顛末と展望と希望と、或いは……。
しばらく新聞上は詐欺事件のあらましで賑わっていた。
フォックスは重傷だったが命は助かった。
彼は当然の流れとして退院後は取り調べを受けた。往生際悪く否認や黙秘をする仲間とは違って、憑き物が落ちたように淡々と全てを語ったという。
男たちは仲間のクマ男の存在も訴えていたが、その部分では逆にフォックスが黙秘を貫いたという。
そして、クマ男が捕まる事はついぞなかった。
詐欺では中心的な役割を果たしていたのがフォックスだったので、この件は予想外にも速やかな収束を迎えた。彼らが騙し取った投資金は全額ではなかったが、エレノアを含め被害者たちに返金されるようになるらしい。
黒幕は宰相のグレーウォールで、集めた金銭も彼が纏めて管理していたらしいが、そこは流用されないよう、ルーカス王子が陰ながら動いてくれていたようだった。
しかし、王家の微妙な問題も孕む宰相の悪事や誘拐劇に関しては、一切世間には出なかった。
同時に、宰相としてのグレーウォールの名をこの先耳にする機会もなかったが。
エレノアはメイフィールド家の令嬢としてまた表舞台に戻らなければならない。
どこに住み、どう生活をしていくかもきちんと考えなければならない。
タウンハウスが戻ればそこに住むつもりだったし、そうでなければ王都のどこかには家を借りるつもりだが、その前に叔父に連絡を入れる必要もある。やる事は山積みだ。
ジャスティンには再びメイフィールド家の顧問になってもらった。
伯爵位はまだ行方不明の父親の上にあるので、現在のエレノアは無爵で文無し少女に過ぎず、しかも財産もどの程度戻って来るかまだ不透明な中、青年弁護士は報酬は後回しでいいと言ってくれたのだ。
ピンカートン家との婚姻の取り決めは、ここにきてヴィセラスが断固反対したのが大きな要因か、綺麗さっぱり消滅した。
彼は「他に好きな相手がいる」と嘘八百を並べ立て、無理やり婚約させられるなら駆け落ちするとまで言い切ったそうだ。じゃあその相手とやらを是非とも連れて来いと言われている彼は、最近はその事で頭を悩ませているようだった。
結果的には調べるべき情報も揉み消されていたりなどして、エレノアの希望に添えなかった点も、婚姻を諦めた理由の一つだろう。
どんな取引であれ、約束したものの満たされなかった条件があれば、履行は難しい。
この頃のエレノアは、メイフィールドの領地がどこまで戻るかはともかく、自身も領地経営の事をしっかり学んでおきたいと感じていた。
今まで学校代わりの博識なクレマチスから色々と習ってはいたものの、それでも運営のノウハウとなれば適任教師は別に居る。
正直な所、いつピンカートン家を出ようかと考えていた。
そんな時だ。
――せめてタウンハウスが戻るまででも、このままピンカートン家で暮らしながら学ぶ気はないんですの? 私はそうして欲しいですわ。
そうアメリアに問われた。
願ってもない話だった。
エレノアにとっての最適な環境条件をピンカートン家は満たしている。
加えて、アメリアとも一緒にいられるのだ。
この提案にはヴィセラスも賛同してくれた。
肝心のピンカートン夫妻からも反対はなかった。
愛娘の気持ちを優先したというのと、元より強引にエレノアとヴィセラスの婚姻話を承諾させたようなものだったので、そこを実は後ろめたく思っていたらしい。
これで貸し借りは無しだとかえって気楽そうだった。
そういうわけで、エレノアはピンカートン家で学びながら侍女エリーを続けている。
世間的に、さすがに伯爵令嬢ですと名乗って侍女をするわけにはいかなかったのだ。
平民のエリーでいる事に不満はない。貴族の付き合いもなく楽だった。
ただ、他方では近々ジュリアンと一緒にクレイトン家を訪れる予定だ。
無論、伯爵令嬢エレノアとして。
謝罪と、再婚約の話をするために。
一からクレイトン家の皆を説得しなければならないのは覚悟の上だ。
ジュリアンに迷惑を掛けるのは嫌だし、彼の家族から非難を受けるのはやはり怖いと感じる。
それでも、エレノアは彼と居たい。
望めば手を繋げて幸せな時を共有できる奇跡を、もう自分からは手放さないと心に誓ったのだ。
――多忙だが充実したそんなある日。
「お嬢様ッ!」
エレノアが同僚から呼ばれて裏口に赴くと、事前の約束もなくピンカートン家を訪れたジャスティンが、自分を見るや泣きそうな顔で駆け寄って来た。
主人の姿を一目見て全力疾走してくる大型犬が人間になったらきっと彼のようになるだろう。
「そ、そんなに大急ぎでどうしたの?」
