第一話 【召喚編】召喚
こりゃ下手したら死ぬなって、状況にいます。
なんで?意味がわからない、ゲフッ。
呼吸ができない!? 布団に簀巻きにされたような、すし詰めの電車に放り込まれたような、ただ身を任せるしかないような状態が続いているんです。
いや、もう、ほんと勘弁して!呼吸が出来ない!
なんとか、こう、藻掻こうとするのだけれど、周りがヌルヌルでどうにもならない。
訳が分からない、一つ分かることは、周りのヌルヌルが脈動するたびに、わたしの体が前へ前へと運ばれているということ・・・いや、前なのか後ろなのかわかりませんけど・・・飲み込まれようとしているのか、放り出されようとしているのか、わかんないけども、とにかく、わたしの意思とは無関係にズルズルと体は一方へと押し動かされる感覚があるんです。
もういい、この先が化け物の胃袋でも、肥溜めでも構わない・・・早く!早く!
わたしの肺はもうぺしゃんこだ。
死ぬ死ぬ死ぬ・・・もう駄目だ!
心のなかで「助けてぇ〜」と叫んでみるのだけれど、自分を助けてくれそうな人の顔が一つも浮かばない。
父や母は論外だ、兄もないな、高校の同級生で唯一の親友、美咲ならどうだろう?
駄目だよね、友達に迷惑かけちゃ・・・わたしは誰にも助けを求めることも出来ずに死ぬんだな・・・もう気が遠くなり始めた、その時――
わたしは捻り出されるようにして全身の圧迫から解放された。
ベッドから床に落ちたような衝撃が右肩あたりに広がる。
あれほど求めていた空気を、うまく吸えない。
吸うためには、吐かなきゃいけなくて、吐くためには、吸わなきゃいけない、呼吸ってこんなに難しかったっけ?
必死で息を吸い、息を吐く、体が痙攣するようにブルブルと震える。
「主様・・・コレが蔵王権現ですか・・・」
誰かの掠れた声が聞こえる。
滲んだ視界がぼんやりと像を結び始める。
眼の前に、今まで見たことのないような可憐な少年がいる。
14歳くらいだろうか、艷やかな黒髪を両脇で結っている。
みずみずしい肌にパッチリとした瞳、その瞳の間を細い鼻梁が伸びている。
和装の美少年。
さっきまでの苦しみは、きっと、この子に会うための試練だったのだ・・・。
ってか、そんなわけあるか〜い!!!勝手に暴走しようとする脳に慌ててブレーキをかける。
分からないことだらけだ。何が起こったのか?ここはどこなのか?美少年は誰なのか?
知らなきゃならないことが山程ある。
わたしの呼吸が落ち着くのを待って「オズヌじゃ」と少年は見た目に相応しくない仰々しさで名乗った。
知りたいことの一つはクリアできた。
美少年の名前はオズヌ。
オズヌってどんな字を書くんだろう?聞いてみる?いやいや、その前に挨拶だ。
相手が名乗ったからには、次は自分だ。
さて、名乗ろうと身を正し、息を整え伏せた目がスカートの端を捉える。
えッ!プリーツスカートじゃん!
わたしは自分が身につけている服をチェックした。
セーラー服だ・・・・・
「なんの呪いだよッ・・・」わたしから弱々しい声が漏れた
ーーーーーーー
夢を食べるのがバクで、悪夢を食べてくれるのがワニ。
そんな話をどこかで聞いた。ホントかな?
