第十二話、風雅の遺跡・五人の力
「……お兄ちゃん、来るよ!!」
クルルの叫びと同時に、フィオナが風の渦を纏って急降下した。
「逃がさないと言ったはずよ!」
真空の刃が四方八方からアッシュを切り刻もうと迫る。しかし、アッシュは焦らなかった。
彼はリネットから授かったばかりの魔導転写鞘に、カチリと音を立てて剣を収める。
(……防ぐんじゃない。重さで、叩き潰す!)
アッシュは右手の紋章から溢れる『日輪』の熱を鞘の内部で限界まで圧縮し、同時に足裏から『土龍』の重圧を吸い上げる。
吹き荒れる暴風の中、アッシュの周囲だけが、土龍の重力場によってピタリと凪ぐ。
キィン!
━━━刹那、放たれる抜刀一閃。
黄金の光を纏った衝撃波が、フィオナの真空波を正面から「質量」で押し潰し、反対に彼女を気流ごと吹き飛ばした。
「ぐっ……これはっ!……風を押し返したとでもいうの!? 」
さらに、吹き飛ばされて驚愕するフィオナの死角から、音もなく黒い影が躍り出た。
━━━シオンだ。
彼女は風に逆らわず、むしろ風の流れを読み切り、空中を滑るように移動する。フィオナが体勢を立て直す寸前、シオンの手から放たれた数本のクナイが、フィオナの翼の付け根――気流を制御する急所を正確に射抜いた。
「……隙あり」
シオンの無機質な声。彼女の追撃により、フィオナの「速度」に明確な亀裂が入る。
「今よ、ククル!」
「はいっ!!」
リネットの声に応え、ククルが新調された『守護のベル』が力一杯鳴り響く。
澄んだ音色が戦場に、淡い光の粒子が雨のように降り注ぐ。――
光に触れたアッシュとスレインの傷が塞がり、疲労が霧散していく。反対に、空中に浮かぶ翠鷹族の戦士たちは、光の粒子の停滞によって翼の動きを封じられていく。
「……計算通り……、あの子の属性魔力━━━敵の固有振動数のキャプチャー及びリーディング完了!」
リネットは激しく揺れる回廊でゴーグルを叩き、瞬時に敵の配置と気流の穴を計算し尽くす。
「スレイン! 右斜め45度、高度13! 気流の合流点はそこよ!!」
「了解した。」
スレインは一切の無駄なく地を蹴り、リネットが示したポイントへ氷の双剣を突き出した。
空間ごと凍りつくような冷気が迸り、翠鷹族の逃げ場を瞬時に奪う。
「………これで終わりだ、フィオナ。」
バラバラだった五人の力が、一つの「風」となって、空中回廊の統治者をきり裂いた。
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(……ああ。あの時も。あなたはそうやって、私を見下ろしていたわね)
フィオナの脳裏に、かつての情景が鮮明に蘇る。
それはまだ、帝国と獣人国の冷戦が、かろうじて「平和」という仮面を被っていた頃。両国の国境付近で行われた特別合同訓練の会場でのことだった。
翠鷹族の令嬢として、一族の誇りを背負って参加したフィオナ。彼女は、帝国の最新兵器を相手にしてもなお「速さ」で圧倒する自分の才を信じて疑わなかった。だが、その自信を、当時から氷狼族の精鋭として期待されていた少年――スレインが粉々に打ち砕いた。
何度挑んでも、その氷の刃に翼を叩き落とされる。
帝国軍の若き指揮官たちが、その光景を「獣同士の喧嘩だ」とせせら笑う中、地面に伏した彼女にスレインは慰めの言葉一つかけなかった。ただ、冷徹なまでに澄んだ瞳で、自身の剣についた土を払い、こう言い放った。
『……お前が、俺を捉えられないのは「感情」で動いていたからだ。速さとは、無駄を削ぎ落とした先にしかない』
その言葉は、優しさよりも深く彼女の魂に刻まれた。
帝国という強大な脅威を前にしても、己の掟を貫き、冷たく、美しく戦う彼の背中。
いつかあの背中に並びたい。この空を、帝国にも……誰にも侵させないほど速く飛び、あの冷たい瞳に自分を映したい。
それが、彼女が空を飛び続けた唯一の理由であり、密かな、けれど何よりも強い誓いだった。
━━━それから数年。帝国はますます領土を広げ、ルキウスのような「聖者」が大陸各地の異端者達を排除し始めていた。
そのため獣人国は存亡の危機に立たされ、スレインは人間を監視する「目付役」となったのだ。
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フィオナが膝をつき、見上げる先のスレインは、かつてと変わらぬ冷酷な貌で自分を見下ろしている。
だが、その貌の裏にある「芯」の変化に、彼女だけが気づいていた。
「……っ、ハァ、ハァ……。なぜ、スレイン……。なぜ、その男のためにそこまで……っ!」
スレインは鞘に剣を収め、アッシュの隣で平然と言い放つ。
「……フィオナ。私は変わってはいない。この男はただの『監視対象』だ。生かしておくことが、絶対者の命を受けた私の任務だ」
スレインの言葉には、一片の迷いもない。
けれど、フィオナは確信した。
かつての特別訓練で、独りで帝国軍を翻弄していた彼なら、他人と呼吸を合わせるような真似は決してしなかった。
今の彼は、自分以外の存在を、当然のようにその戦いの中に組み込んでいる。
本人は無自覚なまま、掟よりも重い「何か」が、彼の剣に新しい熱を宿している。
「……ふん。相変わらず、自分の心にさえ嘘をつくのね」
フィオナは力なく笑い、天を見上げた。
帝国という強大な「正義」が世界を飲み込もうとする中で、スレインが選んだこの「歪な絆」こそが、かつてのどの掟よりも、ずっと強固で、揺るぎないものに見えた。
「……行きなさい、スレイン。私は負けたわ。……でも、勘違いしないで。貴方のその『無自覚な甘さ』を、私がいつか正してあげるんだから」
彼女は翠の翼を畳み、静かに道を開けた。
かつての誓いは、形を変えて彼女の胸に残る。スレインと同じ空を見上げるために、彼女もまた、自らの「速さ」の正体を探し始める決意を固めていた。
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