アルスとミーニャ2
朝靄が膜のように覆っている町から少し離れた丘の上。
一人の少女の元気の良い声が、静かな朝の中響いた。
「ダメです! もっと腕を振り上げてから下ろすんです!」
垂直に一本立った老人のような木の下で、聖剣を振って見せたアルスにミーニャが言うと、アルスは疲れ気味の声で不満を漏らした。
「だってこの剣、軽そうな見た目よりも、かなり重たいんだぞ」
まだ夜も明けない頃、旅の疲れでぐっすりと眠っていたアルスは、ミーニャの声で起こされた。
「さぁ、行きましょう」と天使のように微笑む彼女に、アルスが訊ねると、「勇者たる者、常に丈夫な体を心掛けなければいけません。健全な肉体は日々の鍛錬によって築かれるもの。さぁ、早速剣術の練習に励みますよ!」と少女は返した。
勘弁してくれ、とアルスは毛布に潜り込むも、ミーニャの終いにはポカポカと叩く睡眠妨害攻撃でとうとうその籠城は崩壊してしまった。
ミーニャに連れられるままに、この丘に来ると、鞘に納められた聖剣が差し出される。
「先ずは素振り、500回です」
そして、今に至る。
俺は一体何回この剣を振ったのだろう。
そもそもこいつはちゃんと数えているのだろうか。
そう思ったアルスは、唐突に賢者に訊ねた。
「なぁ、俺今何回振ったんだ?」
「346です」
(こいつ……しっかり数えてやがった……)
アルスは思わず大きくため息をつくと、ミーニャはムッとした顔をして、
「ため息をつかない! ほら、続けて続けて!」
このスパルタ野郎め、と胸の内のアルスはギュッと拳を握りしめ、諦めた様に再び黄金の剣を振り始めた。
太陽が空の頂上近くにまで昇った頃になると、ようやくミーニャの許しが下り、2人は宿へ戻った。
風呂場で汗を拭い、着替えを済ませると、食堂へ向かう。
食事はバイキング形式で、色取り取りのカラフルな料理がズラリと並んでいた。
アルスはトレイを取り、肉を中心とした料理を次々とよそうと、年頃の男性的な、赤々な食事となった。
一足先に食堂へ向かったミーニャを探すと、窓際の席で礼儀正しく座っている彼女の姿があった。
アルスは近づくと、思わず足を止めた。
ミーニャの目の前には山のようによそわれた料理が溢れんばかりにトレイの上に座している。
サラダは草原の丘のように盛り上がり、白飯は雪山のようにそびえたっている。
「どうかされました?」
呆れ驚くような目でそれを見ていたアルスにミーニャが訊くと、アルスは席につき、言った。
「お前って、案外大食いなんだな……」
それを聞くと、ミーニャはボッと湯立つように顔を火照らせ、すぐにツンとした表情で返した。
「べ、別に良いんです! このくらい食べないといざという時に動けないんですから!」
そう言うと、頂きますと急ぐように手を合わせると、パクパクと料理に手をつける。
アルスも料理を食べ始めると、ミーニャは、ハッと何かを思い出したように顔を上げた。
「アルスさん、午後についてなのですが」
アルスもその声に視線を向ける。
「実は"クエスト"というものにアルスさんに受注して頂きたいのです」
「クエスト?」
アルスが訊くと、ミーニャは頷き説明する。
「クエストというのは、一種の人助けのようなものです。この町に入った時、黄色い屋根の白い建物が入口付近にあったのですが、気が付きましたか?」
記憶の回路を辿り、思い出すと、漠然とそんな建物があったような気がした。
「あったかもな」
アルスが漠然と返事をすると、ミーニャは話を続けた。
「あそこがクエスト案内所という場所で、町の人達から寄せられた依頼を受ける事ができる場所です。魔物討伐や職人さん達の素材採集など内容は様々なのですが、アルスさんの勇者の器としてのレベルアップに最適と思うんです」
アルスは手を止めると、
「クエストかぁ。何にせよ、誰かの役に立てるんならやるに越した事はないな」
アルスの言葉に微笑むと、ミーニャは指を立てて注意を加えた。
「ただし、中には命に関わる危険なものもありますので、最初は私が受けたクエストのお手伝いという形でお願いしようと思います」
食事を済ませ、宿を再び出ると、アルスはミーニャに連れられ、町の門へと向かった。
てっきり、案内所に寄るのだと思っていたが、先方を歩くミーニャに、思わずアルスは立ち止まり声をかけた。
「案内所には寄らなくて良いのか?」
「大丈夫です。依頼はもう受けてありますので。依頼主さんとも話はつけてあります」
(一体いつの間に受けたんだ……)
町を出て、朝に歩いた草原を歩いていると、アルスはミーニャの左手の甲に記された、あるものに気が付いた。
見たこともない黄色の刻印。
村で見た、勇者の力に反応した刻印とは異なる紋様だ。
そして、杖を持った右手に目を移すと、勇者の方の刻印がローブから顔を覗かせている。
「どうかされました?」
「いや、お前、左手にそんな刻印あったっけ……?」
アルスが訊くと、ミーニャは自身の左手の甲を見て、「あぁ」と声を漏らした。
「これは"契約の魔法印"と言われるものです」
アルスが聞きなれないその単語を繰り返すと、ミーニャは歩きながら説明した。
