第四話 成人の日
悪夢を見てから数日経ち、キートは15歳の誕生日を迎える。
といっても、日中は普段と同じように過ごす。
いつもの様に半分寝ている状態でふらふらと井戸へたどり着く。当然アンリに冷たい井戸水を頭から掛けられる。
「ったく!今日でアンタも大人の仲間入りなんだからしゃきっとさなさいよ!」
「…おう。毎朝ありがとうな」
「あ、当たり前よ!キートよりもアタシのほうがしっかりしてるもの!」
こんなやり取りもこれで最後かと思うと、いつもは辛かった朝の恒例行事がほんの少しだけいいものに思えたキート。そして孤児院に来た頃からなんだかんだと世話を焼いてくれたアンリに感謝した。
昼間はゼベットのところで最後の仕事をこなす。事前に事務所の人達には、成人して辞めたら冒険者になることは伝えていた。みな、キートとの最後の仕事を惜しんでいた。よく一緒に仕事をしていたトマスやジャンは特にそうだった。
「キート、これ最後のお給金よ。それと、こっちも」
ジェーンは給料の入った革袋とは別にもう一つ革袋をキートに渡す。中には銀貨が数枚入っていた。普段の給料よりも多いくらいだ。
「ジェーンさん!こんなに貰えません!!」
「気にするな、キート。俺らからの餞別だ。冒険者は何かと入用だからな」
ガシガシと大きな手でキートの頭をなでるゼベット。他の大工たちも口々に激励の言葉をキートに投げかける。
「キート。あんた死ぬんじゃないよ。臆病なぐらいが冒険者には丁度いいんだよ」
心配した表情でこちらを見てくるジェーン。彼女の息子が冒険者やっていて亡くなったの知っているキートはその言葉をしっかりと受け取り大きく頷く。
「うし、そんじゃあキート。成人になったら恒例のアレ、やるか?」
「うぇ!?い、一応家でも用意してると思うんすけど」
「おいおい、ガキンチョどもの居る場所ででるモンなんか水と大して変わりゃあしねぇよ」
そう言ってしんみりとした空気を晴らすゼベット。ニヤニヤしながら手のひらサイズの小樽を取り出す。周りの大工たちもニヤニヤしている。いつも落ち着いた態度のトマスですら気味の悪い笑みを浮かべていた。若干名気の恐怖の視線をゼベッドの手元に投げかける人もいるが。
ディレーヴ王国では成人の儀式としてサベラ草という草を入れた酒を呑む習慣がある。
そして、度が強い酒ほどそれを呑み干すと、立派な男であるという証明になるのだ。そして、ゼベッドがキートに飲ませようとした酒は『竜の涙』。アルコール度数65%。因みに、酒を水で割れば割るほど軟弱な男とみなされる。
ジャンは2年前にその酒を生で呑まされた。未だにその時の記憶は忘れがたい。
「さぁ、呑め!商業都市デリアンだからこそ手に入る、レア物だ。コイツは高かったんだぞ~」
いつの間にかに出されたサベラ草の入った木のコップにとくとくと注がれる琥珀色の液体。小樽のせんを抜いた瞬間からアルコールのきつい匂いが漂っている。
「キート、名前ぐらいは聞いたことがあるだろ。『竜の涙』。酒に強すぎで酔うことの出来なかったある竜が、この酒を呑んであまりの酒精の強さに酔うことができ、嬉しさのあまり涙したと謂われる一品だ。ぐいっとイケ、ぐいっと」
キートは助けを求めるように周りを見渡すが誰もが、さぁ呑め!と意地の悪い顔付きをしている。先程までとは打って変わって、俺も呑んだんだからお前も呑め…とプレッシャーをかけ始めたジャン。
「だーー!!!分かりました!呑みます!呑みゃあいいんでしょ!!」
そう言って差し出されたコップを引ったくるように奪い、一気にコップの中身を呑んでいく。
瞬間、喉や胃袋を暴れまわる酒に思わず吐き出しそうになるが、根性で呑み切る。
喉が文字通り焼けているかのような熱さを通り越した痛みが走り回る。胃袋に到着したそれは、胃袋内を火の海にした。
おおぉ!!!とキートの呑みっぷりに感嘆の声を上げる事務所員一同。そして、熱さとも痛みともいえる感覚に、のたうち回るキートを見て爆笑するのであった。
□ ■ □ ■ □
「あ゛ーひどい目にあった…」
キートは未だにヒリヒリする喉を気にしながら止まり木の家へと帰宅し、いつも通りに事務室のハンスの所へと出向く。
「ハンスさん、今日の給金です」
「お疲れ様です。このやりとりも今日で最後だと思うと感慨深いですね」
「本当にお世話になりました」
そう、頭を下げるキートを優しく撫でるハンス。頭を下げているので、キートからは見えないが、普段の無表情とは違ってとても穏やかな笑みを浮かべていた。
「あの礼儀の欠片もなかった悪童が立派になりましたね」
