157 光の死神
蓮たちの馬車から、距離にして500メートル。
白く染まり始めた森の中。
巨木の上から、銃を構えスコープ越しに蓮たちを見つめる者がいた。
光の死神である。
彼はまるで木の一部であるかのように、自身に雪が降り積もっても微動だにしなかった。
死神は昨晩から蓮たちを捕捉していた。
『いつでも撃てる……』
しかし――
『………………』
彼は引き金に指をかけなかった。
死神が指一本ほども動かなかったのは何故か?
昨晩――
死神は伊織のくさトラを目撃した。
小屋に近づく魔物たちを次々と触手が捕獲していく。
『何だ……あの触手は……』
その見たこともない異様な現象に、死神は最大限の警戒をした。
チエが蓮に教えた『情報の非対称性』。
まさしくこの状況が、このわけの分からない触手――
伊織のくさトラが、意図せず情報の非対称性を死神に与えていた。
『あの触手の範囲はどの程度か』
『自身の殺意、殺気にも反応するのか』
今現在、彼には知る術がなかった。
死神は徹底して蓮たちを観察することにした。
死神は眠らなかった。
夜が明け、ヴィヴィがコピー書店の陰で魔物を解体している間も、スコープから目を外すことはなかった。
それほどに死神は忍耐強く、臆病といえるほど慎重で、細胞のひとつひとつにすら『狙撃手』としての本能が刷り込まれていた。
魔物を解体し終えた蓮たちは、馬車を藪で覆い隠しながらズルズルと海岸沿いを進んでいく。
この行動を見て、死神はすぐに理解した。
『私の存在に気付いている……』
昨日――
死神は食用にアルミラージを狙撃した。
樹上から降り回収しようとしたが、そこにウサギの姿はなかった。
『……確かに撃ったつもりだったが……仕損じたか?』
違う。
彼の狙撃に『仕損じ』などは存在しない。すでに確固たる技術が完成されていた。
死神の銃弾は寸分違わずウサギの心臓に命中していた。
しかし、伊織が何気なく予想した通り――
ウサギはヘビの魔物が捕食し、すでにその場から離れていた。
しかし死神はその事を知らない。
つまり死神は――
『何故……私が銃を使う事を知っている』
蓮たちが『ウサギから銃弾を発見し、光の死神が銃の使い手であると気づく』という因果関係にたどり着けない。
ゆえに……
死神は動かない。動けない。
この認識のすれ違いが……死神に捕捉されながらも、蓮たちが狙撃されなかった最大の幸運だった。
そして何より――
スコープ越しにズルズルと進むこの藪は……
圧倒的な魔力を迸らせていた。
『とんでもない化け物だ……』
伊織の絶対的魔力が、死神の警戒心をより一層強固なものにしていた。
◇ ◇ ◇
ここで死神について話そう。
何故なら、蓮と死神は『決着がつくまで』言葉を交わすことは無い。
これより語ることは、この物語が終わるまで、蓮たちは知り得ないからだ。
――光の死神とはなにか――
それを十分に語るには、彼個人について語るに留まらない。
死神は帝国とヒズリアの歴史に深く関わっていた。
彼は蓮の読み通り、『銃火器を持った転生者』であった。
エストキオで生まれた彼は、すぐにある施設に保護された。
まことしやかに語られる、エストキオ帝国の転生者研究施設――
『天繭』
それはヒズリアの地下深くに存在した。
帝国はヒズリア王――天帝の命により、ヒズリア各地の転生者を極秘裏に『天繭』に集めていた。
今までも、そしてこれからも、歴史の表舞台にでることのないこの施設は、いつから存在するのか、なんのために存在するのか……
施設で働く多くの者も、その本当の目的を知らない。
広大な敷地は、目的別に大小様々な区画に分けられ、区画ごとの情報は完全に遮断されていた。
そのため、内部で働く者は『天繭』の全貌や目的を把握できないようになっていた。
