一番のライバルは……?
屋敷に到着するとジュリアンは客室へと運ばれ、今は背中にクッションを入れられて大きなベッドの上でゆったりと半身を起こしている。
意識はあるが思うように動けないだけだ。
ベッドの端に腰かけ、エレノアは彼の掌に包帯を巻いてやっていた。
先程までは傷口を縫ってくれた医者や事情聴取のために私服警官が出入りしていたが、今は二人きりだった。
誘拐騒動は関係のない夜会客には知られないよう、皆が内々に動いていたため大きな混乱はなかった。失せ物騒動の陰に隠れていたおかげもあるだろう。
ジュリアンもミレーユの判断で裏口から敷地に入った。
そのミレーユはこの部屋には居ないが、屋敷のどこかにはいるだろう。
落ち着いて向き合ってみれば色々と思いがあり過ぎて、口を開こうにも思考が大渋滞してしまう。集中力欠如で包帯の巻きがぐだぐだに甘くなってしまうので一旦諦めた。
彼の方もエレノアの気持ちを察してか、黙ったままくるくると清潔な白布が重ねられていく自身の掌に目を落としている。
巻き終え手当て道具の入った小箱内を片付けていると、ノックの後にミレーユとアメリア、ヴィセラスの三人が入って来た。二人も屋敷に戻ってきたのだ。
「アメリア!」
「エレノア~ッ!」
勢いよくベッドから立ち上がったエレノアは、五十年は会っていなかった旧友との感動の再会よろしくアメリアと固い抱擁を交わした。
顔を離して潤んだ瞳で見つめ合う。
そんな余計な言葉なんて要らない二人の間には、ともすれば百合の花でも咲きそうだ。
「……妬けるね。最大のライバルはアメリア嬢だったのか」
「おいおい何本気で血迷った事言ってるんだよ」
その後互いの無事を喜びきゃっきゃっとする少女たちを眺めるジュリアンの呟きに、ヴィセラスがすかさず突っ込んだ。
そんなヴィセラスは妹を小突く。
「痛いですわねお兄様」
「一応ここは病人の部屋だそ」
視線でジュリアンを示せばアメリアもようやく反省の色を浮かべた。
「クレイトン様、私ったらごめんなさいですわ」
「いや、気にしてないよ。それにこのザマは僕の判断ミスの結果だし」
「全く、アミィが悪いな。で、具合はどうだ?」
問いかけながら近寄って友人の顔を覗き込むヴィセラス。
「微妙……」
「だよな。悪い。今日は踏んだり蹴ったりなのなお前」
「一言余計だよ」
喋るのも結構労力を要するようで、ジュリアンは僅かに渋面になった。
第三王子からもらった丸薬はきちんと医者の見立てで解毒薬だとわかり、既にジュリアンはそれを服用している。
ただ、それが効くまではまだかかるらしい。
加えて、麻痺毒が回っていても動けたり喋れたりしていたのは、ひとえに激マズ酔いざましのお陰だと診察してくれた医者が言っていた。酔いざましの成分が毒の成分を一部中和してくれたようだ。
「まあでも、それを補って余りある至宝は取り戻せたから」
エレノアは頬を染め、その他の面々は各自すこぶる痒そうに身悶えた。
いち早く気を取り直したのはミレーユで、気分一新とばかりにエレノアに抱き付いてきた。
「ああでもあたしの可愛いエレノアちゃんが無事で良かったわああ~ッ!!」
ぎゅむうぅと布越しの豊満な胸に顔を押し付けられて息ができなくなる。
ミレーユはスラリとして細いが胸は見た目に反し……確かなものが備わっている、のだ!
