、魔理沙。こんな夜中に女の子が一人で出歩いていたら危ないんじゃないか?」
「ふふ......私を誰だと思ってるんだ。妖怪退治の専門家、霧雨魔理沙様だぜ?まあ、夜にしか咲かない魔法植物の花があってだな。それを取りにこの辺りまで来たんだ。んで昼間に阿求からお前の護衛の話を聞いたのを思い出してさ、ついでにちょっと様子を見に来たってわけ。しっかしこの寒いのに夜通し見張りなんてお前も大変だな。」
そんなことをつらつらと喋りながら、魔理沙は何かを懐からゴソゴソ取り出して八卦路で炙り始めた。
何を炙っているのかは暗くてよくわからない。
少し香ばしい匂いに、レンは思わず固唾を飲んだ。
「あはは......まあね。でもちょっとあの子には俺も少し共感させられるところがあってさ。」
「......共感させられるところ?」
「ほら、境遇がさ......俺も小さい頃に両親を失って剣の師匠に育てられたから実の親が居ない寂しさが痛いほどよく分かるんだ。」
「そっか......生まれて間もない頃になくしたから、レンは親の顔も知らないんだったよな。」
「うん。彼の場合は今までずっと一緒に暮らしてて、ひと月前に急に亡くしたんだからきっとさらに寂しい思いをしていると思うんだ。今引き取ってもらってる義理の御両親もあの子のことをものすごく心配していて、良い人たちなんだろうけど......やっぱり実の両親が恋しいんだろうな。」
聞いていた魔理沙は“成る程ねぇ......。”と神妙な顔つきで独り言のように呟いた。
どこか遠い昔のことを思い起こしているかのような虚ろな目つきで夜空に浮かぶまん丸の月を眺めている。
月明かりに照らされて華奢な輪郭が強調されているのも相まってその横顔は絵になるような美しさで、レンは思わず魅入ってしまった。
「......やっぱ親って子供にとっては何よりも大きな存在だよな。私も親に勘当されて間もない頃は暫くぽっかりと心に穴が空いてしまったような気分だったなぁ。まぁ、半ば自分から親を突き放して出て来たような私が言える話じゃないかもしれないがな。」
魔理沙はあちち、と言いながら炙っていたものをミニ八卦路の火から下ろすと、そのうちの一つをレンの方へ放って来た。
「ほれ。」
レンはそれを慌てて受け取めた。
「......餅?」
「ああ。熱いから気ぃ付けて食べるんだぜ?」
「......ありがとう。」
魔理沙はにっ、と笑うと自らの分の餅を齧った。
レンも手の上で転がしつつ受け取った餅を齧る。
ふかふかでもちっとした食感に、餅米自体の甘味。極寒の中白い息を吐きながら齧る餅はえもいわれぬ美味さであった。
夢中で頬張った後、二人同時にほっと一息。
「悪いな。粗末な夜食しかやれなくて。」
「いやいや、めちゃめちゃ美味しかった。腹減って困ってたからほんと助かったよ。」
「へへっ、そうか。んじゃ、私はそろそろ帰るぜ。寒いから風邪ひかないように気をつけな。......それと男の子のこと、しっかり守ってやれよ。」
「ああ、必ず。」
魔理沙は再び箒に跨って飛び立つと、そのまま夜の帳へと消えて行った。
月明かりに照らされるその姿が見えなくなるまで、レンは手を振りつづけた。
「親の存在、か......。」
座り直して月を見上げながらため息を吐く。
腹拵えをして少し眠気を感じ始め、大きな欠伸をしたその時。
部屋の中から寝返りを打つような音が聞こえて来た。
部屋の中を覗き見ると、布団から上体だけ起こしていた弥太と目が合う。
「弥太君......眠れないの?」
もしや件の現象が起こったかと一瞬焦ったが、弥太がこくりと頷いたので一安心する。
ちゃんと理性を保っている。
どうやら本当に眠れないだけのようだ。
「ねえ、兄ちゃん......レンっていうんだっけ?レン兄ちゃんは小さい頃にお父さんとお母さんをなくしたって本当?」
......さっきの会話を聞いていたのか。
「はは、聞かれちゃったか......。そうだよ、俺もまだ歩くことも出来ないくらい小さい頃に両親を失ったんだ。だから俺は親の顔も知らない。」
耳が痛いほどの静寂に、息を呑む音が聞こえた。
「だから......親を失った直後にこんなことを言われるのも癪に触るかもしれないけど、弥太君の気持ちは痛いほどよく分かるよ。」
