第十話 【入洛編】文
「空海!なんで黙ってたのよ!」
わたしは、そう叫んで空海を睨んだ。
唐から呪物が入ってきた経緯を、誰が持ち込んだか知っていながら、教えないなんて許せない。
何か企んでいるのか、空海。怒りと疑念がないまぜになってわたしは立ち上がっていた。
なのにである。空海はポッカーンとしている。
わたしの言葉がまるで理解できないといったようすだ。
わたしは空海の態度に、なんだコイツと呆れながら、わたしと同様、怒り心頭であるはずのオズヌを見る。
オズヌはポッカーンとしていた。
「何の話じゃ女童、突然、大声を出しおって」
阿刀爺の言葉を無視して、わたしは空海に迫る。
「なんで黙ってんのよ!」
「・・・だいぶ前に、話したがな」
空海が言った。
嘘ッ。ぜんぜん覚えてないよ、わたし。
オズヌがウンウンと頷いている。
「いつ?いつのことよ」
「・・・吉野に行く前じゃったな。乞児の話す間、居眠りしておったな」
縁側から前鬼の声。
「ほんに、お嬢は、よう眠ります」
後鬼が言う。
えっ、嘘、そんな大事な話をしている時に、わたし寝ちゃってたの。
信じたくはないが、ここに来てから、わたしは二度寝、うたた寝が日課のようになっている。
「・・・さて、腹の具合も落ち着いたし、山にでも入るか」
立ち上がるオズヌに続いて、「今日は、どこまで駆けようか、仙師」と空海も庵を出て行った。
わたしは、立ち上がった姿勢のまま、恥ずかしくて動けない。
ここは、空気を読んで、席を外してくれ阿刀爺。
そうしたら、わたしは奥に引っ込んで、ふて寝できるのに。
どう場を取り繕っていいものやら、考えが浮かばない。
「そこの下男、文机はあるか」
阿刀爺の物言いに、わたしを縛っていた羞恥心が霧散する。
「ちょ、ちょっと下男は失礼でしょ。前鬼だから」
抗議するわたしを前鬼が、ええんじゃ、ええんじゃと手で制して、「文机、文机」と呟きながら奥へと消えた。
オズヌを知っているのなら、前鬼と後鬼を知っていて当然のはず。
呪いや御霊を認めない阿刀爺が鬼を認めるはずもない。
過去にすったもんだあった末の、今の呼び名なのだろうか。
でもねぇ、下男ってどう考えても低く見ているよね、上からだよね、なんかモヤモヤするよね。
「おっ、そこへもて」
前鬼に居間の中央に文机を置かせると、「たまお。そこに座れ」と言ってきた。
嫌な予感を覚えつつも、やることもないので言われたとおりに座る。
阿刀爺は昨晩、庵を訪れた時に担いでいた風呂敷を解いて、中から一冊の本を取り出した。
そう言えば「ソチには学問が必要じゃ」とかなんとか言っていたなぁ。
言いながら、阿刀爺、なにか決心するかのように頷いてたんだよなぁ。
まさか、阿刀爺は、わたしの家庭教師をやろうとしているんじゃなかろうか・・・
わたしの目の前に、ポンと一冊の本が置かれた。
「我が傍らにあって呉下の阿蒙であることを許さん。ワシはそちの蒙を拓くことに決めた」
言葉の意味は全くわからないが、何を言われているかはわかる。きっと、いや間違いなく、とても馬鹿にされているに違いない。く、悔しい・・・
いや本当の事を言えば、実際に、わたしは馬鹿であることに、ほとほと困っている。
自分が巻き込まれている状況も、この時代の常識も、どう振る舞えばいいのかも、まったくわからない。
わたしがこの時代でどう生きていけばよいのか教えてくれるなら、ありがたいと思ったのだけれど。
文机の上に置かれた本の表題を見て、ググと唸る。
”論語”とあった。
「では、たまお。読んでみよ」と阿刀爺。
読めるわけ無いだろうと思いながら、本を開く。ほれ、思った通り漢文ですよ、漢文、全部、漢字。
漢文に初めて触れたのは中学校の時だったか、うん、その時も”論語”の授業があったよね、確か。
読み方がわかるようにレ点とか付いてたよね。
そのレ点も見当たらない、まったく素の漢文だよ。
はぁ〜と溜め息を吐いて、ページを見る。
そうそう、そうだった。わたしは思い出した一節を口にする「子曰く!」
わたしの声に、うむっと頷く阿刀爺。
よし!”子曰く”のやつで間違いない。思い出せ続きを、続きを・・・二十年以上前の朧気な記憶を、必死で手繰り寄せる。
「子曰く!」わたしは繰り返す。
少し怪訝そうに阿刀爺がわたしを覗く。
そんな目で見られても、ね、読めないしね。でも、なんか悔しくて、素直に読めないと言えない。
「子曰く!子・・・曰く・・・」
このあとに続く、あれ、あったよね、そうそう、現代文でならった文章にも出てきた気がする。
たしか、”どんと焼きの日であった・・・”で始まる話で、ヒロインが書き留めた言葉に、主人公がキュンとする場面があって、”そんな標語みたいなもんで、惚れちゃうのか”って驚いたことがあったじゃないか。
あった、あったような気が・・・あった!
