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奮起

 ワーグナー事務所を出たエレノアとアメリアはゆっくりと階段を下っていた。

 足取りが捗らないのはがっかりしているからだ。

 それでも、せめて狐顔の男を捕まえたら教えてほしいと頼んだら、成功の暁には報告してくれると言っていた。口約束でも、彼は約束を違えるような性格ではないのでそこは信じて待てる。


『状況を郵便でお知らせするかもしれませんので、その時はどこにお送りすれば?』


 エレノアはアメリアと顔を見合わせた。


『でしたらひとまずはピンカートン家のアメリアの侍女エリー宛てに頂戴な』


 アメリアがそう言えば、エレノアの現状を正確に把握出来たのだろう、ジャスティンがまじまじとエレノアを見つめた。


『それでね、これもジュリアンには秘密なの』

『ええと、クレイトン様もお嬢様が留学なさっているとお思いなのでは?』

『それが……、実は嘘だって知ってたみたい』

『なるほど。さすがクレイトン様。ですが今までの話から考慮しますと、つまり、クレイトン様はお嬢様の現状や居場所を御存知ないと……?』

『そうなの。だから秘密でってこと』

『あああ、何てことに……。私とばっちりは嫌ですよおぉ~?』


 何故か恨めしそうになるジャスティンに疑問は湧いたが、ミレーユが「こら、辛気臭い顔しないの!」と尻を蹴り飛ばしていたので挨拶もそこそこにそそくさと出て来た。

 古臭い赤煉瓦の建物の階段を一段一段下りながら、決して無駄足ではなかったとエレノアは少しだけ心が軽くなるのを感じていた。


(でも、待つしかないの?)


 とん、と階段の最後の一段を下り切って、まだ階段上にいるアメリアをくるりと振り返る。


「ねえアメリア、ミレーユさんが囮になるって言ってたじゃない?」

「ええそうですわね」


 エレノアに追い付いたアメリアは何の事もない口調で相槌を打ってくれる。


「それがどうかしたんですの? やっぱり名前を騙られるのは嫌?」

「ううん、そうじゃなく」


 街路に通じる建物内の小さなエントランスで足を止め、エレノアは一つ息を吸い込んだ。


「あのね、私やっぱり何もしないわけにはいかないわ。本当に私と勘違いされてミレーユさんが連れて行かれたら大変だもの」

「それはそうですけれど……。武芸の心得もないのに私たちがいても言われた通りに足手纏いですわよ」

「だから、一緒にいなければいいのよ。こっそり見張っててミレーユさんが危険そうなら、乗り込む」


 アメリアはちょっと目を瞠ってから眉尻を下げて呆れたように言った。


「あなたって時々伯爵令嬢ってことを忘れそうになりますわ」

「ふふっきっとお嬢様業を休んでる間にアメリアの傍で色々と鍛えられたのね」

「はいはい、そういうことにしておきますわね」


 やれやれと苦笑いを浮かべるアメリアはけれど「でもとても面白そうですわね」と乗り気になった。ぶつぶつと一人算段をつけ始める。


「そうなると、この事務所やミレーユさんを見張らせる人員と、携帯できる護身用の武器なんかが必要ですわね。即座に相手への抑止にもなるような」


(武器……)


 その条件に当てはまる武器なんて限られている。


 短銃(ピストル)だ。


「ピストルですわね」


 物騒な言葉に不安な気持ちが湧く。


(でも、危険に身を投じるなら、当然の準備なのよね)


「アメリア、調達の伝手とかある?」

「ええ、女子供でも融通してくれるお店には心当たりがありますの」


 アメリアは得意気であり、悠然とした笑みを唇に刷いた。

 売買に関わる会話だからか妙に生き生きとしている。恋バナの次に目の光が違うのがこういう時だ。


(アメリアってやっぱり生粋の商人よね)


 エレノアは眩しいものを見るように目を細めた。


「ありがとう。じゃあ私の分を一つお願いしてもいい?」

「一つですって? 何を言っているんですの? 二つでしょう。私とあなたの分の」

「ええっ!? そこまでは駄目よ! 危険だからアメリアはもうこれ以上関わらないで」

「そんなケチ臭い事言ってると、武器の調達しませんわよ?」

「ケチ臭いって……これをケチって言わないでしょ!」

「私のエレノア辞書の中では言うんですわ。たぶんクレイトン様の中にもあるんじゃないかしらね、エレノア辞書」

「エレノア辞書って何!?」

「とにかくここまで知った以上、最後まで付き合いますわよ」

「ええー……」

「観念なさいな」


 両手を腰に当てずいっと顎を突き出し睨んでくる。


「うう……」


 更に怖い顔を近づけてくる。


(そういえばアメリアって変顔でもとてもキュートよね。あれって一種の才能だと思うわ)