「......“弥太”でいいよ。ねえ、レン兄ちゃんは自分の本当の親ではない人に育ててもらったんでしょ?寂しくなったりしなかった?」
弥太の声は震えている。暗くて表情はよく見えないが、きっと今にも泣き出しそうな顔をしているのだろう。
「僕はさ......新しいお父さんとお母さんがどうしても好きになれないんだ。あの人たちはこんなみなし子の僕に対してすごく優しく接してくれる。いつも何か欲しいものは無いかと聞いてくれたり、僕の好きなご飯を作ってくれたりする。でも、優しくしてくれるたびにいつも考えちゃうんだ。“僕の本当のお父さんとお母さんじゃ無いくせに。きっと心の中では僕のことなんか育てるのも面倒くさい他人の子だと思っているんだ“って。」
彼が吐露したのは突如変わってしまった両親への戸惑いと葛藤だった。
たったひと月前までは一緒に暮らしていた筈の両親は妖怪に喰われてしまったのだ。
彼が自分の両親がどのような結末を迎えたのかを知っているか否かは分からないが、両親と会えなくなったことによって彼の心にぽっかりと大きな穴が空いてしまったことは言うまでも無い。
親を失う、という悲劇を受け止めるには彼はまだ幼すぎたのだ。
自らの幼き記憶を手繰り寄せながら、レンは重い口を開いた。
「そりゃあ......本当の親が居ない寂しさを感じることなんていくらでもあったよ。俺を親代わりに育ててくれたのは剣術の師匠だったんだけど、なんで俺を育ててくれるのは俺の本当の親じゃなくてこの人なんだ、って思ってそれを口に出してしまったこともあった。あの時は散々に怒られて引っ叩かれたっけなぁ。」
懐かしい記憶を思い出して、レンは乾いた声で小さく笑った。
「もの凄く厳しくて無口な人だった。俺が何か話しても聞くだけで向こうからは何も話してくれないし、剣磨きをサボるだけでぶっ飛ばされたし。今思い返せばほんと怖い親代わりだった。」
一つ深呼吸をして話を続ける。
「でもさ、すっごく俺のことを愛してくれていたと思う。どういう経緯で俺が師匠に育ててもらうことになったのかは結局聞けずじまいだったけど、血も繋がっていない孤児の俺を虐待したりせずにあの人はちゃんと一人前になるまで育ててくれた。俺を育てる費用を稼ぐために仕事をしていたみたいだったしお金もあまりなかったろうに、月に一回少ない給金はたいて俺に肉を食べさせたりもしてくれた。」
ーーそう。
俺は師匠が大好きだった。
師匠の剣を勝手に持ち出した挙句振り回してぶん殴られたことや、修行をほっぽりだしてサラ達と一緒に遊びに行ったら夕方帰って来た時にみんなの前でドヤされたことも今となっては愛しい記憶。
「きっと......弥太の新しいお父さんとお母さんも君のことをちゃんと愛してくれると思う。絶対に弥太のことを邪険になんて思っていないよ。だってさ、本当にそんな風に思っていたら弥太が夜中に里の外へ出て行こうとするのを止めようとはしないと思う。」
「っ......。」
「君のことを心配しているから、あの人たちは君が夜中に一人で出て行こうとするのを止めるし、護衛として俺を雇ったんだよ。本当に邪険に思っていたら、君が里の外で妖怪に襲われるのをなんとも思わない。むしろそうなったほうが好都合じゃないか?......あの人達は弥太のことがとても心配で心配で眠れないって言ってたよ。本気で君の親になろうとしているんだよ。」
「僕の、親に......?」
弥太の声に、レンが頷いたその時。
「っ......呼んでる。」
弥太は突然頭を抱え始めた。
「呼んでるって......弥太の?」
「うん......僕の本当のお母さんとお父さんがこっちにおいでって言ってる。....うっ......あ.......」
「弥太!?」
頭を抱えたまま蹲る弥太。
見ればその瞳は真紅色に染まっていた。
ひどい頭痛にも襲われているようだ。
「行か...なきゃ......行...かな......きゃ....。」
何度も何度もぶつぶつと念仏のように繰り返す。
「駄目だ、しっかりしろ!!」
「ううっ......。」
レンの大声に跳ね起きたのか、甚兵衛と千代が寝巻きのまま駆けつけて来た。
「レンさん、どうされました!?」
「突然弥太の様子がおかしくなって......っ!?」
刹那、レンは背後から悪寒を感じた。
真後ろ......掛け軸の裏から禍々しい魔力を感じる。
