77.積もる雪、想い募らせ
「うっ......。」
障子から漏れる朝日の光。
小鳥の囀る声が聞こえて来る。
......朝チュン。
布団から出たくない気持ちとたっぷり五分程格闘してから、レンは毛布を押し除けて立ち上がった。
「うっわ、寒い......。」
服掛けからマントを取って羽織り、靴を履いて玄関の戸を開けた。
途端吹き込んでくる冷たい風と、視界に広がる白銀の世界。
「おお......。」
夕べから夜通し降っていたようで、境内の石畳の上には真っ白な雪が結構厚めに積もっている。
境内を囲む木々や鳥居も雪を纏って真っ白。
見れば遠くの山々も白い雪を被っているのが見えた。
真っ白な空からはまだしんしんと雪が降り続けている。
寒い寒い、と擦り手をしながら母屋の裏手へと回り、井戸の底へ桶を放り入れる。
すると井戸の底からかつん、という桶が何か硬いものにぶつかったような音が響いてきた。
どうやら寒すぎて井戸の中の水も凍ってしまっているようだ。
やむなく井戸水での洗顔を諦め、母屋へと戻ることにした。
部屋に戻ったらしばらく火鉢にでもあたっていようかな、などと考えながら白い息を吐きながら凍るように冷たい空気の立ち込めた廊下を歩く。
歩いていると、ふと境内に結構な厚さの雪が積もっていたのを思い出した。
「......まだ霊夢も寝ているみたいだし、今のうちに境内の雪かきぐらいはしておくか。」
レンは本殿横の倉庫から雪かきスコップを引っ張り出してくると、せっせと雪かきをし始めた。
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雪かきを始めてから小一時間程経過しただろうか。
母屋から鳥居、そして石段の下の方まであらかたの雪はどかし終わった。
雪はまだ止む気配すらない。それどころか空を見上げればこれから本降り、といったような様子。
......これ、雪かきする意味無かったかもな。
手のひらに落ちてきた雪が体温で溶けて水滴に変化していくのを眺めて彼はため息を吐いた。
まああのまま放置しておいたら上からさらに降ってきた雪の重みで固まって後で雪かきが大変になっただろうから一応無駄では無かった......かな?
雪かきのスコップを地面の雪に突き立てたその時。
すっ、と背後から伸びてきた両手がレンの頬を包み込んだ。
......柔らかい。
「お疲れ様。寒かったでしょ?」
「......うん。霊夢の手、あったかいな。」
振り返り、霊夢の手をぎゅっと握り返す。
「ひゃん!?」
余程冷たかったのか、短い悲鳴を上げる霊夢。
「......。」
「な、何よ?」
「いや......なんか霊夢がそんな声上げてるのなんか新鮮だな。」
「......それは褒めてるの?それとも貶してる?」
「も、もちろん貶してなんかいないさ。なんか可愛いなって。」
「あ......あっそ。」
霊夢はふいっとそっぽを向いてしまった。
頬が赤いのは寒さ故なのか、照れ故なのか。
揶揄うように二人の間を雪を纏った風が通り抜ける。
「ほら、お茶入れといたわよ。さっさと炬燵にでも入って暖まりましょ。」
「うん、そうだね。」
二人は母屋の方へと歩き出した。
※※※
炬燵に足を突っ込んでいるとふぅ、とため息が漏れる。
本当魔道具だよな、炬燵って。
一度入るとなかなか出られない。
霊夢も向かいでふにゃっと弛緩し切った顔で机に突っ伏している。
レンは綺麗に皮を剥いた蜜柑を裂き、自らの口へと放り込んだ。
ぷちっと果肉が弾けるような食感とともに甘酸っぱい果汁が飛び出す。
「......んまい。」
「ねえねえ、レン。......あーん。」
「......ん?」
「あーん。」
自分にも蜜柑を食わせろと言わんばかりに口を開ける霊夢。
「蜜柑ぐらい自分で剥きなよ......。」
「めんどくさいからやだ。ほら、それちょうだい?」
......炬燵は人をダメにするって早苗が言ってたけど本当だな。
「しょうがないな......ほれ。」
仕方なく身を乗り出して、剥いた蜜柑のうち一切れを霊夢の口へと放りこむ。
「ん......おいし。」
顎を机の上に乗せたままむぐむぐと咀嚼する。
何というだらけっぷり。
早苗なんか、たとえ雪が降っていても毎日人里へ行って布教活動を行ってるらしいのに。
同じ巫女として怠けずに頑張っている早苗をもう少し見習って欲しいな。
......というか早苗よりもこの娘の方が巫女としては先輩の筈だから本来ならば逆の立場でなくてはならないのでは?
