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七章「女優的演技と職人的バント」

「早川先輩、すみませんでした!」

 ベンチに戻ってすぐ、ユーカは頭を下げた。

「早乙女さん、どうしたの?」

 言われた琴音は困惑の表情を浮かべる。

「あたし絶対にアウト取らなきゃ、って焦ってしまって……先輩がカバーしてくれなかったら二塁まで行かれてたと思います」

 勢いよく頭を下げるユーカに微笑んで、

「ええ。なかなか良い判断だったでしょう? 自分でもうまくいきすぎて驚いているの」

「そんな……」

「早乙女さん」

 菩薩のように慈愛に満ちた笑顔を浮かべて琴音は言う。

「次にわたしがミスしたら、フォローしてね? わたし達は九人でチームです。全員の力で勝ちましょう?」

 先輩ぃ……と涙目になっているユーカ。

 そうだぞサオトメェ! と、妙なテンションで緑ジャージの監督が口を挟む。

「ひとりはみんなのために、スマイル・フォー・オールだ。常南は全員野球が持ち味だからな!」

 そりゃマルちゃんの企業理念だ。

「正しくは、ひとりはみんなのために、みんなは一人のために……ワン・フォー・オール、オール・ フォー・ワンです先生。それよりも古賀君、準備は良いの? 二番バッターでしょう」

 そうでした! 慌ててヘルメットをかぶり、バッテ(バッティング用の手袋)を装着する研二。

 一回裏常南中の攻撃。先頭は一番サード、金剛丸小鳥。相手のピッチャーはオーソドックスな右投手だ。スリークォーター気味のオーバースロー、フォームはサマになっているので、多分投手が本職なのだろうと研二は思う。

 素振りが終わり、バッターボックスへ。研二はネクストバッターズサークルへ。

 あれ?

 小鳥が右打席に入っている。彼女は完全な両打ちなので、右ピッチャー相手なら左打席に入るはずなのに……。

 何か、やるつもりなのか?

「よろしくお願いしますわ……」

 挨拶も妙におとなしい、というかビクビクしているような小声だ。彼女を知らない人からすれば、あまり野球経験がなくて緊張してるのかな、女の子だからボールが怖いとか思ってんのかな……などと思われるかもしれないが、

「んなわきゃ、ない」

 研二は確信を持って呟いた。

 第一球は内角へストレート。コースはギリギリ外れてボール。一年とは言えさすがは強豪校、スピードはそれほどではないがキレもコントロールも良い。キャッチャーが構えたところへきっちりと投げ込んでくる。

 リードしやすそうな優等生タイプ、と見た。

「きゃっ」

 小鳥は小さく声をあげてよける。

 こらー気合でふれー、あたっていくくらいの気迫を見せんかーとちびっこ監督の檄が飛ぶ。

 なるほど相手を油断させる策かと研二は思った。小鳥の見た目は野球はおろかスポーツ全般に縁がなさそうに見えるから、相手チームのバッテリーも戸惑っている。

 二球目。真ん中高めへストレート。釣り球だ。小鳥は真剣な表情でバットに当てるがボテボテのファールになる。

 しかし相手バッテリーは簡単には騙されない。さっきの守備で小鳥はサードライナーを簡単に処理している。あれは明らかに素人の動きじゃなかった。きっと体が勝手に動いてしまったのだろうが、こうして相手を騙すつもりなら失敗だ。

 三球目、外角へカーブ、ボール。

 四球目、低めストレート、大きく空振り。

 五球目、再び低めへ。ボール。

 一打席目からフルカウント。集中力が切れたか、それとも内角を攻めるのを嫌ったか。外角へのストレートはボール球になりフォアボール。先頭打者が出塁した。

 相手チームの監督は三年生。判断がつきかねるのか、とりあえずは静観の構えだ。

 研二が打席に向けて立ち上がったところで三番打者の琴音がさりげなく近づき、耳打ちする。

「……え? 普通のじゃ、ダメなんすか?」

 思わず聞き返す研二。

「古賀君のバント技術に期待します」

 真面目な顔で言われる。

「……マジか」

 打席に入る。一塁に出た小鳥はかなり小さいリードである。どう見ても盗塁を狙っているようには見えない。オドオドした挙動も相まって、牽制でアウトにならないようにだけしているように見える。

