第四十九話 定休日の紙
黒猫亭の朝は静かだった。
窓を開ける。
冷たい空気が流れ込み、店の中に残っていたコーヒーの香りをゆっくり揺らしていく。
朔夜はカウンターを拭きながら、小さく視線を上げた。
扉の横。
そこには、小さな紙が貼られている。
『七日に一度、店を休みます』
短い文字。
説明も理由もない。
だが、それだけで十分だった。
「……こんなものか」
書いた本人が一番慣れていない声だった。
クロノはカウンターの上で丸くなったまま、片耳だけを動かす。
「にゃ」
「お前は気楽でいいな」
朔夜は軽く息を吐き、準備へ戻った。
昼前。
カラン。
鈴が鳴る。
入ってきたのはガルドだった。
だが今日は、入る前に扉の横で一度立ち止まる。
紙を見ていた。
「……休み作ったのか」
店へ入ってきながら言う。
朔夜はカップを用意しながら頷いた。
「必要そうだったので」
ガルドは椅子へ座り、小さく笑う。
「店主が倒れたら終わりだからな」
朔夜は否定しなかった。
以前なら、休むこと自体を考えなかった。
だが今は違う。
客が来る。
店を続ける。
なら、止める日も必要だった。
「ご注文は?」
「いつもの」
短いやり取り。
もう説明もいらない。
朔夜は豆を挽き始める。
しゃり、と乾いた音が響く。
その音を聞きながら、ガルドがふと棚を見る。
「……減ってるな」
焼き菓子だった。
昨日出した試作品。
数は少ないが、確かに減っている。
朔夜は湯を注ぎながら答えた。
「思ったより出ました」
「評判良かったのか?」
「多分」
朔夜らしい曖昧な返事。
ガルドは少し笑う。
「お前、自分の店のことなのに他人事みたいだな」
朔夜は少し考える。
「……まだ慣れてないので」
それは珍しく、本音に近かった。
ガルドは何も言わない。
ただ、置かれたカップを受け取る。
その横へ、小皿が添えられた。
「今日は正式に出すんだな」
「一応」
ガルドは焼き菓子を一口食べ、コーヒーを飲む。
少しだけ間を置いてから頷いた。
「……昨日よりまとまってるな」
朔夜の手がわずかに止まる。
「分かりますか」
「食えばな」
ガルドはもう一口食べる。
「甘いのに、ちゃんとコーヒーに戻れる感じがする」
その言葉に、朔夜は小さく息を吐いた。
「それを目指してました」
「なら成功だな」
クロノがそのタイミングで小さく鳴く。
「にゃ」
ガルドが笑った。
「そいつもそう言ってる」
「多分違います」
即答だった。
ガルドの笑い声が少しだけ店に広がる。
以前より、人の声が残る時間が増えた。
飲み物だけではなく、香りや会話も積み重なっていく。
黒猫亭は少しずつ、
“過ごす店”になり始めていた。