「ハンスさんには迷惑かけました…」
顔を上げたキートはバツが悪そうに頬を掻く。
「私だけでなく、周りのありとあらゆる人々に迷惑かけていましたね」
「すみません」
そう言ってキートを見るハンスは意地悪そうな表情を浮かべており、キートはやっぱりこの人には敵わないと思うのだった。
「さて、そろそろご馳走も出来るでしょうし、パーティー会場へと向かいましょうか」
「パーティー会場ってそんな立派なもんじゃないと思いますけど。うちの食堂」
事務室まで漂ってくる夕餉の匂いに誘われるように、2人は事務室を後にした。
そして、2人を待っていたのは、テーブル一杯に美味しそうな料理が並べられた小さくも賑やかなパーティー会場だった。
長方形のテーブルの辺の短い方にある席、所謂お誕生日席に座ると、コップに入った酒がキートの目の前に置かれている。中には当然サベラ草が入っている。
「ほれ、ぐいっと一気にいったれ」
向かい側に座る院長アルが、手首を扇ぐ酒を呑むジェスチャーをする。それを見て僅かに苦笑するキートだったが、コップを手に取ると中身を勢い良く飲み干した。その呑みっぷりに周りから拍手が起こる。
「「「キート兄ちゃん、成人おめでとう!!!」」」
皆が声を上げて成人を迎えたキートを祝う。年少組は幼い子供特有の大きな声でお祝いの言葉を伝える。年中組、特によくキートがお世話した中には涙ぐんでいる子も居る。年長組はそんな子たちを慰めている。
止まり木の家の院長アルを筆頭に、ハンスを含めた孤児院の職員たちはキートが無事に成人したことに寂しさを感じながらも心の底から喜んでいる。中には隣の教会の神父とシスターもいる。シスターは目に涙を浮かべていた。
食堂に集まっている人々はみな、キートを支え、キートに支えられてきた。迷惑掛けたことや、子どもたちの面倒を見たこと。様々な思い出がキートの頭を過る。
「さぁ、みんな。こうやってキートと同じテーブルを囲んでご飯も食べるのもおそらくこれで最後じゃて、たくさん食べて話に花を咲かせるとよいぞ!」
アルがそう声を掛け、キートの成人を祝う宴が始まったのだった。
□ ■ □ ■ □
キートはご馳走で膨れたお腹を擦りながら、月を見上げる。彼は考え事をする時は、よく中庭にある井戸の側に来に登り月を見つめる。
年少の子どもたちが船を漕ぎ始めたので、宴はおしまいとなった。大人だけならまだしも、子供が多くいるのでへべれけに酔っ払う者もいなく、後片付けは恙無く終了した。
他の子どもたちはもう既にベッドで寝ているが、なんだか寝付けそうになかったキートはふらりと中庭に来た。彼がこの孤児院で一番過ごした時間が多いだろう中庭。ここには多くの思い出が詰まっている。
孤児院に来た頃は他人と顔を合わせるのが嫌でいつもこの木に登っては空を見ていた。
「あの時もこんな風に木の上にいたわよね」
「アンリ…」
既に気配を感じていたキートは特に驚くことなく、突然の来訪者の側へ降り立つ。
「前はあっという間に何処かへ逃げてったのに、今日は自分から近寄ってくるとは…」
「人を猫みたいに言うなよ」
アンリが幹を背にして座ったので、キートもそれに倣う。暫くの間、言葉が交わされることはなく、夜風に吹かれてざわめく葉の音だけが聞こえていた。
「なんかさ、初めて会った時のことを思い出すね」
「10年近く経つのか。早いな」
周りと馴染もうとせず、いつも1人でいたキートに他の子どもたちはあまり関わろうとしなかった。年長組の子たちは気にかけ声をかけるなどしていたが無反応で、扱いに困っていた。無論、孤児院に預けられる様々な理由あるわけで、人と関わり合いになろうとしない子供は少なからずいる。そんな子どもたちの心を開かせることも孤児院の役割だと、院長のアルは常日頃から言っていた。
そして、その理念を実践したのがアンリだった。
元々体が弱かった彼女の母は、彼女を産むとしばらくして他界した。その後、男手一つで育ててくれた父親も、病気で亡くした。そして、キートが来る半年ほど前に孤児院に預けられたのだ。孤児院の側に住んでいたこともあって、良く孤児院の子どもたちと遊んでいたので、すぐに孤児院に慣れ進んで仕事をするようにもなっていた。
そんな働き者でお節介焼きでもあったアンリが、いつも陰鬱とした様子のキートを気に掛けないわけがなく、院長の言葉通りに彼の心を開かせようと奮起したのだった。
「いっつもムスーっとしてこの木の上にいたよね」
「最初はなんて鬱陶しい奴なんだって思ってた」
