162 ダブルバブルアラブルトラブル~人は楽しみを奪われた時、キレる~
《アポロさまのしおり……随分減りましたね》
宿についてから早々に、俺は荷物を整理している。
借りた部屋は二部屋。
ばあちゃんとヴィヴィの部屋と、俺とポッコの部屋だ。
お世辞にも綺麗とは言えないボロ宿だ。
これで一泊10万円か……
ミルカは帝国が用意した宿があるから、今まで通りそこで寝泊まりするようだ。
「うん。ヨツシアに入ってからも道中、要所要所に置いていったからね。加護が拡張したとき役に立つだろう?」
《そうですね。ヨツシア内陸の魔物はかなり強いみたいですし、稲荷神の加護で弱体化出来ればいいのですが……しかし稲荷神社からは随分距離があります。どうなるか分かりませんね》
「だね。いずれにしても、ヨツシアでばあちゃんに対する信仰心を集めないと」
《それにはまず人助けですか。一刻も早くローニャさまを目覚めさせたいところですが……急がば回れですか》
「うん。今は色んな情報が欲しいし、焦って行って全滅したら元も子もないからね」
《そうですね》
まあ、ばあちゃんがいればそんな事にはならないとは思うが……
用心することに越したことはない。
《それはそうと、蓮さまはお風呂に行かないのですか?》
「行くよ。もう少し荷物を片付けてから」
ばあちゃんたちは軽く荷解きをして、すぐに温泉に入りに行った。
移動中は神水を節約するため、シャワーもほどほどだったからな。
ばあちゃんはともかく、ヴィヴィやミルカは早くお風呂に入りたかっただろう。
「ポッコは? 温泉入りにいく?」
「う~ん……ワシはえいぜよ。テンマと留守番しちょくぜよ。ローニャどのも見ちゃあせんといけんきねや」
魔人へのあこがれからか、ポッコはローニャに対して『どの付け』をするようになった。
移動中も眠るローニャをちょこちょこ覗き込み、じっと観察していた。
そんな空気もあり、ローニャは俺たちの部屋に置いておくことにした。
「それにどの道、ワシは入れんろう?」
「あ――そかそか。ごめん。たぬきつねの湯のつもりで話してた」
「たぬきつねの湯……おまさんの街の風呂屋か。そこはワシも入れるがか?」
「うん。誰でも入れるよ。人も亜人もドワーフも関係なく」
「亜人も? 毛が浮くがやないか?」
「あ~、それは大丈夫。ケメンボってやつが集めてくれるから、お湯はいつも綺麗なんだ」
ウォルフのやつ、元気かな。
まあ、あいつはいつもマイペースだ。
きっとドンガと仲良くやってるはずだ。
「はあ~、そうながや。ワシもおまさんの街、大狸商店街にいってみたいねや」
「はは、ローニャが目覚めたら、一緒に帰ろう。いっぱい仲間が増えるぞ~」
「い、いっぱい?! そうか~、うししっ! そりゃ楽しみや」
ポッコは両手をモジモジと組み、嬉しそうに尻尾を膨らませている。
こいつは『仲間欠乏症』だからな。
「じゃあ、俺、風呂に行くけど、何かあったら念話してくれ」
「うん。わかったぜよ」
宿から出るとすでに陽はとっぷりと落ちていた。
◇ ◇ ◇
さすが温泉街。
至る所に行灯の様な街灯があり、その灯りが湯気を照らし、柔らかい光が街を包んでいる。
街は昼間と同様に多くの人出でにぎわっている……ようだ。
ようだ、というのも、湯気が立ち込めて見通しがかなり悪い。
人の声は至る所から聞こえるが、かなり近づかないとその姿が見えない。
その為か――
――『足元注意。夜のマツィーヨ、一寸先は湯気の中』――
といった看板がいくつも立ててある。
「はは、なんか面白い街だね」
《そうですね。現世の松山市も道後温泉で有名ですからね。3000年の歴史を持つ日本最古の温泉街です》
「ええ?! 3000年?!」
《源氏物語や万葉集にも出てきますよ? 学校で習いませんでしたか?》
「あ~……なんか習ったような習ってないような……」
《習ったはずです。超絶有名な温泉ですよ。まあ、それも現世での話ですが》
「いや、でもマツィーヨも相当な温泉街だよ」
大通りに出るといくらか見通しが良くなった。