もし、わたしの周りにワニがいたら、わたしの人生の三分の二は食べられちゃってるんじゃないだろうか。じゃあ、残りの三分の一がハッピーかというと、そうじゃない、悪夢ではないというだけの人生のヘタみたいなものなのです。
例えば、今日もお通じがあって良かったとか、歯医者の予約をすっぽかしてしまったとか。
そう、わたしはどこにでもいるただの派遣社員なのでした。
わたくしこと佐藤たまおは、山形県酒田市生まれの29歳。
実家は代々医者の家系で、医者でなければ人にあらず的な鼻持ちならない考えを持つ親族に囲まれて育ったのです。
わたしは早生まれということもあって、子どもの頃は同級生よりも背が低く、運動も勉強も遅れがちなところがあって、それが、どうもお母さんには耐え難かったようで「ちゃんとしなさい」「どうしてできないの」と叱られ、失望されて育ったのです。
親戚の集まりなんかで、わたしがジュースをこぼしたりしてやらかすと「あなたは、いつもいつも・・・」と声を震わせて、そこに親戚のおばさんが「まあ、いいじゃないですかスズネさん、それよりうちのタカオなんですけどね・・・」と自分の息子の出来の良さでマウントを取ろうとするものだから、お母さんは、瞳にドロドロとした情念を浮かべたものです。
そんなことが何度も、何度もあって、とうとうお母さんはわたしを諦めたのでした。
でも、良かったね、お母さん、お兄ちゃんが超優秀で、お兄ちゃんだけで、親戚のオバサン達、全員を向こうに回してマウント取れるじゃん。
で、駄目なわたしは高校を卒業すると追い払われるようにして、東京のビジネス専門学校へ進学したのでした。
で、そこを卒業して派遣で働き始めて、はや八年。一度も酒田には戻っていない。
戻りたいと思ったことはないけれど、もう駄目だと思うことは何度もあった。
一番きつかったのはコロナの時期だ。
派遣を切られて、職が見つからず、預金残高なんてものには縁が無い中で、家賃の支払いが迫る「しゃーないか」とデリヘル嬢となって乗り切ったのでした。
やることもやることだし、コロナ流行ってる時だから飛び込むのには勇気がいったよね。
まあ、身の危険を感じるようなケースがなかったのはほんとにラッキーだった。
出会った客次第の商売だから、どうしても嫌なこともあるわけだけど。
デリヘルを始めてからしばらくして、わたしは、いくつかコースとコスチュームを用意した。
「高校時代の憧れの先輩が僕の童貞を奪ってくれるコース」
「診断中、女医さんに上から目線で射精させられるコース」
「彼氏持ちの職場の同僚とのラッキースケベコース」
「生意気研修生をセックスでわからせるコース」などなど。
別にわたしが、ノリノリだったわけじゃない、設定を作ってやり過ごす方が楽なのだ。
お客さんと二人になって、このコース表をみせると、結構興味持ってくれて、終わった後に「楽しかったよ」って声かけてくれる人もいた。
コロナが明けて、就職先が見つかっても、話が来れば出かけたよね、生活的に助かるからね。
けれども27歳の誕生日を迎えるとパッタリ、ピッタリ声がかからなくなった。
アラサーフェロモンでもあるんだろうか!?
報酬は少なくなるしで、割が合わないなと、デリヘル嬢は引退となったのでした。
ほんとはさ、年収1000万以上の男に出会って、専業主婦とか、なりたかったすよ。
いや、ほんとに。夫が出ていった後、せんべい食って、動画見ながら寝落ちするような毎日を送りたい日々だった。
でも、もうそんな日常を手に入れることは無理なのだ。
30を過ぎた男が急にメジャーリーガーになるって言い出すようなものだと思う。
で、今日も今日とて、派遣先で、伝票整理を終えて定時で退社して、真っ直ぐ帰るのももったいなくて、ショッピングセンターに寄ってみようと通りの角を曲がろうとしたところで、嫌な予感がした。
曲がってはいけないとアラームが鳴るのだけれど、わたしは止まることができなかった。
イケナイと思いながら吸い込まれるように角を曲がる。
悪い予兆に慣れ慣れてしまって、その予兆に反応することが出来なくってしまっているんじゃないかなぁと思う。そんなものにいちいち反応していたら日々の暮らしも覚束ないしね。
角を曲がった先で出会ったのは、ロングコートの前をハダケて粗末なイチモツを晒すおっさんの姿ではなく、夜空に出来た奇妙な裂け目だった。
それは”おまんこ”の形に似ていた。
夜空にクパァと開いており、そこから覗く瞳が見える。
あっと声を出す間もなく、わたしはそのおまんこに似た裂け目から伸びてきた巨大な手に全身を掴まれ、引き込まれたのだった。
ーーーーーー
で、今、現在、土の上に引きずり落とされている。
もう一度、自分が身につけている制服を見る。
これ、アレだ、デリヘルの時に着ていた制服じゃない、本物だ、わたしの母校、鶴岡西高校のセーラー服だ。
「なんの・・・呪いだよ・・・」わたしは、また乱れそうになる呼吸を抑えて、オズヌと名乗った美少年を睨む。
「これは、これは、お憤りのご様子」フフとオズヌが笑う。
いやホント美少年、お人形さんみたいにスベスベでツルツル、ただ浮かべる笑みがいただけない。
いや、マジでこちらを完全に見下している感じ。
「主様、これが蔵王権現ですか?」と赤鬼が美少年オズヌに尋ねる。
そう、赤鬼・・・赤鬼がいる!?
