エピローグ
――大学4年の春。
僕はまた、かず君たちがいる場所へやってきた。
今年もお父さんは言った。
「もう無理して、おばあちゃんの田舎に行かなくていいんだよ」
僕はいつものように笑って答える。
「行きたい場所があるから、大丈夫」
もう、あの明るいオーナーがいた民宿は店を畳んでしまった。
駅近くの安いビジネスホテルに一泊して、朝早くにチェックアウトする。
お父さんの実家の墓参りを済ませてから、その足で、僕はかず君たちのところへ向かった。
神社の敷地の端に並ぶ墓石の前で、僕は大きなバックを下ろし、ビニール袋から雑巾と、ラベルの剥がれたペットボトルの水を何本か取り出した。
「今年は春に来たよ。なんだかんだ、春に来るのは初めてだね」
ペットボトルの水で雑巾を濡らし、墓石の汚れを丁寧に拭っていく。
「ごめんね。 お花屋さんがさ、お父さんの実家の近くにしかなくてさ。 もう、ちょっと萎れちゃってる」
花立の水を替え、おばあちゃんが好きだった菊の花を中心にした花束をそっと添える。
「おばあちゃん……。 おばあちゃんも、かず君たちのところに行っちゃったね……」
思わずそう話しかける。
大学2年の夏が終わったあと、おばあちゃんは懸命に治療を続けて、奇跡みたいにもう一度夏を迎えることができた。
僕は大学3年の夏もこの田舎に帰り、おばあちゃんと一緒に、かず君とお父さんを家に迎え入れた。
でも、その夏のあと、おばあちゃんの容態は急に悪くなってしまい、大学4年の夏を迎える前に旅立ってしまった。
容態が急変したのは、ちょうど就活中、第一志望の最終面接の日だった。
先生から連絡をもらった僕は、面接を辞退して、おばあちゃんのところへ向かった。
結局、その会社には落ちてしまったけれど、おばあちゃんの最期を看取ることができた。
それだけで、後悔はない。
おばあちゃんは、あのとき確かに「ありがとう」と言ってくれた気がする。
ふと顔を上げて、周りの景色を見渡す。
散乱した枯葉、ひび割れた鳥居、色あせた拝殿。
その光景だけで、この神社にもうほとんど人が来ていないことが分かる。
かつて賑わっていたかず君の地元は、あれからさらに過疎が進んだらしい。
民宿のオーナー夫婦をはじめ、身寄りのあるお年寄りたちは次々と町を出て、家族のもとに移り住んだ。
ここに残っているのは、「生まれ育った村で一生を終えたい」と願う人たちだけだ。
診療所の先生も、なんとかその願いを叶えようと奮闘してきたけれど、経営が追いつかず、今年の夏で撤退してしまうらしい。
上村神社も、かなりガタがきている。
落ち葉は片づけられないまま積もり、社殿の木材はあちこちが軋んでいる。
おまけに、水道の水ももう出なくなってしまった。
僕とかず君を繋いでくれていた「目に見えるもの」が、ひとつずつほどけていくような気がした。
――でも。
『かずくんはね、消えてないのよ。
これまでも、これからも、りく君のことを見守ってるからね』
あの日、おばあちゃんが言ってくれた言葉が、胸の奥でそっと灯る。
僕はお線香に火をつけ、目を閉じて合掌した。
――あと、何回ここへ来られるだろう。
ゆっくり目を開けて、「上村家之墓」と刻まれた文字を見つめる。
「おばあちゃん、就職先が決まったよ。 結局、実家から通えるところになったんだ。
本当は、かず君の地元に行きやすいところで働きたかったんだけどね……。 第一志望、落ち
ちゃったからさ」
きっと、これもおばあちゃんの仕業だ。
これ以上、かず君のことで僕を振り回したくない――そんな最期の導きなのかもしれない。
だけど僕は、本当はずっと、かず君のそばにいたかった。
「かず君。きっと来年からは、お盆の時期には来られないと思う」
「僕ね、春から警察官になるんだ。 かず君の、夢だった……」
バックから、おばあちゃんにもらったアルバムを取り出す。
