表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
女神と、悪魔と ―過去にある未来―  作者: 一ノ瀬 俊晶


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
13/19

第十三話 ―― 乾きと、戻らぬものと ――

 ヴィザグを出て、内陸へ入った。


 潮の香りは消え、乾いた土の匂いが立ち込めてきた。赤茶けた大地と、骨のように白く立ち枯れた木。唇はすぐに割れ、水筒の水が、みるみる減っていく。


 リリアナは、舌で唇を湿らせた。


-----


 その街は、乾いた大地の中に、ぽつりとあった。

 日干し煉瓦の家々が、肩を寄せ合っていた。井戸で水を汲む人がひとり、肌を陽に灼かれ、乾いた目をしている。かつては栄えたのだろう。崩れた石塔の跡、風化した彫刻が、街のそこかしこに埋もれていた。


 ガルドが、羊皮紙の地図を広げた。欠片の在り処が示すのは、この街の少し北だった。


 鎧の男が、こちらへ歩いてきた。胸に、十字の紋章。

 リリアナは、息を呑んだ。ガルドと同じ紋章だった。


「クルセイダーの、ダルシャだ」

 男は、四人をじっくりと品定めした。アゼルのローブ、ガルドの紋章――その真贋を確かめたところで、再び口を開いた。

「本物のようだが……変わった組み合わせだな」

 確かに、四人は異質な組み合わせだなと、ヴァルは妙に感心した。

「教団の聖務官の命で、地図を運ぶ途中だ。この者たちは、私の護衛だ」

 ガルドは、もっともらしい嘘をついた。


 ダルシャと名乗った男は、若かった。日に灼けた顔に、まっすぐな目をしていた。

 重苦しい空気を、アゼルがわざと、ぶち壊した。

「あぁ~もう、疲れた。休みたい。水飲みたい。死ぬ」

 ダルシャが、ふっと笑った。

「では、うちに来るがいい。ここには宿もないしな。怪しい者にうろつかれるのも、困る」


 その道中、ダルシャはよく喋った。女神への祈り。教団の教え。巡礼者たちを魔物から守る使命。その一つ一つを、迷いなく口にした。目が、澄んでいた。何ひとつ疑っていない声だった。


 ガルドは、ただ、その十字の紋章をしばらく見ていた。

 女神。教団。ダルシャが信じているもの。そのすべてが、今はもう、悪魔の手の中にあること。ガルドは、それを知っていた。

 告げるべきか。

 迷いはあったが、結局、声は喉の奥に消えた。


-----


 ダルシャが、食事を出してくれた。

 欠けた椀に、白い粥のようなもの。米を、ただ煮ただけのものだった。塩も、香辛料も、ほとんどない。

「質素で、すまんな。この街では、これが馳走でな」


「しかし、あれだな」

 ダルシャが、椀を配りながら、ヴァルを見た。

「お前さん、別嬪だな」

 悪気は、まるでなかった。澄んだ目で、ただ思ったことを口にしただけだった。

 ヴァルの手が、椀の手前で止まった。


「……は」


「いや、出会った時から思っていた。こんな別嬪が剣を振るうのかと、驚いた」


 まっすぐに、重ねてくる。世辞でも、口説きでもない。本当に、そう思っているだけの声だった。

 ヴァルは、口を開きかけて、結局、椀に目を落とした。こういう手合いが、いちばん困る。

 アゼルが、横で堪えきれずに肩を揺らしている。

「アゼル」

「なにも言ってませんよ」

「目が言ってる」


 リリアナは、一口、啜った。

 味がしなかった。これまでの旅で食べた、どの料理とも違う。辛くもない。甘くもない。ただ、温かいだけだった。

 だが、乾いた喉に、その温かさが染みていった。

 ヴァルも、ガルドも、黙って椀を傾けていた。誰も、何も言わなかった。味のない粥を、ただ、啜っていた。

 不思議と、それでよかった。


 リリアナは、ふと、気配を感じ取った。

 部屋の隅。深く沈んだ、影。

「あそこには、何があるの?」

「ああ、あそこには地下へ続く階段がある。先祖から、守れと言われている石碑があってな」

 先祖。石碑。

 まさか。

「見ても、いい?」

「構わんよ」


-----


 地下は、岩を削って造られた洞窟だった。壁には、無数のノミの跡が残っている。これを掘るのに、凄まじい手間と時間がかかっていることは、容易に想像できた。


 リリアナは呟きながら、周りを見渡す。

「不思議な気配は、この洞窟全体から感じられる。何か魔法がかけられている。きっと保護の魔法」

 入口の右手に、古代文字が刻まれていた。

 リリアナの指が、それをなぞる。読める。


 ――死者は帰らず。未来へ託す。


 その奥に、石碑が立っていた。腰の高さほどの、低い角柱。あのパトナの石碑と、同じ姿だった。

 リリアナは、夢中になった。記録帳を広げ、写し、注釈を加える。一行、また一行。乾いた地下に、ペンを走らせる音だけが響いた。

 半日。

 だが、リリアナのペンは、次第に鈍っていった。


 ヴァルが護っていた石碑とは、桁が違った。構文が深く、複雑で、いくつもの層に折り重なっている。一つの糸を追うと、別の糸が切れる。追えば追うほど、全体が遠ざかっていく。