「......もっと。」
「これ以上はダメ。霊夢にもちゃんと手があるんだから食べるんだったら自分で剥いてくれ。」
「むぅ......。」
「そ、そんな目で睨んでもやらないからな!」
「よーこーせー。」
「いーやーだー!!」
視線で訴えてくる霊夢から必死に目を逸らす。
「いいじゃないの蜜柑一個ぐらい。ほら、いっぱいあるからまた剥けば食べられるんだし。」
霊夢は机の上に置いてある蜜柑の入った籠の縁をぺしぺしと叩いた。
ーーそんな風に思ってるんだったら自分で剥いてくれよ......。
「まったく、しょうがないな。」
溜め息を吐きつつ、霊夢の前にぽんと剥き身の蜜柑を置く。
「ふふ......ありがと。」
こちらを見てにこっ、と笑う霊夢。
「......おう。」
レンはなんだか気恥ずかしくて、目を逸らした。
照れ隠しの為に籠から一つ蜜柑を取り出し、ぶつぶつ言いながらまた剥き始める。
何で自分で剥いた蜜柑を横から強奪されにゃならんのだ。
「......。」
蜜柑を剥く手を休め、ふと視線を正面に戻したその時。
もらった蜜柑を嬉しそうに食べる霊夢の姿に目が止まった。
たわいもない絵に彼はどうしようもなく惹きつけられた。
否、見惚れていた。
嬉しそうに蜜柑を頬張る霊夢に視線が釘付けになる。
高鳴る自らの鼓動音だけが忙しなく耳小骨を揺らす。
「......なぁに?」
レンの視線に気が付いたのか、霊夢は蜜柑を咥えながら首を傾げた。
「べ、別に......。」
剥き掛けのみかんも食べずに、彼は仰向けに寝っ転がった。
うるさいくらいに脈打つ左胸を右手で押さえる。
思いっきり息を吸い、ゆっくりと吐き出す。
何度か深呼吸を繰り返しているうちにやがて鼓動は落ち着き、今度は目蓋が重くなってくる。
そのまま彼の意識は虚無へと吸い込まれていった。
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霊夢はもう今日何度目かも分からない気の抜けた欠伸をした。
炬燵に入ると出られなくなる上にどうしようもなく眠たくなるから困る。
眠気覚ましに、湯呑みに残っているもうすっかり冷めてしまったお茶をぐいっと飲み干した。
ほっ、とため息を吐き、再び机の上に腕を伸ばして突っ伏すような姿勢になる。
......なんだか身体が訛ってきている気がする。
ここのところ雪が降り続けていてほぼ全くと言っていいほど外出していない。
こうして炬燵に入ってのんびりしてばっかりだ。
解決するのが面倒くさいので異変は起こらない方がいいが、あんまりなさすぎると日々に刺激がなさすぎてそれはそれで良くない気がする。
まあ最近は犠牲者が出る異変も多いし、平和であるという面では素晴らしいことだと思う。
動かないのに飲み食いしてばっかりだからひょっとしたら少しばかり太ってしまったかもしれない。
まあ仕方ないよね、寒いし。
再びふわっと気の抜けた欠伸をする。
......それにしても暇だなぁ。
魔理沙とか遊びに来ないかな。
「ねぇ、レン。......レン?」
呼びかけに返事はない。
もぞもぞと炬燵を這い出て立ち上がり、向かい側へ回ると案の定レンは仰向けになったまま寝ていた。
その気持ちよさそうな寝顔を見て霊夢は思わずくすりと笑ってしまう。
「起きてよー。起ーきーろー。」
耳を引っ張ったり頬をツンツンつついて見たが全く起きる素振りを見せない。
これ何しても起きないやつだ。
......ちょっとぐらいならいいよね?
