スネイクと僕
「ほとんどの人間がそうでしょう? 旦那様の場合」
あきれられたようだ。僕は立ち上がって言葉を失った。縮まっていてもいいはずだと思っていたのに、差はそのままであった。そう、僕の身長はスネイクと隔たりがある。
彼女の言葉の通り、彼女の身長は高く、僕の身長は……彼女よりも少し低いのだ。
僕の目は彼女の目よりも低い位置にある。三年前からその差は変わらない。何も変わらない。変わっても特に意味なんてない。
「旦那様は身長百六十センチメートル?」
「僕の身長に魔法をかけるな! 虫唾が走るわ! 虫も走るわ!」
僕の身長に四捨五入をする奴は許せるものか。いきなり何をする。
「馬鹿な旦那様知っていた? 虫唾って胃液のことらしいわよ。虫じゃないのよ」
「そんな馬鹿な」
スネイクは片目を閉じた。
「仕方のない旦那様ね。この歯車は私の宝物にするから! いいわよね?」
「提出すべき宿題を宝物にするな。面倒だ」
この会話にも特に意味はない。僕は何事にも意味を持たせるのが嫌なだけだ。
僕はこの女が嫌いなのだ。どんな時でも上品だ。
身長で負けたうえに、気立てや人間性やいろいろなことで負けている。勝てるところがない。勝ち目がない。おまけに小馬鹿にされる。
「何があったかしらないけど、気に病む必要はないと思うわよ」
スネイクは僕のほほを突っついた。お前に僕の何がわかる。
「わからないから言えるのよ。身長くらいでいじけないでよね。旦那様!!」
それぐらいでいじけたわけじゃない。
僕という人間はもっと複雑だ。
「旦那様は言いたいことがすぐ顔に出るんだから。面白いわよね。えへへ」
僕に深みはない。深みにはまった気分だった。スネイクは僕の肘を突っついた。
「教えなさいよ。もしかしてひどい失恋をしたとか?」
「そうだな。そういうことにしておく」
失恋はしていない。ひどい片思いだったからだ。
「お前こそ、ここで何をやっている。スネイク」
「今日の一年生の実習は駆逐艦の整備よ。トンボの旦那様」
「ああ、すぐ行く。スネイク。その歯車は、大事に持っておけ」
「駄目よ。今日中に提出しないと、成績が落ちるわ。先生はお怒りよ」
「それを宝物にするんだろう? 別の何かを提出しておけ」
何かって何よ。スネイクはそう言って口をとがらせた。
「口の減らない旦那様。ねえ、トンボの旦那様。私は運よく、蛇の魔王と戦って活躍したからスネイクのこの名を貰ったのだけれど……旦那様はどうしてなの?」
苦々しい思いが甦る。あれのおかげで僕は有名になった。
両目をぎゅっとつむる。
「トンボは勝ち虫と呼ばれていて、前にしか飛ばない」
「旦那様は猪突猛進なのね。へええ。道理で馬鹿なはずよね。馬鹿よね、旦那様は」
スネイクは気楽だ。軽く笑って手を振って去っていく。人を小馬鹿にする奴ではなく人を馬鹿にする奴だった。どっちも同じか。どっちが酷いのかわからないものだ。
残された僕は駆逐艦の床が隠れているだろう地面を蹴った。
本当にここでこんな場所にいて平和に暢気にしていてもいいのだろうかと胸に問いながら。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
今日の総合演習は実習生たちのトレーニングルームで決行された。二人一組になって戦いあう。シュミレーションシステムを使って、バルーンを相手に。
バルーンと言ってもコンピュータ制御で、歯車が内蔵されている特注品。
実際に思考し攻撃してくる半永久システムだ。
中には実在の魔王をもとに作られたデータで死んだ生徒もいるくらいだ。
それくらいの実践型の、知識と歯車で構成された究極の敵だった。
逆に言えばそれぐらいで訓練しないとあいつらには勝てない。魔王に負けたことしかない者たちは、それぐらいしないと勝てるところまでいかない。いいや、そこまでして現状、引き分けることしかできない。
生徒がそれを超えていく。それがこの装置を作った人間の意図であり思惑であり、企みでもある。この装置を作った人間は人類最強で、一度魔王に勝ったことがあるらしい。名前も知らず顔も知らない。落ちこぼれの僕にはまったく関係のない話で、よくは知らない。
それだけでものすごいことなのだ。魔王に勝つということは。
先生の説明をだらだらと聞き流しながら、スネイクは手袋をはめる。潔癖症。
バルーン相手でも、魔王の血が付くのが嫌なのだそうだ。
僕の武器は大剣だ。僕は昔、野球少年だった。リトルリーグで四番バッター。当然両手持ちの大剣を選んだが、使いこなせていないのが現状だ。人は僕が剣に振り回されているという。いつも僕は馬鹿にするスネイクも、この時だけは、そのうち何とかなるわよ、元気を出しなさいとフォローしたほどだ。それほど致命的だった。
スネイクはその晩、脅迫的に夕食のプリンを要求してきたので、彼女がやはり僕を馬鹿にしているのかそうでないかは不明のままだ。いや、もしかしたら、逆に明々白々なのかもしれない。プリンだ。あの女プリン好きなのかもしれない。甘いものが苦手な僕にとって、プリンだけはその例外だというのに。
酷い女だ。僕のプリンを奪うやつはプリン風呂に入って、プルプルしてしまえ。
いや待てよ、プリンと足首か。それはそれで……面白い組み合わせなんじゃないか?
どうでもいいことを考えながら歩く。
モノリスに囲まれた訓練ルームの上部には先生が一人立っていた。
「トンボ。今日の演習訓練はスネイクと組め」
コートの襟を立てた先生は武骨に笑んだ。面倒くさい。
「はいはい」
「その元気を先生にも分けてくれ!」
前向きな先生だった。僕は大剣を構える。地下のフロアーは外界とは区切られた特殊空間で、この中では魔王のバルーンたちが日夜闊歩している。
「スネイク。これに勝った方が」
「お昼ご飯当番を引き受けるのね。良いわよ。仕方のない旦那様。私、今日は私の好きなものを食べたいの。だって今日は私の飼っている猫の誕生日だからよ」
「あきれた。魔王は嫌なのに、普通の猫を飼うのか?」
「猫に罪はないでしょう?」
「行くか」
スネイクより先手を打って、その間にバルーンの魔王を倒す算段だ。
敵は犬型の魔王。数は三匹。摸擬戦闘のバルーンを壊すことは非常に困難だが、実際の魔王と比べると拍子抜けするほどたやすいものだ。