華麗な剪定ショー
「よし! 剪定を始めようぞ」
アズリウスは、長い体を幹に沿って伸ばした。頭を上げ、黒く変色した枝のひとつひとつを、順に示していく。
「あれと、あれ。それから、あの奥のもじゃ。中まで闇が回っておるものは、すべて落とす」
エルセルリオンが、その数を目で追った。太いものから細いものまで、十を超えている。
エルヴスの里でも年に何度か大木の剪定を行う。だが、いずれの場合も人数と時間をかける大仕事だった。
世界樹も、極端な巨木ではないが十分に大きな木だ。梯子を掛けたところで届く位置ではないし、そもそも今ここには道具が揃っていない。
「アズリウス様。あれほどの高さのものを、どうやって……」
「なあに、長たちは見ておればよいのよ」
アズリウスはそう言って目を細めた。髭が、ゆらりと揺れた。
◇
アリアーゼが、世界樹の根元へ進み出た。
腰の鞘から、包丁を引き抜く。日の光を受けて、短い刃が白く光った。
里の者たちが、ざわめいた。
「おい、あれは」
「包丁……だよな?」
「あの方は、あれで何をするつもりなんだ」
誰も、答えられなかった。
アリアーゼの隣に、リオナが並んだ。両手を軽く持ち上げ、目を閉じる。
「アリアーゼ様。どこから始めましょうか?」
「そうですわね。まずは、あの一番太いものから」
アリアーゼが、頭上を指した。
「では、右手側に三つ。少し高めに浮かしますね」
「お願いしますわ」
短いやり取りの後に、リオナが詠唱に入った。
「大気の風よ、集え! 岩を浮かべて、足場となれ!」
突風が巻き起こり、岩が宙に浮かんだ。
◇
エルセルリオンは、思わず息を呑んだ。
何もない宙に、岩が浮いている。一つ浮かす程度なら、里のものでもできる。しかし、同時に三つ。それが、地上から順に高さを変え、階段のように並んでいた。
(あれ程簡単に、正確に術を使いこなすとは。彼女の才も見事なものだ)
心の中で感嘆する。
次の瞬間、アリアーゼが、駆けた。
一歩目で、地面を蹴った。
二歩目は、宙にあった。
最初の岩を踏んだアリアーゼの体が、ぐんと持ち上がる。減速はしない。踏んだ瞬間に次の岩へ跳び、そこからさらに上へ。
三つ目を蹴ったとき、その体は黒い枝と同じ高さにあった。
白い光が、閃いた。
音は、しなかった。
エルセルリオンには、何が起きたのか分からなかった。ただ、アリアーゼの体がすでに落下に転じていて、その手の中の刃が、切っ先を下に向けていた。
――遅れて、枝が落ちた。
根元から断たれた黒い枝が、ゆっくりと傾き、そのまま地面へ向かって落ちていく。
「危ない!」
里の誰かが叫んだ。
「お任せください! 大気の風よ!」
リオナの声が飛んだ。
落下する枝の速度がゆっくりになった。宙を舞う羽毛のようにふわりと地面に横たわる。
アリアーゼは、空中で一回転すると、地面に降り立った。
着地の音が聞こえぬほどの優雅さで、髪ひとつ乱れていない。包丁を軽く振って、刃についたものを払う。
「リオナ。次は、左手側ですわ」
「はい。四つ浮かしますね」
「まあ、多いですわね。では、まとめて三本いただきますわ」
また、風が鳴った。
◇
里の者たちは、ただ上を見ていた。
首が痛くなるのも構わずに、その光景を追い続けている。
風が湧き上がり、岩が浮く。人が、それを蹴って跳ぶ。刃が光る。枝が落ちる。落ちた枝が、見えないクッションで優しく横たわる。
その繰り返しだった。
繰り返しのはずなのに、見飽きることがなかった。
「……美しいな。金を払ってもいいくらいだ」
誰かが、そう漏らした。
エルセルリオンも、同じことを考えていた。
剪定という作業を、これまで何度も見てきた。里の者が梯子を掛け、鋸を引き、汗をかきながら枝を落とす。時間のかかる、地味な仕事だ。
目の前で起きているのは、それとは違う何かだった。
跳ぶ者と、支える者。ひとつも言葉を交わさないのに、足場が正しい位置に現れ、落ちる枝は優しく横たわる。
示し合わせているのではない。互いに、相手が何をするか知っているのだ。
(この二人は、いったい何を積み重ねてきたのだ)
そう思わずにはいられなかった。
◇
「――終わりましたわ!」
最後の一本が地に伏せたとき、アリアーゼは軽やかに着地して、そう言った。
息ひとつ切らしていない。
その場に、ようやく声が戻った。
「す、すごい……!」
「見たか、今の」
「人間って、あんなことができるのか?」
里の者たちが、口々に言い合っている。誰かが、我に返ったように拍手を始めた。それが、みるみる広がっていく。
「あらあら。これくらい、淑女の嗜みですわ」
アリアーゼは、優雅に一礼した。
リオナは、その隣で肩で息をしていた。何度も岩を浮かし、そのたびに落下する枝を風のクッションで受け止めた。さすがに消耗した。
リオナは呼吸を整えながら思った。
(……アリアーゼ様、褒めてくださるかな)
その瞬間、リオナの意識が別の世界へと飛んだ。
◇
『リオナ。本当によくやってくださいましたわ』
アリアーゼが、こちらへ歩いてくる。
『そんな。わたしは、自分にできることをしただけです』
『いいえ。あなたがいなければ、とても無理でしたわ』
アリアーゼの手が、そっとリオナの頬に触れた。
『あなたは、最高のパートナーですわ』
『……ありがとうございます』
『リオナ。わたくしはあなたを、一生手放したくありませんわ』
『はい。わたしも、一生アリアーゼ様のおそばに――』
「リオナっ!」
「はっ」
顔を上げると、アリアーゼが目の前に立っていた。
「大丈夫ですの? ぼうっとしておりましたけれど」
「あ、はい。大丈夫です。少し疲れただけで」
リオナは、慌てて姿勢を正した。
危ない。とんでもないことを考えていた。
「そう。無理をなさらないでね」
アリアーゼは、にっこりと微笑んだ。
「リオナはやはり最高のパートナーですわ。一生手放したくありませんわね」
「……はい。わたしも一生おそばに――」
答えながら、リオナは硬直した。
(――あれ? まって。今のは妄想? ……現実だっ!)
