第四十六話 帰り道
意識が戻ったとき、僕は誰かに背負われた状態で森の中を進んでいた。その誰かがエレナだということに気付き、安堵の息を吐く。森の中は先程よりも薄暗く、現在の時刻が夕方であることを予想できた。
「……あ、起きたんですね、リオ様。気分が悪かったりはしませんか?」
エレナもボクが起きたことに気付き、心配そうに訪ねてくる。
「大丈夫。何だかすごく眠い気がするけど、体調は悪くないよ」
「眠気は魔力切れのせいですね。屋敷に戻ってゆっくり休みましょう、明日には元通りになっている筈ですよ」
ああ、確か召喚魔術の使いすぎで倒れたんだった……。結局、あのネコはどうなったんだろう? エレナがアイツを警戒している様子はないから、大丈夫なんだとは思うけど……。あ、もう一つ心配なことがあった。
「僕よりもエレナは大丈夫なの? あのバカネコに氷漬けにされてたでしょ?」
「あー、あれは普通の氷とは違うので外に出られれば後は大丈夫なんですよ。ノア先輩が助けてくれましたし」
「ノアが?」
辺りはまだ完全に暗くなってはいないから、そこまでの時間は経っていない筈だ。それなのにもう来れたということは、もしかして一人で助けに来たのだろうか? 相手がネコだということはリリーに聞いてわかってたと思うんだけど……。
あれ、何でノアはここにいないんだろう? 不思議に思っていると、それを察したのか、エレナが説明してくれた。
「ノア先輩はあのネコちゃんをお仕置きしてるとこですよ。なんか先輩の知り合いだったみたいですね」
「ああ、やっぱりあのネコが言ってたアイツってノアのことだったんだ……」
そうなるとノア魔族説が信憑性を帯びてくるんだけど……。いや、魔族とかこの世界にいるのかどうか知らないんだけどね?
それはともかく、アイツはお仕置き中なのか……。なんだろう、この胸の奥に広がる温かい気持ちは。この気持ちを一言で表す言葉を僕は知っている気がする。
「……ざまぁ」
「リオ様、何か言いましたか?」
「いや、なんでもないよ?」
イケない、いくら相手があのバカネコでも他人の不幸を笑うような行為は……。
「……プッ」
「リオ様、何だか嬉しそうですね」
「……ホントに何でもないよ?」
駄目だ、どうしても顔がにやけてしまう。今すぐアイツに会ってどんな気持ちか聞いてやりたい……。ああ、なんかバカネコの悪影響を受けてる気がする……。アイツの存在は僕の情操教育によくない。
「意外と元気そうで安心しました」
「…………」
……ところで、さっきからエレナと話すたびにそこはかとなく違和感を感じる気がするんだけど?
そうだ、普段と喋り方が違うんだ。普段も敬語だけど、いつもはもっと語尾を伸ばしたテキトーな感じの喋り方だったと思う。
「ハッ!?」
これはもしや、あのドSネコの罠なんじゃ!? ボクと初めて会ったとき、アイツはマネドリに化けていた。つまり、姿を変えることが可能な手段を持っている筈だ。その方法を使えばエレナにも化けることができるんじゃないか?
助かったと思って安心したところで正体を表して、僕をからかうつもりなんじゃ……? すごくやりそうだ……。というか既に一度、似たようなことをされてる……。
上げて落とすのは奴の常套手段っぽいし、この場にノアがいないことにも説明が付く。ああ、そういえばエレナは背中に大剣を背負っていた筈だ。その剣が今はどこにもないことも疑いに拍車をかける。
落ち着け僕……。慎重に本物のエレナかどうかを確かめるんだ……!
「エ、エレナってネズミとか好きだったりする?」
「ネズミですか? ノア先輩のリリーは可愛かったと思いますよ」
「……食べ物的な意味では?」
「あー、ヒネズミって美味しいらしいですね。私は食べたことないですけど、辛くてお酒に合うらしいですよ?」
「…………」
これは……、アウトなんだろうか? 普通の人も食べるような口振りだ。本人は食べたことはないようだし、かろうじてセーフな気がする。というか、魔獣って食べれるんだな……。リリー、酒のつまみ扱いなのか……。
いや、それよりも今はエレナだ。よく見るとなんだか元気がない気がするし、普段と違うのはそのせいかもしれない。だとしたら直接聞くべきだ。
「エレナ、何か元気ないみたいだけどどうかしたの?」
「…………」
僕の問いかけにエレナは何も答えなかった。つまり図星ということだ。そのまま待っていると、しばらくしてからエレナは口を開いた。
「私はリオ様を危険に晒してしまいました……」
「…………」
ああ、それを気にしてたんだね……。
「私が付いていながら、リオ様を一人にしてしまいました……。その上、あのネコがマネドリに変身していることにも気付きませんでした」
「…………」
騙されたのは仕方ないと思う。魔力を隠していれば、普通のマネドリと見分けがつかないし。
「しかも、不意打ちとはいえあんな子ネコに負けてしまうなんて、自分が恥ずかしいです……」
「…………え、子ネコ?」
とりあえず黙って聞こうと思っていたのに、聞き捨てならない言葉が聞こえたので思わず口を挟んでしまった。
「はい、あのネコはまだ子供です。ネコは長命の魔獣で、成体になるまで二十年程掛かりますから。私でも十分撃退可能な相手でした」
「……そうなんだ」
ショックだ。漠然としたイメージだけど、長生きしたせいで性格が歪んでしまったのかと思っていたのに。いや、確かに性格は子供っぽかったような気がする。
「申し訳ありません、リオ様」
「うん、わかった。この失敗を活かして、これからもよろしくねー」
エレナが謝罪した瞬間、間髪いれずにそう答えた。エレナは意外と責任感が強い。下手したら護衛を変えて欲しいなんて言い出しかねない。だから、遠回しに引き止めることにした。
一瞬だけエレナの動きが止まる。そして、呆れたような様子で僕に言い返す。
「……もー、ホントならもっと怒るとこですよ? あんなに怖い目に合ったのに……」
「いや、楽勝だったよ? 全然怖くなかったし! 最後は召喚魔術で生き埋めにしてやったしね! 客観的に見ても僕の完全勝利じゃない?」
ハンデをもらったこととかは内緒だ。あの交渉はかなりみっともなかったので全力でなかったことにしたい。それにあまり怖くはなかった。どちらかというと、ウザい目に合った気分だ……。
「フフッ、そうですねー。リオ様の完全勝利ですねー。私もリオ様の活躍を見てみたかったですねー」
何だかやたらと微笑ましいものを見るような目をしてくる。何故に?
「いやー、ホントに残念ですねー。リオ様の戦い、見たかったですよー」
「……そうだね? 残念だったね?」
何やら見透かされている感じがするけど、エレナの調子も戻ったし良しとしよう。安心すると今まで我慢していた眠気が限界にきてしまった。
エレナに背負われたまま、僕は再び眠りに落ちていった。
誰かに呼ばれたような気がして眼を覚ますと、僕は見覚えのある白い部屋に立っていた。
「はじめまして、リオ・ボーティス様――――――」
聞き覚えのある声が背後からし、そちらを振り向くとそこにはあの黒い少女が立っていた。相変わらず全身が黒い靄に包まれ、その顔を見ることはできない。なのに、何故か彼女が優しく微笑んでいることが僕にはわかった。
「――――――そして、お久しぶりですね、結城里桜奈様」
彼女は口にしたのは、既に懐かしさすら感じる前世での僕の名前だった。
次で一章エピローグです。




