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3-2

 

 ここは、どこだろう。

 暗くてなにも見ることができない。

 私が闇の中にいるのか、闇を目前としているのか、それとも、ただなにもないのか。

 けれど、その闇は、夜の闇のようにそこになにが潜むかという恐ろしさはなく、どちらかと言えば、宇宙のような広がりを持つ闇。

 透かしてみようとしても、その向こうはわからない。手を伸ばしても、もがいても、その手すらあることがわからない。

 ただ闇の中で微睡んで、身を委ねる。

 すこしして、眼前が歪む。

 豚のような大きな鼻、禍々しい緑色の目、ナイフのような牙がびっしりと生えた口が全身の半分を占め、ムカデのように無数の足が蠢く怪物。

 それが、いつの間にかそこにいた。

 一寸先も見えない闇の中なのに、その全身が漆黒の柔毛に包まれていることすらはっきりと見える。

 鋸のような鉤爪の両手で頭を挟まれる。

「    」


   ***


「うわあっ!」

 私は声を上げて起き上がった。

 バクバクと打ち鳴らされる心臓を抑えて、荒い息を吐いた。額に浮かんでいた脂汗をぬぐう。

(なんだったの……今の夢)

 シャーっと目の前を遮っていたカーテンが開かれ、どこか見覚えのある白衣の女性が現れる。

「あ、起きたね。うなされていたみたいだから起こそうかとも思ったんだけど、怖い夢でも見た?」

 そういわれてようやく周囲に目を向けた私は、自分がどういうわけか真っ白なシーツとふかふかのベッドの間に寝ていたことに気づいた。

「あ……はい」

 怖い夢を見て目を覚ます、なんてさんざんやってきたけど、今回のはどこか毛色が違ったような気がした。

 もうほとんどその細部は思い出せないけれど、妙にリアルで、今まで出会った怪物と似た雰囲気を感じる、ただの夢。

 けれど、それは今までとは違って記憶の再生ではなかった。決して過去の出来事ではなく、肌に感じる恐ろしさ。

「ふうん。まあ体調が悪いと夢見もよくないよね」

「ここ、保健室ですか?」

「うん。私のことはまだ覚えてないかもしれないけど、春から赴任した養護の峰岸だよ」

 峰岸先生……そういえば始業式のときに体育館の壇上で見たような気もするけれど、赴任して一か月足らずの先生のことまで覚えきれてはいなかった。

「私、どうしてここにいるんですか?」

「あれ、覚えてないのか。君は特別棟の二階で倒れてたんだよ。見つけてここまで運んでくださった教頭先生にお礼を言っておきなさい」

 諭すような言葉にうなずく。

 それから先生は、体温計を差し出して、

「はいとりあえず熱計って」

 言われるままに体温計をセーラー服の襟ぐりを広げて脇に差し入れる。先生は私の顔を丹念に見ていった。

「顔色もよくないし、くまもひどいね。ちゃんと寝てる?」

「……あんまり」

「もう、遊んでるのか勉強してるのか知らないけど、成長期なんだから寝なきゃダメだよ」

 保健の先生としてはまっとうな注意だったけれど、そのどちらでもない私はあいまいにうなずくことしかできなかった。

 ピピピ、ピピピと脇の下で安っぽい電子音が鳴った。取り出して、先生に液晶に表示された数値を見えるようにして渡す。

「よかった、熱はないみたいね。でも油断しちゃダメよ。家に帰ってゆっくり休みなさい。夜は毎日八時間寝ること、わかった?」

「はい」と私は素直に返事をした。

「よし。いまちょうどホームルーム終わったくらいだと思うからこのまま帰りなさい。どうする? お迎え呼んだ方がいい?」

 気づけば壁の外は下校する生徒の声でざわざわと騒がしく、体操服姿の運動部が窓の外のグラウンドに繰り出し始めていた。

「いや、大丈夫です。親は仕事で家にいないですし、一人で帰れます」

「そっか。でも一度倒れたわけだしちょっと心配だな……」

 ちょうどその時私が返答をする前に、コンコンと扉がノックされて、先生はそちらに目を向けた。「失礼します」と言いながら一人の女子生徒が入ってくる。

 彼女はこちらを見て表情を変え、駆け寄ってきた。

「かさね!」

「杏子!」

 杏子は私のところまできて真っ先に首にかじりつくように抱き着いた。

「倒れたって聞いたからもうすっごい心配したんだよ~。大丈夫そうでよかった~」

「ちょっと最近眠れなかったから……。熱もないし大丈夫」

「も~、無理しないでね~」

「うん、杏子ももう帰り?」

「もちろん。かさねも帰れる~?」

 これに私が頷いたのを見た峰岸先生が口を開いた。

「二人は帰り道一緒なの?」

「途中までは」と私が答える。

 先生は杏子のほうを見て、

「じゃあちょっと悪いんだけど、彼女のこと送っていってくれない? おうちの人もいないみたいだし、一回倒れたから帰りも心配なのよ」

 杏子もむしろそれこそが自分の使命だとでもいうように快く「わかりました」と頷いて、足元のかばんを取り上げながら、「それじゃ、いこ?」と誘った。

「お世話になりました」

 廊下に出た私たちの耳に、閉まっていく扉の隙間から「お大事に」というきれいな声が聞こえた。


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