3章・第十五話、統制の都リノス・白亜の宿場町と、澱む気配
峻険な「天穿の連峰」を越えた一行の眼下に広がったのは、山嶺の荒々しさとは対極にある、静謐極まる光景だった。切り立った断崖に囲まれた高台に、その町――統制の都「リノス」は鎮座していた。
一歩、街へと足を踏み入れた瞬間、アッシュは右手の紋章が冷たく、鋭く疼くのを感じた。
「………何だ、この空気。胸の奥が、妙にザワつく……」
アッシュの呟きは、不自然なほど静かな街路に吸い込まれていく。
リノスの景観は、一言で言えば「完璧」だった。道は鏡のように磨き上げられ完璧に舗装され、建ち並ぶ家々もすべて同じ乳白色の石材で統一されている。カナンに見られたような生活感あふれる様子も、連峰で見られた剥き出しの岩肌も、ここには存在しない。
「………ちょっと、信じられないわね」
リネットが解析端末を叩きながら、眉間に深い皺を寄せた。
「……これを見て。この街の住人のバイタルデータが全員、ほぼ一定の数値を刻んでる。
怒りも、悲しみも、過度な興奮さえも観測されない……。街全体が巨大な魔導障壁によって『平常』の状態に『強制調整』されているのよ」
道を行き交う人々は、皆一様に、穏やかで中身の空っぽな微笑を浮かべていた。獣人のスレインや、防寒装備を着込んでいるアッシュたちを見ても、驚きも嫌悪も見せない。
ただ、無垢な子供を見るような慈愛の眼差しを一瞬だけ向け、まるで統一された機械みたいに、自らの目的地へと歩き去っていくだけだった……。
「ふん。人間が作り上げた、吐き気のするような『秩序』だな」
スレインが氷の双剣の柄に指をかけ、周囲を警戒する。
「獲物の血の匂いどころか、生きている者の息遣いすら感じられん。この街を吹く風は、死人のように生ぬるいぞ」
一行は、街の中央にそびえ立つ白銀の尖塔「セフィロト」を避け、外縁部にある質素な宿屋へと入った。
そこでも、宿の主人は一寸の狂いもない丁寧な動作で、一行に鍵を差し出した。その瞳は澄み渡っていたが、アッシュにはそれが、底のない深い淵のように見えて仕方がなかった。
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宿での休息も束の間、一行は役割に分かれて行動を開始した。
リネットとスレインは、連峰で消耗した魔導パーツと食料の補充のために市場へ向かった。市場でさえも、値段の交渉や活気に満ちた呼び込みは一切ない。すべての物品は適正価格で整然と並べられ、買い手は感謝の言葉一つだけ言うとさっさと去っていくだけだ。
「……気持ち悪いわね。この街の『清潔さ』は、もはや病気よ」
リネットは、エンジニアコートの襟を立て、周囲の視線を避けるように解析端末を操作していた。画面に並ぶ精神波形のグラフは、驚くほど平坦な一本の線を描き続けている。
市場でのやり取りは、まるで精密な舞台劇を見ているかのようだった。客は一寸の迷いもなく商品を手に取り、店主は一寸の狂いもない感謝の言葉を述べ、金銭が交換される。
そこには、値切りの駆け引きも、品物を選び抜く吟味の目さえも存在しない。
「お兄ちゃん、よくこんな場所で『休息』なんて言えたわね。……見てよ、この魔導パーツ。全部新品で、摩耗一つない。まるで、誰かが昨夜のうちにすべての過去を消し去って、取り換えたみたい」
リネットが手に取った「風雅の触媒」は、驚くほど純度の高い魔導銀でできていたが、彼女にとっては、それが無菌室で育てられたかのように、不気味に感じられてならなかった。
「……フン。死人の街に、何を期待している」
背後の闇から、氷のような冷気を纏ったスレインが現れた。彼は市場の表通りではなく、影の落ちる路地の境界線に立ち、周囲を射抜くような眼光で監視していた。
「リネット、部品の調達は終わったか。……この街の『影』が、我々の追跡を始めているぞ」
「影? 衛兵のこと?」
「それだけではない。………この街の住人すべてだ」
スレインが顎で示した先には、穏やかに微笑みながら買い物を続ける老婦人がいた。だが、彼女の瞳は一瞬たりともリネットたちから離れていない。彼女だけではない。
果物を並べる店主も、小走りに駆ける子供も、その動きの「端々」で、不規則な外部者である一行を監視し、その情報をどこかへと吸い上げているような異質さがあった。
「………そう、全員が監視者なのね。まるで巨大な意識に繋がった、末端の神経細胞としてね……」
リネットが身震いしたその時、市場の喧騒が一瞬だけ、不自然なほど静まり返った。
一人の白銀の装甲を纏った処刑騎士が、音もなく市場の雑踏に現れたからだ。騎士はリネットたちの前を、一瞥もくれずに通り過ぎていった。しかし、その後に残された空気は、氷狼の里の吹雪よりも冷たく、重い。
「……スレイン、これ。あいつが通り過ぎた後に、私の端末が拾った信号よ」
リネットの画面には、アッシュ達全員の現在の生体情報と、過去の「犯罪歴(カナンでの行動)」が完璧に照合された記録が映し出されていた。
「招待状を出す前に、こちらの出方を確かめているつもりか。……帝国の雑兵共め、底知れんな」
スレインは氷の双剣の柄を強く握りしめ、宿へと戻る最短ルートを選び出す。
市場で手に入れた食料も、魔導パーツも、すべてが白銀の秩序という名の監視にさらされている。
休息という名の猶予は、すでに終わりを告げようとしていた。
宿へ戻る道すがら、リネットは何度も背後を振り返った。
穏やかに微笑む住人たちの目が、自分たちの背中に、無数の白銀の針を突き立てているような錯覚。
リノスの「澱んだ静寂」が、一行を逃がさぬよう、静かにその包囲網を絞り込んでいた。
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