今の今まで、オズヌという美少年に目を取られて気付かなかった。
赤鬼だけじゃない、わたしの背を優しく撫でる手があって、そちらへ顔を向けると、青鬼がいた・・・わたしはただただ驚いて、声も出ない。
この赤鬼、小柄で皮膚は赤く、目の色は金色、鼻は尖っており、口からは牙が覗いている。
鬼というよりファンタジーに出てくるゴブリンに近いかもしれない。
髪はサイヤ人かとツッコミたくなるほど逆立ってて、手には小さめの斧を握っている。
「聞いておった様子と、だいぶ違うようじゃなぁ。お前さんよ」と青鬼が言う。
青鬼の髪は可愛いくカールしており、垂れた乳房と声からして女性なのだろう。抱えるように瓢箪を持っている。
「手違いかのう」とオズヌが言う。
「岩見で主様が手違うとは珍しいことですな」
「ほんに、ほんに」
オズヌと名乗った美少年はどうやら蔵王権現を岩見と言う方法で召喚?しようとしていたらしいが、召喚されたのがわたしで、先方も困っているらしい。
あんなに酷い体験をさせられて、結果、人違いとかヤメて欲しい。
ていうか、夢だよね・・・これ?
美少年と赤鬼、青鬼が目の前にいるなんて、ありえないし、夢だこれ!
いや、夢でもこんなの見たことないけど、うん夢だ、夢、そうに違いない・・・よし、目を覚ますぞと両手でパンっと頬を打ってみる。
「夢ではないぞ娘よ」と見透かしたようなオズヌの声。
「なんなのよ!」とわたしは堪らず叫ぶ。
「訳解んないですけど、夢でしょ!夢じゃなきゃおかしいでしょ!」
「ここどこよ!?」
「相模のワレの磐座じゃ」
相模?磐座ってのがどこのことかは知らないけれど、相模は分かる。
ってか、さっきまでわたしがいたのは東京の西新井だったはず、それが相模ってそんなことって、ありえるのか?
「そんな訳あるかぁ〜!」とわたし。
パチパチと火が爆ぜる音に、わたしは目を向ける。
暗闇の中、松明が虫を纏って燃えている・・・それは、とてもリアルだった。
月明かりに山陰が遠くまで続いているのが見える。
どうやら、わたしは山の上の岩場にいるらしい。うん、山の冷気も確かに感じる。
リアルなのか・・・いや、そんな訳はないはず・・・
夢から覚める方法って?とわたしは考える。
さっき頬を打ってみた、目は覚めなかった。
夢から覚める方法・・・わたしは思い出した!子供の頃、よくお漏らしをして目を覚ましたじゃないか!
そうだ、お漏らしだ!・・・・って、できるわけ無いだろ!!!
おバカロジカルシンキングとはこのことか・・・おバカとは言え、ロジカルにシンキング出来ていることが、なんだか、夢ではないことを証明しているような気持ちになる。
何が起こってるんだろ?
「鬼が・・・いるじゃん」とわたしは呟くように言う。
「おおおよ。赤いのが前鬼、青いのが後鬼、ワレの式神ぞ」とオズヌ。
鬼の名前がなんであっても構わない。わたしが知りたいのはそんなことではない。
「なんなのよ!訳解んないんだけど!西新井に帰してよ!」
するとオズヌはとても意外そうに、わたしの顔を覗き込む。
何よっ!と睨み返しながら、わたしは少し怯む。
「帰りたいのか?」
「エッ?」
「元の場所に帰りたいのか?」
「あ、あたりまえでしょ・・・」なにかが喉につかえる。
明日、仕事あるし・・・6時半におきて化粧して、インスタントのスープにエネルギーバーを齧って朝のニュースに目を通し、ギュウギュウパンパンの通勤電車乗って、カタカタキーボード叩いて、「お疲れ様でした」って言って帰らなきゃならないんで・・・
て、明日のto doリストを思い返して、唖然とする。
わたしが居なければ、誰かがやるであろう案件の数々は、きっと誰かがやるだろう、ヤバ!テンパりすぎて進次郎構文になっちゃった・・・・
わたしは返答に窮してう〜むと唸るしかなかったのでした。
元いた場所に帰りたい理由を考えあぐねて、ふと気付く。
「そうじゃないでしょ!帰りたいか、帰りたくないかの前に、ここどこよ?」
時代がかった衣装を着た美少年に、鬼がいる世界。
異世界なのか、そうじゃないのか、どうなんだって話ですよ。
「さっきも言うたであろうが」とオズヌ「相模のワレの磐座じゃ」
「さ、相模ってことは、ここは日本ってことでイイんだよね?」
「おうよ、ニホン、ヒノモト、ヤマトじゃ」
なるほど、異世界じゃないってことになるのか?鬼がいるけど、どうなんだ?
