第三十三話 虫(異世界Ver)
街を出てから半刻ほど経った頃だろうか、僕たちはハイアの森に到着した。遠くから見たときは小さな森だと思ったけど、こうして目の前にするとそれなりに大きな森に見える。少なくとも、何も考えずに僕一人で中に入れば迷ってしまいそうなくらいには大きい。
僕は木の種類には詳しくないので日本にあった物と同じかどうかはわからないが、こうして目の前で見ても特に違いは感じられない。
でも、いくら見た目が普通で街の近くの比較的安全な森とはいっても、数は少ないが魔獣も生息しているので油断はできない。まあ、僕にできるのはノアとエレナの言うことをよく聞いて、二人から離れないようにすることくらいなんだけど。仮に魔獣が出てきても、僕とトーニャ何もしないように言われている。
「あら?」
僕の隣で森を眺めていたトーニャが小さく声を上げた。そちらを見ると、トーニャは何か不思議なものでも見たような顔をしていた。
「トーニャ姉様、どうかしたの?」
「んー、何でもないわ。ちょっと見間違えただけ」
トーニャは目をこすりながらそう言った。そのあとはまた普通に森の様子を眺めている。どうやら、本当に何もなかったようだ。
「リオ様、用意ができましたよー」
トーニャを見ていた僕にエレナが声をかけてきたのでそちらを見ると、虫取り網の様なものを持ったエレナが立っていた。あんなもの持っていなかった筈だけど、どこから出したんだろう?
「それ、どうしたの?」
「ノア先輩に召喚魔術で喚び出してもらいましたー」
「ああ、そうなんだ。荷物を持っていかなくてもいいのは便利だね」
「普通の召喚魔術師はこんな使い方しませんよー。無生物の召喚は魔力をたくさん使いますからねー。ノア先輩は尋常じゃないくらい魔力が多いから気軽に使いますけどねー」
「そっかー。荷物を持たなくていから便利だと思ったんだけど」
確かに無生物の召喚は魔力を多く使用する。しかも、喚び出す対象の質量と魔力量によっては必要な魔力はさらに増える。
……そういえば、ご先祖様のリオンには千本の魔剣を同時に召喚したという逸話があったっけ。魔力のある無生物の召喚自体が上級召喚魔術だということを考えるとすさまじい魔力だ。
「でも、その網は何に使うの? あ、虫取りね!」
トーニャはエレナの持っている網を見ながらそう言った。でも、あの網は形こそ虫取り網みたいだけど、網目がかなり大きいから虫取りは無理じゃないかな? 蝉くらいの大きさでも難しい気がする。
「鳥を捕まえるためですよー。あ、リオ様が虫を召喚したいなら捕まえてきますよー?」
「虫は可愛くないからやだ」
エレナが網をブンブンと振り回しながら言うが、それは避けたい。僕は虫が苦手な訳じゃないけど、だからといって積極的に見たいわけではない。折角森に来たのだから、当初の目的通り鳥を召喚できるようになりたい。
生物を召喚するには、まずその生物と契約を交わす必要がある。ある程度賢い生き物ならアンの様にこちらが喋っているときの魔力を読み取ってくれるので意思の疎通が可能だが、それには話をするのに適した状況を作らなければならない。エレナの網はそのためのものだろう。
「それではそろそろ行きましょうか」
ノアの声に従い、僕たちは森の中へと入って行った。
普通、森の中というのはとても歩きにくいものだ。かつては長い手足が自慢だった僕だが、今の体は幼児なので歩幅も小さい。だから、森を歩くのには苦労すると思っていたのだけどそんなことにはならなかった。
「リオ様、歩きにくかったりはしませんか?」
「ノアのお陰ですごく歩きやすいよ」
先頭を歩くノアが属性魔術で地面を均しながら進んでいるのだ。邪魔になる枝も同じく属性魔術で排除してくれている。そのお陰で僕たちは森の中にもかかわらず快適に歩くことができている。
地面を均すのに使っているのはかなり高度な技術が必要な魔術のようで、それを見たトーニャは興奮していた。
「ノア先生、すごいわ! いろんな属性が混ざってて何やってるのかよくわかんないわ!」
