正念場ですのよ
エルクードが視察に来た日の翌日。
朝、現場に集まった全員を前に、アリアーゼが口を開いた。
「本日は、すべての作業をお休みにいたしますわね」
全員が理解できないという表情で顔を見合わせた。
「……あの、どういうことでしょうか?」
「ですから、今日はお休みですわ。みなさま、ゆっくりと体を休めてくださいまし。では解散!」
そう言われても、誰も動かなかった。
「アリアーゼ殿。工期は一ヶ月と伺っておりますが」
エルディオがそう言って眉をひそめた。
「そのとおりですわ」
「皆、ようやく作業も慣れてきた所です。ここで一日休むのはどうかと思いますが」
「それでも、休むのですわ」
アリアーゼは、こともなげに言った。
「ああ、ご心配なく。本日のお給金は、きちんとお支払いいたしますわよ」
ざわめきが起きた。
「え、いや、しかし働いてもいないのに、頂くわけには」
「そうだ。休むくらいなら、岩を投げていたほうがいい」
「うむ。手が鈍る」
三十人が、口々に言い出した。
リオナは全員を見渡した。一週間前、嫌々ながら集まった者たちだとは思えなかった。
アリアーゼは、エルヴスの森で見せたような怪しい笑みを浮かべると、全員に聞こえるように言った。
「それでも今日はお休みです。本日働いた方は、お給金を減らしますわよ?」
「…………」
「わたくし、本気ですわよ?」
誰も、何も言えなかった。
◇
結局、魔術師たちはぞろぞろと村へ引き上げていった。
宿で泥のように眠る者がいた。村の酒屋へ繰り出す者がいた。若いラルフとバーナードは、年配のエルディオも誘って、川で釣りをはじめた。
「アリアーゼ様……不思議な方ですね」
バーナードが、ぽつりと言った。ラルフもこくこくと頷いている。
「ああ」
釣り糸の先を見つめながら、エルディオが答えた。
「本当に不思議な方だ。彼女に従えば、すべてがうまくいくような気がしてならない。とりあえず、明日からもついて行ってみようじゃないか」
エルディオの言葉に、若い二人は大きく頷いた。
◇
リオナにとって、今日一日が休みになったのは非常にありがたかった。
一週間分の汚れものが、部屋で山になっていたし、身体も思ったよりもずっと疲れていた。
リオナが洗濯を始めると、アリアーゼが駆け寄ってきた。
「まあ、リオナ。お手伝いいたしますわ」
「あ、じゃあ、こっちの桶をお願いします」
「お任せなさい」
アリアーゼは鼻歌を歌いながら、リオナの隣で洗濯を始めた。結局その半分は、あとでリオナがやり直すことになったのだが。
午後は、二人で村を歩いた。
高い床の家々の間を抜けて、畑のほうまで出る。麦が植わっていた。去年の水で駄目になったのか、ところどころ土がむき出しになっている。
「アリアーゼ様」
「なあに?」
「……うまくいきますよね?」
リオナは不安だった。
まもなく雨季が来るらしい。例年であれば、この村もあの畑も、溢れた水で浸かってしまう。自分たちの作業が無駄になってほしくない。絶対にうまくいってほしかった。
アリアーゼは、畑を見たまま答えた。
「その時になればわかりますわ」
◇
翌朝、現場に全員が集まると、アリアーゼは川べりに立って岩盤を指さした。
「皆さま、改めてごらんなさいな」
全員が、対岸の岩盤を見つめた。誰の目にも明らかだった。
一週間前、東へ向かって川を塞ぐように突き出していた灰色の壁が後退している。削り取られた断面が、朝日を受けて白く光っていた。
そして、川の流れが少しだけ変わっていた。
川幅が広がり、無理やりねじ曲げられていた川の角度が緩やかになっている。
毎日見ていたはずだった。けれど一日離れて、改めて全体を眺めて、自分たちが何をしたのかを理解した。
「我々が、やったんですよね」
バーナードが、呆然と呟いた。
「ええ。そのとおりですわ」
アリアーゼが、振り返った。
「始めの日を思い出しますわね。エルディオさん。あなた、最初になんとおっしゃったかしら?」
問われたエルディオは目を閉じた。
「……不可能だと申し上げました」
エルディオは、ばつが悪そうに小さくつぶやいた。過去の発言を咎められるのだろうと思った。
しかし、アリアーゼの次の言葉は予想外のものだった。
「初めての経験ですもの。そう思うのは当然ですわ」
アリアーゼは全員に向き直った。
「でも、わたくしは信じておりましたの。皆さまには、必ずやりとげられる力があると。そして、その通りになりつつありますわ。わたくしは、それに感動しているのです」
アリアーゼは、川を背にして、三十人を見渡した。
「ここからが正念場ですわ。削った岩を運び、仕上げねばなりません。どうか」
そして、深々と頭を下げた。
「どうか、皆さまのお力をわたくしに貸してくださいませ」