広大なその施設の一画で、死神は15歳になるまで過ごした。
区画長は死神に名は与えなかった。
転生者である死神は、前世の名を記憶していたからだ。
転生前の名は――
『佐渡清太』。
第二次世界大戦末期、南の島で多くの敵兵の頭を撃ち抜いた凄腕の狙撃手だった。
血と銃弾、砲弾と肉片の飛び交う熱帯雨林。
その地獄のような、いや……地獄で、佐渡の狙撃の才能は開花した。
一切の気の緩みを許さない環境が、佐渡の集中力を極限にまで高め――
『息を潜め、正確に、躊躇いなく、引き金を引く』
それら一連の行動、その精度を揺るぎないものにした。
撃ち抜いた数が50を超えた頃、佐渡は自身にある明確な変化を感じた。
敵の撃つ弾が『見える』ようになったのだ。
正確にはその弾道がこれから辿る『軌跡の様なもの』が見える、と言った方があっているのかもしれない。
そしてある時、自身めがけて放たれた銃弾を――
佐渡は意識的に躱した。
秒速700メートルを超える弾丸を目視することなど、ましてや躱すことなど通常考えられない。
だが、人の脳というのは多くの可能性を秘めている。
蓮がチエと協力して使う『神槌』、その神の領域、神の時間に、僅かではあるが――
佐渡は転生する以前に、自力で到達していた。
そうなれば圧倒的である。
撃たれずに撃つ。
佐渡はこの地獄を完全に支配していた。
そして、この恐るべき殺しの才能の開花とともに、佐渡の中で蓋をしていたある感情が顔を出した。
殺しの愉悦。
蹂躙する快感。
佐渡の中に生まれながらに備わっていた、『狙撃の才能』と『殺しの悦楽』という歯車がぴたりと噛み合ってしまった……
怪物の誕生である。
これ以降、佐渡は感情の赴くまま、敵兵にとどまらず、現地民も見境なく殺した。
負傷し、戦力として役に立たないと判断すると、「足を引っ張る」という理由で、味方の日本兵にまで引き金を引いた。
彼が戦場で、背後から『仲間に撃たれて』戦死するまでに殺した人間の数は、200とも300とも言われている。
そしてこの怪物は、ヒズリアに転生した。
◇ ◇ ◇
それ故か、死神は生まれながらにあるスキルを持っていた。
固有スキル:
『溶けない氷砂糖』
死神は『九七式狙撃銃』を瞬時に発現させ、発砲することが出来た。
そしてその銃弾は、死神の魔力が尽きない限り無くなることはなかった。
九七式狙撃銃――
大日本帝国陸軍の狙撃銃であり、第二次世界大戦における帝国陸軍の主力狙撃銃として使用された。
長い銃身から放たれる弾丸は、高い命中精度を誇り、発砲時の音と煙はその威力と比べて驚くほど小さかった。
九七式は隠密を必須とする狙撃手にとって、当時これ以上ない性能を誇っていた。
佐渡はこれを手に、むせ返るような密林の樹上から多くの命を奪った。
その事を聞き出した天繭の施設員は、『人を撃った時、どんな気持ちか』と佐渡に問いただした。
転生してまだ3歳だった彼はこういった。
『あまい』
それが『溶けない氷砂糖』の命名の由来だった。
死神がまだ佐渡清太であった頃――
日本軍は野戦食として乾パンや氷砂糖を支給した。
佐渡はこの氷砂糖を非常に好んだ。
氷砂糖の主成分はブドウ糖であり、脳や身体のエネルギー源として素早く吸収されるため、極限下の疲労回復に最適だった。
高い集中力を必要とする狙撃手にとって、氷砂糖はこれ以上ないものだった。
何よりその甘味は、戦場という地獄において、砂漠のオアシスか雪山の暖炉か……それ以上の安心感を佐渡に与えていた。
その甘い安らぎに包まれて――
佐渡は引き金を引き続けたのだ。
◇ ◇ ◇
死神は5歳になるころには、他の転生者同様、前世の記憶を失くした。
前世の記憶を失い、無垢な5歳児に戻るかと思われたが、溶けない氷砂糖は消えなかった。
