10.過去は苛む(さいなむ)2
翌日、ミオとスオウはソレスに嫁いだ叔母に、アカネと夫人はアカネの実家に挨拶に出かけ、カイと公爵は執務室にこもっているので、カサネは一人庭にさまよい出た。さすがにゼント公爵家の庭園。規模も美しさも半端ではない。
少し先にシアの姿を認め、カサネは近づいた。風になびく黒髪、紺色の瞳。花を腕にする姿はどこか儚げだ。30歳近いはずだが、そうは見えない。
「シアさん。」
「まぁ、カサネさん。一人?」
「はい、みんな親戚に行ってしまって。置いてきぼりです。」
「あら、ひどい。」
くすくすと笑いあう。
「そのドレス、よく似合ってるわ。ありがとう、お母様に付き合ってくれて。」
「私なんかが着ていいんでしょうか…?」
「いいのよ、私にはもう若すぎて着れな…きゃぁっ!」
シアが、急に後ろに引っ張られた。
「キエ、やっと見つけた…!」
黒い髪、紺色の瞳、どこかシアに似た男が、シアを拘束している。
「シ、シアさんっ!」
近づこうとしたカサネは、突風に阻まれ、そのまま花壇に倒れこんだ。
「近づくな。」
「や、やめてぇ!」
男が剣に手をかけたの見て、シアは必死に止める。
「お願い、カサネさんに手を出さないで。」
「―では、私と共に?」
「…わかりました。」
「シアさん、だめぇ!!」
「カサネさん、お父様とお母様に幸せでしたと伝えて。」
シアはふわりと笑うと黒髪の男と共に消え去った。
「シアさん、いやぁあ…!!」
誰もいない庭園に、カサネの悲鳴が響き渡った。
―公爵令嬢の誘拐。それも警備の厳しい自宅から。公爵邸は蜂の巣をつついたような騒ぎとなった。カサネから話をきいた公爵とカイが中心となって、あちこちに指示が飛ぶ。
公爵夫人、アカネ、ミオ、スオウはすぐに帰宅し、別宅の長男夫妻も呼び出された。
青ざめた顔で、全員の前で再び語るカサネの話に、公爵夫人は倒れ、ミオは顔を引きつらせた。
「キエと…いったのね?カサネ。」
「はい。」
ミオは泣き出しそうな顔でカイを見上げる。カイも難しい顔だ。
「父上…。」
「うむ。突風といい、間違いないだろう。」
「母上は、私が部屋につれていくよ。妻についていてもらう。どこにいけばいい?」
カイの兄は妻と共に公爵夫人を介抱している。
「執務室に。―カサネ、君が気に病むことはないよ。」
「でも、シアさんは私をかばって…!」
公爵は首を振って、カサネの頭をなでた。
「いいや、君がいてくれたから、これだけ早く手が打てるんだよ。ありがとう。」
「公爵さま…。」
「できれば、おじ様がいいな。」
公爵は優しい顔でそう言うと、アカネと共に執務室へと向かった。カイもミオに一つうなづき、父の後を追う。
「スオウ、カサネを休ませてあげて。後は私たちが手を打つわ。」
後は大人に任せろということかと思いながらも、スオウはミオの言葉に同意した。今はカサネの様子を見るほうが先だ。
執務室へと行くミオと別れ、スオウはカサネを部屋まで連れて行く。カサネは先程から一言も話さない。ずっと泣きもしなければ叫びもしないのが逆に心配だった。
「さぁ、カサネ。部屋で少し休もう。」
ベッドに座らせたカサネのひざの上の手がかすかに震えている。相変わらず青ざめた顔で、唇をぎゅっと噛んでいる。
「カサネ、公爵も言ってただろう?君が気に病むことはないんだよ。」
カサネの横に座り、顔を覗き込む。カサネはうつむいたままだ。
「…でも、私何もできなかった。目の前でシアさんが攫われたのに、何もできなかった!」
「カサネ、泣いてもいいんだよ。叫んでもいいんだ。ここは僕だけだ。だから…」
カサネが顔を上げた。琥珀の瞳に見る見る涙が溢れてくる。
「…スオウ…。」
ぽろぽろ零れる涙は、まるで小さな琥珀の粒のようだ。スオウは思わずカサネを引き寄せ、小さい子のようにその背中をなでて落ち着かせる。花壇に倒れこんだ時にできた傷が痛々しい。
スオウの胸でカサネは声を上げずに泣き続けた。やがてカサネが眠ってしまうまで、スオウはカサネを大切そうに抱き続けた。