「……エレノア、あなた今全然違う事考えていますでしょう?」

「えっ!」

「私は真面目に訊いてるんですの。武器が欲しいのでしょう?」

「当たり前じゃない…………ああもう、わかったわ。だけど本当に危険な目に遭うかもしれないってわかってる?」

「それは逆にあなたに問いたいですわね。もしもの時はピストルをぶっ放して相手を殺さないといけないかもしれないんですのよ? もしくは自分が殺されるかもしれないんですのよ?」


 その通りだ。

 想像すればぶるりと全身が震える。

 二度に(わた)る襲撃の夜の戦慄と極度の緊張がよみがえるようだった。


「まあ、あなたから情報を聞き出すということが主目的なら、捕まってもすぐに殺されはしないかもしれませんけれど」

「じゃあアメリアの方が危険って事? 私、アメリアにもしもの事があったら舌噛んで一緒に死ぬわ」

「大っ迷っ惑っですわ。たとえ私がスプラッタになろうと、自棄を起こしたら赦しませんわよ。末代まで祟ってやりますわ!」

「スプラッタって……」

「というより、そんな結末は御免ですからね! 今から失敗に向けての打ち合わせなどしてどうするんですのよ!」

「そ、それもそうね」


 それ以前に囮作戦の実行を逃さずに事態に付いていかなければ元も子もないのだ。


「とりあえずこれだけは誓いましょうか。万全を期して事に臨む。後悔のなきよう、ね」

「うん。そうよね。さすがはアメリアお嬢様!」

「うふふっ褒めすぎ!」


 上機嫌のアメリアを先頭にエレノアは建物から出ると、待たせておいた馬車に乗り込んだ。

 もちろん外に出る前に帽子を目深に被るのは忘れない。


「あ、そうだ、寄り道してもらってもいい?」

「いいですわよ。どこですの?」

「ええとまずは――……」


 行き先を告げたエレノアは封筒の入ったバッグを撫でた。


 屋敷に帰ったらクレマチスにも話を聞いてもらおうと、エレノアは密かに心の準備をする。もしも反対されても取り下げるつもりは少しもないが、きっと彼女は最後にはエレノアの意思を尊重して協力してくれるだろうと、そう思った。