「……だめだ」


 リリアナが、額の汗を拭った。

「これは、解ききれない。今の私じゃ、何年かかるか、見当もつかない」

 それでも、ただ一つだけ、はっきりと読み取れたものがあった。

「分かるのは、これが『復活』に関わるものだ、ってことだけ。死んだものを……たぶん、蘇らせる」


 リリアナは石碑を書き写しながら、ある違和感を覚えた。

 ――死者は帰らず。未来へ託す。

 この碑が「復活」を記しながら、死者は帰ることは無い、それを未来へ託す? 辻褄が、合わない。


 全文を書き取り終えた、その時だった。


-----


 悲鳴が、聞こえた。


 外へ出ると、街が混乱していた。

 崩れた石組みの陰。岩と見分けのつかなかったものが、ぬるりと動いた。

 巨大な、竜のような魔物だった。翼はなく、低く長い体が、地を這う。乾いた鱗が、岩肌と同じ色をしていた。だから、誰も気づかなかった。長く突き出た顎に、牙が並ぶ。額に、紋様。これまでの個体より、ひと回り大きい。

 低い体が、地を這うように突進した。太い尾が、日干し煉瓦の家を、横ざまに薙ぎ払った。


 ダルシャが走り出していた。剣を抜いて。

「女神よ……っ」

 迷いはなかった。逃げ惑う人々と、魔物の間に、身を投じる。剣を構え、竜の牙を受け止めた。

 ガルドが続く。ヴァルが炎を纏わせた――自分の短剣と、ガルドの剣に。リリアナが術式を組む。


 戦いは、速かった。

 だが、魔物の尾は、重かった。

 ダルシャが人々を庇って、前に出た――その時。

 牙が、ダルシャに食らいついた。


「っ……」


 ガルドの炎の剣が、魔物の額を断った。

 紋様が、砕けた。

 魔物が、崩れ落ちた。


 だが、遅かった。


 ダルシャは、倒れていた。脇腹を、深く抉られて。

 アゼルが、駆け寄った。両手を当て、祈りを込める。だが、その掌から、いつものような温かい、慈悲の光が発せられない。

 脇腹から大量の血が流れる。命が零れ落ちていく。掴もうとするほど、指の間から、零れていく。


「なぜだ、なぜ、この手が光らない」


 アゼルの額から、冷たい汗が流れ落ちる。

 リリアナは、何かを見た気がした。治そうとする手とは、どこか違う、何か。だが、それが何か、形になる前に、消えた。

 アゼルの顔には、必死さしか、なかった。

 ダルシャの唇が、動いた。


「……女神は、護ってくださる」


 澄んだ目のまま、ダルシャは、そう言った。

 信じて、疑わずに。

 そして、その目から、光が抜けていった。

 アゼルの手の中で。


 アゼルは、動かなかった。

 手を当てたまま、動けなかった。


 その時、崩れ落ちた魔物の亡骸から、光が零れた。

 水晶の欠片。ゆらゆらと宙を漂い、四人の前で、止まった。

 こんな時に。男が一人死んだ、その傍らで、欠片はただ、無慈悲に光っていた。


 弾けた。四人に、アゼルの記憶の光景が広がった。



 薄暗い、部屋。

 床に、人が伏せていた。痩せて、骨の浮いた手。荒い息。

 まだ若い、僧になりたてのアゼルが、その傍らに膝をついていた。両手を当て、祈りを込める。光を送る。送り続ける。


「お母さん、まだ行ったらダメだよ。一人にしないで……」


 顔色が戻らない。手が冷たくなっていく。

 それでも、アゼルは、光を送り続けた。何度も。何度も。


 伏せた人の手が、力なく、床に落ちた。


 若いアゼルは、その手を、両手で握った。冷たい手を。握って、握って、離さなかった。



 光景が、消えた。


 アゼルは、ダルシャの傍らに、膝をついたままだった。

 救える手を持っているのに。傷なら、治せるのに。ただ、見ているしかできない。


 リリアナは、何も言えなかった。今、流れ込んできたもの。アゼルが、誰にも言わずに抱えていたもの。それを、知ってしまった。

 胸元のペンダントを、握りしめる。

 冷たくなっていく手を、握って、離さなかった、若いアゼル。

 リリアナも、知っていた。瓦礫の下で、自分の名前さえ思い出せなかった、あの日を。握りしめても、もう応えない手のことを。

 蝶の翅が、手のひらに、食い込んだ。


 ヴァルは、少し離れて、立っていた。いや、近づけなかった。

 ダルシャの脇腹の、牙の痕を見ていた。それから、目を逸らした。

 水辺の泥の上で、冷たくなっていった背中を、ヴァルは知っている。何度揺すっても、応えなかった、あの背中。


 ガルドが、ダルシャの胸の、十字の紋章を、静かに見ていた。



 ――この人間の限界はどこだ?



 アゼルの握った手は、もう、温かくならない。

 あの時と、同じだった。


 アゼルの中の何かが、ぴしりと音を立てた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