「クエストを受ける時、受注者と依頼主のそれぞれにこの刻印が刻まれます。文字通り、約束の印みたいなものです。この刻印がある間は他の依頼を受けることはできません。刻印を外すには、依頼主に刻印を解除してもらうか、依頼を成し遂げるか、最悪の場合依頼主か受注者が死亡してしまうかのいずれかの条件が満たされなければいけません」
「中々シビアだな」
「厳しいですが、こうしたものがなければ、依頼主は依頼がいつ達成されるのかも不安になりますし、受注者も報酬詐欺に遭う可能性もありますからね。もし契約を破るような真似をどちらかが行えば、"破約の呪い"という罰を受けることになります。しかし、普通にしていればそんな心配はありません」
「なるほどな」
なだらかな丘状の草の絨毯が続く草原を歩いていくと、ミーニャは足を止めた。
「いました」
ミーニャが視線で丘の下にいる、あるものを示すと、アルスはその横で並び、そいつを見た。
草花の中、虎のような巨大な魔物が、ノシ、ノシと足音を立て歩いている。
鋭い目つきは村でよく見た、狼とは比にならないほどの凶暴な性格を表しており、ギラギラと光る牛の角のような犬歯が口元に見える。
魔物退治は村にいた頃も何度かやったが、あれほど巨大な魔物を見たのはこれが初めてだった。
「アルスさん、依頼内容はあの魔物を討伐することです。ここは旅人の通り道でもありますので、あの魔物のせいで、町の皆さんは困っていらっしゃるそうなのです」
ミーニャがそう言うと、アルスは首を横に振り、動揺しながら言った。
「待て待て待て、ビギナーにはあのデカいのはきついだろう!? 中レベルどころじゃないぞ、ボス級モンスターじゃねェか!」
アルスがそういうと、ミーニャはあの天使のような微笑みを向け言った。
「心配は要りません。私の見込んだお方なのですから、あんな魔物はパパッと倒せますよ」
「いや、そう言ってもだなぁ……」
「アルスさんには、神々のご加護があります。それに、聖剣も揃えば鬼に金棒じゃないですか。大丈夫です、万が一があれば私も加勢しますので」
ミーニャがそう言うと、アルスは渋い目で下にのさばる魔物を見下ろした。
「えぇい! こうなりゃ、なるようになれだ!」
アルスは投げやりにそう叫ぶと、丘を駆け下り、剣を鞘から抜いてその魔物に言った。
「おい、この犬っころ! 今からスパルタ賢者様のご加護を受けた、このビギナー勇者のアルス様が成敗してくれる! 覚悟しやがれ!」
その言葉に、ミーニャは思わず丘の上からアルスに叫ぶ。
「だ、誰がスパルタ賢者ですって!?」
アルスの目の前に立つ巨獣は、並んだ歯をちらつかせ、鼻先に力を入れて唸りながらアルスを睨む。
アルスも真剣な表情に変わると、剣を獣に向けて構えた。
何かを合図したように、獣が地を蹴り飛ばし宙を飛びアルスに襲い掛かる。
アルスは、それを交わし、跳んで獣の背後に回ると、金の半円を描き2度斬撃を与えた。
獣は悲痛のような声を上げると、すぐにアルスに向け直り、目尻に皺を寄せながら、隙を伺うようにアルスを凝視する。
アルスはそれを挑発するように、前から斬撃をくらわすように前進してフェイントをかけると、反射的に巨獣は先端に鋭い爪のついた毛むくじゃらの前足を薙ぎ払うように振った。
アルスはその攻撃の直後の隙を見逃さず、2,3と剣を振り、最後に思い切りに突いた。
獣はその衝撃に体を浮かせ、地面に激突する。
その戦い振りは、とても戦闘初心者とは思えない振る舞いだった。
剣術を用いた戦い方を以前から知っていたかような、その動きに、ミーニャも思わず息を呑む。
獣がよろよろと立ち上がると、悔しそうな顔で目の前に立つ人間を見つめた。
アルスは再び剣を構えると、獣は最後の力を振り絞ったように、声を上げ、思い切りに飛びかかる。
しかしアルスの目には、その攻撃は、盾を投げ捨てた戦士が太刀で襲い掛かるように無防備に映った。
隙だらけのその攻撃に、アルスは剣を居合斬りのように剣を振った。
すると、その前足がアルスに届く前に、獣は宙で硬直し、不自然に崩れ落ち、雲散した。
ふぅー、とアルスは疲れ切った様に剣を地に付き、凭れると、ミーニャは丘を駆け下り、アルスの元に駆け足で寄った。
「お見事な戦い振りでした。剣術についてはどうやら心得があったようですね」
ミーニャが微笑みそう言うと、アルスは首を傾げて苦笑した。
「木刀なら村にいた時何度か振ったことがあったんだが、俺も正直こんだけ動けたのは驚いた。知っていたというよりは、変な話だが、そう動けってどこからから指示されていたような感じだったな。直接体に伝わる様な、そんな感じだった」
アルスが不思議そうな顔でそう言うと、ミーニャは、
「それは恐らく、青の勇者様の力がアルスさんに教えてくれたのかもしれませんね。歴戦の戦いの記憶を、勇者の力がアルスさんの体を通して伝えたのかもしれません。そうだったとしても、今の戦いはアルスさんの実力も大きかったと思います」
「ありがとうな。けど、聖戦にはまだまだ敵わないだろうな。こりゃもっと強くならないとな」
ええ、とミーニャは落ち着くと、少し間を空け、アルスの名前を呼んだ。
アルスが、ん? と首を傾げると、ミーニャは今まで以上ににこやかに微笑んで言った。
「後でスパルタ賢者様についてじっくりお聞かせくださいね」
「…………」