炬燵布団を持ち上げ、寝ているレンの横に入る。
「えへへ......あったかい。」
霊夢はレンの手を両手で包み込み、ぎゅっと握った。
そして愛おしそうにそっと彼の頬を撫でる。
......べ、別に不純なことしてるわけじゃないし。
これは寝ているレンが寒くないように側にいてあげてるだけだし。
レンが目を覚ますまでに何事もなかったかのように向かいの席に戻っていればいいんだし。
「......。」
改めてレンの寝顔を見つめる。
普段は気恥ずかしくてまじまじと見つめることはできないが、こうして見てみると意外とその無防備な寝顔にはまだどことなくあどけなさが残っている。
まあそりゃそうか、彼もまだ大人じゃないんだし。
そういえば彼の口から直接歳を聞いたことはないな。
恐らく私や魔理沙と同い年くらい......だと思うけど。
霊夢は深いため息を吐いた。
最近、気が付けば彼の一挙一動を目で覆っている。
彼の視線が自分に向いている時はとても嬉しいし、彼が誰か他の女の子と楽しそうに話しているのを見ると胸がちくりと痛む。
以前は自分で頑なに認めようとしなかったが、今ならはっきりと言える。
......私は彼のことが好きだ。
面ではいつも飄々としている癖に、やたら責任感が強くて厄介ごとや悩みを全て自分だけで背負い込もうとする。
鈍感でちょっと阿保だけど、困っている人を見ると放って置けない性格で、世話焼きで、優しくて......。
きっと彼は、”お前の命と引き換えに世界中の人々を救ってやる“と言われたら喜んで自らの命を差し出すような善人だ。
人のためならば自分はいくらでも損をしてもいい、とか思っているお人好しだ。
とびきりの馬鹿だ。
馬鹿だけど......そんな彼が好きだ。
きっと妖夢も彼のそういうところに惹かれているに違いない。
私のだらけぶりを心配してさりげなく境内の掃除や布教活動を促したり、時には代わりに雪かきをしてくれたりといった彼の行動も世話焼きの証拠だ。
私は自分には博麗の巫女としての自覚が足りていないことも彼に頼り切りではいけないことも、自分でよくわかっているつもりだ。
でも完全な博麗の巫女にはなりたくない、というか......。
博麗の巫女は幻想郷の調停者だ。
妖怪と人間の関係を守るために、誰よりも強くあらねばならない。
歴代の巫女達は皆規格外の強さを誇り、妖怪と人間の両方に恐れられてきたという。
だが、恐れられる存在であるが故に孤独でもある。
孤独さと、巫女として理想の姿であらねばならぬという苦しみの間で板挟みになり、葛藤の末に自ら命を絶った巫女も歴代に何人もいるらしい。
そんな殺伐とした幻想郷が嫌だったから、スペルカードルールを制定して妖怪と人間との争いを殺し合いから形式上の遊戯、決闘として扱うようにした。
おかげで妖怪と人間との関係は以前よりも穏やかなものになり、事実幻想郷は今人間と妖怪が仲良く平和に暮らすようになってきている。
人を守るために妖怪を殺さずに済むから、皆が仲良く暮らせる。
知り合いの妖怪や妖精達も頻繁に神社に遊びにきてくれる。毎日が楽しい。
......でも、本当はこの平和な幻想郷がちょっとしたことで今にも崩れてしまうのではないかと思うとたまらなく怖い。
いつか誰かがスペルカードルールを破ってまた人間と妖怪の間で殺し合いを始めたら、私はその争いを止めるために妖怪を殺さなければならなくなる。
歴代の巫女達のように。
そうなれば私の化け物じみた強さを見て、きっと皆恐れて私の元を去っていってしまうだろう。
もしかしたら魔理沙や妖夢も私から距離を置くようになってしまうかもしれない。
ただの人間でいられなくなってしまうから、博麗の巫女としての仕事は嫌だ。
だから私は“面倒くさい”を言い訳に巫女の仕事を幻想郷の維持に支障をきたさない程度にサボる。
それ故に境内の掃除をサボるのはなんだか違う気がするし、異変解決もちゃんとするが、私はできることならば博麗の巫女ではなく人間のままでいたい。
普通の女の子でありたい。
そんなことを考えながら、博麗の巫女であり続けることに今まで何度苦悩してきたことか。
不安や恐怖で眠れない夜もあった。
ーーいっそ巫女の職務を放り出して、レンと一緒に結界を抜けてどこか別の世界へ駆け落ちしてしまおうか。
ふと頭の中をそんな思考がよぎったが霊夢はばかばかしい、と自嘲するように鼻で笑った。
彼はそんなことは絶対認めないだろうし、そもそも駆け落ちっていうのは愛し合っている男女がするものだ。
私から彼への一方通行の好意かもしれないんだし。
ーーねぇ、貴方には気になる娘いる?
霊夢はレンの寝顔を見つめながら心の中でそう呟く。
もしかして妖夢かな。
それとも元いた世界の女の子だろうか?
