間章・第二十七話、テラスの境界線・噛み合わない信頼
今日は2話連続更新です。こちらは2話目になります。
先にここから読んだ方は、1話前にお戻りください。
氷狼の里を包み込む吹雪は、夜が深まるにつれてその猛威を増していた。
客舎の石壁を叩く風の音は、まるで遺跡の底から響く地鳴りのようにも聞こえる。
一行から離れ、冷気が直接肌を刺すテラスの隅。
スレインは、父ガレフから密かに手渡された氷狼族の古い護符を握り締め、暗闇に沈む里の全景を睨みつけていた。
その指先は、極寒のせいだけではなく、抑えきれない焦燥で微かに震えている。
「……計測終了。やっぱりね、あなたの血圧も心拍数も、さっきからずっと『警戒中』よ」
背後から響いたリネットの声に、スレインは反射的に護符を隠し、鋭い視線を向けた。リネットは厚手のコートに身を包み、湯気の立つマグカップを片手に、ゴーグルのレンズを忙しなく調整しながら歩み寄ってくる。
「……フン。何の用だ、小娘。観測なら、あの中で震えている子供たちでもしていればよかろう」
「残念ながら、私の優先順位の一位は常に『不確定要素の排除』なの。……今のあなたは、アッシュの命に関わる最大の不確定要素よ、スレイン」
リネットはスレインの隣に並び、彼と同じように吹雪の向こうを見つめた。
「ガレフ様との面会から戻ってきてからの態度が明らかに不自然だわ………。里を捨てたはずなのに、なぜこのタイミングでガレフ様の計らいに従うの?
以前のあなたなら、もっと合理的に、もっと冷静に、里そのものを疑っていたはずよ」
「……あいつは私の父だ。血の繋がりという不合理が、判断を狂わせることもある」
「嘘ね。あなたは父親を愛しているから従っているんじゃない。……『父親が何を目論んでいるか』を知っていて、それでもアッシュをその道に歩ませるしかないことに、絶望している」
リネットの言葉は、鋭利な外科手術のメスのように、スレインがひた隠しにしていた傷口を正確に切り開いた。
スレインは奥歯を噛み締め、握り締めた護符が手のひらに食い込む。
「………あいつは、アッシュを遺跡へ誘い込もうとしている。
ルキウスの『秩序』をこの地から排除するために、アッシュが持つ紋章の力を、遺跡の心臓部で『暴走』させるつもりだ」
「……!! 遺跡を爆発させる気なの?!」
「分からん。だが、そうなればアッシュの身体が持たないことくらい、理解しているはずだ。
……私は、あいつを止めるために里へ戻った。だが、ルキウスの軍勢が周囲を包囲している今、遺跡の中へ逃げ込む以外の選択肢を、私は提示できんのだ……!」
スレインの吐露は、悲鳴に近かった。冷静な守護者として振る舞いながら、その内側では「父の罠」と「ルキウスの刃」のどちらに仲間を差し出すべきかという、地獄のような選択を迫られていた。
「……そう。それがあなたの『真意』なのね」
リネットは、初めて少しだけ優しげに目を細めた。彼女は手に持っていたマグカップをスレインの方へ差し出し、小さく溜息をついた。
「データはね、常に最悪のケースを示すものよ。でも、お兄ちゃんはいつもその数値を、理屈じゃない何かで跳ね返してきた。
……一人で抱え込んで、勝手に絶望するのはお門違いよ。あなたはもう、あの冷たい里にいた頃の『孤独な白狼』じゃないんだから」
スレインは差し出されたマグカップを、戸惑いながらも受け取った。温かい熱が、凍てついた指先を解きほぐしていく。
「……リネット。貴様は、怖くないのか。アッシュが人間でなくなることも、私たちがここで全滅することも」
「怖いなんてもんじゃないわよ。でも、恐怖は解析の邪魔になる………ただそれだけよ。」
リネットは不敵に笑い、端末を叩き始めた。その横顔には、かつての帝国の科学者としての傲慢さはなく、仲間を信じる一人の少女としての強さが宿っていた。
