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2-1


「急げー。もう朝の会は始まっているぞ」

 校門の前で生活指導担当の先生が遅刻気味に登校してくる生徒を急かす声が響く。

 寝不足でだるい体をひきずるように歩く私は、その声を聞いても急ぐ気になんてならなくて、のろのろと先生の前を通り過ぎようとすると、見かねて先生も直接声をかけてきた。

「おい、走れ走れ。そんなんじゃ一時間目も――ん? お前、上岡?」

「……はい。そうですけど」

「真面目なお前が遅刻なんて珍しい。どうした、体調でも悪いのか?」

 そういえば、去年この先生の授業を受けたことがあったけれど、まさか覚えられているとは思わなかった。

 それも、『真面目な上岡』なんて。

「えっと……そうですね、少し」

「確かに顔色も悪いな。無理はしないようにな」

 確かに、教師からの覚えはいい方だという自覚はあったけれど、遅刻を多めに見てもらえるとは思ってもみなかった。

 これも少しずつ、変わっていってしまうのだろうか。



 あの日から十日ほどが経った。

 まるで昼下がりの悪夢のような、荒唐無稽で脈絡のない、ただただ恐ろしく信じがたい出来事。

 私は、それは何かの間違いで、ただ一時の思い込みだったと信じようとしていた。

 たとえ身体の傷は治ってもその痛みを忘れるわけではなくって、あの怪物の影はふとした拍子に私の前に現れて、その度にあの時の恐怖を再生する。

 もしもあの出来事が本当だとしたら、あの怪物と私の力は一体どこから来たのか。

 もしもあの出来事が嘘だとしたら、この痛みと鮮明な映像はどこから来たのか。

 たとえどちらでも、ただの中学生である私にはとうてい理解できないことばかりだった。

 あの日だけは疲れていたからか眠ることができたけれど、その翌日の夜からはあの時の夢を見るようになった。

 最近では夜に寝ることそのものが怖くて、日が昇り始めた頃にようやくうとうとするような生活になり、日常的に遅刻や授業中の居眠りを繰り返すようになってしまった。

 最近はクラスメイトの見る目が変わってきていることはひしひしと感じていて、よく話していたグループの子たちともあまり近づかない日々が続いていた。

 杏子だけは今まで通り接してくれているけれど、それでも頭がおかしいと思われるんじゃないかと打ち明けることができずにいた。

 幸いにもあれから同じような怪物は見かけていない。

 しかし、もう一度あんなことが起きたら、私は今度こそほんとうに狂ってしまうんじゃないか、そんな思いが頭について離れなかった。



 私が教室にたどり着いたころには、朝のホームルームは終わる直前だった。出席をつけてもらいにいく手間が省けたのは良かったけれど、私が教室に入るとすぐに、先生は私を呼んだ。

「上岡、進路希望調査持ってきた?」

「あ……忘れました」

 そもそも配られたことすら忘れていた。基本的に提出物の予定なんかは手帳に記録しているのだけれど、最近はそれすら怠っている。

「なんか最近ぼーっとしてたし、やっぱりか」

「はい、すいません」

「授業やってる先生からも言われてるぞ、『あの上岡さんが居眠りしてる』って。遅刻も多いしどうしたんだ」

「……すいません」

「すいませんじゃわからないだろ。体調でも崩してるのか?」

「ええと、最近少しねぶ――」

 返答の途中で視界の端を占めるものに気がついた。息を呑んで、窓の外に目が釘付けになる。

 手探りでつかんだ教卓を頼りに後ずさる。口からは「あ、あ……ああ、あああ……」と言葉にならない声が漏れ続けた。

 尋常でない様子の私を見て先生は心配そうに声をかけた。

「どうした!?」

「……ま、窓に……窓に……!」

 私が無我夢中に示すと、先生も背後を振り返って目を向ける。

 けれど、先生は明らかに『それ』を視界にとらえても、

「どうした? 窓になにがあるんだ?」

 うそだ……! あれが見えないわけがない!

