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第二話


 朝の光が、薄暗い木造の宿屋の窓から差し込む。まだ気怠い眠気に囚われた意識の中で、サノスは目を覚ました。

脇腹と鳩尾がかすかに痛む。徐々に取り戻してきた思考で昨晩の事を思い出す。そうだ、自分は殺されずに女に連れ去られた。カチ、カチ、と規則的な音が耳を打つ。音のする方へ顔を向けると、女がいた。



 昨晩出会ったあの女は静かに、剣を磨いていた。金糸のような髪が朝日の中で光を帯び、磨かれる刃が淡く反射する。その所作は完璧に無駄がなく、美しい。彼女の動きのひとつひとつが、空気を張り詰めさせる。息をするのも忘れそうだった。


「起きたか」


 こちらに視線だけ寄越した女に向かって、サノスは口を開いた。

 

「……名前、何ていうんだ?」


 女は振り返ることもなく、淡々と答えた。

 

「シャノア」


 その一言だけだった。しかし、サノスの心の内はじんわりと満たされたのを確かに感じた。

 もっともっと彼女について知りたくて、胸が騒いだ。ただ、この女の背後に広がる静謐さの前では、問いかけも軽薄に思えた。


 だが、気になるものは止められない。

 

「どこからきたんだ?」


「……」


「剣はどこで習った?」


「……」


 帰ってくるのは沈黙のみ。名前以外を教える気はなさそうである。


「この鍵、何なんだ?アンタ知ってるんだろう」


「……知らないのか」


「物心つく前から俺の首にはこの鍵が掛けてあった。きっと親との繋がりって呼べる唯一の物なんだ。教えてくれよ」


 少年のすがるような声音に、シャノアはため息を吐く。


「大事になさい。間違いなくあなたが親から貰った物だから」


 ほんの一瞬だけ、言葉の端が震えた。それが憐れみなのか、懐かしさなのか、彼には分からなかった。


「そうか、そうなんだな……わっ」


 鍵を握りしめて年相応の笑みを浮かべたサノスのクシャクシャの金髪が、突然撫でくりまわされた。驚いて目を上げると、少し口角の上がったシャノアと目が合う。そしてずい、とこちらに差し出されたのは、半分になったパン。その手は、思っていたより温かかった。


「子供なんだかららしくしていなさい」


「俺に、くれるのか……?」


「当たり前でしょう。餓死されては困るわ」


 涙が自然と溢れ出た。今は亡き、わずかな食料でも全て半分こにして分け与えてくれた姉の姿が重なって見えた。

 姉弟は貧民街で金もなく金を手に入れるためには盗みを働かなければならなかった事、孤独と恥辱に塗れた生活も、姉のためならいくらでも耐えられた事。その姉も昨年亡くなってしまった事。そんなことが口から溢れ出ていた。胸が痛くなると同時に、気持ちが、言葉が堰を切ったように止まらなかった。

 そして、否定も肯定もせず、ただ受け止めるシャノアの目には、非難も怒りもない。


 涙を流しながら手元の半分に分けられたパンに齧り付く。彼の心はぐちゃぐちゃだった。怒りも、悔しさも、哀しみも。シャノアに感じた畏怖も、尊敬も、全てが入り混じり、熱を帯びた。


 

 目の前の女の存在が、この世すべてを凌駕していた。

 何もかもを投げ打ってでも、彼女の背中を追い続けたい。彼女はもっと光り輝くべき人間だ。そう、強く思った。胸の奥に、確かに火がついたのを感じた。



 


 宿屋の扉の外では、眩しいくらいの朝日と、心地よい風が早朝特有の澄み切った空気を演出していた。

 

 シャノアは、剣を磨き終えると、鞘にしまい、長靴を履き、壁に掛けてあった赤の外套を羽織ると、何も言わずに立ち上がった。

 サノスはその後をついて行く。魂の赴くままに。



 

 その長い長い旅は、こうして始まった。


 


 

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