横で「私もやられましたわそれ……」とアメリアがどこか疲労を滲ませた。
「実を言うとね、以前クレイトン家に遊びに来ていたエレノアちゃんを見かけて、以来ずっとお喋りお触りしたいって思ってたのよね」
「そ、そうだったんですか」
「たまたまジュリアンの稽古を付けるのに来てたんだけど、その話をしたらこいつったらそれからというもの、しれっと稽古場所をクレイトン家から移したのよ。ホント独占欲丸出しってカッコ悪いわよねえ~?」
ミレーユの挑発的な声に、辛うじて平素の顔を貼り付けるジュリアンの形の良い眉がぴくぴくと痙攣している。
半日も、いや数時間さえ経っていないのにまたもや一触即発の事態に、エレノアは過去の事実なんぞ右から左でハラハラとした。
「ええとジュリアンは安静にしてなきゃ駄目でしょ。ミレーユさんも悪ふざけは駄目ですよ?」
ミレーユを引き剥がし、視線を突き刺し合う二人の間でどう宥めようか思い悩んでいると、ドバンッと部屋の扉が観音開きに勢いよく開いた。
驚いた皆の視線がそちらへと向いた。
予告なく押し開かれた扉。
駆け込んできた一つの人影。
そして、開口一番の絶叫。
「おっおっお嬢様あああーーーーっっ!!」
突如の音と声にあわや新手の襲撃かと皆が身構えた先に居たのは、一人の青年だった。
室内の警戒心もすぐに風船が萎むように落ち着いた。誰かが嘆息した気配もある。
駆け込んできたのは昏倒していたはずのジャスティン・ワーグナーだった。
「えっジャスティン……? ああっジャスティン!! 無事だったとは聞いたけど動いて大丈夫なの!?」
「ええ、解毒薬が効いてすっかりもう元気ですよ。はあああっ良かったミレーユを追いかけて行ったって聞いてから今まで気が気じゃなかったんですよ!!」
がばりとジャスティンから飛び付かれエレノアはびっくり眼になり、周囲は唖然とした。
ジュリアンのこめかみに青筋が浮いたが、しかしそれもジャスティンがおーいおいおいと泣き始めたので消えた。
「エレノアお嬢様がご無事で本当に何よりです。心から本当に良かったですよおおおーーーーっ!」
「お、落ち着いてジャスティン、ね?」
エレノアは迷った挙句癖っ毛を撫でてやる。茶色い毛並みの大きな犬みたいだなと何となく思った。昔もどこかでこんな毛並みを撫でたような気がしたがよく思い出せはしなかった。
「私はこの通り本当に大丈夫だから」
逆効果だったのか彼は鼻声で何事かを喚いたが聞き取れない。たぶん直前と同じような言葉の羅列だろう。
(大の大人がこんな風に泣いちゃって……子供みたい)
懐の広いお嬢様エレノアは微笑ましい気持ちになって、ジャスティンを宥めようとしばらく撫で撫でしてあげた。
「……あたしたち彼には勝てないんじゃないかしらねー」
ミレーユが明後日の方を見ながら言えば、
「ああ、無垢な忠誠心は手ごわいよ」
ジュリアンがフッと負けを認めるように目を閉じる。
アメリアとヴィセラスは何とも言えない顔をしていた。
そうしてお嬢様とその忠犬君の再会は、ゆる~い空気の中で無事に果たされたのだった。
「どうやらやっと少しは落ち着いたようですね」
入口の半開きになったままの扉から、老婦人が姿を見せた。
「あ、クレマチス! もしかしてジャスティンを連れて来てくれたのね? いたなら入って来れば良かったのに」
「ああも先走られてしまっては、わたくしも追って入るわけにもいかず、タイミングを完全に逸してしまいまして……」
その視線はジャスティンへと向けられている。
皆が納得した。
ジャスティンも自らを省みたのか、依然目を潤ませながら顔を赤くして頭を掻いた。
「すっすみませんクレマチスさん、ううう、つつ、ついつい湧き上がった感動を堪え切れず……っ。ぐすっ。ところで、私はお嬢様とクレイトン様の仲が戻って、うう、とても嬉しいです……っ」
「え、ええと、そ、そう?」
ジャスティンが落ち着くのを待つ間、エレノアたちはジュリアンの居室に留まって、片側に五人は余裕で座れる向かい合わせのソファに寛いだ。勿論ジュリアンだけはベッドの住人だったが。
エレノアの向かいではジャスティンがまだ涙ぐんでグスグスしている。その隣にはヴィセラスだ。クレマチスも向かい側にいる。
エレノアは密かに案じた。
(ジャスティンってば人格崩壊の兆しかしら……)
「クレイトン様は名誉の負傷だそうですが、本当に私からも何とお礼を言って良いのか……」
ジャスティンが大いに恐縮して言えば、ジュリアンはにこりとした。
「君がどうしてもお礼をしたいというなら、エレノアのキス一つで手を打とう。君からも是非彼女にそう進言してほしい」
「キス、ですか……? まあお二人は将来的にはアレですし……ねえ?」
(いやいやいや私の方見ないでえええ~っ!)
