旅立ちの前夜
その夜、宿泊部屋のベッドの上で、アルスは腕を枕に、暗い天井を見つめていた。
恐らく長い旅なるだろう。それに対する不安も少なからずあったが、何より気になっていたのは、ソロのことだった。
話がまとまった後、アルス達はこれまでの旅の話や思い出話に花を咲かせ、とても穏やかな雰囲気に包まれた。流石、町の一等宿というくらい見事な料理も、笑い声が絶えず、ソロもその団欒を満喫している様子であった。
だが、アルスの眼にはどこか、ソロがこちらに気を遣っているようにも見えた。それはまるで、今にも萎れてしまいそうな花瓶の花が、残りの水滴で無理やりにその花弁を開いているような、そんな感じだった。
そんな事を思いながら天井を見つめていると、部屋の扉が開く気配にアルスは気が付いた。
「……ソロ?」
扉が音無く閉まると同時に聞こえた声に、呼ばれた少女の肩は一瞬ビクリと震えた。
ミーニャやダイガの静かな寝息の中、ソロは振り返ると、申し訳なさそうに苦笑をした。
「ごめんね、起こしちゃった……?」
ダイガ達を起こさないように、できるだけ小さな声でソロが言うと、アルスは微笑み首を横に振った。
「どうにも寝付けなくて。ここ、深夜も大浴場開いてるって、聞いたから、行って来ちゃった」
「そうか」
アルスは、そう言うと、少し間を空けて、再び口を開いた。
「なぁ、ソロ」
「ん?」
ソロが首を傾げると、アルスは剣の納められた鞘を持ち、
「久し振りに、一つ付き合ってくれないか?」
夜の港町は、まるで別世界のように静かだった。
紳士の様な外灯の明かり以外、建物の明かりはほとんどなく、細波の音が夜の潮風に運ばれて聞こえてくる。
町の外に出ると、そこにはいつしかの夜に見たような、緑の絨毯が遠くまで広がっていた。
果てまで、ぐにゃぐにゃと伸びる土の道を逸れ、草の床をしばらく歩いて行くと、アルスは「ここら辺で良いか」と足を止めた。
振り返り、後方を歩いてきた少女に、一本の剣を鞘ごと投げると、ソロはそれを手で受け止める。
鞘から少し剣を抜くと、銀色の光が月光を反射し、キラリと輝いた。
「その剣は、やっぱりお前が持っておいた方が良い。俺は、こいつだけで十分だ」
アルスはそう言うと、ソロと同じように少しだけ鞘から剣を抜き、金色に光る剣を見せた。
ソロとアルスは、剣が鞘から抜ける事のないよう、下緒をしっかりと柄に回して縛り、互いに向き直ると、ゆっくりと剣を構える。
海から風がビューっと音を立て、吹き渡り、その音が止むと、アルスとソロは一斉に駆け出し、夜の草原の中、2つの剣が交じり合った――
「やああああ!!」という、少女の高い声が上がると、勢いよく振り上げられたソロの剣に、アルスの剣が夜空の宙を回転し舞い上がる。
草原にアルスの剣が音を立て落ちると、アルスは悔しそうに声を上げた。
「あー、クソッ!」
勝負が決まると、ソロは剣の構えを解き、口元を和らげた。
「へへ、ボクの勝ち」
「結構良い所まで行ったと思ったんだけどなぁ」
アルスの剣の腕は格段に上がっていた。
以前であれば、30分と持たなかった剣戦は、1時間を越える程に及んだ。
ソロも危うく、アルスに剣を弾き飛ばされ、敗北を喫してしまいそうな場面が何度かあった。
アルスは、苦笑し頭を掻きながら、草原に落ちた剣を掴むと、その場に大の字になり、大きく寝転がった。
「アルスは迫られると剣の振りが大きくなっちゃうんだよ」
ソロがアルスの隣に座り言うと、アルスは、
「あー、確かにそうかもな。くっそぉ、豪快に振り過ぎなのかぁ」と苦い声を漏らした。
ソロとアルスは、顔を合わせ、互いにクスクスと笑うと、銀色に輝く空を見上げた。
月は完全な円となり、細かに散りばめられた星達の海に浮かび、地上から見上げる2人を優しく見下ろしている。
熱気を帯びた2人を湿り気の帯びた心地よい風が撫ぜると、アルスは薄らと笑みを溢した。
「なぁ、覚えてるか。ずーっと以前、お前とこうして空を見上げてたのを」
アルスの横で膝を抱えながら、ソロは、ゆっくりと頷いた。
「覚えてるよ。あの時も、こんな綺麗な空だったよね」
「こんな風に夜空を見上げたのは、そういや、しばらくなかったな」
アルスが呟くように言うと、ソロも、
「確かにボクもなかったなぁ。クエストを終えた後は、すぐに宿で寝込んじゃうか、酔っぱらった先生の面倒を見ないといけなかったから」
「そんなに酒飲みだったのか?」
微苦笑を浮かべるソロにアルスが訊ねると、ソロは大きく頷いた。
「本当にもう凄かったんだよ。ボクが折角稼いだ大金貨5枚とかが一夜で消えることだってあったんだから!」
「ダイガと良い勝負だな。こっちも、祝杯の時は出費がかさんで、かさんで。その度にミーニャとシエナの奴の怒声があがってた」
「アルスも2人に怒られていた側でしょ?」
「バレタか」
2人は声を上げ一笑をすると、再び穏やかな夜の静寂が2人を包んだ。
「あんまり、1人で抱え込むなよ」
アルスの不意の言葉に、ソロは驚いたように口を一瞬を開くと、嬉しそうに微笑み、頷いた。
「ありがとう。けど、もう大丈夫。先生と話す時間は、たくさんあったから」
ソロは立ち上がると、大きく腕を伸ばし、
「よーしっ。明日からまた頑張るぞー!」と声を上げた。
「だな」とアルスは、よっと、と体を起こすと、ソロに腕を差し伸べた。
「これからまた、宜しく頼むぜ。ソロ」
アルスがそう言うと、ソロも強く頷き、「うん!」とその腕をしっかりと握った。




