ゴミ捨てと、町内会の視線
休日の朝、寝起きのままシャツと短パンでゴミを出しに行った田中は、集積所で町内会の顔役である初老の男性と鉢合わせした。この男とは、TSする前から顔見知りだった。挨拶を交わす程度の付き合いとはいえ、素性を知られている相手だからこそ、田中の緊張は普段の比ではなかった。
「おや、田中さんとこの……お嬢さん?」
しまった、と思った時にはもう遅い。この体になってから、近所への説明を一切していなかった。マンションのポストにも表札にも田中の名前しか出ていない以上、突然現れた「女性」の存在を誤魔化しきれるはずもなかった。田中は咄嗟に「親戚の者です、少しの間お世話になってます」と誤魔化したが、男の視線がシャツの隙間や短パンから伸びる脚に、やけにゆっくりと這うのを感じた。
値踏みするような、それでいて品定めするような視線。年季の入った、隠す気もなさそうな視線の動かし方に、田中の意識は「気持ち悪い」としか思っていないのに、体はその視線を過剰に感じ取り、腕で自分の体を隠すように抱え込む仕草を取ってしまう。肩を丸め、視線から逃れるように半身になる姿勢――こんな動作、これまでの人生で一度も取ったことがなかったはずだった。
「いやあ、別嬪さんだねえ。田中さんも隅に置けないな」
男は悪気なく、むしろ愛想のつもりでそう言ったのだろう。冗談めかした口調が、かえって田中の逃げ場を塞いだ。だがその一言は田中にとって、羞恥の追い打ち以外の何物でもなかった。
「い、いえ、そういうのじゃなくて……」
しどろもどろに否定すればするほど、男の目には「照れている女性」としか映らないようだった。そのまま世間話に持ち込まれそうな気配を察知し、田中はゴミ袋を集積所に押し込むと、逃げるように会釈だけしてその場を後にした。
部屋に戻り、鍵を閉めてから、田中は玄関にへたり込んだ。全身から力が抜けていくのが分かる。たかがゴミ出し、たかが立ち話、それだけのことで、こんなに消耗するとは思っていなかった。
「……次からは、宅配ボックスの日にまとめて出そう」
これ以上、生活圏で正体不明の"親戚のお嬢さん"を演じ続けるのは、精神的に限界が近かった。だが、それでも生活を続ける以上、ゴミ出しを永遠に避け続けるわけにもいかない。田中は玄関に座り込んだまま、次にどう乗り切るかを考え続けたが、答えは一向に出なかった。