「子曰く!少年老いやすく学成りがたし、一寸の光陰軽んずべからず!!!」
どうだ、阿刀爺、驚いたろ。うん、驚いているようだふふふふ。
「論語にそのような一節はないわ!たわけ!」
と阿刀爺に叱りつけられた。
「えええ〜、これ孔子の言葉じゃないのぉ」
わたしは、文机に崩れ落ちる。
「違うわ!」
バンと阿刀爺が机を叩く。驚いて姿勢を正すわたし。
「されど・・・まあ、よい、よい」
阿刀爺の顔には、先ほどまでになかった笑みが浮かんでいた。
「少年老いやすく、学成りがたし一寸の光陰軽んずべからず」
わたしが今さっき言った事を、味わうように口にする阿刀爺。
「見事である。たまお」
褒められた。
満足したようすで、阿刀爺は本を閉じた。このチャンスをわたしは見逃さない。
「先生!わたし馬鹿だから、今から一から十を教えられても、学びきれないと思うんです」
阿刀爺におもねるように、先生と呼びかけてみる。まんざらでもない顔を、阿刀爺は向けてくる。
このジジイちょろいと内心思うが、そんな様子をお首にも出さず続ける。
「でね、わたしが今、知りたいことから教えてもらって、そこからこう学び?っていうか、学んでいく?みたいな感じでお願いできないかなぁ」
少し上目遣いでお伺いを立てて見せる。
「いいじゃろう」
少しもったいぶった感じで阿刀爺が答える。阿刀爺ちょろい。
「で、お前が知りたいこととはなんじゃ?申せ」
「まず、確認なんだけど。藤原宗成が伊予親王に謀反を持ちかけて、それを知った藤原雄友って人が、藤原内麻呂に報告した。ここまで大丈夫だよね」
頷く阿刀爺。
「で、ここで疑問なんだけど、伊予親王ってめっちゃ偉いんだよね」
当たり前の事をといった感じで、再度、頷く。
「阿刀爺さぁ、藤原宗成って無位無官の出来損ないって言ってたでしょ?そんな出来損ないが簡単に偉い人に会えちゃうの?」
阿刀爺は片眉をぐいっと上げて、わたしの顔を覗くように見る。
「会えぬな」
思った通りの返事だ。わたしはさらに突っ込む。
「誰かが手引したってことだよね?」
阿刀爺は腕組みをして目を閉じた。
「阿刀爺は誰だと思う?」
阿刀爺は腕を組んで、目を閉じたままだ。考えているのか、答える気はないのか、いまいちわからない。
「聞き方を変えるね。高位高官の出来損ないっている?」
阿刀爺の眉がピクリと動く。
「ねぇ」
「ふ〜ん」
諦めたように鼻から息を吐くと、阿刀爺は「ここだけの話じゃぞ」と前置きをして言った。
「・・・藤原仲成」
名前を口にするのも汚らわしいと思っているのか、阿刀爺の顔がゆがむ。
「どんな人?」
「淫夫」
間髪を入れずに阿刀爺が返す。
インプ!?淫らな男ってことか。絶対に近付きたくない相手だな。
「そんな男が、なんで高位高官になれるのよ。凄く有能だったりするの?」
阿刀爺は首を振って答える。
「藤原仲成は桓武天皇の重臣であった藤原種継殿の息子じゃ。しかも、今の帝、平城天皇の尚侍藤原薬子の兄である」
なるほど、親の七光りってわけね。しかも、妹が平城天皇の尚侍と、ふむふむ。なるほど、頷きながら、肝心のところがわからない。
「尚侍ってなに?」
「帝のお側に仕え、帝と臣下の文書を取次、帝の命を伝える御役目じゃ」
「えっ、尚侍ってかなり重要なポジ・・・いや、地位だよね?」
ポジションと言いそうになって、慌てて言い換える。
「そうじゃ、女官の頂点じゃな」
「おおお、デキる人なんだね!」
「淫婦じゃ」
わたしの上がったテンションをぶった切るように言い切る阿刀爺。
「インプ兄妹かよ!」
平安時代のバリキャリウーマンを思い描いていたのに・・・
「デキる人じゃなくて、そのぉ、女を武器にしてのし上がったってこと?」
「そうじゃ」
苦虫を噛み潰したような表情で阿刀爺は頷いた。
なるほど。少し期待は外れたが、藤原薬子という人への興味は失せることはない。
わたしは妖艶な女性が男どもをヒイヒイいわして、宮中でブイブイいわしてる姿を思い描く。
痛快じゃないか!
