引いて。惹かれて。 3
「日差しが強いな……」
江ノ島は一つの観光地と言えども名所が多いわけではない。多いかもしれないが、果たして女子高生にウケるだろうかと問われれば、微妙な返事をしなければならないのは確かだ。散策は三十分程行われたが、何か特別興味深いこともなく、そのまま江ノ島を後にした。
そして現在。
江ノ島付近の海岸に来ている。集合時間は四時だから、移動時間も含めておおよそ一時間の暇がある。とは言っても、海にいられるのは電車の来る時間を考えればほんの二、三十分だ。
「ごめんね、これっぽっちしか時間作れなくて……」
「いいんですよ、別に。それよりもほら。一緒に海に行きませんか?悠々自適に楽しみましょう!」
「俺はそこで見てる」
砂浜と歩道をつなぐ階段を指差す。
「えー!なんでよ!」
「言ったろ。俺は海が好きじゃねぇ」
「別に海には入らないよ!」
「それでもだ」
こいつはなんでそこまでして海に入れたがるのか。
「とにかく、俺は何を言われようが波から少なくとも5mは離れたところにいるからな」
「……わかったよぉ。海イベントはまた今度かぁ」
「あっても行かねえからな」
というかなんだ海イベントって。
「じゃっ。私たちは行ってるね!!」
女子三人は鞄を階段に置いていくと、一目散に海へと駆け出した。
「俺は貝探してくるわ」
…来栖は意外と乙女らしい。
「僕は是非とも行きたいですね。その海イベント」
冷泉がうずうずとした口調で言う。
「……筋肉だろ」
「ええ。筋肉です」
「お前は海に行かないのか」
「海もいいですが、こうやってただ何もしないのもいいものです」
この浜辺もおそらくあと一ヶ月もすれば観光客でごった返し、海の家で賑やかになるのだろうが、今はそんな片鱗など全くない。
「まるで枕草子だな」
「達観してますから」
だいぶ気に入ったようだ。
「海イベントまで僕は待ちますよ。肉体美を披露できる唯一の場ですし」
「鏡の前と何が違うんだか」なんとなく話とんでる気がする
「人に魅せるわけですから」
「お前はそっちの見せるなのか」
「そういう貴方はどうなのです?海イベント」
「お前も聞いていた通りだ。行かねえよ」
「海が嫌いなんでしたっけ?」
「そうだが」
「そうですか」
冷泉はフッと笑った。こっちを見たその目の奥は笑っていなかった。
「……自販機行ってくるが、お前はなんかいるか?」
「お供しましょうか?」
「鞄はどうするんだ」
「おっと。そうでしたね」
「で。いるか?」
「ではご厚意に甘えさせていただきましょう。お茶をお願いします」
座っていた階段のすぐ近くに自販機があるわけでなく、少し歩かなければならない。俺は別に冷泉に対してツンデレというわけではなく、優しさの欠片を見せたわけでもない。
あの目は、表情は、今までと何かが違かった。いつもの感じではなく、どこか俺の奥底を覗こうとするような、否。覗かれたような、そんな気がする。
早い話、逃げてきたわけだ。
正直あいつは得体がしれない恐怖がある。単なるホラーというよりも、テラーに近しい類の恐怖がある。
ある意味、直感的な土御門の言う達観は間違いでないのかもしれない。
達観というより、見透かすように感じたが。
もしかしたら全てを知っているのかもしれない。俺の知る全ても、俺の知らない全ても、知っているのかもしれない。
兎にも角にも、俺はあの場を逃げ出す口実が欲しかったわけで、自販機へと向かっているわけだ。
遠くから見ると、波際で遊ぶ学生数名と、一心不乱に砂浜を駆け回る学生一人。
だいぶ異常だ。
「……まあ、あと少しの辛抱だ」
ただでさえよくわからない呪いをかけられたうえ、いかにも青春真人間なグループに無理矢理入れられる始末。初日に望んだ安寧はどこに行ったのだろうか。
遠いように思えた自販機もいつの間にか目の前で、やはり考え事をすると盲目的になる。
「っと、あいつは水だったな」
ガコッと水が出てきたとき、
「やあ」
後ろから声がした。振り返ると黒いローブにスッポリと包まれた誰かがいた。顔までフードで隠れていて見えない。
「……どうかしましたか?」
怪しいの一言に尽きる。
「君は現状が楽しいかい?」
「は?」
「今に満足しているかい?」
ウキウキした声で聞いてくる。アルトがかった声のため性別すら不詳だ。
「……いきなりなんですか」
「いいからいいから」
怪しすぎて答える気にもなれないが、答えなければ返してもらえそうにもない。
「そうですね……。まあ満足か不満足かで言えば満足ですね」
自分で言っても驚いた。
確かに、鬱陶しいやつが増えた。周りが騒がしくなった。クラスメイトの一部にはあらぬ誤解を受けていたようだが、それでも話すやつがいる。
二択なら満足。
選択肢が増えるならば知らないが。それでも満足っちゃ満足かもしれない。
「そっか。……そっかそっか。そっかそっかそっかそっか、へえそうなんだ」
何度も頷きながら言う。
「で、何なんですか?警察呼びますよ?」
「君とは仲良くできそうだったんだ。ものすごく、とてつもなく残念だ……。もしかしたら共有できていたかもしれない。共感できたかもしれない。競争せず、共走できたはずだ。……本当に惜しい」
そう言った刹那、懐から小瓶を出した。
瓶は目の前で割れて、中から何か黒い粉末が目の前を覆う。
「ッ!?」
驚いて思わず目を瞑る。
「何しやがる!!」
「君という存在を憎まなければならなくなってしまった」
声が聞こえるが方向がつかめない。
どこからともなく風が巻き上げる。風鳴りが激しく、負けじと声を張り上げる。
「憎むってどういうことだ!!」
目を開けてみてもまだ目の前は真っ暗だ。
「率直に言おう。君にはとある呪いをかけた」
一瞬、音が止まった気がした。
何言ってんだ?
