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第1話 観測が一つになる朝

 今朝、クラスメイトが一人、消えた。


 ——いや。


 消えた、という言い方は正確じゃない。


 “観測されなかったことになった”。


 その方が、近い。


 名前も、顔も、席も。

 記録も、記憶も、会話も。


 全部が、なかったことになっている。


 ただし。


 俺の記憶だけを除いて。


「お兄ちゃん、好き」


 その声は、俺の膝の上から聞こえた。


 白瀬ヨミ。

 俺の妹が、当然みたいに俺の上に座っている。


 朝の教室で。

 ホームルーム前で。

 クラスメイトが普通にいる中で。


 小柄な体が、俺の太ももに収まっている。

 軽い。だが、確かな重みがある。


 背中越しに、呼吸が伝わる。


 現実の感触だ。


 だが、さっき起きたことの方が、もっと現実だった。


「……降りろ」


「いや」


 即答。


「学校だぞ」


「知ってる」


「知ってるなら降りろ」


「ここがいい」


 ヨミは俺の胸元に頬を寄せた。


「落ち着く」


 黒髪が触れる。

 わずかにくすぐったい。


「理由になってない」


「なってるよ」


 ヨミは顔を上げた。


 黒い瞳。


 光を反射しているのに、なぜか奥行きがない。


 平面みたいに、こちらを見ている。


「お兄ちゃんがいるから」


 当たり前みたいに言う。


 嘘はない。


 だが、その言葉の意味が——妙に重い。


「……なあ」


 俺は前の席の浅井に声をかけた。


「後ろの席、誰だった?」


「は?」


「窓際から二番目」


 浅井は振り返る。


「空席だろ」


「……空席?」


「最初から」


 違う。


 そこには、いた。


 今朝、確かにいた。


 男子だった。


 だが——


 名前が出てこない。


 顔も思い出せない。


 ただ、“いた”という事実だけが残っている。


 その不自然さが、妙に鮮明だった。


 俺は席を見る。


 机は綺麗だ。


 綺麗すぎる。


 さっきまであったはずの落書きがない。


 出席番号も、一つ詰まっている。


 だが誰も気づかない。


 世界が、自然に補正されている。


 “矛盾が存在しないように”。


「お兄ちゃん?」


 ヨミが袖をつまむ。


 細い指。


 弱い力。


 だが、確実にこちらを引き留めている。


「どうしたの?」


 ヨミは俺を見上げる。


 その顔は、いつも通りだ。


 無邪気で、甘えていて、可愛い。


 ——なのに。


 なぜか、“焦点が合っている”のはヨミだけだった。


 浅井の顔を見る。


 ぼやける。


 輪郭が曖昧だ。


 目の位置も、口の形も、思い出そうとすると崩れる。


 だがヨミは違う。


 はっきりしている。


 異様なほど、解像度が高い。


「……ヨミ」


「うん」


「何かしたか?」


「なにもしてないよ?」


 ヨミは首をかしげる。


 それから、少しだけ笑う。


「でもね」


 一拍。


「さっきの人、ちょっとだけうるさかったよね」


 息が止まる。


「だからかな」


 ヨミは言う。


「見えなくなった」


 消えた、じゃない。


 “見えなくなった”。


 その言い方が、妙にしっくりくる。


「静かになって、よかった」


 ヨミは、ただ感想を言っただけの顔をしている。


 悪気はない。


 理解もしていない。


 だが——関与はしている。


「……お前」


「なに?」


「何を見てる?」


 ヨミは少しだけ考えた。


 そして、俺を見る。


「お兄ちゃん」


「……それだけか?」


「うん」


 即答だった。


 迷いがない。


「他は?」


「他?」


 ヨミは教室を見渡す。


 だがその視線は、何も捉えていない。


 焦点が合っていない。


 風景として流しているだけだ。


「ぼんやりしてる」


「……」


「お兄ちゃんだけ、ちゃんと見えるの」


 その瞬間、理解した。


 これは“消失”じゃない。


 “観測”だ。


 ヨミは、俺しか観測していない。


 だから、それ以外は——


 世界から排除される。


「減っちゃったね」


 ヨミが呟く。


「これで、一人目」


 数えている。


 こいつは、数えている。


 自覚しているかどうかは分からない。


 だが、現象を認識している。


「……やめろ」


「なにを?」


「見るな」


「どうして?」


「他を見ろ」


「どうして?」


 ヨミは本気で分からない顔をする。


「必要ないよ?」


 その一言で、背筋が冷える。


「お兄ちゃんがいれば、それでいい」


 ヨミは俺に体を預ける。


 距離が、ゼロに近い。


 触れている。


 逃げ場がない。


「ねえ」


「……なんだ」


「クラス、もっと少なくてもいいよね」


「は?」


「だって」


 ヨミは微笑む。


「お兄ちゃんが見える範囲に、ヨミだけいればいいし」


 それはつまり。


 観測を一つにする、ということだ。


 この世界を。


 単一の視点に収束させるということだ。


「……ふざけるな」


 思わず声が出た。


 ヨミは少し驚いた顔をする。


「どうして怒るの?」


「当たり前だろ」


「どうして?」


「他人が消える」


「消えてないよ」


 ヨミは言う。


「最初から、いなかっただけ」


 その言葉が、あまりにも自然だった。


「お兄ちゃん」


「……なんだ」


「ちゃんと見てる?」


 ヨミが近づく。


 逃げられない距離。


 視線が合う。


 逸らせない。


「見てるよ」


「ほんとに?」


「ああ」


「じゃあ大丈夫」


 ヨミは安心したように笑う。


「そのまま見てて」


 その意味が分かる。


 俺の観測が続く限り、世界はまだ保たれる。


 だが。


 ヨミの観測が強まれば、いずれ——


 すべてが収束する。


「ねえ、お兄ちゃん」


「……なんだ」


「どっちの世界にする?」


 ヨミは聞く。


「みんながいる世界と」


 一拍。


「ヨミだけの世界」


 答えられない。


 だが分かっている。


 いつか必ず、選ばされる。


 この妹を取るか。

 この世界を取るか。


 あるいは。


 そのどちらでもない何かを。


「大丈夫だよ」


 ヨミは笑う。


「選ばなくてもいいようにするから」


 その言葉が、宣言に聞こえた。


 世界は、選択を許さない方向へ動いている。


「最後にはね」


 ヨミは言う。


「ちゃんと一つになるから」


 ——観測が。


 チャイムが鳴る。


 教室が動き出す。


 何も起きていないみたいに。


 だが俺だけが知っている。


 もう、この世界は。


 複数の視点を維持できない。

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