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幕間「九品町、昭和二十一年二月一二日」

 神奈川県九品町の街中を数台のトヨタAC型乗用車が走る。

 連日のように飛来するB‐29の大編隊により日本中が火の海にされている中でも、軍施設も軍需工場もない地方の小都市はまだ爆撃の被害も少なく都市機能が維持されている。

 無論、長引く戦争と目の前に迫った本土決戦の危難を前に、駅前の商店街も活気は見られない。目につくものといえば食料品の配給に並ぶ痩せ細った主婦たちの姿と、空き地に集められた男たちが竹槍を手に行なう軍事教練くらいのものだ。

 やがて車列は道を折れて小高い丘陵へ向かう。地元の住人たちによって城山と呼ばれているのは、戦国期にこの地を支配する豪族の手によって城が築かれていた事に由来する。

 その山城自体は豊臣秀吉の北条討伐の際に落とされて廃城となっており、明治になって城跡に尋常中学校が建てられていた。

 もっともその中学校も昨年公布された戦時教育令により教育機関としての機能を喪失しており、現在は軍により接収され日本陸軍第三一六師団の司令部が置かれていた。

 至る所に塹壕やトーチカが築かれて要塞化された九品の城山をAC型は昇りきる。師団長らの出迎えを受けて車から降り立ったのは参謀参謀飾緒も厳めしい高級将校たちだ。

 きたるべき関東での大決戦、「決三号」作戦を間近に控えて、この防衛戦を指揮する陸軍第一二方面軍司令部の高級参謀による現地視察が行なわれたのだ。

 彼に随行するのは第一二方面軍の下級組織であり、また九品に駐留する第三一六師団を擁する第五三軍の参謀たちだ。

この辺り、軍の指揮系統は複雑なのだが、まず昭和二一年現在の陸軍の組織として、日本を東西に分けてそれぞれを第一総軍、第二総軍が所管する。その第一総軍の担当戦域である東北(北海道、東北、千島、樺太)、東部(関東)、中部(東海)の三軍管区のうち、関東一円の指揮権を有するのが第一二方面軍であり、第五三軍は神奈川県伊勢原で周辺の戦闘指揮を司る事になる。第三一六師団はその更に下級組織として戦闘を行なう事になる。

つまり、第三一六師団にとっては上級司令部を飛び越してその一つ上の司令部要員がわざわざ来訪してきたことになる。ただでさえ全てが切迫している状況下では招かれざる来客である事には違いなかった。

接収した教室を用いて行なわれた師団の現状報告は、同席した第五三軍の参謀連中にとって胃の痛くなるものだった。

第三一六師団の着陣からこのかた行なわれている陣地構築や弾薬食糧等の備蓄、兵士たちの訓練の進捗度合いなどは控えめに言っても当初予定されていた計画には到底及ばない出来であったのだ。第五三軍司令部にしてみれば自らの指導力の無さを上級司令部に暴露されたに等しい。

だが、第三一六師団長は敢えてこの惨状を糊塗しなかった。それどころか諌めようとする第五三軍の参謀たちを無視して敢えて来訪した高級司令部の使者に語気荒く現状の不満を訴えた。

「物資が足りない。陣地構築用の資材も、武器弾薬も、糧食も、何もかもだ。配属される兵隊は乙種合格者どころか、丙種やら老人たちばかり。それですら部隊に欠員が出ている有様だ。おまけにそんな状態ですら兵どもに小銃すら行き渡らず、円匙だの鶴嘴だのを振るって一日中塹壕を掘るばかりだ。方面軍は我らに竹槍で米兵を押しとどめよというのか」

 既に戦況は逼迫していた。

 米軍の関東上陸は秒読みと見做され、湘南海岸に上陸する米軍を水際で叩き切れなかった場合(そしてそれは今までの戦訓から不可能と判断されていた)、東京に向け侵攻する敵軍を相手に絶望的な防御戦闘を行なう事になるのは第五三軍であり、彼の第三一六師団である。

 豊富な物量をもって押し寄せる米軍相手に、銃も足りず弱兵ばかりを押しつけられた師団長の憤りは当然過ぎるものであった。

「閣下の怒りはごもっともです」

 第一二方面軍の高級参謀は頷いてみせた。胸に篠尾の名札をつけている。秀でた額はいかにも頭の回転の速そうな参謀ヅラだったが、顔全体の印象で言えばどちらかといえば酷薄さの方が強い。

言葉こそ慇懃だが、その態度には傲岸さが滲み出ている。

両者の階級だけ見るならば中将という立場にある師団長に対して参謀の階級は大佐に過ぎない。だが彼は遥か上級に位置する方面軍司令部の意向をもって訪れた使者であり、そうであるならば彼の立場や言動は方面軍司令たる田中静壱大将のものとして扱われる。

その為、陸軍では往々にして末端の将軍に対して上級司令部の参謀が権高に振舞うケースが散見された。

「兵站については我々も鋭意努力はしております故、一層の奮起をなさってください」

 笹尾参謀の言葉に師団長は激昂し吼えた。

「ふざけるな!そんな言葉は聞き飽きた。貴様らが呑気に前線の督励とやらを行なっている間にも、我らは日々の糧食にすら事欠く有様だ。この九品陣地の反斜面を見たか?塹壕でない所は芋畑だ。かつての無敵皇軍が今では今日の飯の為に芋作りして、その合間に塹壕掘りだ。このままの状況が続けば我が師団は組織の維持の為に民間からの徴発に頼らざるを得ない!戦えぬ兵たちの腹を膨れさせる為に本来守るべき国民から物資を奪うのだ!この有様で一層の奮起とはどの口が言うのだ!?」