「あわわ」
「リオナ?」
アリアーゼが、首をかしげる。
「何を焦っておりますの?」
「な、なんでもありません! パ、パートナーですよね? 戦いの!」
「そうですけれど。リオナ、大丈夫ですの?」
「はい! ほんとにっ! 少し、疲れただけですからっ!」
リオナは、汗を拭いながら、笑ってごまかした。
「アリアーゼ様が、あんまり速いので。追いかけるのが大変でした」
「うふふ。やっぱり、頼もしいパートナーですこと」
◇
「よし」
アズリウスの声が、降ってきた。
「これで器は整った。あとは、わしの仕事じゃ」
長い体が、世界樹の幹に巻きついていく。一重、二重、三重。青い鱗が、世界樹の灰色の幹を覆っていった。
「下がっておれ。……ずいぶんと、久しぶりじゃな」
その声には、どこか懐かしむような響きがあった。
アズリウスが、目を閉じた。
最初に変わったのは、音だった。
風もないのに、頭上で葉が鳴りはじめた。ざわ、ざわ、と。それが次第に大きくなり、やがて、ざあ、と大きくうねった。
それから、光が流れた。
アズリウスの体から、青白い光が幹へ流れ込んでいく。光は根元まで下り、地面を這い、周囲の草花を照らした。
変色した部分が、退いていく。
幹の表面に、光沢が戻りはじめた。
見る角度によって色が変わる、独特の美しさが幹を覆っていく。
朝に見たあの色が、甦った。
頭上では、垂れ下がっていた葉が持ち上がりはじめていた。色が戻り、光を透かし、一枚一枚の葉脈まで見えるようになる。
緑の硝子細工の様な美しい葉の数々が、そこにあった。
◇
里の者たちが、次々と膝をついた。地面に手をついて、声を上げて泣いている者もいる。
「世界樹が……」
「戻った。戻ったぞ……!」
エルセルリオンも、立ったまま動けなかった。
目の前が、滲んでいる。拭おうとして、手が震えていることに気づいた。
「……間に合った、のだな」
掠れた声が漏れた。
自分の代で失うのだと思っていた。神話の時代から続いてきたものを、自分の代で途切れさせてしまうと。
そう思いながら、幹に額を押しつけた時のことを、まだ体が覚えている。
「良かった……本当に……」
エルセルリオンは、その場に膝をついた。
◇
アズリウスが、幹から体を解いた。
光が薄れ、青い鱗が日の光の下に戻る。長い体が、ゆっくりと地上へ下りてきた。
「うむ。これでよかろう」
あっさりとした口調だった。
「しばらくは弱ったままじゃが、あとは自分で治る。放っておいても、数ヶ月もすれば元通りじゃな」
「アズリウス様……!」
エルセルリオンが、頭を垂れた。
「なんと礼を申し上げればよいか」
「よい、よい。わしの木じゃ。わしが治すのは当たり前じゃろう」
アズリウスは、髭を揺らして笑った。
「それより、礼を言う相手が違うぞ」
その目が、アリアーゼとリオナに向いた。
「危険を退けたのも、剪定をしたのも、あやつらじゃよ」
エルセルリオンも二人を見た。
始めは世界樹の材をよこせなどと言い出すとんでもない者たちだと思った。
世界樹が救われた今、目の前の二人は女神のように見えた。
「そうですね。あの二人には感謝しても、しきれません」
この時、エルセルリオンは完全に失念していた。まだ、大事な話が一つ残っていたことを。
アリアーゼが怪しい笑みを浮かべながらゆっくりと近づいてきた。
世界樹、ついに復活です! 二人の連携も見事でした。けれど、エルセルリオン様が忘れているようですが……。
次回――まだ終わっておりませんわ!
お楽しみに!