まあ、昔話に鬼は出てくるし、昔の日本だったらあり得るのか?いや、過去だとは限らないかもしれない。
遠い未来で、異星人のことを鬼と呼んでるみたいな、こともあるかもしれない。
「で、今は何年?」
「大同三年」とオズヌ。
「西暦で言ってくんない」
「西暦とは?」
なるほど、これは過去確定でいいのではないだろうか?未来であれば西暦は知っているはず、だと思う。
にしても、大同三年っていつだよ、ああ、もっと勉強しておくべきだったなぁ、いや、勉強はしたんだよ、わたしなりに。
ただ、他の人からすると変なとこで躓くと言うか、例えば分数の割り算、割る方の分数の分母と分子をひっくり返すって教わったんだけど、「なんで?」ってなっちゃう。
英語で一万はテンサウザンドって教わったけど、「なんで万の位がないの?」ってなっちゃう。
先生に聞いても「そういうことだから、そうなんです」みたいな答えしかなくて、そう言われると、どうでもよくなっちゃって、ズルズルと落ちこぼれちゃって・・・年表で覚えていると言えば710年綺麗な平城京くらい・・・・こっ、これだ。
「み、都は今どこ?」
「平安京じゃ、遷都して十五年になるか」
平安京キタぁ〜、え〜と確か794年ウグイス平安京だから「え〜と794足す15だから、え〜と」そう、わたしは算数も覚束ないのでした。
「809じゃ」と前鬼。鬼に教えられてしまうとは・・・っていうか「1200年前かよ!」わたしは身を仰け反らせる。
「なんのことじゃ」とオズヌ。
「あのね、よく聞いて」わたしは息を整える。
「わたしはね・・・わたしは今から、1200年後の人間なの、わかる?あんた達からしたら遠い未来の人間なわけ、わかる?」
オズヌと二匹の鬼はポカンとしている。いやいや、召喚したお前らがポカンとするんじゃねぇよ。
「1200年後の人間が、この時代で暮らしていけるわけがないでしょうが!」
「暮らし?大袈裟な、飯食って、屁こいて、寝るだけじゃろうが」
う、うん。屁は余計だけど、確かに、仕事から帰ったら、ご飯食べて寝るだけの生活でしたけれども、って
「し、仕事しなくっていいの?」わたしは前のめりで聞き返す。
「飯食って、屁こいて、寝てたらいいの?」もしかしたら、これは、とてつもない好条件なのではないだろうか。
「煮炊き、繕いは前鬼と後鬼が全部やる、ウヌはそうじゃな、ワレの手伝いをせい」
なんだよ、やっぱり働かなきゃいけないんじゃないか。危ない、危ない、迂闊にも話に乗るとこだったわ。契約書は最後まで読めってことよね。
「手伝いって?具体的にはなにさせる気よッ」オズヌが片眉を上げて、こちらを窺う。
そのオズヌに向かって「わたし、キツイ、キタナイ、キケンな仕事は嫌だから!」
そう、しっかりと、わたしは条件を告げた。
《登場人物》
佐藤たまお 山形県酒田市出身で東京在住の29歳派遣社員。何の因果か古代大和に高校生の姿で召喚される。本物語の主人公。
オズヌ(役小角) 生没年不詳の伝説に彩られた術師。続日本紀 文武天皇三年(699年)五月二十四日の条に、役行者小角を伊豆に島流ししたという記載がある。葛城山に住み、呪術で有名で、鬼神をコキ使って、言う事をきかないと縛り上げたりしたらしい。弟子に裏切られた挙げ句、島流しになったらしいが・・・
前鬼・後鬼 伝承では生駒山に住まう鬼の夫婦で、往来する人々を襲っていたが、役小角に懲らしめられて彼に従うことになったのだとか・・・




