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女神と、悪魔と ―過去にある未来―  作者: 一ノ瀬 俊晶


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第十四話 ―― 雨と、滲み出るものと ――

 四人で、ダルシャを埋めた。乾いた土は硬く、掘るのに時間がかかった。

 石碑を守るあの家の傍に、墓を作った。

 女神を信じて死んだ男。その信仰が、もう空であることを、ダルシャは知らずに逝った。

 空の信仰――それを止める、四人の旅。

 真っ暗な洞窟を、灯りも持たずに、歩いているようだった。


 ガルドは、地下の石碑の傍らに、石箱を据えた。

 この結界が、ダルシャの代わりに、街を守ってくれるように。四人は、願いを込めた。

 リリアナが、魔導書に命を吹き込む。淡い光が、湧き上がった。


 その光に――石碑が、応えた。


 洞窟の全体が、柔らかな光を帯びて、呼吸するように、瞬き出した。

 壁を埋める、無数のノミの跡が。ひとつ、またひとつと、灯っていく。

 やがて、光は、ゆっくりと、リリアナへ、集まった。


『ふたつの力が、要る』


 耳からでは、なかった。刻まれた文字が、そのまま、頭の中で鳴っているようだった。


『その意味では、未完成。だが、未来は、完成している』

『信じろ』


「……聞こえた?」

 ガルドが答えた。

「いや。何も聞こえなかったが……」

 リリアナは、それきり、黙った。意識の輪郭が、まだ、あの光に溶けたままだった。


 三人は、目の前の少女を、見ていた。

 欠片が弾け、光が集まる、この少女は。

 いったい、何を、背負わされているのか。

 想像しようとした。だが、それは、続かなかった。


 四人は、洞窟を後にした。

 出口で、リリアナは、ふと、振り返った。

 石碑の文字が、一つ、また一つと、意味を紡ぎ始めていた。



 深淵の眼が、見開かれた。


 遠い乾いた街。オクラスの眼が、舐めるように這う。

 眼が、少女から、その傍らの僧侶へと移った。

 そして、止まった。


 器に、ひびが入っていた。


 隠匿の呪いの、奥の奥。封じたものを包む殻に、細い亀裂が、一筋。

「……いつから、だ」

 声は、誰にも向けられていなかった。

 深淵の暗がりが、ざわりと、揺れた。

 幾つかの影が、音もなく、動き出した。



-----


 先頭はヴァル、その後ろをリリアナとアゼル、最後はガルドが歩いていた。

 ヴァルには気配というものが無い。後ろを歩かれると迷惑なので、いつの間にか隊列の前に押し出された。


 四人は、次の地図が示すハイデラバード近郊の森に向かう途中だった。


 いつもおしゃべりなアゼルだったが、ダルシャの一件以来、まともな言葉が出てこなくなっていた。

「大丈夫?」

 リリアナが声を掛ける。

「ああ…」

 全く、大丈夫そうではなかった。みるみる顔が白くなり、ついには、後ろへ倒れかけた。

「きゃっ」

 リリアナがアゼルの後ろから抱き留めた。それを見たガルドが支えに入り、アゼルを背負って、わずかな葉陰へ運んだ。

 空は灰色に垂れ、木陰と呼ぶには、頼りなかった。


「ハイデラバードまでは無理だ。近くの集落か、民家でも何でもいい、とにかく休める場所に移動しないと」

「私が探す。あとを頼む」

 適任者のヴァルが消えていった。


 待つ間に、風が変わった。

 乾いた熱気の中に、ふいに、湿ったものが混じった。

 ぽつ、と音がした。

 乾いた地面に、黒い染みが一つ。続いて、二つ。

 雨だった。

 乾ききった土が、最初の一粒を吸い込むたび、むっとする土の匂いが立ち上った。何ヶ月も雨を待っていた、大地の匂いだった。

 リリアナは、木陰のアゼルに身を寄せ、雨を避けた。

 雨脚が、少しずつ、強くなっていく。


 その雨に紛れて、ヴァルが戻ってきた。

「すぐそこに、小さな町がある。宿屋も、あった」

 濡れた前髪を、無造作に払う。

「急ごう。すぐ本降りになる」

 ガルドが、アゼルを背負い直した。背中のアゼルの額が、汗なのか雨なのか、濡れていた。


-----


 町は、小さかった。

 名物も、見るべきものも、何もない。ただ人が、雨をやり過ごしながら、静かに暮らしているだけの町だった。本降りになった雨が、わずかな人通りを、すっかり拭い去っていた。