「待ちに待ったとんでもない吉報です!!」
癖っ毛の忠犬弁護士は毛先を撥ねさせ肩を大きく上下させながらも破顔した。
驚かないで下さいね、彼はそう前置くとエレノアの方に一通の手紙を差し出してくる。
まるで長旅を経て草臥れたような白い封筒を。
エレノアは、ある種の予感めいたものを感じつつ受け取った。
その宛名面には所々滲んではいるが、自分の名前とメイフィールドの屋敷の住所が記されている。
屋敷はもうない。
けれどそれを知らずに屋敷に送られる物もあるだろう。それらを王都の私書箱へと転送してもらい、ジャスティンには回収とチェックを任せてあった。週に一度弁護士事務所の方に取りに行っていたのに、わざわざ向こうから届けにきた辺り緊急の用件なのだ。
封を解かず手紙を見下ろすエレノアの瞳が揺れた。
紙の上には見覚えのある懐かしい筆跡が躍っている。
「旦那様たちからのお手紙ですよ!」
弾んだ声に、緑の庭を閉じ込めたようなエメラルドの瞳が、きらりと明るく輝いた。
王家の明るい午後の庭。
ぅわふっ、ぅわふっ、と大きな金色の毛並みの犬が芝の上を駆けてくる。
その犬は屋外で繊細な造りの丸テーブルに一つのファイルを広げて優雅にコーヒーを嗜む主人の前までたどり着くと、ちょこんと行儀よくお座りをした。
テーブルの上には焼き菓子もあるのでその匂いを嗅ぎつけたのかもしれない。
それを貰えないかとでも思っているのか、ハッハハッハと口から舌を出し息を弾ませながら、吼えもせずくりくりとした瞳で主人を見上げている。
「あああ申し訳ありませんルーカス様あ~っ」
花壇の向こうから犬の世話係がリードを手に大慌てで芝を踏んでくる。
どうやら散歩に行こうとしてまんまと逃げられたらしい。
この大型犬はルーカスの飼い犬だ。
そろそろ二歳になるかという年頃でまだやんちゃ盛りなのだが、既に体は大きい。
ルーカスはテーブル上のファイルに挟んである一枚の写真に目をやった。
二人の男女が写っており、表面中央には二つに折られた跡がある。
折られた片方には一人の令嬢が満面の笑みで立っていて、そのもう片方側、つまりは令嬢の横に佇む些か仏頂面の男は自分だ。
「動物は大きくなるのが早いな」
写真から目を離し、テーブルに頬杖を突き、今更ながら感心して飼い犬のつぶらな瞳を眺め下ろす。
「こいつが子犬だった時は、大変だったな……。お前、覚えてるか?」
主の声に反応してか、飼い犬は僅かに首を傾げた。
過去にこのやんちゃな犬は、王家主催の園遊会の日に勝手に部屋から抜け出して庭に飛び出し、参加者だったとある貴族令嬢を泥んこにしたのだ。
あれは当時の自分史上最高の衝撃だったとルーカスは思う。
社交界に出てまだ日も浅かったその令嬢は、可愛らしいドレスも綺麗なピンブロンドの髪も泥まみれになったにもかかわらず、怒るでも泣くでもなくただただびっくりしたような緑の目で子犬を抱き上げると、大きく破顔した。
写真の撮影も行われていたその庭で、その令嬢は子犬と共に写真を撮りたがったが、さすがに手足を泥んこにした子犬を抱かせるのは忍びなく、仕方がなく飼い主の自分が出て行って前足を持って彼女の隣で子犬をぶら下げた。あの場での謝罪のつもりだった。
令嬢は自分をちょうどその場に居合わせた気の良いお兄さんとでも思ったのか、特に名前を訊いてくる事もなく、一言お礼を言うと家族の元に戻っていき家族から仰天されていた。
……何となくあの場では自分の犬だと言い出せず、後日改めて謝罪の手紙とドレスの代金などを彼女の両親宛てに送ったものだった。
しかも彼女は写真を撮りたいと願い出ておいて、すっかりその写真の受け取り手続きも忘れていたらしい。やはり内心動揺はしていたのかもしれない。
自分の素性を一目で悟った写真屋から自分の所にその一枚が送られてきた時はどうしようかと思った。
手元にある一枚を送ってやることはできた。
しかし何となく気が向かず机の奥にしまったままだった。
これはその写真だ。
そしてそれは、彼がフォックスに見せた写真でもあった。
よくよく見ると少女の髪の毛やドレスには泥がくっ付いているのがわかる。
惨状と言える酷い姿を思い出してしまったルーカスはふっと小さく笑った。
飼い犬が小さく高く鼻で鳴いて「どうかした?」とでも言いたそうにした。
正直グレーウォールがメイフィールド家に対してあそこまで卑劣になれるとは思っていなかったので、彼を裁いたのは手綱を握れなかった自分のせめてもの償いだ。
自分が加わるまで、あの男の庇護の下のうのうと潜伏していたフォックスたちの情報を、頃合いを見て流したのも自分だ。