「閣下、今は耐える時です。艱難辛苦に喘いでいるのは何も三一六師団だけではありません。他の部隊も最後の決戦に向けて今を耐え忍んでいるのです。我々も三一六への物資の融通は努力しますゆえ、怒りはお納めください」

 第五三軍の参謀たちが慌ててとりなす中で、笹尾はただ口許に怜悧な冷笑を浮かべるだけだった。

「案ずることはありません、閣下。何も我々も手土産も無しにここに伺ったのではありません」

 不敵な笑みを浮かべながら笹尾は白目がちの目で師団長を見据えた。

「……手土産だと」

 爬虫類じみた笹尾の目に怯みながら師団長は尋ね返す。頷き、笹尾は口の歪みを深くした。

「はい。本土防衛の切り札となる決戦兵器であります」

 師団長は嫌な顔をした。

戦局の天秤が連合国側に傾いてよりこのかた、起死回生の切り札と称した兵器の話は幾つも耳にしていたが、その大半が現実には存在しない絵に描いた餅であるか、或いは部下に不帰を強いる特攻兵器であった。

 窓の外を一瞥した笹尾が告げる。

「あぁ、どうやら到着したようだ」

 笹尾の見つめる先、校庭には今しも一台のトラックが乗り入れてきた。そのトラックから次々に降り立つ者たちを見て、その場に居合わせた男たちは凍りつき我が目を疑った。

兵士ではなかった。軍属の民間人であるかすらも定かではない。

 狩衣に烏帽子の男に、薄汚れた山伏姿の男、袈裟を纏った坊主の姿まである。そんな異形の男たちが兵士たちの制止を振り切りやってくる。

 校舎の中を進んだ異装の男たちは、不意に階段の途中で足を停めた。そこに貼られている巨大な姿見を確認した後で頷きあい、なにやら法具や祭具を取り出し、香を焚いて読経を始めた。

 唖然とした顔でその様子を見守っていた師団長が、我に返り笹尾を睨みつける。

「あれが決戦兵器と言うのか。笑わせる、ついには神頼みか」

 笹尾は動じた様子もなく、平然と答えた。

「はい。本土決戦に備えて密かに編み出された救国の呪法、百鬼陣であります」

 居並ぶ男たちの間からどよめきが上がった。立ち込めた香煙の中、鏡から鉤爪をもった巨大な腕が伸びてきたのだ。

「あ、あれはいったい」

 誰かが呻き声をあげた。声が掠れている。

 笹尾はそれに答えた。

「百鬼。百鬼夜行というものは知っているな?夜毎に魑魅魍魎たちが街を闊歩し、出逢った者を食らう霊現象だ。我らはその現象を人為的に創り出す呪法を編み出した。いわば霊的な地雷と捉えればいいだろう。あの百鬼陣を施した場所に足を踏み入れれば、悪霊たちが襲いかかる。既に南九州で実地に使用されて戦果を挙げている」

「し、しかし、あんなモノを使えと言われるのか」

 蒼ざめる参謀の一人に笹尾は詰め寄り冷たい視線を叩きつける。

「既に正面きっての決戦では勝ち目が薄い事は明白だ。熊本、都城、宮崎、第二総軍の総力をあげた会戦でも、米軍を押し戻す事はできなかった。ならば我々はいかなる手段を用いても敵に犠牲を強要し、その行動を遅滞させて戦い続けるしかあるまい?」

 腰を抜かした参謀に冷笑を向けた後で、笹尾は読経を続ける男たちを指した。

「法師、修験者、陰陽師……我らは霊力をもつ連中を動員して関東一帯に百鬼陣を敷く」

「正気なのか。だが、アレは我らの手で制御できるのか?」

 師団長の問いかけに、笹尾は嘲るような笑みを浮かべる。

「強い霊力をもった熟練の術者ならば可能でしょう。だが、閣下が前へと命じても従ってはもらえないでしょうな」

「ならばなんとするのだ?あんなモノを解き放てば我が兵や民間人にまで被害が及ぶ事になるぞ」

 彼らの目の前で、既に黒い肌をもつ鬼が巨体を曝していた。

「かまいません」

 笹尾はクッと笑った。

「我が方への被害は織り込み済みです。まともにやりあっても閣下の兵隊が戦えるなどとは我々も期待しておりません。むしろ、兵たちが草生す屍になって貰った方が好都合。さすれば第二の呪法も使用できます」

「な……なんだと貴様」

 気色ばむ師団長に笑みを消した笹尾が詰め寄る。

「閣下、これは軍機にありますので他言無用に願いたい」

 そう告げる笹尾の白目がちの目には狂気の色が色濃く宿っていた。

「既に聖上に置かれましては極秘裏の内に近衛師団と共に御所を松代に移されておられます。この動きは米軍にもまだ察知されてはいないでしょう」

 その言葉に、その場に居合わせた誰もが絶句した。

 かねてより松本に大本営を移転する話は噂として存在していたが、既に今上陛下が東京を棄てて松代に御動座されていたとは誰も知らなかった。

 昨年八月に起きたクーデター以降、政府や軍上層部の動きは末端の将兵には全く伝わっていなかった。

「我らは空になった東京に米兵を引きずり込み、奴らが根を上げるまで消耗戦を展開します。閣下にはその準備の為の時間稼ぎをしていただきたくあります」 

 笹尾の言葉が耳に空しく聞こえてくる。

 師団長は呆然と佇む事しかできなかった。

「閣下」

 笹尾が青白い目をギラつかせながら告げてくる。

「我らは玉砕するのです。自分も、閣下も、ここにいる参謀たちも皆、米兵たちと刺し違えて死ぬのです。我ら皇軍は、あの棄てられた首都と共に滅ぶのです」

 まるで死者のような冷気を孕んだ参謀の声が、階段に虚ろに響き渡った。



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