「どうやったら尚侍になれるの?」
「ふむ」阿刀爺は小さく頷いて「たまお。そちは女官に興味があるのか?」と聞いてきた。
「いや、そんな大げさなものじゃなくて・・・」
「たまおよ。遠慮することはないぞ、良い心がけじゃ。まあ、ソチが尚侍になるのは夢のまた夢じゃろうが、オズヌごときの従者で満足してはならぬぞ」
なにか勘違いしている阿刀爺は、よしよしと独り言ちて「尚侍になるには、内侍司に入り、女孺から始まり、掌侍、典侍、尚侍と昇っていく。書に通じ、礼儀を身に着け、人との調整に長けている必要があるぞ、たまお」
わたしは、阿刀爺の期待に満ちた視線を躱しながら、「なるほど、藤原薬子はその階段を駆け登ったわけだ」と言った。
「いや、違う」
「えっ、違うの?」
「今の帝が安殿親王であられた頃、薬子の娘が東宮の妃に迎えられることとなった。薬子は幼い娘に付き添うて東宮に出仕したのじゃが、そこで安殿親王の目に留まり・・・」
待て待て待て、おかしな話になってるぞ。
「ちょっと待って、藤原薬子は娘がいるの?結婚してるってこと?自分の娘のお婿さんを横取りしたってこと?嘘でしょ!それ、許されるの?」
「淫婦じゃと言うたろう」
いや想像の斜め上を行くとは、このことだよ。
「薬子の旦那はどうしてるのよ?」
「藤原縄主様は、今、大宰府におられる」
太宰府!?九州だよね。左遷されてんじゃん。それも、薬子の目論見なのか?だとしたらえげつないぞ。
まあ、夫はね、所詮、他人だし、そういう事があっても不思議はないと納得できなくはない。
だけど、娘に対しての仕打ちは、酷くないか!?わたしのお母さんでも、しないだろう仕打ちだ。
「娘の方はどうなってるの?」
「平城天皇の妃として後宮におる」
「マジかぁ〜」
それは堪らんだろうな。気の毒すぎる娘だ。
もう、あれだ、伊予親王、藤原吉子を陥れた犯人はインプ兄妹でよいのではないだろうか。
阿刀爺の人物評だけで結論づけることはできないけれど、容疑者と呼んでもいいような気がする。
なんだろう。まだ、何も知らないけれど、ドロドロとした怨念や陰謀の気配に溜め息がでる。
「藤原吉子もしんどかったんだろうな・・・」
取り憑かれた時に、感じたあの恨み、悲しみを思い出す。
「さぞ無念であられたであろう・・・」
阿刀爺は深い嘆息とともに言う。
「吉子様は桓武天皇の寵愛深く、皇子を授かられた。その皇子もまた、父帝の覚えめでたく、利発な御方であられた。それが、このような結末を迎えられるとは・・・如何ほどお嘆きであったろうか」
阿刀爺のまぶたが震えている。そして、やりきれないといったように首を横に振ってポツリと言った。
「后妃にとっては、帝の寵愛を受け、子を授かること。そして、男児を授かれば、その子が帝位に就くことこそが、何よりの望みであろうからのう」
「なにそれ?本気で言ってんの⁉」
阿刀爺の物言いに嫌悪感を覚え、問い詰めるような口調になってしまった。
男がいなければ、子供を産まなければ、女は幸福になれないみたいな、何世紀の話だよって!って9世紀なんですけどねって「はあ」溜め息が漏れる。
「ただいま戻ったぞな」
中庭から空海の声が響く。
井戸から水を汲み上げて、足を洗い、縁側に腰掛けたところで、居間の一角から「遅かったのう」と声がする。いつの間にかオズヌが上がり込んでいて、空海に笑いかけている。
「ガキかよ」とわたしは思わず口にする。
おおよそ山を駆けて、どちらが早く帰るか競争でもしたのだろう。
「見苦しいですな仙師」
涼しい顔で空海が言う。
「負けを認めろ空海、そんなことでは偉くなれぬぞ」
またぞろバトルを始めそうな二人に「ガキかよ!」と今度は大声で叫んでいた。