スレインは、温かい飲み物を一口啜り、再び吹雪の空を仰いだ。
父の呪縛、ルキウスの影、そして信じるべき仲間。
絡まり合った糸の先にある答えを、彼はまだ見つけられずにいたが、少なくともその心臓の鼓動は、先ほどよりもいくらか静かな
、しかし確かな「闘志」を刻み始めていた。
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〜〜〜十数年前〜〜〜
氷狼の里の長ガルフの息子として生まれたスレインにとって、
父は絶対的な「秩序」そのものだった。
氷狼族の掟は、「強さこそが正義であり、弱さは不浄である」という苛烈なもの。だが、スレインの母、雪豹族の血を引くミラだけは違った。
彼女は、力を持たぬ者や他種族の痛みを知る、この冷徹な里において唯一の「温もり」だった。
『……悲劇は、フェンリルという歪んだ野心が、父のその【秩序】を煽ったことから始まった』
スレインの声は、北風に混じる氷の粒のように鋭く、冷たい。
当時、里の若き天才として頭角を現していたフェンリルは、混血のスレインの存在を忌み嫌っていた。
彼はガレフに対し、ミラが他大陸の「不浄な思想」を持ち込み、里の結束を乱しているという偽りの進言を繰り返したのだ。
━━そしてフェンリルは、遺跡の防衛任務に就いていたミラを罠に嵌めた。
わざと警備に穴を開け、凶暴な原始獣を遺跡の深部へと呼び寄せたのである。
『……母上は、自分を犠牲にして里の子供たちを守り抜いた。……だが、父上が下した評価は【命令を逸脱し、無様に命を散らした弱者への処罰】だった━━━』
ガレフは、愛する妻を失った悲しみを「掟」という鎧で封じ込めた。ミラの遺品をすべて焼き払い、彼女の名前を里の歴史から抹消した。
それが、里の長として示さねばならない「私情を排した強さ」だと信じて━━━
『……私は父を許せなかった。だが、それ以上に……父に認められようと必死に剣を振るい、母を陥れたフェンリルの嘘さえ暴けなかった、無力な自分を呪った━━』
その後スレインは里を捨てた。白銀の誇りを自ら汚すように、流浪の傭兵として、あるいは汚れ仕事を引き受ける「死神」として、人間大陸の各地を転々とした。
アッシュに出会う直前まで、彼の胸中を支配していたのは、底知れぬ「虚無」だった。
剣を振るう理由はない。守るべき国も、愛すべき家族もいない。
あるのは父から受け継いだ、忌まわしい氷狼の血と、それを活かすための殺戮の技術だけ。
彼は、自らの命をいつ、どこで捨てようかと探しながら、帝国領の技術者リネットの目付役を引き受けた。
(……あの日、カナンで、あのまぬけた面をした人間に出会うまではな)
『アッシュ・グローリア。』
錆びた剣を握り、自分の身を顧みず、見ず知らずの獣人の子どものために、あの古王へ立ち向かった、あの「甘く」、「熱い」男。
理屈ではない「情」で動くアッシュの姿は、かつてスレインがこの氷の里で守りきれなかった「母の温もり」を、残酷なほど鮮やかに思い起こさせた。
(……リネット。あいつは、今も私を試している。
……アッシュという贄を捧げることで、『氷狼の長』として返り咲くかどうかをな……)
スレインの手の中で、マグカップの熱が、護符の冷たさをわずかに打ち消していく。
父への憎悪、亡き母への思慕、そして、出会ってしまった「絆」という名の不合理。
「……だが、あいつは分かっていない。………私が今、この剣を握っているのは、里の玉座に座るためではないということを」
スレインは吹雪の空を見上げ、その瞳に静かな、しかし確固たる「個の意志」を宿した。
アッシュに出会う前の彼は、死に場所を探す亡霊だった。
だが、今の彼は、自分の意志で「境界」を守り抜こうとする、一人の戦士へと変わっていたのである。
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