1、ミヅキさん(その7)「月夜と少女と命乞い」
「戦闘用意解除、総員弾抜け!」
旧校舎から少し離れた所にある陸上部用のグラウンド。そこに凛とした少女の声が響く。
まるで定規でも当てたかのようにまっすぐな横列を敷いた兵士たちを前にして、少女は厳かな態度で告げた。
「ただいまをもって当小隊の指揮を解く。別れ!」
居並んだ兵士たちが、一斉に手にしたライフルを垂直に立てた。
哲にはその行動の意味はわからなかったが、次に少女がとった行動の意味は理解できた。
「今までお疲れ様でした。ありがとうございました」
少女は兵士たちに向け、深々と頭を下げていた。
横にいた哲はどうしていいかわからなかったが、兵士の一人と目が合ったので思わず彼も頭を下げていた。
暫くして、気がつけば兵隊たちの姿は掻き消えて見えなくなり、ただ一人残った少女が彼の方を見つめていた。
「怪我はないか?」
「あ、うん。大丈夫」
哲は頷き、それから呆然とした面持ちで尋ねた。
「ね、ねぇ、今のはいったい」
「夢だ。忘れろ」
「夢って、幾らなんでもそんな訳ないでしょ。あの兵隊たちは幽霊なの?あの、百鬼だっけ?あれは何なの?そして、君はいったい――――」
表情のない顔で少女は哲を見やった。長い睫毛が瞬かれ、彼女は告げる。
「答える義務はない」
予想どおりの答えに哲は肩を落とす。
「言うと思った。でも隠そうとしても無理だよ、僕もう見ちゃったもん」
少女は小首を傾げた。
眼鏡越しに見える瞳が紫色に光って見えるのは月明かりの悪戯のせいだろうか。
「ならば、貴様の目と舌をもらおうか」
そう真顔で告げてきた少女の手にはいつの間にか例の刀が握られている。
「うわぁちょっと待って、話せばわかる」
「問答無用」
言葉どおり、胸倉を掴まれて剣を首筋に当てられた。
哲は震え上がり、慌てて怒鳴る。
「ぼ、僕を殺すとまずいよ!?僕、仲間と来たんだ。僕があの旧校舎の別棟に向かったのその人たち知ってるし、実はさっきカメラをこっそり旧校舎に隠して来ちゃったんだ。あの鬼の事も、君のこともバッチリ写ってるよ。だから僕を殺したら君、絶対捕まるよ?」
哲は手ぶらの両手を見せつけた。
本当は騒ぎになった別棟から逃げる途中で落としただけなのだが、それをこの場で少女に悟られる訳にはいかない。
「どうだい?助けてくれるなら君のこと誰にも言わないであげるよ?あのビデオも処分して誰にも見せない事もない。君にとっても悪い話じゃないだろ?ね?ね?」
少女は、鼻で笑った。
「取引材料としては魅力に乏しいな。事の露見を免れるならば貴様を始末して、カメラを回収すればいいだけの事だ。違うか?」
「け、警察が黙ってないよ!?逮捕だよ!?死刑だよ?」
「ならば警察と一戦交えるのみ」
少女はあっさりと言ってのけた。
哲はガックリと肩を落とした
「……だよねぇ。どう考えてもお巡りさんたちより君の方が強そうだもんなぁ」
ため息をついた後で、ヤケクソ気味に喚いた。
「わかったよ、もう諦めた。煮るなり焼くなり好きにすればいい」
「バカに潔いな?」
剣を突きつけたまま聞いてくる少女を哲は恨めしげに睨む。
「だって、僕じゃどうあがいても君に勝てなそうだし。それにどうせ僕、ここで助かっても君のせいで学校爆破の容疑者だしね。たぶん退学だ。人生詰んでるよ」
「こっちの高校生は高校を退学くらいで人生が終わるのか。息苦しい社会だな」
「人の人生狂わしといて何を偉そうに。僕はいい大学入っていい会社に勤めて人生勝ち組になるつもりだったんだ。その人生設計が台無しだよ。君の所為だ」
哲の恨み節に少女は呆れとも困惑ともつかない顔をした。
「むぅ、言ってくれるな?貴様を見ている限りではたいしてアテのある話でもなさそうだが?」
「余計なお世話だ。……けど、こんな訳のわかんない状況で殺されるならせめて君の正体とか君が戦っていたあの化け物、あれがなんなのかくらいは教えてからにしてよ!でないと気になって死んでも死にきれないよ。成仏できずに僕が本物のハヅキさんになっちゃうや」