もしも私が好意を伝えたら、彼は私を愛してくれるだろうか。
......どうしてこんなに好きになってしまったのだろう。
彼のことを考えている時はこんなにも胸が高鳴るのに。
私には彼に自分の想いを伝える勇気が無い。
勿論彼の性格からして、拒絶されることはまず無いだろう。
でも、もし彼が密かに心の中で別の女の子を想っていたとしたら。
私が幸せでも彼は幸せでないことになってしまう。
彼はそれでも私を傷付けないために笑っていてくれるような人だ。
そんなことを考えていると、なかなか想いを伝える気になれない。
ーーでも。
いつかは彼も誰か別の女の子のものになってしまうと思うと胸が締め付けられるような、苦しいような。
何だか急に寂しいというか、悲しくなる。
そんな焦りも少しあるからか、私は彼に対していつも素直になれない。
本当は博麗の巫女でいることの悩みを相談したりとかしたい。
私も妖夢みたいに頭撫でてもらいたい。
甘えたりしたいのに。
素直になれず、つっけんどんな態度をとってしまうのだ。
結果、本当はかまって欲しいのに自分から彼を突き放す。
その上その当たり障りない性格故か彼は人妖問わず割と皆から好かれるので、目を離した隙に話し相手や遊び相手として誰かに取られてしまう。
でも今この瞬間だけは私だけのもの。
寝ている間に、なんて卑怯かもしれないけど今なら彼に触れることだってできる。
だから、もう少しだけ。
ーーもう少しだけこのままで......。
ぱちっと目が開き、ぼんやりとした視界に木目の天井が映る。
......どうやら仰向けに寝っ転がったまま寝落ちしてしまっていたようだ。
まだ半分夢の中にいるような、ふわふわした意識のまま寝返りを打ったその時だった。
背中の方で何かがもぞもぞ動いている。
......ん?
思わず反射的に手をそちらへやると、何か柔らかいものに触れた。
何だろう?
ふにふにしてて柔らかい......。
首だけで振り向くと、そこにはすやすやと寝息を立てる霊夢の姿。
夢心地の意識が吹っ飛び、脳天を金槌でひっぱたかれたかの如く意識が現実へと引き戻される。
ーーどうして霊夢が俺の横で寝ているんだ!?
そして今更ながら自分の手が霊夢のめくれた服の間から覗いているサラシ越しに豊かな膨らみを揉んでいたことに気が付く。
彼は取り敢えず背中越しに出していた手を引っ込めた。
......俺は何も揉んでない。
なんか柔らかい感触がしたのは気のせいだ。
うん、そうに違いない。
やばいことをしてしまったという事実と状況への混乱、そして霊夢の纏っている香のような甘い匂いがレンの思考力を奪う。
......俗に言う添い寝ってやつだ、コレ。
一体どのようにしてこのような状況になったのか、回らない頭を一生懸命働かせて寝落ちする前の状況を思い出してみたが心当たりは全くない。
......と、そうこうしているうちに一番恐れていた事態が起こった。
霊夢の目もぱちっと開いたのである。
数秒間寝ぼけたようなとろんとした目つきをしていたが、徐々に意識が覚醒してきて状況が飲み込めてきたようでみるみる頬が赤くなっていく。
「こ、これは......違うの!!そういう不純な意図があったわけじゃ......」
「ご、ごめん!本っ当にごめん!!寝落ちする前の記憶が曖昧で......もし失礼なことをしていたのなら本気で謝るから!!」
至近距離で二人とも互いにあたふた。
そこへこれ以上ないほどに最悪のタイミングで縁側へ飛び込んで来たのはーー。
「ちーっす霊夢、レン!魔理沙さんがこの寒い中遊びに来てやった、ぜ......?」
「「うわーーーッ!!」」
二人声を上げて叫ぶ。
魔理沙は一瞬驚いたような表情になったが、すぐににやついた表情へと変わる。
「ほーん、二人とも一緒に寝たりして仲がよろしいことで。なあ......文?」
「あやや、これは大スクープですよ魔理沙さん!」
魔理沙の横には、凄まじい速度でシャッターを切る射命丸文の姿。
「うぅ......撮るな!」
霊夢は炬燵から飛び出し、文からカメラを奪おうと追いまわす。
境内には文がカメラのシャッターを切る音、霊夢の憤怒のこもった声、そして魔理沙の明るい笑い声が響いていた。