大通りは、俺たちが入街した門から港まで一直線に街を二分している。
通り沿いにはいくつもの宿や酒場、道具屋などが建ち並び、夜だというのに活気に溢れている。
「これは……大狸商店街、完全に負けてるな……」
《そうですね……人口が圧倒的に違いますね。しかも今は魔導士試験が行われていますし、他所からも冒険者が集まっているのでしょう》
「やっぱり温泉ってのが強いなぁ~」
《温泉は古代より『霊泉』と呼ばれ、信仰の対象になるほどですからね。そもそもの求心力が違います》
「たぬきつねの湯は銭湯だもんなぁ。あ~大狸商店街にも温泉があったらなぁ」
《……ないものねだりとは蓮さまらしくありませんね。『あるもの』を最大限活用するのが商工会職員のお仕事では?》
「はは……そ、そうですね」
チエちゃんに発破をかけられながらも、街を眺めながら温泉に向かう。
「おい! こっちにも酒を持ってこい!」
「素材集めが上手くいかなくて、困ってるのよ~」
「まだしばらく時間はあるから、気ながに行こうぜ」
至る所で受験者たちが夜のマツィーヨを楽しんでいる。
俺は視線を送ることなく、ゆっくりと歩きながら受験者の声に耳を傾けた。
「おい、聞いたか? 今回の試験官、マルークさまだけじゃなくて、特級の5人も参加するらしいぞ」
「マジかよ。帝国魔導士の特級って言ったら、聖騎士団と並ぶ帝国の最高戦力じゃねぇか」
「そんなやつらを全員集めるんだ。今回の試験はかなり気合が入ってるんだよ」
「俺、素材集め……他の奴らより多めにやろうかな」
「それがいいかもな。でもまあ……今日は飲もうぜ! 旅費も帝国持ちだからな。飲めるときに飲んどかないとな!」
「はは! そりゃそうだ! よ~し、帝国に乾杯だ!」
「かんぱ~い!!!」
特級……?
聖騎士団と並ぶ帝国の最高戦力を集める?
ミルカや受験者たちの話ぶりからするに、今回の試験はかなり異例みたいだな。
しかも渡航費だけじゃなく、食事も帝国持ちとは……
「なぁ、チエちゃん……」
《ええ……これはあまりに不自然ですね。普段の試験がどのようなものか存じませんが、今回の試験に帝国がここまで入れ込むのは……試験以外になにか目的があるんじゃないでしょうか》
「うん。とてもじゃないけどお金がかかりすぎてるよ」
《もしかしたら、オーティスさまが蓮さまに残されたメッセージと、何か関係があるんじゃないですか?》
「……どうだろうね……」
オーティスか。
魔導の研究をしながら旅してるって言ってた。
エストキオで育ったとも言ってたし……
あいつが見せたかったのは、この試験のことなのか?
――『ヨツシアへ』――
オーティスは『ばあちゃんの天使の絵』の裏にそう書き残した。
ってことは――
この試験が、ばあちゃんの『森具智秘露呼』……あの強制進化と関係がある?
いや……それも断定できないか……
いずれにしても、この試験が異常なのは確かだ。
「蓮さま、お風呂につきましたよ」
「え? あ、ここか――」
考え事をしていたら、いつの間にか温泉宿の前についていた。
「うっわ……でっかい建物だな」
温泉宿は木造の5階建ての立派な構えで、他の建物同様、和風なのか洋風なのか分からない造りだ。
建物全体が提灯や行灯で光っており、豪華絢爛というか――なんとも派手な建物だ。
湯気で視界が悪くても、これなら一発で分かるな。
入り口をくぐると大きなエントランスがあり、正面にはカウンターがあり、その奥には二階に続く階段が目に入った。
靴は……脱がなくていいみたいだ。
中に入って気づいたが、外装と比べて内装はかなり質素な造りだ。
「らっしゃい~」
店員と思わしき人族の男性がカウンター越しに声をかけてきた。
「旦那、泊まり? 今日はもう空きが無いんだけど」
「あ、いえ、お風呂に入りたいんですが」
「あ~はいはい。人族一名、大銀貨1枚ね~。入り口はこっちねぇ~。はい急いで~」と口早に促された。
「えっと、あ、大銀貨1枚と……」
俺は少し焦って財布を漁り、大銀貨をカウンターに置いたが――
え……大銀貨1枚って……
一万円?!