開き直った哲の言い分に、少女は眼鏡の奥で紫色の目を瞬いた。
「ふん――貴様がハヅキになるというか」
ヤバい、と哲は思う。
彼が何か地雷を踏んだらしい事は少女から放たれる殺気ですぐにわかった。
「面白い。彼女の業と呪いを代わりに背負うと言うか」
少女は哲を突き飛ばすと剣を八双に構えた。
「わーっちょっと待って。やっぱりまだ心の準備が」
哲の命乞いも間に合わない。
「問答無用!」
紫電一閃、月光を浴びて煌く刀が哲の脳天目がけて振るわれる。
「ぎゃああああっ!!」
哲は盛大に断末魔の絶叫をあげた。もんどりうって地面に倒れて数秒経ってから、体に何の異変もない事に気がつきゆっくりと目を開けた。
「――――って、あれ??」
振り下ろしの途中でその剣先を止めていた少女が、蔑むような視線を哲に向けた後で剣をくるりと鞘に戻した。
おずおずと哲は身を起こして少女の顔色を窺う。
「……助けてくれるの??」
「貴様を始末する気ならば百鬼に喰わせている。貴様も一応は日本人なのだろう?ならば助けるのが私の務めだ――ただし」
少女はゆっくりと顔を近づけ、囁くように告げてきた。
「今日の事は他言無用だ。さもなくば貴様の命で贖う事になる。了解か?」
「了解であります!」
哲は即答した。
手を伸ばせばすぐ触れられる至近の距離で、少女はまるでその真偽を図るかのように紫の目でまじまじと哲を見やった後でゆっくりと戻っていった。
哲は盛大に安堵のため息を撒き散らした後で身を起こそうとして、足腰に力が入らず盛大にひっくり返る。完全に腰が抜けていた。
そのまま逆さになった亀のごとくジタバタともがいた後で、 やむなく無様に地面に転がったままで哲は少女に声をかけた。
「そ、それであの鬼のことなんだけど」
「――貴様、舌の根も乾かぬ内にそれか。呆れたというか見上げたというか」
少女の手が剣の柄にかかって哲は悲鳴をあげた。
「違う違う、これは個人的興味というか今後あのような危険に巻き込まれない為の安全保障上の質問というか――」
少女はため息をついた。
「まあいい。貴様は相当に視える目をもっているようだからな。教えておかねば何をしでかすかわからん」
それから少女はゆっくりと語り出した。
「さっきも言ったとおりだ。貴様も見たあの妖怪を我々は百鬼と呼称している。かつての第一次大東亜戦争の折、一種の自律型霊的対人地雷として首都決戦用に配備された悪霊どもの成れの果てだ。大部分の営巣は破壊され或いは封じられているが、時折あのように湧き出る事がある」
「あの、固有名詞と専門用語が多すぎてよくわからないんだけど」
「――むぅ。貴様らの言い方で言えば太平洋戦争の末期、米軍がこの東京を含む関東に侵攻してきたのは知っているな?その時に、戦力の不足を補う為にあの手の化け物があちこちに仕掛けられて米軍を襲わせたんだ。アレはその生き残りだ。これならわかるか?」
哲は首を傾げた。
太平洋戦争で日本とアメリカが戦争した事や、アメリカ軍のダウンフォール作戦によって関東地方が戦場になった事くらいは哲だって知っている。
けれどもその戦いの詳細なんて殆んどわからない。せいぜいが多数の民間人が巻き込まれて犠牲になったとか大勢の兵隊が強制されて特攻に駆り出されたとか、その程度だ。
「まだ信じられない、と言った顔だな?」
「え、いや……僕は実際アレをしっかり見てるから嘘とは思わないけど……でも、そんな話、テレビやネットでも聞いたことないから……」
哲はテレビで怪奇特番があれば必ずチェックし、インターネットでもオカルト板などは度々チェックしている。けれども、さっきの百鬼夜行のような話はこれまで目にした記憶がなかった。
「当然だ。世界に知られた大都市の闇に、今なお百鬼夜行が起きているなど知れたら東京の安全神話が根底から崩壊する。情報は徹底的に隠蔽され、東京政権でもこの事実を知るのは一部の治安機関や行政担当者だけだろうさ」
少女の言葉を哲は鵜呑みにはしなかった。