 結果を言えば、有難い事にそれは間違っていなかった。

 またも危険に立ち向かうエレノアに困った顔をして、頑固さに観念した顔をして、クレマチスはそれでも優しい目をして頷いてくれた。





「聞いてたジャスティン?」

「ああ、うん、まあ……」


 事務所のドア越しに響いて来ていた声が去って、ドアに細く隙間を作っていたミレーユが完全に閉めた。


「エレノアちゃんって意外と破天荒な思考してるわね」

「お嬢様……」


 ミレーユは何も言えないジャスティンに向けていた目を窓の外に移す。


「ここ狭いしボロいから、建物内の会話なんて丸聞こえなのをわかってない詰めの甘さというか、間抜けさが可愛いけど」

「君さ、間違ってもお嬢様を彼の前でからかうなよ?」

「え、何でよ? あたしが可愛いと思った相手を愛でるのにあいつの許可なんて必要ないでしょ」


 正論。またもや何も言えないジャスティンだ。

 でも血は見たくないと思うジャスティンだ。


「でもどうするの? あたしが動いたらあの子たちも動くって事じゃない。それは些か塩梅が悪いわね」

「同感。思い止まらせる方法を考えないと」

「無駄でしょ。武器調達まで真面目に考えてたし、本気度が高いだろうから説得を聞き入れないと思うわよ」

「じゃあどうすればいいんだよ。こんなこと大っぴらには出来ないし、信用できる人間にじゃないと事情を明かせないし」

「そうねえ~」


 ドア近くから応接椅子に戻って頭を抱えるジャスティンに、一歩二歩とのらくら歩み寄ったミレーユは人差し指を立てた手を突き付けた。


「あ、そうだわ。誰かを見張ってる人間は更に自分が見張られてるなんて普通思わないじゃない?」

「……それで?」

「ピンカートン家の長男に頼むのよ。もしもの時は力づくでも止めてねって。彼はエレノアちゃんの事情を知っているし、ちょっとした知人なの。ちょうどいいわ」

「つくづく君の人脈と情報網は侮れないなあって思うよ」

「あらどうも」

「よしじゃあその手で行こうか」


 一人頷くジャスティンは両膝を叩いて立ち上がった。





「今のはアメリア嬢と、エリー?」


 二人の少女を乗せ一台の馬車が赤煉瓦の建物前から走り出したそんな時。

 偶然にも二人を見かけた青年がいた。

 彼は自らの乗った馬車の窓から赤煉瓦の建物を見上げる。

 余程この馬車を止めようかと思ったが、既に少女たちの馬車は後方へと走り去ってしまっていた。


「ここは、確か……」


 一、二階部分は住居になっているので、客として出入りするとなれば行く先は決まっている。


「もしかして弁護士事務所に用事? ピンカートン家には別に顧問弁護士がいるはずじゃ……?」


 窓に貼られた下手な筆致の事務所看板を見上げながら、青年――ジュリアンは不思議そうに呟いた。


 翌日、彼の元には一通の書留が届けられた。

 寄宿学校時代とは異なり、アカデミーに通う間はクレイトン家の王都の屋敷(タウンハウス)に暮らしている彼は、特に訝しむでもなく屋敷内の書斎でその封を開けた。

 それは彼自身すっかり忘れていたジャスティンへの援助を思い出させた。

 その封筒には渡した額と同額分の小切手と、メッセージカードが入っていた。


 ――当家元顧問ジャスティン・ワーグナー弁護士の給金を立て替えて頂いて本当にありがとうございました。今まで知らずにごめんなさい。遅くなりましたが全額お返しします。


 メッセージはこれだけだ。

 封筒にはきちんとジュリアンの名前が書かれていたが、カードには彼の名はおろか差し出し人の名前も書かれていない。

 そっけないと言ってしまえばその通りだった。

 けれど、懐かしい声が聞こえた気がした。

 そして、よくもらっていた大事な少女からの親愛の手紙を思い出した。

 その筆跡も。


「エレノアの字だ。どうして今頃……?」


 指先で挟んだカードを見下ろす。


「それとも、今頃把握した……とか?」


 伏し目がちに悩んだように疑問を呟いたが、ここで彼はふと先日の観劇デートでのエリーのメモ書きを思い出した。

 捕り物があって戻った馬車内で、最後だけは自分以外にも伝わるように謝罪の言葉をメモに書いてくれたのだ。

 筆談を所望していたエリーの筆跡を見たのは、思い返せばあの時が初めてだった。


「何で……」


 二つの筆跡は、とてもよく似ていた。





 ピンカートン家の仮面舞踏会までミレーユに動きはなかった。

 その間ジュリアンとのデートは三回ほどした。

 三回ともジュリアンからの誘いで、うち二回はアメリアが都合をつけて付いて来てくれたが、さすがにヴィセラスは忙しいらしく付き合わせるのは無理だったので、デートは人目の多い昼間だけという約束までして出掛けたものだった。

 お互いに学業や仕事のある中での半月に三回は多い方だろう。

 それだけジュリアンがこのお試し交際を重要と思ってくれているのかもしれないが、それだけ早いサイクルで女性を取っかえ引っかえしているのかもしれないと勝手な論理で思えば、エレノアは複雑な気分だった。


 デートの間、度々ジュリアンが何かを問いかけたいような面持ちで自分を見てくるのにエレノアは気付いていた。


 気付いたのは一度目の植物園デートの時でもなく、二度目の博物館デートの時でもなく、アメリアがいない三回目の公園デートというかのんびりとした散歩の折にだった。もしかしたらもっと前からそんな目を向けられていたのかもしれなかったが、気付かなかったものはしょうがない。


(言いたい事があるなら言ってくれればいいのに)


 そんな不満を抱きつつ帰りは辻馬車を拾った。

 ジュリアンはまずエレノアを送り届けてくれるつもりらしい。

 気が付いてしまえば何となく居心地が悪くて、彼とは反対の景色を見てやり過ごした。

 ピンカートン家の屋敷に到着すると、ジュリアンは馬車に乗ったいつものように先に降りて手を貸してくれた。


(ホントこの人って基本超絶紳士なのよね)


 エレノアのためにわざわざ一度降りまた乗り込む手間を惜しまない。この献身的とさえ称せる徹底ぶりには、されている方のエレノアも舌を巻く。


「今日は楽しかったよ。君とのんびり過ごせる日がもっと続けばいいと願わずにはいられないくらいに」


 どう反応していいのか悩んだ末に無反応になってしまったが、さほど気にしていないのかジュリアンは口元をにこりとさせた。


「次はここでの夜会で会えるよね。楽しみにしてるよ。それじゃあね、エリー」


 控えめに手を振ると向こうも軽く手を揺らした。

 そのまま御者に発車の合図を送ろうとしたジュリアンは、しかし手を下ろすと車上から再びエレノアを見つめ下ろしてきた。何故かじっと。


(何か言い忘れ?)


 ベールの奥でキョトンとするエレノアへ向かって、彼は食べ物の好き嫌いでも訊ねるかのような口調でこんな質問をしてきた。


「ねえエリー、君って実はエレノアだったりしないよね?」


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