「ままま待って待ってジャスティンってば、そんなのジュリアンの冗談よ!」
「いや、本気」
さらりとした即答に「えっ」とエレノアが動揺すれば、ジュリアンは本調子でもないくせに色気を滲ませ意味深に目を細めてみせた。
「クレイトン様、エレノア愛を解禁したいのはわかりますけれど、そういう事は二人きりの時になさって下さらない?」
時々暴走列車にもなるアメリアがエレノアの隣で珍しく冷静に呆れた目で窘めた。観劇に行った際の胸やけを思い出したのかもしれない。兄のヴィセラスも似たような表情をしていた。ミレーユはジュリアンを鼻で嗤い、クレマチスは澄まし顔のままだった。
「……ね、ねえジュリアン、あなた本当に一体何食べたらこうなったの? 変なキノコでも食べたとか?」
「変なキノコって……酷いなあ」
「だって前はとても純情って感じだったし」
「ははっあの頃は加減がわからなかったから、君に引かれるのが怖くてセーブしてたらあんな感じになってた」
「え、そ、そうなの?」
エレノアの中で何か理想像的なものが砕けた気がしたが、きっと気のせいだ。
(だってジュリアンへの気持ちは微塵も揺るぎない……はず!! 前にミレーユさんが猫かぶって云々って言ってたのってこういう事なのね。ジュリアンって絶対生来の甘甘君だわ!)
一人大いに納得するエレノアだが、ミレーユが言いたかった方向とはちょっと違っていたりする。
(でもええと、どうしよう。実はまだジュリアンと私たちの関係について真面目な話はしてないっていうか……ヨリを戻したわけじゃないんだけどな)
今日の今日ではそんな暇もなかった。
明日以降、彼がもう少し良くなってからの方がいいだろう。
とりあえず今夜はこの場の皆と事件への必要な話だけを交わし、互いへの感謝、互いの無事、そして互いの健闘を讃え合った。
三日後のピンカートン家。
午後も暮れ始めの一時。
エレノアはまだ侍女エリーとして過ごしていた。
今はちょうどジュリアンの手当ての時間で、彼が身を起こす豪華で広いベッドの端に腰かけている。大きいのでベッド脇の椅子では手当てにも彼に端に寄ってもらわなければならず、それは申し訳ないのでこうしていた。
ジュリアンはまだこの屋敷で療養中なのだ。
わざわざ自分の屋敷に戻るよりは動かないでここで安静にしていろと、ヴィセラスが気を利かせてくれたらしい。
早々に医者の手当てを受けられたジャスティンとは違い、麻痺毒がだいぶ回った上に無理をしたせいか毒の抜けが遅く、ジュリアンは連日ベッドで昼夜を明かしていた。今もまだ万全ではないらしい。
エレノアは正直一日二日で大丈夫だと思っていたので、心配で仕方がなかった。
怪我の手当てや食事の介助――エレノアの手でのあーんをしてやったりと、日に何度も、侍女仕事の合間に出来る範囲で甲斐甲斐しく世話を焼いた。
(アメリアは「魂胆は見え見えですわよね」って言っていたけど、自分が辛どいのに魂胆も何もねえ……?)