「一つ忠告しておこう」
声にどこか喜びが混じっている。
「期限は文化祭までだ」
「また会えるといいね」
こう聞こえると視界が一気に晴れた。
急な日光が目の奥を刺激してくる。
一面が白くて何も見えない。
ぼんやりと、だんだんと輪郭がはっきりとしてきた。
「……呪い……だ?」
理解が追いつかない。
つい一ヶ月前に受けたばかりの呪いに加え、また呪い?
しかも知らないやつに、あって間もなく。
……落ち着け。
冷静に考えろ。
並列に処理しろ。
……俺があいつの質問───現状に満足かという質問───に答えると、あいつは『憎むべき存在』として俺を呪った。
無差別的な攻撃ではないはずだ。あいつの発言を思い出してみると、『仲良くできそう』と言っていた。とある時点での俺を知らなければそんなことは言えない。
しかしながら、そんな接点など今までなかったし、それこそ他人と仲良くしようなんて思ったことなどなかった。
「どうしてこうも……」
面倒、という言葉を飲み込む。
時刻は三時半前だ。
……とりあえず戻ろう。
その後、俺はどうしていたのか詳細は覚えていない。
鋭い冷泉には何かあったのかと心配されたが、適当に返事をしたはずだ。
家への帰りの電車の中でもずっと俺にかけられた呪いについて考えている。
あのとき、土御門の巻き添えを食らったときは、一応おまじないという程だった。
おまじない。
呪いとは対照的でいて同類。
それは自己を保護するために使われるもの。
しかし、今回は明確に、はっきりと呪いだ。
かけた張本人がそうと断言していた。
他者を攻撃するために使われるもの。
もしかしたら「呪い」という単語のみのハッタリで、俺の杞憂という可能性も否めない。
否めないが、果たしてあんな芸当、相手の視界を奪うなんてことをするやつがハッタリ如きに「呪い」という物騒な単語を使うだろうか。
さらに気掛かりなのは期限があるということ。文化祭までと言っていたが、それを過ぎるとどうなるのか。
呪いというのがどういったものなのか全体的に要領を得ないため、その危険度というのを推し量ることが難しい。そもそもどんな呪いをかけられたのかさえもわからない。呪いとは言うが、そんなもの専門外もいいところだ。常識を生きてきたこの身にとって、非現実的で空想的、錯覚的で虚像的な存在でしかない。
……専門か。
そういえばそうだ。あいつは、土御門は呪いの専門家じゃないか。
いささか気が引けるが、相談するか……。
本当は相談などしたくない。
心配をかけたくないだとか、そういう類でなく、単にあいつに言うと絶対に、ほぼ百パーセント揶揄われる。
『えー!!あの賀茂くんがぁ!!私に?!相談!?明日は大雪だ!大槍だ!隕石だ!』
という具合に。
……まあ気にするほどでもない。
事実、呪いをかける肝心の『儀式』というものがなかった。土御門のぼんやりとしたお呪いでさえ儀式が必要だった。ましてや俺という特定の人間に呪いをかけるのなら。それも攻撃的な呪いをかけるのだとしたら、さすがにその儀式とやらは必要なはずだ。
それとも儀式なしで呪いをかけられるほど呪術文化というのは発展しているのだろうか。
……やっぱ相談するしかねえのか。
どうしても素人……というか一般人だと知っていることに限界があるため、全てにおいて憶測の域を出ないため、どれだけ推察を重ねようが、結局土御門に帰結してしまう。
まあ、気にしていたって仕方がない。
第一、その呪いの効果とやらもよくわからない。それならばかかっていてもかかっていなくても気付かないだろう。現に、土御門の呪いだって正直どんな効果があるのかいまいち、というより全く実感がない。
なるようにはなるかもしれないが、期限付きというのが不安を大きくしている。
……あれ。
俺はなぜ不安になっているんだ?
ストックがあと一個。
ちょっとピンチ。