「キモいっつーの」

 研二は聞こえないようにつぶやく。俺より足速いくせに。

 というより、このチームで一番の瞬足なのだ。それもぶっちぎりで。

 バッターが男だからか安心したような表情でピッチャーが投げ込んでくる。

 初球は見送る。いい球だがクセのない素直な軌道。

 チラと、一塁ベースの金髪美少女を見る。ほんのわずかにうなずいた。

 『次でやりなさい。失敗したら殺すですわ』

 というメッセージが明確に読み取れた。へいへい頑張りますよ、バント職人として。

 ピッチャーの足が上がると同時、いやそれよりも一瞬早く。金剛丸小鳥が動いた。地面を蹴る最初の一歩の鋭さが半端ない。

 二球目はやや内角へのストレート。甘い球だ、もらった。

 こつん。

 素早く右手を添えたバットでボールを自分のねらった方向、位置へ落とす。

 早川からの指示は、三塁側への勢いを殺しすぎないバント。三塁手、捕手、投手の三人が、自分が捕るべきか他の人に任せるべきか迷う場所へ転がせというものだった。

 オーダーどおり、やりましたよお嬢様?

 研二はすぐに一塁へ向けて全力疾走。

 しかしこれって、どういう作戦だ? 小鳥はあのタイミングでスタートを切っているから余裕でセーフになるだろう。いや彼女の脚ならお釣りが来るくらいだ。捕球の判断を迷わせて時間を稼いで一塁もセーフにしようとか、そういう事か?

 考えながら研二はトップスピードで駆ける。ボールの行方を目で追うと遅くなるので、ただひたすら一塁というゴールを目指して走る。

 あれ。まだボールが来ない?

 フルスピードのまま塁へ。ほぼ同時にファーストミットに白球が収まった。

 一塁審判の生徒が一瞬右手をぴくりと動かして、また戻した。ジャッジに迷っているのだ。

「あ……アウト!」

 ちぇ。同時はセーフやなかと? 心の中で不満を漏らす研二。

 何やら、常南ベンチが騒がしい。わああ、ナイスバント、ナイスラン、と。

「……え?」

 その時研二は信じられないものを見た。

 三塁に小鳥がいるのだ。全く汚れていないユニフォーム姿で、ヘルメットからはみ出た金髪を手で整えながら、もう演技の必要はないとばかりに涼しい顔で。


 ナイスバントの声とタッチで迎えられたベンチで桜井が説明してくれる。

 まず、最高のタイミングでスタートした小鳥は二塁へ。研二のバントは狙いどおりに三すくみの状況を作りだした。なんと、まだ捕球されないうちに小鳥は二塁へ達していたという。結局キャッチャーがボールを捕ったのだが、小鳥は二塁ベースをそのままのスピードで駆け抜けた。

 最初から三塁が狙いだったのだ。キャッチャーは当然一塁へ投げるつもりでいたのだが、小鳥の動きに三塁へ投げるべきか迷った。しかしバントの動きに合わせて前へ出た三塁手の空けた三塁ベースにショートが入るのが間に合っていなかった。動いている相手への送球に不安を感じた為、結局三塁には投げられず、遅ればせながら一塁へ投げ、ギリギリアウトになったというわけだ。


「はあ……なんつー脚だ」

 もはや呆れる。研二の肩を後ろからユーカがたたく。

「ナイスバント! 完璧だったね」

 おう、職人なめんな。あと人生送りバントって言ったら殺す。

 続く三番バッターの琴音は一球目から打っていく。レフト線へファールになる。

「お。ヒッティングか」

 ワンナウト三塁ならスクイズで一点、というのもアリだと思うのだが。

「古賀君、練習試合は練習なんだよ」

 静かに、桜井が言う。

「……そうですね。公式試合ほんばんで勝たなきゃ意味がない」

 て言うか廃部になるんだ。

 もう目の前に迫っている開明学園との試合に向けて、このチームが勝つための策をすべて試しておこうということだ。小鳥が演技でフォアボールになるのも、そのあとのダブル盗塁も研二のバントもすべて本番に向けての練習。実際に使えるかどうかの試しなのだ。

「……まさか。そのために隣の県の強豪校と?」

 地元の学校との試合では、こちらの手の内を晒すことになる。たとえ相手が開明以外の学校とでも、情報がどうやって伝わるかなどわからないものだ。野球関係者、特に保護者のネットワークは意外に横のつながりが広いのである。

 そして、ある程度のレベルの相手でなければ、開明に通用するかどうかがわからない。

 そこまで考えて、この練習試合を……?