グレーウォールはその地位を利用してフォックスたちの情報を巧妙に隠し、或いは消していた。
彼の全ての行動が自分のためになされたのだと思えば、最高に胸糞が悪かった。
これもこの城に暮らす者の贅沢と引き換えの苦痛なのかもしれない。
銭と神秘、現実と非現実を両手に持つ神殿に度を超して傾倒する危険を、ルーカスはよく知っている。そういう人間は得てして神秘の側面を盲信し、目的のために自らタガを外してしまうのだ。宰相のように。
確かに非常に珍しいが、覇王の緑など所詮は人間の一部に過ぎないというのに……。
あの一見か弱そうな少女を傍に置いたとして、一体何を得られ何を成せると言うのか。
きっちり細部まで国策を練る方が余程有意義ではないか。
利点があるとして、見ていて飽きなそうなので精々観賞用に重宝するくらいではないだろうか、とルーカスは深く考えずにそう思った。
「それにしても驚きだったな。まさか夫妻が本当に生きていて、見つけて救い出すとはな」
気のない顔でファイルの書面に目を落とし、すでに頭に入っている内容は読まず文字列だけを目で追った。
字画なんかを無意識に数えてしまってから我に返り、薄く苦笑を貼り付ける。
ジュリアン・クレイトンという男は密かにエレノアの両親の消息を捜させていたのだ。
見つかるまで、そして確実性を得るまでは一切何も告げないつもりだったのだろう。
フォグフォード家の助力もあっての成功でもあっただろうが、素直にそこは称賛を送りたい。
もう伝えただろうかと思えば、それが自分ではなかった事がどこか少し悔しく残念であり、自分が出来なかった事を成したジュリアンが羨ましくもあり、喜ばしい結果に安堵も感じるルーカスだ。
彼女の両親の事故は偶然の極みで、時期的には疑わしいように思われるがグレーウォールが無関係なのは確認済みだ。関係していたらさすがに彼を生かしてはおかなかった。
「本当に、ジュリアン・クレイトンには恐れ入る」
世間ではああいう男を一途というのだろうか。
ルーカスは当時事故の報を聞いて気の毒だとは思ったが、捜そうという発想は持てなかった。
彼は、実際に捜索の手を伸ばしたジュリアンや、信じて待っていたワーグナー弁護士のようには思わなかったのだ。
海難事故の場所は暗礁が多いとされていた海域だったようだが、その反面、周囲には無人島やら大小の小島が広く無数に点在する海域でもあったらしい。
地図や海流などから鑑みて、彼は生存の可能性に希望を抱いたのだろう。
自国から離れた異国の海域を、そこに散らばる一つ一つの島々を、一年以上もかけ根気強く捜させて、とうとう先日事故現場からかなり離れた小さな無人島で奇跡的に生き延びている二人と、彼らと共に流され助かった幾人かの乗客たちを発見したのだ。
エレノアに届いた手紙は、メイフィールド夫妻がいつかどこかで手紙を預かってくれる者が現れるかもしれないと言う希望と共に保管していたものだったらしい。彼らは発見され真っ先にその手紙を託したという。
何とも感動的な話だった。
夫妻は長い無人島生活での衰弱は見られるものの命に別状はなく、現地の病院で少し療養して現在は帰途にあるという。
一日でも早く家族が再会できれば幸いだった。
エレノアはきっと浴びるような愛情を両親から受けて育ったのだろう。
だから彼女の醸す空気は他者を日向に連れ出すような温かさを持っているのだと、ルーカスはそう思う。
彼女を無用に怖がらせてしまった自分を、潜伏生活の不摂生のせいで常に機嫌が悪かった自分を、反省してもいた。
タウンハウスの件で近いうち彼女はルーカスを訪ねてくる。手紙でだが既に約束はしてあった。その時に気が向けば謝ろうという何とも曖昧な決意を胸に、彼は一つ息をついた。
とは言え、一人では来ないだろう。あの弁護士か或いはジュリアン辺りを伴ってくるに違いない。
「ジュリアン・クレイトン……か。有能ではあるようだな」
この先きっとあの青年は全力でエレノアを護るだろう。彼とはさして長くない邂逅だったが、それは何故か確信できた。
「まあ、ああいう娘は、そうやって平凡に人生を送るのが一番だろう」
パタン、パタン、と尻尾を揺らすさまを冷たいとよく言われる銀の瞳で見下ろして、この飼い犬が覇王の緑の持ち主であったならどんなにか気楽だったかと、愚痴のようなものが湧いてわしゃわしゃと頭を撫でてやった。
「互いに、こいつみたいに呑気な顔をしてやっていける事を願うばかりだ」
見事な晴天の下、本心からそう思うルーカスだった。