 宿屋に着くと、リリアナは一度、足を止めた。

 地面に、左手を置く。

 左手を中心に、青い陽炎が、波紋となって広がった。雨に濡れた地を、音もなく押し広げていく。宿の周り、軒下、雨に煙る通りの先へ。波紋は、ゆっくりと染み渡っていった。

 生き物の気配を、一つずつ、撫でていく。宿の主人。数人の客。軒先で雨宿りする、犬が一匹。

 魔物の気配は、どこにもなかった。

「……大丈夫」

 リリアナは、左手を地面から離した。

「近くに、魔物はいない」


 宿の主人は、ずぶ濡れの一行を、黙って迎え入れた。

 病人がいると分かると、奥の、いちばん静かな部屋を案内してくれた。


-----


 アゼルが眠る部屋は、世界が呼吸を止めたような静寂に包まれていた。雨脚は夜半に入って弱まり、カーテンの隙間から、雲間の月明かりが薄くこぼれていた。


 ぱちっ。


 傍らでアゼルを見守るリリアナは、紛らわせるように、小さな小さな魔法を、無意識に弄んでいた。


 ぱちっ。


 やがて、思考の輪郭が、ぼやけていく。こくり、と首が倒れた。リリアナは、椅子の上で、眠りに落ちた。

 ぱちっ、という音も、消えた。

 残ったのは、雨音だけ。

 ――いや。

 雨音の底に、別の音が、混じっていた。

 ぽた、ぽた、と。

 アゼルのひびから、黒いものが、滲んでいた。血のようで、血ではなかった。月明かりを、一切弾かない。ただ、黒かった。

 やがて、それはベッドの下で黒い溜まりとなり、床の僅かな隙間に染み込んでいった。



-----


「きゃあああっ」


 翌朝、アゼルの傍で目を覚ましたリリアナの耳に、悲鳴が届いた。

 左手を、床に置く。青い陽炎が、広がった。

 ガルドとヴァルが、部屋に飛び込んでくる。

「いる。人間? 動物? それとも魔物? どれにも当てはまらない気配が、一つ……あっち」


 三人は、宿屋を飛び出した。


 探知が示した先。雨の中、女が一人、地面に座り込んでいた。腰が抜けて、立てないのだ。その目は、一点に釘付けになっていた。声も、出ないようだった。さっきの悲鳴が、最後だったのだろう。


 女の、視線の先。

 男が一人、転がされていた。宿の客だった。腕が、あらぬ方向に曲がっている。だが、気を失ってはいなかった。失わせて、もらえなかった。


 その傍らに、それは立っていた。

 すらりと背の高い、痩せた体躯。頭の左右に、緩やかに巻いた角。背には、畳まれた薄い翼。肌は、月のない夜のように黒い。だが佇まいは、凜として、静かで、端正だった。


 長身の影は、ゆっくりと屈み込んだ。折れた腕を、両手で、そっと取り上げる。壊れ物を扱うような、丁寧な手つきだった。

「痛むだろう。すまないね」

 声は、穏やかだった。労わるように、優しくさえあった。


 その手から、温かい光が溢れた。僧侶の祝福と、寸分違わぬ光。折れた骨が、継がれていく。客の男の喉から、安堵の嗚咽が漏れた。

 影は、継いだばかりの腕を、満足げに眺めた。

 そして、また、握った。

 今度は、ゆっくりと、ねじった。

「もう一度。今度は、どこまで保つかな」


 穏やかな声のまま、影は微笑んでいた。

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