ゆっくりゆっくりとそちらへ近づき、掛け軸を捲るとそこにはーー札のようなものが一枚貼られていた。
白地の紙面には、まるで血文字のような生々しい光沢を帯びた赤い文字がびっしりと刻まれている。
書いたというよりは書き殴られたような字形で、その不気味な字体は明らかにレンの知っている文字では無かった。
札を壁から引き剥がそうとしたその時。
レンに触られるのを拒むようにばちっ、と音を立てて弾いたかと思えば何か黒い影のようなものが現れ、目にも止まらぬ速さで縁側から外へ出ていった。
「お二人とも、弥太を頼みます!!」
レンはそう叫ぶなり影を追って家を飛び出した。
辺りは暗くて影を視認しにくいが、こちらも足腰を散々鍛えて来た身。
疾走のスピードは負けてはいまい。
夜中とあって人っ子一人通りを出歩いていないので、ある程度は派手に暴れても問題ないだろう。
家屋の横に積んであった米俵を踏み台にして宙返りし、屋根の上に着地。
着地するや否や逃げていく影の元へと一気に駆け抜ける。
影も捕まるものかと言わんばかりに家々の屋根を右へ左へ飛んで逃げていく。
ーー逃すものか。
レンは地を蹴り、踏み出す脚に力を込めた。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
影はもはやレンを撒くことは不可能と判断したのか、里の最西端、行き止まりの通りに入るとピタリと立ち止まった。
こちらを向き、その鋭い爪を露にすると凄まじく大きな咆哮を上げた。
......時刻は丁度丑の刻ごろか。
夜空の月も何処か怪しい光を湛えて爛々と輝いている。
妖怪退治にはおあつらえ向きの舞台だ。
「......決着をつけてやる。」
レンは鋭い音を立てて愛剣を抜き放った。
そのまま流れるような所作で切っ先を下に向け、左手を軽く柄に添えて刀身が身体の前で斜めになるように構える。
月の光を受けて青白く輝く刃は、さながら夜空を駆ける流星の如く夜の帳に線を描いた。
ーー来る!!
残像を残すような疾さで影は迫ってきた。
瞬時に相手の攻撃の軌道を予測、最低限の動作で躱す。
「ッ......!」
爪が頬を掠めたようだ。
鋭い痛みが頬に走り、少量の血が顔を滴り落ちていく不快な感覚。
反射的にカウンターの一撃を見舞おうと剣を手首だけで振るったが、レンの剣は空を切った。
なかなかにすばしっこいようだ。
......だが、次は外さない。
「......魔法剣技、シンティラ。」
雷魔法を剣に纏わせ、脇に抱えるように構える。
ーー疾の構え。
師匠曰く、片手で剣を振り抜くならばどの構え方よりもこの形が一番初撃を疾く放つことができる。
刀を扱う者達の中には一度刃を鞘に収めてから抜き様に神速の斬撃を放つ、”抜刀術“なるものを得意とする者がいる。
この構え方はその”抜刀術“と酷似した形であり、その違いは刀身を鞘に収めているか否かのみと言っていいだろう。
鞘に収めずに抜き身のまま擬似的に抜刀術を繰り出すことによって鞘と刀身との間の抜刀の際の摩擦すらも無くしてしまおうというのがこの構えの理論だ。
対峙する影が一瞬左右に揺れたのを合図に、彼は地を蹴った。
世界は音を失い、意識は敵にのみ注がれる。
極限まで集中力を高めれば、敵の攻撃の軌道が手に取る様にわかる。
視界外からの攻撃さえもーー。
背後から魔力の塊のようなものが飛んで来るのを感じ取った。
恐らく弾幕であろう。
相手の正面から囮の攻撃を仕掛け、曲射した弾幕で相手の背後を視界外から撃ち抜くつもりだったのだろうが、分かっていれば回避するのは難しくない。
一旦踏みとどまり、宙返りして予測通り背後から飛んできた弾幕を躱した。
ーー終わりだ。
レンは雷の宿った刃を、影の脳天目掛けて振り抜いた。
......斬った。
ぱりん、と何かが割れるような音と手応え。
振り返れば、影が煙を上げながら音も無く消えていく所だった。
白い息を吐き、ゆっくりと剣を鞘に収める。
さて、弥太の元へ戻るか。
歩き出そうとしたその時。
彼は何かが地面に落ちていることに気がついた。
「これは......」
それは鼈甲でできた美しい簪だった。
......そういう事だったのか。
歯を食いしばり、呆然とその場に立ち尽くす。
虚ろな瞳で見上げた夜空の月は未だ怪しい光を帯びていた。




