スライストの微笑み
程なくして紳士の礼をしたスライストが、ミカヌレの隣に座りクルルに向き合った。
「お久しぶりですな、伯爵。私が体調を崩したせいで長い間ミカヌレに会うことが叶わず、気を揉んだことでしょう。これからはいつでも会いに来て下さいね」
完璧な笑みで心にもない言葉を発するスライスト。
それは無理もないこと。
ミカヌレが公爵家に嫁いでから今日まで、一度たりとも訪問がなかったのだ。完璧な嫌みである。
「……それはありがたいことを。ホホッ、心遣いに感謝致します。公爵がすっかり回復され、安堵しましたぞ」
スライストの牽制にも負けず、何とか返答をするが分が悪い。真意が読めずに、背筋が寒くなるのを感じる。
(まさかと思うが、ミカヌレが俺から送り込まれた隠密だと知っているのか? 普通ならば隠密だと暴かれた瞬間に、無事では済まない筈だが……)
張り付けた笑みを崩さないスライストの意図が読めず、困惑だけが脳裏を目まぐるしく駆け抜ける。
そんなクルルを他所に、溺愛を強調するかのようにミカヌレの腰に手をまわし、密着するスライスト。まるで彼女を守っているかのようだ。
「貴方のお陰で、彼女と会えたことは望外の喜びだ。それだけは先に礼を言っておく。
だが……分かっていると思うが、ブルーベルのことは別の話だ。いくら発育が良くても12歳の子供に30(歳)を越えた大人が、薬を盛って不埒な行動に及ぼうとするとは。それに……少し調べただけでもご子息は、複数人の女性を毒牙にかけていたようだ。
まさか今さら、知らないとは言わないだろうね。恐喝や金銭、または偽証までして裏から手を回し、表面化しないようにしていたのは貴殿のようだし。余程大切なのだろう?」
「くっ……(全部、知っているのか? まだ事件から2日も経っていないと言うのに) 」
唐突に確信を突き付けられ、ぐうの音も出ない。けれどここで諦めればピスタテルだけでなく、クルルもその責で罪に問われるだろう。隠蔽の手をまわす前に、被害者の伯父であるスライストから詳らかにされてしまった事実。
出来ることは限られる。
クルルには既に、交渉するしか選択肢が残されていないのだ。
まさか不仲だと聞いていた弟の娘のことで、ここまで圧をかけられるとは、考えてもいなかった。
(家の隠密達は、今まで何をしていたのだ。詳しい情報一つ得ることも出来なかったのか? それとも裏切った……のか?)
ワッサンモフ公爵家に入った異物など、レイアーとタバサによって、瞬時に仕分けが行われている。例の服従か死かのやつだ。
ミズーレン伯爵家の隠密生活は、完全な線引きがある。支配と隷属。大事な者を人質にされる昔からある逆らえない方法。
逆からすればそれをなくせば、柵からは簡単に外れると言うこと。
伯爵家の隠密達の多くが、自ら望んで寝返っていた。無能な貴族が上官であるその仕組みは、既に支柱がぐらついている。
沈黙が続く室内で、スライストが言葉を発した。
「こちらの条件を飲めば、ある程度の譲歩をしても良い。全ての罪を暴露すれば、いくら貴族と言えど終身刑。悪質と断じられれば死罪もなくはないだろう? 逃走すれば……貴殿の家族ごと粛清の対象になる。もっとも貴殿にとって妻や娘など、切り捨てて良い対象なのだろうがな。でも考えてみると良い、その妻の方がクロダイン公爵に血が近い。捨てられるのは、貴殿と子息だけかも知れないぞ」
今さらのように思い出す事実。娘のいない彼は半ば無理矢理、後妻タルテと番わされた。先妻ジルミとは真逆の禍々しい女。クルルが不在の時に、幼いピスタテルを虐めまくっていた憎き者。護衛達はクロダイン公爵の姪であるタルテに逆らえず、クルルに打ち明けられなかった。
分かったのは偶然に、ピスタテルの体にある傷を見つけたからだ。目立たぬ背や尻に体罰を与えていた陰湿さに、目の奥が煮えたぎる気がした。
まだ6歳のピスタテルが「僕が悪い子だからなの。お父様ごめんなさい、うえ~ん」と、タルテに言いくるめらえて黙っていたことも発覚。
息子を強く抱きしめて、この子は俺が絶対に守ると誓ったのはこの時だった。ピスタテルの女性軽視はトラウマも交ざっていた。
だからこそ、クルルは訴える。
「俺のことなら、どう扱っても恨まない。だからピスタテルを助けてくれ。ミズーレン伯爵家など、潰れても問題ない。全て捨てても良いから、頼む!」
スライストとミカヌレは、顔を見合わせた。クルルに嘘はないように思えたからだ。
二人は計画にあがっていた、案の一つをクルルに提案する。
それはクルルが言う通り、父子の身柄以外全てを捨てる厳しいものだった。
けれど彼は何度も頷き、「それで頼みたい。それならば、暗殺者の手も届かないだろう」そう言って頭を下げながら。
数日後、クルルとピスタテルは姿を消した。彼らの荷物や資金はミズーレン伯爵邸から消え、被害者には謝罪の手紙と慰謝料が届いたと言う。
痕跡も残らぬ状態から、父子は罪を償う為に命を絶ったのではないかと噂が流れた。
女医のベザナは「死んで逃げるのは卑怯だ」と叫んだが、ピスタテルの生い立ちを聞いて少しだけ泣きそうになっていた。
医師である彼女は、虐待されていた幼いピスタテルを思ったのだろう。
彼のしたことは許せないが、虐待された子供が全て罪を犯すことはない。環境や性格、いろいろなことが関連する。
彼女は思った。
トラウマも加味した上で、償って欲しかったと。
けれどこれは内輪だけの話で、公にはピスタテルの過去は明らかにされていない。それどころか罪のことさえ不起訴となり、世間は何も知らないのだ。
ミズーレン伯爵家はタルテが臨時当主となり、クルミナが継承するまで実権を握ることになった。はっきり言って大荒れである。
母親の暴走の後始末をクルミナが担う、地獄の日々が始まった。けれど自ら采配する行為は、少し楽しくなっていくのだった。
その頃。
死んだと思われたクルルとピスタテルは今、西の国ニズラッシェリルにいた。