 エメラルドグリーンのジャージでベンチにふんぞり返っている監督を見る。

 ……んなワケないか。

「こらーハヤカワ! もっとビュンとふれー」

 いい加減な激を飛ばす富士川あずき。研二は軽く嘆息した。

 結局、三番バッターの早川琴音は三振に倒れた。

「お姉さま! ドンマイ、ドンマイですわ! いえネヴァーマインドですわ!」

 三塁ベースから小鳥が声をあげる。うるさい。

 ベンチに戻る琴音は、次の打席に向かう山田薫子に耳打ちする。

 このお姉様はどうも、耳打ちがお好きらしい。いい匂いがするから良いけど……いやいや!

「古賀ぁ、何一人でしゃべってんのよ」

 ユーカが若干引き気味に聞いてくる。

「何でもなか!」


「……うっし!」

 ギュッとバットを握りなおし、打席に立つ薫子。いつもどおり力の抜けた自然体のフォームだ。

「考えてみたら、山田先輩のバッティングって初めて見るな」

 研二の独り言に隣に座るユーカが答える。

「そーいえば、そうだね。試合形式で練習した時も先輩、最初からランナーに入ってたもんね」

 確かに。ノックで打球の鋭さ……というか殺傷力の高さは身をもって思い知っている研二だったが、ピッチャー相手の打球は見たことがなかった。

 じゃあ教えてあげる、とユーカが張り切る。

「とにかくすごいんだよ。ビュッとふって、バーンってなってギューンって」

 擬音ばかりで全然わからん。

 マウンド上の甘田中のピッチャーはセットポジションに構え、三塁の小鳥の様子を伺う。彼女はそれをあざ笑うように、一切リードを取らずベースに脚を付けたまま仁王立ち。

「リードなしか、余裕だな。それとも何かの作戦か?」

 研二のつぶやきに、後ろから静かな声が答える。桜井の確信をもった言葉。

「ちがう。実際の試合でもこうなったら薫子のバッティングを邪魔するような動きはしない方がいい。だって」

 ピッチャーの足が上がり、投球モーションが始まる。それでも小鳥は動かない。

「……歩いて帰って来れるから」

 外角低め、コースはそれほど厳しくはないがキレのあるストレート。普通に良い球だ。

 だが。


 キィィィィイイン。


 鋭く振り抜かれた薫子のバットは白球をとらえ、三階建ての常南中校舎を飛びこし、遥か遠くへとぶっ飛ばした。

 ほぼ全員の目が、見えなくなった軟式球の行方を追う。

「……っしゃ!」

 小さく右手を握りしめ、ベースを回り始める。

 一回の裏、常南中学校野球部の先制点、スコアは2-0となった。

 わあぁぁぁっ、とベンチで黄色い声のハイタッチが起こる。研二も末席に加わる。

 ……すごか! あんなバッティング、初めて見たったい。

 研二は、心中密かに興奮していた。まさかここまですごい打者だったとは……。

 そして、思う。

「ひょっとしたら、いけるんやなか? 強豪相手の勝利なんて、漫画みたいな展開……」

 何しろ、常識はずれの選手がこれだけ揃っているのだ。番狂わせ的な、ミラクル的なことも起きてしまうんやなか?

 興奮冷めやらぬなか、次の打席に立った桜井は粘ってフォアボールで出塁したが、続く六番のユーカが三球三振でスリーアウトチェンジ。


「さあ行くぞ! 点取った次の回こそ気ぃ引き締めろよ!」

 キャプテン山田の激に、はいっ! と黄色い声がこたえる。

「そーだ! 買って土俵で帯しめろだぞ!」

 役立たずの監督のイミフな声は無視して全員、守備につく。

 さあ、まずは練習試合で初勝利、いってみますか!





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