「普通はこんなことしてたらすぐに魔力がなくなりますけどねー。」
ボーティスの魔眼を持つトーニャにも詳細は分からないようだ。これは彼女がまだ魔眼を使いこなせていないからだろう。ノアはいつものように無表情だったが、褒められて少し照れているみたいだ。ずっと一緒にいたからなんとなくわかる。
「リオ、あそこに鳥がいるわ!」
ノアの作ってくれた道をしばらく進んでいると、トーニャが大きな木をを指さしながらそう言った。そちらを見るとトーニャの言った通り、木の枝にカラスのような鳥が留まっていた。ただしでかい。
「おっきいですねー」
「あれはオオカラスです」
トーニャが見つけたのは一メートル以上ありそうな巨大なカラスだ。明らかに十キロ以上ある。
「大きいカラスって意外とカッコいいね。でもトーニャ姉様、あれはちょっと大きすぎるよ」
「そうねー。カッコいいのに残念だわ」
「……アレってカッコいいですかー?」
僕とトーニャは少しの間未練がましくオオカラスを見ていたが、エレナはオオカラスはあまり好きでないみたいだ。あんなにカッコいいのに。
「あ、あそこにも鳥がいる!」
次に鳥を発見したのは僕だった。さっきのオオカラスと同じように木の枝に鳥が留まっている。今度の鳥はあまり大きくなく、鮮やかな青い羽根を持った可愛らしい鳥だ。そのとき、別の鳥がそこに飛んできた。
飛んできた鳥は元からいた鳥とよく似ているが、色は灰色という地味なものだ。そういえば、前にテレビで鳥はオスの方が綺麗な羽をしていることが多いと聞いたことがある。求愛のために綺麗な羽でアピールするとか言ってたっけ。
「わー、恋人かしら?」
トーニャは嬉しそうに二羽の鳥を見ている。
「……リオ様、他の鳥を探しましょう」
「そうだね。邪魔をしたら可哀想だしね」
「いえ、そうではなく――――――」
「ひぃ!?」
ノアが何か言いかけたとき、トーニャが小さく悲鳴を上げた。驚いてそちらを見ると、トーニャが怯えたような顔をしていて、しかも半泣きになっていた。いったい何があったのかとその視線を追うと、そこにはさっきまでいた筈の灰色の鳥が消えていて、最初にいた鳥の姿だけがあった。あれ、あの鳥ってあんなに太ってたっけ?
「どうしたの、トーニャ姉様? 大丈夫?」
「リオー! 鳥が……、鳥がパカッてしたぁ。パカッてして食べちゃったのぉ」
トーニャは半泣きで僕に抱きつくとよくわからないことを言い出した。……パカッてするって何? よくわからないまま、縋りつくトーニャを落ち着かせようと頭を撫でている僕達を見てエレナが苦笑いしていた。ノアも不憫そうにトーニャを見ている。いったい何なんだろう?
「トーニャは何を見たの?」
トーニャの説明ではよくわからなかったので、理由を知っている様子の二人に聞いてみた。
「あそこにいる鳥ですけどねー。実はトリモドキっていう虫なんですよー」
……むし?
「鳥に擬態して近寄ってきた他の鳥を食べるんです。こう、パカッて開いて……」
ノアの説明によると、鳥もどきという虫はオスの鳥に擬態して近寄ってきたメスの鳥を食べる虫のことらしい。それだけでも性質が悪いのだけど、トーニャが泣いているのはその食事風景の酷さが原因らしい。
トリモドキの鳥に見えている部分は実は全て外殻で、その中に本体が存在するらしい。そして、鳥が近寄ると外殻を開いて触手の様なもので中に引きずり込んで食べてしまうのだ。そう、体の前面を縦にパカッと開いて……。
「魔獣なの……?」
怖すぎる……。そんなトラウマになりそうなものを見たら僕も泣いてしまうかもしれない。トーニャがこんなに怯えているのにも納得してしまう。
「いえ、ただの虫です。魔術や魔装を使う訳ではありませんから」
「あ、怪談みたいなものならありますよー。トリモドキが魔獣になるとヒトモドキになるって話なんですけど、聞きたいですかー?」
「絶対やだ」
笑いながら訊ねてくるエレナに向かって僕は即答した。名前で大体分かるよ……。