「ひっどーい。心配してあげてたのに」
キートの昔を懐かしむような声に、怒っていることをアピールするような声色で答えるアンリ。けれど、表情はどこか楽しそうだ。
「俺がいくら無視しても毎日来ては、今日はこんな事があっただの面白いものを見つけただの1人で喋って満足したら帰ってくアンリを見て、変なやつだとも思ったな」
「無視されるの、結構辛かったんだからね?」
「その割にはいつもニコニコしてたけど」
「あれはアンタを不安にさせないためよ」
「けど、正直あの魔力垂れ流しの状態でよく平気だったな」
孤児院に来た当時は今つけている眼帯も無く、常時膨大な魔力を垂れ流していた。もちろん、アルが周りに被害が及ばないようにある程度緩和させてはいたが、完全に封じ込めてしまうとキート自身に害になるため、そこまでは出来ていなかった。
「そんなもん根性よ。それに、家族なのに怖がっちゃいけないと思ってたし。実際は私魔力抵抗力が普通の人より強かったからみたいね。院長先生が言ってた」
「まぁ、じいさんに魔力制御の技術を叩きこまれてたしな。この眼帯を貰って魔力抑えこんでからは、お前が他の子たち連れてきたお陰で1人になる暇もなくなった」
「お陰で他の子たちとも仲良く慣れたんだからいいじゃない」
「…ああ。お前の御陰だよ。ありがとな」
ボソリと感謝の言葉を呟くキート。照れているのか僅かに顔が赤くなるが、月明かりしか無い夜の闇はその変化を隠している。
「な、なんかキートが素直にありがとうとか言うと背中がムズムズする…。似合わないよ」
「うるせ。ほっとけ」
そう言うなり立ち上がり、大きく伸びをする。アンリも釣られて立ち上がる。前まではキートの方が背が高かったのに、いつの間にかに彼よりも視線が高くなったことに時間の流れを感じるアンリ。普通は逆よね、などと心でつぶやく。
「さて、そろそろ寝るわ。明日はもうここ出なきゃならんし」
「キートさ、デリアンから出てくの?」
「いずれはな。暫くはここで冒険者としてやってくよ」
「ゼベットさんのところで働けばいいのに。評判いいよ。みんなキートのこと褒めてる」
「あー、お前が働いてる料理屋、親方たちの行きつけだもんな」
今まで背を向けていた体をアンリへと向ける。
「俺は冒険者としてやっていく。これは俺がここに預けられた、いや、それよりも前から決めていたことだ。冒険者になって、世界を周る」
「キートは頑固だもんね。いくら私が言っても聞かない」
「悪いな」
済まなそうな顔をして頬を掻くキート。いつも溌剌としているアンリのしおらしい姿に少し戸惑い気味のようだ。
「絶対に死んじゃやだからね?か、必ず帰ってっ…く、くるんだよ」
そう言いながらぽろぽろと涙をながすアンリ。さすがのキートも慌ててそばに寄る。
「おいおい、泣くなよ」
「だ、だって、キートは私の家族だもん。もう、か、家族が死んじゃうのは嫌」
「安心しろ、俺がそう簡単に死ぬかよ。じいさんの教え子だぜ?」
「でもっ」
「大丈夫だ。キート兄ちゃんは強いからな!」
年少の子どもたちをあやすようにアンリの頭をなでる。
「こんな時だけ年上振るな。私よりもダメダメのくせに…」
「っは。余計なお世話だ」
「…私よりチビのくせに」
「もっと余計なお世話だ!」
自分の頭より、わずかに高い位置を撫でていた手でアンリの頭を叩く。
「痛い」
「そんだけ口が回れば大丈夫だろ。ま、デリアンから出てっても時々帰ってくるよ、心配すんな」
おやすみ、と手をヒラヒラさせながら自室へと戻っていくキート。キートが去っても暫くその場に留まるアンリ。キートとの思い出の木を眺めながら、これからは自分が最年長として子どもたちを引っ張っていこうと決心する。
が、それは今までと何ら変わらないのではないかと思い至る。家事は碌にできない、いつも寝坊寸前で起きる、最近でこそ落ち着いていたが、年少年中の男の子と混ざってイタズラする。そんな最年長を制御していたことを思い出す。止まり木の家に来た頃と比べれば遥かにマシではあったが、もう少し落ち着いて欲しかったなぁと思うアンリ。
なんだ、今までも私が最年長みたいなもんじゃない。むしろ、チビどもを煽動する輩がいなくなった分楽できるかも。
そう前向きに考えるもの、どうしても喪失感を感じずにはいられないアンリだった。
今日は黒犬異世界奇譚の1周年です!1年で20話…。かなりの鈍足ぶりです。読んでくださっている方々には申し訳なさと感謝の気持で一杯です。
遅速ですが、完結までは絶対続けますのでこれからも宜しくお願いします。