一日に二度の手当て時のどちらかには様子を見に来てくれるアメリアの生温い目を思い出しながら、ジュリアンの掌の古い包帯を解いていく。そう言えば今日はまだ来ていない。クレマチスの行儀作法の講義が長引いているのだろうか。
彼の手の傷は酷くなったり膿んだりもせず順調だ。
麻痺以外の変な毒が混ぜられていなかったのは幸いだった。
ジャスティンを昏倒させたような即効性の毒も扱えたりと、毒薬関係に精通しているらしい第三王子には変な話だがこの点で感謝していた。
(ジュリアンの解毒薬もくれたし)
「――エレノア、あれからルーカス王子から連絡は来てない?」
ルーカスとは第三王子の名だ。
思考を透かされたようでやや驚いたエレノアが顔を上げれば、ジュリアンがじっと自分を見つめていた。
「ええ、来てないわ。嫁云々は諦めてくれたと思うから、もう安心して? タウンハウスの事は後々話をする必要はあるけれど、ジャスティンにも同席を頼むつもりだから変に不利益を被る心配はないと思う。まあ向こうもそんなつもりなんてないとは思うんだけど」
顔を合わせる度にその質問をして来るジュリアンは、とことん心配性だなあとエレノアは少し可笑しく思ってくすりとした。
「でも本当にどうしてうちのタウンハウスを購入したのかしら……?」
「王子様の気まぐれだよきっと」
エレノアは本気で内心首を傾げているようだったが、彼女の事に関しては色々と鋭い男ジュリアンは概ね察していた。だが敢えて敵に塩を送ってやる義理はないとして、にこりと笑んで適当に返した。
「そうなのかしら……うーんでもそうなのかも。でも良かったわ、他はわからないけれど、タウンハウスだけでも返ってくるなら」
嬉し気に微笑み再び手元の包帯作業に視線を落としたエレノアは、その笑みに彼が見惚れたのにも気付かない。
「それより、フォックスたちは全員捕まったけれど、宰相のグレーウォール卿はどうなったのかしら。ジャスティンが言うには、第三王子は彼の裏を掻いての独自の潜入捜査だったみたいだから、表立って宰相を警察がどうこうって事にはならなかったでしょ」
フォックスたちと行動していた王子ルーカスは、宰相が命じた監視役に成りすまして勝手に実行犯に加わっていたのだという。宰相が密かに彼を次期国王に推していて内情を知るからこそそれも可能だった。
表向きには外遊していた事にして宰相さえ欺き、実際は黒いウィッグを被って慣れない窮屈な生活を送っていたというわけだ。
そのせいで出来た目の下の酷いクマのおかげで、フォックスたちと共に潜伏先として使っていた宰相の屋敷で顔を合わせても、報告に行っても、宰相はついぞ王子本人とは気付かなかったらしい。
因みに、ルーカスは四人の王子の中で唯一の庶子だったが、その容姿と神童とまで言われた優秀さから存在を見つけられ、城へ迎え入れられたという身の上だ。
王妃の子である三人の異母兄弟とは違い継承争いからは一番遠いと言われていたが、有能さ故に国王に手腕を買われている。
それ故、宰相のように心密かに彼を担ぎ上げようと目論む者も、決して少なくはないようだ。
関連性のままにエレノアがふと疑問を口にすれば、ジュリアンは怜悧な面持ちで考え込むようにする。
「ルーカス王子がきちんとしかるべき裁きを与えたと信じたいね。国王の補佐役として知られる彼の不興を買ったんだ、少なくとも宰相位ではいられないだろう」
「それなら良いんだけど……」
包帯を新しい物に取り替え終えたエレノアは、無意識に手元に残った未使用の包帯に目を落とした。その方が自らの思考に集中できるからかもしれない。
(本当は、この目がこの目である限り誰かに狙われるかもって不安は拭えないけど、それを言ったら切りがないわ。それにこんな話をしたいわけじゃない。もっと私たちの事について話したいのに……)
そろそろ正体がバレて三日なのだ。
無意識にギュッと包帯を潰していた自分は、もしかしたら随分と思い詰めた顔をしていたのかもしれない。ジュリアンが怪我をしていない方の手を伸ばして眉間を指で押してきた。
「そんなに困った顔しないで。君は一人じゃないんだよ。不安な時や怖い時は遠慮なく僕を頼りにしてほしい」
手を頬へと移動させたジュリアンは、冷静に分析していた先の表情などすっかり霧散した温かな眼差しを送ってくる。
エレノアはここ数日の間に覇王の緑に関する文献を少し探して読んだ。至宝とはされてはいたが、そもそも手にれて栄誉がどうのなど迷信染みた事は書かれていなかった。
きっと普通では閲覧できない知識を宰相は得ていたのだ。
今回の件では、この発光眼とでも言えばいいのか光る瞳を持つ自分を取り巻く危険について認識できたのは良かった。
悔やまれるのは、ジュリアンに怪我をさせてしまった点だ。
手の傷を見る度に、まるで心臓に細い針を刺されるのにも似た恐れと緊張がエレノアの中に広がる。
頬の上の彼の手にエレノアは自身の手を重ねると、一度温もりを味わうように目を閉じる。
「ありがとうジュリアン」
ベッドの端に腰かけているエレノアはそこで姿勢を正し、頬から離した彼の手を握ったまま改まった顔を向けた。
彼はしばし無言でこちらを見つめていたけれど、無理に言葉を挟もうとはしなかった。
「私たちの話をしましょう、ジュリアン」
今までの、そしてこれからの。
二人きりの今がきっと話すいい機会なのだろう。エレノアは真面目な顔でそう告げた。




