第三十八話 冷たい再会
リリーの背にしがみつき、森を駆け抜けていく。途中でゴブリンを見かけたけどそんなものは無視だ。今まではエレナの匂いを探しながらの移動だったから速度を出せなかったが、本気で走るリリーの速度ならゴブリンに襲われるようなことはない。あの短い脚でどうやってこの速度を出しているのはわからないけど、とにかく早い。進路方向にゴブリンがいてもその勢いを恐れて自分から逃げていくくらいだ。
「ちゅう!」
リリーが僕の注意を引くように鳴く。その声につられて顔をあげると、前方で森が途切れているのが見えた。森を抜けた訳じゃなく、広場の様な場所が森の中にあるみたいだ。端の方にはいくつか大きな岩があり、そこから少し離れたところに人影が見える。一目でわかった、あれはエレナだ。
だけど少し妙だ。前方に見えるエレナはこちらに背を向けた状態でいつも背負っている大剣を振り上げている。最初は魔獣と交戦中なのかと思ったけど、いつまでたってもそれを振り降ろす様子がない。
――――――何か、嫌な予感がする。
「エレナッ!」
思わずエレナに向かって声を張り上げるが、それにもエレナは反応しない。リリーが速度を緩め、僕達は広場に出る。辺りを見回しても、魔獣はおろかエレナ以外に生き物の気配はない。なら、エレナは何をしているんだ?
「エレ――――――」
リリーから降り、エレナの前に回り込んだ。そして、エレナに呼びかけようとした僕の声はそこで途切れる。
「――――――」
僕が見たのは、まるで石像の様に凍りついたエレナの姿だった。
「ちゅう?」
変わり果てたエレナの姿に、呆然としていた僕を我に帰したのは心配そうなリリーの鳴き声だった。……そうだ、こんな風に呆けている場合じゃない。まずはエレナの状態を確認しないと。
僕はまずエレナの脈を測ろうと、凍りついたエレナの手に触れようとした。だが、エレナに近寄ろうとする僕の行動は妨げられた。
「リリー?」
服の裾に噛みついたリリーがそれを引っ張り、僕がこれ以上エレナに近寄るのを止めようとする。
「いったい何を――――――」
そこまで言ったところである可能性に思い至った。エレナのこの状態は、何らかの魔術を受けた結果だと考えられる。もしかすると、その魔術の効果は相手を凍りつかせるだけではないのかもしれない。
僕は地面に落ちていた小枝を拾い、エレナに向かってゆっくりと放り投げた。僕が投げた小枝は緩やかな放物線を描き、エレナのお腹の辺りに当たって停止した。――――――まるで凍りついたように。
「こんな悪趣味な魔術もあるんだね……」
吐き捨てるように呟く。凍りついた仲間を発見し、心配して触れた者までも凍りつかせる。効果的で、悪辣な罠だ。
「……リリー、ありがとう。もう近寄らないから離していいよ」
僕がそう言うとリリーは服を離してくれる。リリーがいなければ罠に気付かず、僕もエレナの様になっていただろう。この子がいて助かった。
それにしても、エレナは無事なのだろうか? 普通ならこの状態で生きているとは考え辛いが、魔術による現象は物理法則を超越する。この状態でもエレナが生きている可能性は充分にあるし、僕はそれを信じたい。
すぐに森を出てノアや父に助けを求める、それが最も賢い選択だと思う。たとえそうするとしても、エレナの生死くらいは確認しておきたい。でも、これ以上近付けないのにどうやって……。
……いや、方法はある。とても嫌な方法だけど、一つだけ思いついた。でも、もしこの方法を使ってエレナが死んでいるとわかったら僕は……。
……不安はあるが時間的な余裕はない。今エレナが無事だとしても時間の経過で死んでしまうかもしれないし、エレナを倒した奴が現れる可能性もある。僕は今すぐにでも森を出るべきだ。
覚悟を決め、この方法でエレナの生死を確認しよう。僕はナイフを取り出し、自分の腕に傷を付けた。そして、傷口から滴り落ちる血液をエレナに向かって振りかけた。これで準備は完了だ。
エレナの生死を確認する方法、それは召喚魔術だ。無生物の召喚魔術で生物を召喚しようとした場合、その召喚は失敗する。……そして、死体は無生物だ。
エレナが生きていれば召喚は失敗し、もし死んでいた場合は死体として召喚されることになる。
本当に嫌だ。そんな方法で親しい人の生死を確認することが。死ねばモノと変わらないと断言するような行為に嫌悪感を感じる。この方法でエレナを召喚できてしまったら、僕は二度と召喚魔術を使えない気がする。
でも、それでもエレナの生死を確かめたい。
僕は意を決し、召喚魔術を発動した。魔力がなくなる感覚と共に、エレナの足元に魔方陣が出現する。これは無生物を召喚するための魔方陣、生きた者は決して通り抜けることのできない道だ。
息を呑み、エレナと魔方陣を見つめる。僕の視線の先で魔方陣が一際強く輝き――――――消えた。エレナに変化はなく、凍りついたままの姿で変わらずに佇んでいる。
召喚魔術は失敗した、つまりエレナは生きているということだ。
「――――――はぁ」
いつの間にか息を止めていた。押し寄せる安堵と共に僕はへたり込む。よかった……。
エレナは生きていた。元に戻るかはわからないけど、それでも最悪の状況ではなかった。上級治癒魔術を使えるノアなら治療できる可能性も十分にある。
よし、一刻も早く森を出て助けを呼ぼう。エレナは置いて行くことになってしまうが、この状況なら他の魔獣も手を出すことは出ない筈だ。
「リリー、全速力で森を抜けよう! 今ならエレナも助かるかもしれない!」
動かないエレナを見ながら、リリーに向かって呼びかける。でも、何故かリリーの返事はなかった。
「リリー?」
不思議に思ってリリーの方を見ると、リリーはどこかを凝視したまま硬直している。
「――――――にゃあ」
リリーの視線の先、広場の端にある岩の上、この異世界ではドラゴンと同格とまで言われている小さな魔獣が座っていた。