「え、じゃあ、なんで君は知ってるの」
「乙女の機密だ」
「わー乙女って凄いんだね」
先程、百鬼の群れに実際に襲われてなかったらただの電波話として受け流せたのに――と哲はため息をついた。
「じゃあ、君が呼び出したあの日本兵みたいな人たちは」
「乙女の機密だ」
「本物なんだよね?」
「その目で見ただろう?」
「怖くないの?幽霊なんだよね??実体化してたみたいだけど」
問いかける哲を少女は呆れたように見やる。
「貴様は例えばご先祖様の霊が現れたらそれを怖いと思うか?」
「え?シチュエーションによると思うけど」
たとえば夜中に血まみれのご先祖様が枕元を這いずり回っていたら相当に怖いと思う。
「貴様も日本人の端くれならたまには英霊に手を合わせろ。靖国がないなら千鳥ヶ淵のあの墓苑でもかまわん。国難に命を捧げた彼らの尊い犠牲があって今の貴様らの繁栄がある事を忘れるな」
「あ、あの、ミヅキさんって右翼なの?」
「思想の問題ではない」
睨まれた。
哲は慌てて話題を変えた。
「ねぇ、ミヅキさんはいつも百鬼と戦ってるの?」
「いつもではない。今回は別件で訪れてたまたま見つけたから討った」
「へぇ……怖くないの?」
少し考えた後で、少女は答えた。
「おまえの学友に学校の期末試験がイヤだ受けたくないと拒むバカはいまい?同じ事だ」
この少女のたとえ話は今一つわかりづらい。
「……よくわかんないけど。要するに君、魔法少女的な人なんでしょ?人知れずこの世の悪と戦うとか、リアルにあるんだそういうの」
哲にはそれで充分だった。
「すごいよね、その剣とか銃とかどこから出してるの?魔法で投影するの?最後の鬼をやっつけた時も君がなんかやったんでしょ?なんて必殺技なの?なんかさっき変身して鎧着たけど、普段は専用のコスチュームとかはないの?なんか変身シーン的なものとか」
「むぅ、待て待て!一度に言うな!貴様、さっきから質問が多いぞ!機密だ、全て軍事機密だ!だいたいなんだ、今生の願いとか言うからこっちが答えてやれば次々と詮索して図々しい奴だな」
興奮気味の哲を遮り、少女が怒鳴る。表情を顔に出さない彼女にしては珍しく、哲を持て余しているのがありありと伝わってくる。
「あ、ごめん。ちょっと興奮しちゃって」
「――何を勘違いして喜んでいるのかは知らんが、なんとなく気持ち悪いぞ貴様。本当にスパイじゃないだろうな」
今日会ったばかりの少女にまで気持ち悪いと面罵された。
身を庇うように後ずさった後で、少女はふと腕時計に目を落とした。
「――少しお喋りが過ぎたようだな。話は終わりだ。ゆめゆめ今日の事は他言無用だぞ」
少女はくるりと体を反転させると、そのまま哲に背を向けて歩き出す。
哲は慌ててその背中に声をかけた。
「あ、待って!」
「くどい」
背中越しにけんもほろろな返答が戻ってきたが、哲は諦めなかった。
「もう一個だけ質問――――また会えるかな?」
「会う理由がない。長生きしたければ私に関わるな――死ぬぞ」
少女は冷たくそう言い放つと、宵闇に溶けゆくように去っていった。
「ミヅキさん!?」
追いかけようとして哲は立ち上がり、相変わらず体に力が入らずに潰れた蛙のような態勢で地面につんのめり悲鳴をあげる。
制服のズボンに突っ込んでいた携帯電話が震動している事に気づき、倒れたままで哲は通話ボタンを押し込んだ。
「もしもし」
『門倉か!?やっと繋がった!無事だったか』
誠司の慌てたような声が電話越しに飛び込んでくる。
「えぇまぁ、なんとか。腰が抜けて立てませんけど」
『おい、今どこにいるんだ?旧校舎の別棟は火事になるしおまえの姿は見えないしで心配したんだぞ!怪我はないんだな』
数分後、走ってきた誠司の肩を借りて哲はゆっくりと旧校舎の方へと戻った。
既に駆けつけた消防車が別棟の火災を消すべく放水を開始している。
まだ残っていた僅かな学校関係者たちの他、近所の野次馬やパトカーの姿もあった。
「うわ、大事になってますね」