 それとも、本当は見えるはずのないものなのだろうか。


 あの――窓の外で羽ばたく象のように大きな鳥は。


 馬のようにとがった口に、腕はコウモリのような皮膜を張った翼。伝承のワイバーンのような姿だけれど、妙に人間臭い顔でこちらをまっすぐと見つめていた。

 陽に照らされて、黒々と、さらにてかてかとした蛇のような質感がよくわかる。しかし、どういうわけか、翼だけはキラキラと光を反射する白だった。

 私は、「象」というのは動物園で遠目に見たことがある程度だけれど、おそらく、あれはその象よりも大きい。

 よくよく考えてみれば、そんな巨大生物が教室のすぐ外で羽ばたいていているのに、羽音の一つもしない、誰も騒ぎ出さない、なんておかしな話だった。

 私以外には見えないものなのか。

 私が作り出したものなのか。

「上岡、どういうことなんだ? 説明してくれ」

 間違いなく先生の声には訝しむような色が混ざっていた。

 私は、返答に窮して黙り込む。

 当たり前だった。説明できるほど状況が分かっていたらこんなに困ってなんかいない。

 眉根を寄せてこちらを見下ろす先生と、こちらを見つめながらホバリングを続ける怪物を交互に見た。

 それから、あの日の痛みを思い出して、私は踵を返す。

 廊下へ駆け出し、校舎の外――あの怪物の元へと向かう。


    


 昇降口へと続く階段を下りながら、私は考える。

 あれが、もしも私の見る幻覚なんかじゃなく、本当に、本物の怪物だったとしたら、先生もクラスメイトも、ひょっとしたら杏子も全員死んでしまうかもしれない。

 それは、嫌だった。

 私が、力を持っている私が、恐怖に怯えて震えていたせいで、日常が壊れてしまうなんて耐えられない。

 もしかしたら私は、このために、この時のためにこの力を手に入れたのかもしれない。

 私の世界を守るために。

 私の幸せを続けるために。

 全世界を救うなんて大それたことは言えないし、自分が望んで手に入れた力でもない

 それでも、あの時の私の力が本物なら、きっとあれを倒すことくらいはできるはず。

 今は、どんなに忌まわしくとも、この痛みの、この記憶の鮮烈さを信じる。



「あああああっ!」

 ダンッ!

 叫びを上げながら、私は力いっぱい昇降口の引き戸を開いた。

 校庭に出て、さっきまでいた教室がある辺りに目を向けると、その怪物は同じ場所で同じように羽ばたいていた。

 もうそれと私との間には壁の一枚すらないのに、そこからは何一つ音も聞こえず、まるでCG合成のような、飛ぶという結果のためにただ翼を動かしているとでも言うような、不気味な不自然さを感じた。

 十数メートルの距離を隔てて目があって、途端に足が止まる。

 震える身体を自分の腕で抱えた。

 やっぱり、あれは私を目的にしているのだろうか。

 それとも、私だけが見ることができたから狙っているだけか。

 そもそも、私の頭がおかしくなってしまっただけかもしれないけれど。

 たとえ、私があれを倒すことができる力を持っていたとしても、一人の人間として、あれが怖かった。

 その大きさも、その姿形も、その異質さも、どれもこの世の生き物とは思えなくて、ただただ恐ろしい。

 

 だけど、私は『みんな』を守ることに決めた。


 走ったわけでもないのに、息が荒い。

 見上げていた目の焦点が怪物から外れる。

 視界が白く狭まっていく。

 ずっと昔にそうしたことあるような、そんなイメージに合わせて、私は中心に手を伸ばした。

 ざあっ、と波が引くように私を包む白色が消えていったあと、私の手にはあの時と同じサーベルが握られていた。

 違うのはレイピアがないこと、それに鎧の装飾が一段と無骨になっているように感じた。

 それでも怪物退治には不足なし、と上空の敵を見据えた。

「キェエエエエエエエエエエエ!」

 ここまでノーアクションだった怪物は、私の変身とともにドラゴンよろしく咆哮を上げる。

 それに合わせて、私はあの時やったように地面を蹴った。

 どういう理屈なのかはわからない。ただ、あの日の私は間違いなく、確信していた。

 跳べば、飛べると。

 グラウンドを踏み台にした私は上空十メートルほどまで跳び上がり、重力なんてないかのようにそこで滞空する。


 なんとなく、わかった。

 これが私の見ている妄想だったとしても、現実に起きている非現実だったとしても、一つ確実に言えることがあるとすれば、たぶん、『できると思えばできる』ということ。

 あの怪物にしても、今まで羽音の一つも立てていなかったのはともかくとしても、こうして明確に存在を示しても教室内の彼らはまるで気づく様子がなかった。

 反面、なにもわからないままでも、覚悟さえ決めればこうして魔法のような力を扱うこともできる。

 日常と非日常は地続きのように見えて、その実明確な壁がある。

 その境界がどこにあるのかは、わからないけれど。

 


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