ハウリング
「お前たちを狩りに来た」
犬の魔王たちの声が再生される。誰かが歯車に記録した記憶。これを記録した当人はもう存在していないのだろう。そう思うことに意味はない。
バルーンが発するその声と同時に走った。大剣で正面から殴りかかった。瞬間、糸でからめ捕られたように全身がこわばった。痺れで体を動かせなくなった。頭が重い。鈍い。
そこで初めて気が付いた。さっきから甲高く聞こえているこの音はなんだ。
「高レベルのハウリングよ。敵の声を聴かないで」
スネイクが指で耳栓をして、僕の隣に並ぶ。
「バルーンごときで、そこまで再現する必要ないだろう。それにスネイク。両手がふさがっていては何もできないんじゃないか? お前の特技は両手拳銃だろう」
軽口をたたきながらも舌先まで上ったしびれは取れない。昨日も実習生が大けがをしたばかりだというのに。モノリスの床を駆ける。
「このバルーンは先人たちのデータの結晶よ。私たちは、歯車を持ち帰ってこれを加工し活用する義務があるんだわ。この歯車に蓄積された命の記録をね」
スネイクの拳銃には歯車が装填されている。誰かの歯車か。それともスネイク自身の歯車か。考えに沈んでいたのは数秒だった。
「旦那様!!」
スネイクが大きな声を上げた。
「ハウリングは息を吐ききるの、つまり、吸い込むときがあるのよ、しゃんとしなさい、馬鹿な旦那様」
僕も久しぶりの実習で気がそれていたのかもしれない。この女。なるほど、そこまで僕をコケにするとは。違っていたら、裸足の刑だ。裸足で海辺をパシャパシャの刑だ。
とはいってもこの状態でモチベーションを立て直すなど至難の業。
犬の魔王の牙が喉元に迫る。
魔王の長い息が途切れるのを待つ。タイミングを見計らい倒すしかない。
「すうううぅぅぅぅぅ」
「今か?」
僕は踏み込みながら大剣を振り下ろし、その勢いで、バルーンを一匹仕留めた。
バンと音がして、歯車制御の風船が爆発し、歯車は下に落ちる。
僕らの歯車はちょっとやそっとでは壊れない。よほどのことがない限り壊れたりしない。
バルーンはゴムのように伸びていた。
返す刃で残りの二匹を狙うが、僕の大きくて重い大剣では敵の動きを追い切れなかった。
捕る前に捕られる。
しかし、その予想は外れた。残る二匹は攻撃などしてこなかった。
犬の魔王たちは仲良く手をつなぎ、再びハウリングを試みる。この犬たちはおそらく三つ子だ。同じ顔をしていた。一匹倒して悪かったか。そんなことを思うことに特に意味はないが。僕は勢いよく剣を手放した。
そう、しびれてもいい。大剣を持っているのはちゃんと意味がある。
ギロチンの代わりになる。
僕の大剣は勢いつけて回転し魔王のバルーンに振り落ちる。鎌のように双子の首を割り落とす。はずが……次の瞬間、スネイクの銃が火を噴いた。弾は剣の柄をはじき、刃は手前の一匹の首すらそぎ落とさず、床に落ちた。僕ははっと顔を上げる。二匹とも全くの無傷。
無傷の犬の魔王は僕の腕にくらいつく。バルーンの牙だがそれなりに痛い。
僕は特に騒がなかった。
「スネイク、何をする!」
「何をするはこっちの方よ!! 全部旦那様の成績になったら、私はこの授業を落してしまうのよ、考えなしね!! この大馬鹿者!」
「そこまでののしることか? こっちは命がけだぞ!」
当然、来るべくしてくる三度のハウリング。その悲鳴は、絶叫は凄まじく、全身が程よくしびれ、頭の中まで麻痺しそうだ。スネイクはそんな中でも平然と立っていた。
「三半規管を揺さぶられるから、酔うのよ。酔って、体中がしびれる」
「スネイク、お前はどうして立っていられる?」
「そうね。種明かしをしましょうか。耳栓をしたのよ」
「耳栓」
「と言っても私が作った小さな歯車よ」
スネイクは耳の中の赤い小さな歯車を見せた。
「魔王の声を燃やし、燃えなかった旦那様の声を耳に届かせる。そんな歯車よ」
「どうしてそんなものを?」
「犬の魔王と戦うのよ。声を使ってこないはずがない、そう思ったのよ。当然でしょう」
嫌な女。
「随分と勘がいいんだな」
「そうでもないわ。私はただ、あなたと違って予測変換が得意なだけよ」
「へえぇ」
こうして軽口をたたく間にも、スネイクは銃を操ることに余念がない。銃の歯車をくるくると回す。それは紛れもなく彼女の最も得意とする火の歯車の可動準備だった。
かちん。歯車とスイッチが重なって銃から炎が噴き出す。
犬の魔王は悲鳴を上げて炎から逃れようともがく。
僕とて、最後の手柄をスネイクに譲る気はない。魔王の背後に滑り込む。
捉えた。
犬の魔王が僕に気を取られたところを、スネイクは逃さなかった。
「オールレンジの特権よね」
弾丸に弾丸を重ねて、スネイクは撃ち放つ。犬の魔王は額を撃ち抜かれて、バルーンは四散した。あとにはゴムが広がる。勝ちを譲ったわけではない。純粋に出し抜かれたのだ。
「スネイク。僕を囮にしたのか?」
「したっていいでしょう? チームメイトなんだから。本当に馬鹿ね。そんなこともわからないの?」
本当に嫌な女だ。僕はため息を吐いて、でたらめな拍手を送った。
教官も上から拍手を送った。これで二人とも課題クリアーだ。それの意味するところは僕らのランクアップだった。




