引いて。惹かれて。 1
造囂〈なかま〉
造られた、うるさいもの。
運命、というのはこの世に存在するのだろうか?
例えば、分子の間にはクーロン力が働いているが、簡単に言えばそれは電気の力だ。
そんなものが人間の間にも働いているとしたら。
まだ発見されていないだけで、人と人、人ともの、人と事象が互いに互いを引き寄せ合うような、そんな力がこの世にはあるのだろうか?
残念ながらあると断定はできないし、否定もできない。いずれにせよ断言するにはそうと言えるだけの根拠が必要だが、それはあまりにも少なすぎる。
たとえあったとしても、それは本当に運命かどうかわからないだろうし、それこそ「これが運命だ」と断定できるような定義があるとすればそれは運命が存在するということを支持してしまうため、この話は根底から覆るわけだ。
大抵、運命という言葉は確定事項であるかのように使われる。
「これは運命だ」とか「運命がそうさせた」とか。
もしその通りに確定事項、すなわち必然性が存在するのならば。
例えばの話。
イギリス国内で運命の人と巡り合う確率というのはドレイク方程式を用いれば0.0000034%らしい。しかし、必然性があるのであれば、確率というよりもただ一つにしか決まらないものなのではないだろうか。それが意味するのは世界が運命で回っていて、決まったエンディングに向かうだけのいわゆるRPG的なものであるということ。
それとも運命が存在するのは個人の選択の場合のみだろうか。それなら複数のエンディングの中から、数多の選択肢から、道はただ一つだと信じ込まされながら知らぬ間に分岐路を歩いているということになる。
結局のところ、運命が存在したところで、それはもう避けようのないことなのだから、こんな話をしてもどうしようもないだろうが。




