結衣の結末
もうすぐ受験のシーズンが始まるからだろうか。今日は大学の構内に、やけに制服が多い。オープンキャンパスというやつだな、これは。
そんな初々しくて楽しそうな制服達を横目にして、俺はネクタイを少し緩めた。先ほどまで、来年に入ればすぐに始まる就職活動に備えてキャリア支援課のセミナーを受けていたところだ。これからは毎月第一土曜日にあるんだというから憂鬱だ。
食堂が開いていたので、豚牛丼を食べる。スーツの息苦しさに軽く落ち込んだ。
「どうしたの、藤崎。浮かない顔して。」
「小林か。お前も就職セミナー受けたの?」
「いや?大学祭で芸術学部は絵画展やるから、それに出す絵を描いてた。」
「大変だな。」
「そうでもないよ。好きでやってるし。いい設備のアトリエもあるし。」
「そうか。羨ましいな。」
小林は眼鏡を外し、目頭を押さえた。
「あ、そうそう。これ。」
「何?」
「写真。」
「おー。この間の。出来たのか。」
「昨日完成して、さっき額に入れたんだよ。はい。」
額縁に入った写真には、血みどろ男爵に扮した俺が映っていた。はあ、流石だ。良くできている。
「ありがとう。嬉しいよ。」
「良かった。」
小林は目を何回かこすって、水を飲んだ。
「流石にきつそうだな。」
「まあ、朝早くから描いてたから、流石に疲れたけどね。」
「今、何描いてんの?」
「いや、それが決まらないから朝早くからなんだよ。人物とかにしようかな。」
顔を良く見ると、目の下にクマが出来ていた。確かに苦労しているようだ。彼は何度かあくびをして、定食を食べ始めた。
「あの、何を話してるんですか?」
どこからか、知っている声がした。振り返ると、結衣ちゃんが立っていた。制服に身を包み、髪留めを手で弄びながら。小林は箸を落とした。
「なんで結衣ちゃんが?」
「あれ、御存じじゃないんですか?今日、オープンキャンパスなんですよ。担任の先生が、行ってみたらいいんじゃないかと勧めてくれて。……来て良かった。」
「そうなんだ。」
彼女は小林の隣の席を陣取り、腰を下ろした。
「おう、いいじゃん。結衣ちゃん描いたらいいよ。小林。」
「うーん。そうだなあ。」
机の下で、小林に足を蹴られた。
「私じゃ駄目ですか……。」
結衣ちゃんは肩をがっくりと落とした。髪留めの妖精も心なしか、同じように肩を落としているように見える。俺は小林の足を蹴った。彼女の気の落としぶりに、若干焦ったのか不必要に眼鏡をいじっている。
「あ、その。駄目っていう訳じゃないんだけど。」
「じゃあ、どんな訳でしょう。」
「そうだよな。彼女、被写体としてはいいと思うけどな。」
「この通り言ってくれてますし、私もそう思います。付き合いますよ。私。」
「何が不満なんだよ。小林。」
小林は顔を真っ赤にして頭を抱え、次に真っ青に青ざめて眉間を押さえた。ため息交じりに彼は言う。
「駄目っていう訳じゃないんだ。確かに、君は魅力的だよ。僕に好意を抱いてくれているのは知っている。僕は何かを本気で描くには狭いところで一対一で向き合って描くんだ。それを周りの人に勘違いされそうになるのは、君にとっても僕にとっても嫌なことだろう?そして、僕は成年で君は未成年じゃないか。好意は嬉しいけど、お付き合いはできないよ。恋人にはなれないんだよ。」
小林の手が細かく震えている。ずれた眼鏡を押し上げて、結衣ちゃんをじっと見つめていた。
「恋人?何のお話ですか?私、絵のモデルとして付き合いますとしか言ってませんが。」
結衣ちゃんは目を丸くして言った。小林の言葉を頭で処理するのに大分時間がかかっているようだ。小林も同じく目を丸くし、自分の勘違いに気付くのに脳の処理が遅れているらしい。
先に処理が終わったのは小林の脳だった。食堂の誰もが振り向くほどの叫び声をあげて、頭を抱えた。次いで、結衣ちゃんの脳が動き出した。
「私、本当に嬉しかったんです。あの水の中で助け出してくれた小林さんが、王子様のように見えました。そのお礼がしたかっただけなんです。」
小林は顔を真っ赤にして、ぶつぶつと呟いている。結衣ちゃんも顔を真っ赤にして付け加えた。
「でも……でも!三年たったらその勘違い、勘違いじゃなくて本当のことにしてもいいですよ!小林さんなら私は!」
彼女の食堂中に響いた声は、大きな拍手を生み出した。二人は初めて食堂中の注目を集めていたことに気付いたようだ。
「あ、あのさ、結衣ちゃん。」
「は、はい。」
「この状況、恥ずかしいからさ。アトリエまで一緒に避難しないか?」
彼女は言葉の真意に気付いたようで、こくんと頷いた。
「じゃ、藤崎。絵、描いてくるから。」
「ああ、出来たら見せてくれよ。」
結衣ちゃんの手首を引いて退場する小林の背中に、俺も拍手を送った。