そのアリアーゼの様子に、全員が言葉を失った。
貴族である。雇い主である。頭など下げる必要が、どこにもないはずだった。
「……頭を上げてください。アリアーゼ殿」
エルディオの声が、わずかに掠れていた。
「我々は、報酬で雇われた身です。そのように頭を下げていただく筋合いはありませんぞ」
「あら。筋合いなら、ございましてよ」
アリアーゼが顔を上げる。
「みなさまがいらっしゃらなければ、この大仕事は成し遂げられませんもの」
エルディオは、しばらく口を引き結んでいた。それから、ぐるりと後ろを振り返った。
「……おい、聞いたか。正念場だそうだ」
「おう!」
「やってやろうじゃないか!」
「絶対成功させるぞ!」
返事が、川面に響いた。
◇
リオナは、少し離れた場所で、やり取りを見ていた。
リオナには確信があった。今まで見てきたアリアーゼは、単純なお人よしではなかった。エルセリルの森でもそうだった。交渉のためには手段を択ばなかった人だ。
(多分、現場の士気を高めるために、計算して言ってますね)
リオナは、そう思った。
どの言葉を、誰に、いつ言えば、どう届くのか。この人はそれを知っている。何年もの間、騎士団という大所帯を率いてきた人なのだ。知らないはずがない。
(――でも、それでもいい)
リオナは、小さく笑った。
計算だとしても、言っていることに嘘はひとつもない。この人は本当に信じていたし、本当に感動している。それを、言うべき時に、効果的に言っているだけだ。
それでいい。それが、この人だ。
◇
その日、岩盤の削れ方が変わった。
音の数が、明らかに増えていた。手際も速い。一昨日の休みを取る前までとは、まるで別の現場だった。
「……不思議だな」
昼過ぎ、エルディオがリオナに向かってぽつりと言った。
「どうかしましたか?」
「いや、リオナ殿。今日はやけに作業が進むと思ってな」
エルディオは、他の魔術師たちを眺めた。
「おそらく、一昨日までの我々は疲れていたのだな。それに気づいていなかった」
「…………」
「作業の一日を捨ててまで我々に休みを取らせたのは、こういうことだろうな」
エルディオは、少し離れた場所に立つアリアーゼの背中を見た。
アリアーゼは何も言わず、ただ、川を眺めていた。
◇
現場は別の生き物のようになった。
削る組が岩盤を砕き、運ぶ組が砕けた岩を集め、放つ組がまた叩きつける。誰も指示を待たない。手が空いた者が、空いた場所へ入る。
リオナの仕事は、叫ぶことから、見回ることに変わっていた。
「リオナ先生。こちらの岩、少し小さくありませんか」
「あ、それくらいなら大丈夫です。数で押しましょう」
「先生、交代の順番ですが、三組を少し前に」
「いいですね。そうしましょう」
先生、と呼ばれるのにも、そろそろ慣れてきた。
(――慣れちゃだめだ。わたしはアリアーゼ様のお手伝いをしているだけなんだから)
そう思いながらも、少しだけ嬉しかった。
◇
事故は、その日の昼過ぎに起きた。きっかけは、一羽の鳥だった。
「いきます!」
ラルフが浮かせた岩塊が、頭上で止まる。バーナードが風を溜め、放とうとした、その瞬間だった。
岩と岩盤のあいだを、大きな鳥が横切った。
川鵜だろうか。灰色の翼が、ゆっくりと視界を遮る。
「あっ」
バーナードの風が、途切れた。
岩を放つタイミングは何があっても守れと厳命されていたが、それを失念していた。
そして。
岩が放たれるのを見越していたラルフは、そのタイミングで魔力を解き放った。
岩が放たれなかったのに。
岩が宙にある間は、何があっても魔力を途切れさせるなと厳命されていたのに。
「うあっ!」
岩が、落ちた。
どすっという鈍い音が響いた。
人の背丈ほどもある岩塊が、ラルフの右足を飲み込んでいた。
「あ、あ、あああああっ!」
悲鳴が上がった。
リオナはとっさに振り向き、惨状を目にして頭が真っ白になった。
人が集まる。誰かが岩に手をかけ、押そうとしたがびくともしない。何人がかりでも動かない。
「魔術で岩を動かせ!」
「駄目だ。ラルフを巻き込んでしまう! 今動かすわけにはいかん!」
なす術がなかった。
「おどきなさい!」
風が、吹き抜けた。アリアーゼだった。
駆けつけた、というより、いつの間にかそこにいた。抜く動作は、誰にも見えなかった。
銀の線が、一度だけ閃いた。
岩塊が、音もなく二つに割れた。切断面は、鏡のように滑らかだった。割れた岩が、左右へ転がり落ちる。
その下から現れた右足を見て、全員が息を呑んだ。
ラルフの脚は潰れて、足の形をしていなかった。
休むのも仕事のうち。アリアーゼ様の采配で、現場はひとつになりました。
ところが、正念場の最中にまさかの事故が……。
次回、リオナさん、聖女の本領発揮です。