その間に挟まっている、進路希望調査の用紙。
そこには、かず君の文字で『就職(警察署)』と書かれている。
きっと、次の登校日に提出されるはずだった紙だ。
かず君の時計は、高校2年の「17歳」で止まったまま。
一緒に過ごせる時間は、もう増えることはない。
それでも、僕の時計は、止まってくれない。
だからこそ、僕は決めた。
かず君が叶えられなかった夢を、僕が追いかける。
かず君の想いを、僕が繋いでいく。
気弱な僕が、まさか警察署で働くなんて――。
中学生の僕はもちろん、高校生の僕でさえ想像もしていなかった。
「きっと、かず君も笑ってるよね」
心地よい風が頬を撫でる。
どこからか、花のほのかな香りがした。
「かず君。 僕ね……かず君のことが好きだったんだ」
「友達としてじゃなくて、恋愛として」
「中学3年生のときさ……初めて、自分のセクシャリティのことを話せたの、かず君だけだったんだ。
家族にも言えなかったのにさ」
だから――。
「かず君に会えて、本当に良かった」
「友達になってくれてありがとう」
「叶わないのは分かってるけど……僕の初恋だけは、ずっとかず君のままでいさせて」
返事はない。
でも、かず君のことだから、きっと困ったように笑いながら、「もちろん」って言ってくれる気がした。
そろそろ、バスの時間が迫っている。
まだここにいたい気持ちをなだめるように、僕はペットボトルと雑巾とゴミを片づけた。
町全体が、夕陽でオレンジ色に染まり始めている。
かず君が見ていた景色を、今、僕も同じように見ている気がした。
深呼吸をひとつして、もう一度「上村家之墓」を見つめる。
「それじゃあ、また来ます。 おばあちゃんも、ゆっくり休んでね」
そして、少し照れながら、もう一度声をかける。
「かず君、頑張るね。 僕は弱いからさ、また挫けそうになったら……夢とかに出てきてさ、また励ましてよ!」
そう言って、僕は神社を後にした。
(ゆっくりし過ぎちゃった。急がないと……)
そう思いながら坂道を下りていくと、ふと視界の端に何かが引っかかった。
「あれ……?」
木にもたれかかるように、錆びついてボロボロになった自転車が1台、放置されている。
(……こんなところに、あったっけ?)
胸騒ぎを覚えながら近づくと、自転車のかごに乗った薄い汚れのついたトートバッグが目に入った。
(このトートバッグ……)
それは、かず君がいつも持っていたもの。
あの夏、花火を忍ばせていたトートバッグだ。
「もしかして……」
そっと中を覗くと、そこには中学3年の夏にやった花火の跡が残っていた。
色が変わる手持ち花火、そして、あの本音を打ち明けた線香花火の焦げ跡。
2人だけの秘密が、時間に押し流されずに、まだそこに息をしていた。
僕はトートバッグに触れながら、こらえきれずに涙をこぼした。
「ありがとう……かず君。 頑張るよ」
そして、空に向かって、もう一度。
「またね。 僕は、ずっとかず君のことが好きだよ!」
再び、優しい風が吹いた。
「俺もだよ」
風に乗って、確かにそう聞こえた。
けれど――
馬渡陸は、その声に気づかないまま、バス停へと急いでいった。
以上で『Summer Friend』完結となります。
ここまで見届けてくださった読者の皆様、本当にありがとうございました。
陸と和也の物語はいかがだったでしょうか?
『Summer Friend』と過ごした時間が、読者の皆様にとって忘れられない夏のひとつになっていたら幸いです。
この後、21時に完結に伴って活動報告も更新させていただきますので、お時間のある方はそちらもチェックしていただけると嬉しいです。
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それではまた、いつかの夏でお会いしましょう。