「当たり前だ。突然の爆発騒ぎだからな――てゆーか、おまえグラウンドで何をしてたんだ?」
哲はアハハ、と笑って誤魔化した。
「いや、急に火事になって怖くなって……動転したというかなんというか、気づいたら走って逃げてました」
「バカ、それならそうと連絡よこせ!電話をしても通じないし、てっきり火災に呑まれたと思って焦ったぞ」
哲の携帯には電話やメールの着信が幾つも入っていた。時間的にあの少女との会話中ずっと携帯は鳴っていた事になる。まったく気がつかなかった。
「俺、ヤバいと思って消防士とお巡りにおまえがまだ残ってるかもって言っちまったぞ。悪いが責任の半分はおまえだ、一緒に怒られてもらうからな」
「…………はい」
誠司を責める事はできなかった。仲間が一人で突っ走った挙句に、爆発騒ぎが起きて連絡がつかなくなったのだ。哲が彼の立場でも同じように大人たちに助けを求めただろう。
その件で叱られる事になるのは仕方ない。
だが、もし説明を求められた時になんと言えばいいのか、哲はわからなかった。
「――なぁ、門倉。いったい別棟で何があったんだ?おまえ、なんか見たのか?」
まるで哲の心を覗いたかのように誠司が尋ねてくる。
頭にあの三つ編み少女の顔が浮かび、哲は慌ててそれを振り払った。
ミヅキさんと経験したあの一連の出来事は固く口止めされていたし、それに誰かに言ったところで信じてもらえそうもなかった。
「わかりません。人影を探し回ってたら、急に爆発が起きて頭が混乱して」
「――おまえの所為じゃないんだよな?」
誠司が足を止め、顔を覗き込んできた。
「たぶん今の俺たち、微妙な立場にいるぜ?あの時、旧校舎にいたのは俺たちだけだ。そこの別棟で爆発があって火事が起きた。まず間違いなく俺たちは犯人扱いだぞ?下手したら停学どころじゃ済まないかもな」
言われて事の重大さに気がつき、哲は青ざめた。
状況から考えて、警察や教師たちがこの爆発騒ぎの原因を哲たちの撮影と結びつけて考える可能性は充分にあった。
いや、それどころではない。実際問題として哲は校舎が爆破されたその現場にいたのだから当事者以外の何者でもないのだ。
その事で追及を受けたら――校舎爆破の真犯人であるミヅキさんの存在と犯行の手口は誰も信じなくても、バカで粗忽な高校生の火の不始末は容易に疑われるだろう。
そしてその所為で、刑事罰ならずとも学校的に何らかの処罰でも受ける羽目になった日には目も当てられない。ことに今年受験生の誠司にとっては巻き添えを食らえば致命的な事態になりかねない。
「僕、ホントにそんな事やってません!」
「わかってる。おまえはタバコも火遊びもするような奴じゃない。だからそれを大人たちにうまく伝えて説得してくれ。お前が一番事故現場の近くにいたんだから」
誠司は哲の肩を軽く叩いた後で、鎮火の進む旧校舎に向けて彼を導いた。
そこには居残っていた教師や野次馬に集まった近隣住民の他、慌しく動き回る警察官や消防士の姿があった。
その中に、毛布に包まり悄然と蹲る朝莉の姿もあった。憔悴し、どこか怯えた様子の朝莉と目が合うと、少女は毛布を跳ね除け駆け寄ってきた。
「哲先輩!」
胸元に飛び込んできた朝莉は涙目で哲の顔をまじまじと見つめてきた。
「よかった……哲先輩、生きてた……いきなりいなくなるから心配したんですよ!幽霊じゃないんですよね?」
「ごめんごめん。ほら、ちゃんと足があるだろ」
そう言えば、さっき見た日本兵たちにも足はちゃんとついてたな――などとどうでもいい事を思い出しながら哲は答えた。
なんにせよ、後輩の女の子に身を案じられて抱きつかれるのは悪い気はしなかった。
「本当に大丈夫なんですか?」
泣き出しそうな顔で朝莉はなおも問い詰めてくる。
「え?そんなに僕のこと心配?」
「だって、だって………」
おいおい、これ告白フラグ立ったんじゃないのなどと一人悦に浸っていた哲は、次に後輩が告げてきた言葉で一気に冷水を浴びせかけられたような気分になった。
「哲先輩、ハヅキさんに連れてかれてたじゃないですか」