たっか!!!
お風呂入るのにそんなにとるのか?!
確かに看板には――
――『入湯料 大銀1』――
と書いてあるが……『大』の文字は、何かの文字の上に雑に修正され書かれている。
よく見ると『小』の文字が薄っすら透けて見えた。
これ……元々は小銀貨1枚……つまり1000円だったんじゃないのか?
《これは――完全に魔導士試験バブルですね……急遽値上げしたんでしょう》
「マジか……いきなり10倍かよ。健全な経済状態じゃないな。どうするのこれ……宿屋に一泊10万、お風呂入るのに1万円って……とてもじゃないけど持たないよ」
《明日からヴィヴィさまに屋台を頑張って貰わないといけませんね》
奥に進むと、風呂の入り口には『人族用』と『亜人用』と立て看板に書かれている。
さらに奥にはそれぞれに『男湯』と『女湯』に分かれている。
ってことは、ヴィヴィは亜人用のお風呂か。
これは……
ヒズリア特有の差別的な区別なのか、実務的――つまり毛の問題なのか……
ケメンボのこと、教えてやろうかな。
などと考えていたが、中に入ってその考えはすぐに無意味だと悟った。
中には脱衣所は無く、ずらりと扉が並んでいた。
「え、個室なのか?」
《クシュ大陸でも公衆浴場の習慣がなかったみたいですからね。ヒズリアの方々は肌を見せるのに抵抗があるのでは?》
「アポロやドンガ達も最初は戸惑ってたもんな」
扉を開けると、浴室は二畳ほどの広さで、隣の部屋とは薄い壁で仕切られている。
部屋の上部には服を置く簡素な棚がある。
足元には狭い湯船――というより、湯溜まりがあり、そこで身体を浄めるようだ。
ただし、壁の下側は隣と繋がっており、左隣の客がジャバジャバと湯あみしている音と水しぶきがこちらまで漏れてくる。
つまり……この個室のお湯は全室繋がっているということか……
そしてそのお湯は――
死ぬほど濁っていた。
湯舟のふちには毛か垢か分からないぬめぬめとした塊が漂い、茶色い泡が浮いている……
よく見ると浴室の壁もカビだらけだ。
「手入れが……行き届いてない……」
――ジャブジャブジャブ……パシャン! パンパン!
今度は右隣から何か洗うような音が聞こえてくる。
なんだ?
身体を洗っているような音じゃない……
俺は気になり、悪いとは思ったが壁の隙間からそっと隣を覗いた。
――ジャブジャブ……
右隣の客は、こともあろうに泥にまみれた自分の衣服を湯船で洗っていた。
「嘘だろ……」
なるほど……これは……モラルだ。
完全に個室になっているが故のモラルの欠如!
人の目がないから、清潔に使う事へのモラルが個々に委ねられている……
つまり、『他の人も使うから』というモラルが育っていない!
こんなの……ケメンボを使ったところで、何の意味もない。
《では蓮さま……私は一旦接続を切りますね……ごゆっくり……》
「いやいやいやいや! 入んないよ! 汚すぎるって!」
《そうですね。これでは逆に汚れを浴びているようなものですものね》
公衆性がモラルを育てる……
日本式の銭湯が清潔な理由が何となく分かった気がする。
規模感では完敗だったが――
快適性、清潔感という意味では、完全にたぬきつねの湯に軍配があがった。
《この茶色い泡は……お隣の洗濯の泡ですか……外は金融高騰のバブルに、中はモラル欠如の泡……まさしくダブルバブルですね》
「上手いこと言ってる場合じゃないよ。それより――」
これ……こんな風呂にばあちゃんたち、入ってんのか?
そう思った矢先――
「もう! すか~~~ん! なんねこのお風呂! 汚かぁ~~~!!!」
女湯の方からばあちゃんの声が響いてきた。
「まずい……ばあちゃんがキレた! チエちゃん! 出るぞ!」
そりゃそうだ。
一万円も払ってこんなに汚けりゃ、現代日本人だったら確実にキレる。
エントランスに出ると、ばあちゃんが店員に今にも掴みかかりそうな剣幕で文句を言っていた……