そこへ「ごめんください。里の者でございます。阿刀大足殿はおいででしょうか?」と門前から声がかかる。
阿刀爺の顔が強張る。追われているかもしれない身なのだ。
阿刀爺は空海と視線を合わせると奥へと引っ込もうとした。
「おう、阿刀大足殿ならここにおるぞ!」
オズヌが大声で答える。
キッと阿刀爺と空海がオズヌを睨みつける。
諦めたように「こちらへ参られよ」と空海が返事をする。
いつもの里の青年が中庭へと顔を出した。
青年はわたしを見て、頬を赤くして顔を伏せる。伏せながらチラチラとわたしを覗き見ている。
わたしに気があるのが見え見えなんですけど。て、言うか、これもう確定案件なんだよね。
前に食材を持って来てもらった時に、わたし、この子から手紙をもらっちゃってて、そこには歌のようなものが書かれてた。歌のようなものって曖昧な言い方になっちゃうのは、字が読めないのよ達筆すぎて、代筆を疑うレベル。
好青年から思いを寄せられて、嫌な気はしないんだけど、申し訳ないような気もするのよ。
中身は三十路なんだよね。
「で、ご要件は」と空海が声をかける。
「へ?」と青年が素っ頓狂な声をあげる。
「へ、ではなかろう。ワシになんのようじゃ」
阿刀爺が詰め寄る。
「あっ、そうでございました。里長からこちらをお渡しするようにと」
青年は懐から書状を出して掲げ、阿刀爺に跪く。なになに阿刀爺ってそんなに偉いのとわたしは驚く。
「うむ。確かに預かった」とだけ阿刀爺は言う。
青年は立ち上がるが、去ろうとしない。
「他になにかあるのか」
阿刀爺が訝しそうに青年に尋ねる。
「いや・・・そのぉ・・・」
青年はもじもじしている。
「なんじゃ、ハッキリ申せ」
阿刀爺が叱りつけるように言う。
青年はわたしに向き直ると「文はお読みいただけましたか!」と場違いな大声で聞いてくる。
「なんじゃ」と阿刀爺はどうでもよいという表情を見せる。
「うん。読んだよ」
わたしは、気がない素振りで答える。
「それで、そのお返事はいただけるのでしょうか・・・」と青年。
わたしは昨日、書き留めておいた紙片を懐から出して、青年に手渡した。
青年の顔がパアッと明るくなり、手元の紙片を愛おしそうに見つめる・・・紙片がない!
えっっ!わたし、渡したよね。
「衣とも
髪とも見ゆる
うつしみに
我を知らずて
恋とやは言ふ
カカカカカ」
オズヌが術を使って、紙片を奪い取ったのだ。しかも、あろうことか読み上げるとは。
わたしは初めて和歌風に仕立てた、自分の文を人前で読まれたことが恥ずかしく、顔が赤くなる。
「オズヌッ!」
手紙を奪い返そうと飛びかかるが、そこにオズヌはもう居ない。
オズヌは青年の背後にまわり、紙片を青年に返すと「脈なしとは言えんのう・・・あやつ頬を染めておる」と青年にあらぬことを吹き込んでいる。
「違うわ!」
どっとおっさんどもが笑う。
「改めて文を!」と青年はキラキラした瞳をわたしに残して、去って行った。
「あれが歌か?」とオズヌ。わたしは再度、顔を赤くする。
「拙くはありましたな」と空海。
「教養が感じられぬ」と阿刀爺。
ひどい、そこまで言わなくてもいいじゃないか・・・わたしはヘナヘナと居間にへたり込む。
「で叔父上、書状の内容は?」
空海は阿刀爺へ声をかける。
「おおう、そうであった」
阿刀爺は書面を開いて、目を瞠る。
「真魚よ、これは良い知らせじゃ!平城天皇が退位され、神野親王が即位されるそうじゃ!近く、ソチに入洛の許しが出るであろう」
「叔父上への疑いも晴れるでありましょうな」
そういう二人に笑顔が浮かぶ。ぴいぴいと雲雀が鳴く声が山から届く。