そして細胞の隅々まで刻み込まれた狙撃手としての本能と――
口の中にとろけるように広がる甘い記憶……いかんともしがたい殺人願望も……
彼の魂は手放さなかった。
ある日、死神は食事を持ってきた施設員を衝動に駆られ背後から撃った。
痺れるような甘い感覚……
5歳の死神はあまりの快感に失禁していた。
そしてそのまま、開いた扉から抜け出し、天繭の施設員を本能のまま『狩って』いった。
小さな体を物陰にひそめ、次々と施設員の頭部を撃ち抜いた。
事態を聞きつけた施設長の魔導士が彼を拘束するまでに殺した数……
34人。
死神が育った区画、そのほぼ全ての施設員が犠牲になった。
死神はその危険性により、10年にわたり幽閉された。
薄暗い独房の中、毎晩のように34人の顔を思い浮かべ眠りについた。
いつこの独房から出られるか分からないが、施設員の言う事に大人しく従い、重く閉ざされた鉄格子の扉が開くのを待った。
今からおよそ20年前。
死神が15歳になったころ。
独房の鉄格子が開いた。
ヨツシアでは魔族の掃討作戦が展開されていたが、魔族の抵抗が激しく、10年もの間戦闘が続いていた。
拮抗した戦況を打破するため、帝国はこの類まれなる『殺しの天才』を魔族の殲滅部隊としてヨツシアに投入することにした。
こうして死神は再び戦場に降り立った。
だが……帝国は彼の心を読み違えていた。
10年の幽閉の間、大人しく従っているように見えた死神は、何を考えていたか。
狙撃の快感である。
彼にとって狙撃は『我慢すればするほど、撃った時の快感が強い』ものだった。
34人の顔を思い浮かべながら、彼は心に誓っていた。
いつかここを出ることが出来たら――
『私を閉じ込めた者たちを、一人残らず撃ち殺してやろう』
10年――3650日。
死神は我慢した。
殲滅部隊と共にヨツシアに放たれた死神は、いち早く森に身を隠した。
そして樹上から、後続の殲滅部隊に狙いを定め――
――タンッ! タンッ! タンッ!!!
凄まじい速さで帝国兵、聖騎士団、帝国魔導士を撃ち抜いていった。
銃火器のないこのヒズリアで、死神の『溶けない氷砂糖』は、ほぼ無敵だった。
その後死神は、ヨツシアの魔族掃討作戦が凍結されるまでの10年間、帝国軍を狩り続けた。
撃ち抜くたびに死神は快感に震えた。
死神が狙撃した聖騎士団、帝国魔導士など帝国側の兵力――
およそ5000。
単発兵器で、単独。
どの歴史を見ても、これほどの命を奪った者は存在しない。
まさに死神……
佐渡はヨツシアで死神として完全に生まれ変わった。
帝国がヨツシアから軍を引き上げて10年。
死神は35歳になっていた。
10年の間、撃つべき敵がいなくなったので、死神は仕方なく動物や魔物を狩って楽しんでいた。
時には魔族もその楽しみの対象になった。
だが、あまりに狩りすぎると誰もいなくなってしまうため、死神は『ちゃんと我慢しながら』殺す数を調整していた。
これが光の死神……
『佐渡清太』のこれまでの物語だ。
そして今、帝国魔導士の試験がここヨツシアで行われている。
帝国がなぜこの怪物がいるヨツシアを試験会場に選んだのか……
それはまだ分からない。
だが、5000人もの受験者を送り込んだのには何か意味があるはずだ。
これより少しあと、死神は『10年前と同じ狩り』を再開する。
そしてこれからの彼の物語は、蓮たちと大きく交差することになる。
植物に遮蔽されながら進む馬車。
見たこともない魔法と、伊織の尋常ではない魔力……
死神は狙いを定め、殺気を込めて引き金を引いた。
――タンッ!
ほんの一瞬、宙に光の筋が描かれ、馬車の遥か後方で音もなく鹿の魔物が崩れ落ちた。
『殺気には……反応しない……』
死神はポケットから氷砂糖を一つ取り出し、口に放り込んだ。




