第45話:Four-way Battle
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4m85cm、3本目の試技。
挑む皇次は、吐き捨てるように「行きます。」と叫ぶと走り始めた。
踏み切り、空中動作まではこれまで同様にやってみせたが、逸る気持ちからかバーは完全に皇次の体に触れていた。
バーを巻き込みながらマットに落ちた皇次に、審判員の赤旗が無慈悲に振られた。
「…チッ…クソッ!」
皇次は舌打ちをしながら、怒りと悔しさの入り混じる感情を込めて、マットを叩きつけた…。
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バーの高さが4m90cmに上がった。
この時点で残るは、宙一、江國、若越、伍代の4人。
暫定では、試技順で1位若越、2位伍代、3位宙一、4位江國となっていた。
上位3枠の次なる関東大会への切符を賭けた争いは、未だその結末が予想できずにあった…。
(…ここで越えなきゃ、勝ち目はねぇ…。)
助走路に立つ宙一は、冷静を装っていた。
重圧さえなければ、なんの気無しに越えられる高さも、その重荷が宙一の邪魔をする。
風が少し大人しくなり、吹き流しの動きが止まった。
「…行きまぁぁぁす!!!」
宙一は意を決して走り出した。
その脳内には、後輩の言葉が巡っていた。
『俺は自分に勝ち続ける。それによって手にする勝利は、俺にとって何の価値もねぇんだよ。』
(…江國の言うことは一理ある…。
他者と比べて勝ち負けを気にしていては、1番勝たなきゃいけない自分自身には勝てやしない…。)
宙一は、その言葉を胸に迷いを振り捨て、全力で助走路を駆け抜けた。
踏み込んだ左足で宙目掛けて跳び立つと、バーの上目掛けてその体を捻りながら高く宙に浮いた。
しかし、そのバーの上を体が越えるより先に、重力が宙一の体に重くのしかかる。
腹部が触れたバーは、激しくしなりながら宙に浮かび上がり、そのまま宙一の体と共にマットへと落下した。
審判員の赤旗が上がる。
よろめきながらマットに立ち上がる宙一だが、その顔は依然として諦めたようには見えていなかった。
(…まだだ…勝つんだ…自分にっ!)
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江國は険しい表情で、再び架けられたバーを見上げた。
(…今日は、1本で。ミスはしない。)
支部予選では、この4m90cmを1回失敗している。
2回目でクリアしたものの、江國自身はそれに納得はしていなかった。
助走前に大きく息を吸って、それを吐き出した。
覚悟を決めた目つきになると、江國は軽く跳ね上がるとそのまま走り出した。
江國の覚悟は、確実な跳躍として表れた。
バーと体との間に空間を保ちながら、その上を越え、そして落下する。
江國がマットに着地した時、審判員は勢いよく白旗を上げた。
ここで江國が、一気に全体の1位に躍り出た。
江國は、狙い通り1本目で成功したにも関わらず、表情ひとつ変えずに依然険しい顔のまま、ポールを受け取り控えテントに戻ってきた。
(…これで終わりじゃない。本当の目標は、ここから…。)
その後、続く若越も1本目で成功。
伍代は1本目を失敗し、宙一と共に2本目で成功を収めた。
この時点で、江國が一気に1位に逆転し、それに続く2位が若越、3位に試技順で宙一が選ばれる事によって、伍代が4位まで下がってしまった。
4m95cm。
バーが高くなるにつれて、順位決定が近づいていく。
1本の失敗も許されない、四つ巴の戦いは佳境に入る…。
その1本目、宙一は失敗。
続く江國は、90cm時の跳躍同様お手本のような華麗な跳躍を見せ、クリアした。
助走路の若越に、緊張が走る…。
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男子棒高跳びの争いが佳境を迎える中、トラックでは男子100m決勝の準備が行われていた。
電光掲示板には、決勝に進んだ8名の名前が掲載されていた。
"6 蘭奈 陸 羽瀬(1)"
蘭奈の名は、第6レーンに表示されていた。
その光景を、観客席から丑枝と巴月が見守っていた。
するとその時、丑枝のスマートフォンにメッセージが通知された。
「…あっ…。」
丑枝がそのメッセージに気がついたのを、巴月も横目で確認した。
丑枝は何も言わずに、そのメッセージ画面を巴月に見せた。
送信先の相手は、兄である勝馬であった。
"…わりぃ。もう少し休みたいから、蘭奈の応援頼む。"
七槻は、どうやら音木と合流していたようであったが、その姿を見せる事はなかった。
兄の所在が明らかになった事に安堵しつつも、姿を見せない事に、巴月は怒りと悲しみが入り混じった感覚を胸に感じていた。
「…って事だから、今は彼の応援に集中しましょ。」
丑枝はそう言って、スマートフォンの画面を切った。
丑枝は、彼女なりのフォローで巴月を支えようとした。
巴月にとってそれは、兄や桃木とはまた違った1歳年上の先輩からの優しさとして受け取っていた。
「…ありがとう…ございます。彩さん…。」
丑枝は、優しい笑顔を見せた後、真剣な眼差しでトラックに視線を移した。
兄や伍代、桃木とは少し違う彼女の雰囲気は、どことなく音木に近いものがあると、巴月は感じていた。
しかし、音木ともまた違う。巴月にとって丑枝は、近いようで遠く離れたお姉さんのように思っていた。
「棒高跳びも、いよいよって感じみたいね。伍代も若越も残ってる。けど、継聖の連中も、2人残ってるみたいだね…。」
巴月たちからは対面で行われている棒高跳びの様子も、遠目ながら2人にも見えていた。
同級生が2人、目の前に聳え立つ大きな壁をよじ登ろうと、必死になっている。
その姿が、巴月の心をキツく締め上げているような感覚を、彼女は持っていた。
(…私にはもう…2人がいる場所には行けないんだ…。でもそれは、私が自分で閉した運命だから….。)
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強く踏み切った若越の体は、ポールの湾曲に合わせながら上下反転し、その足先の狙いを、バーの上に狙いを定めた。
ポールが元に戻ろうとする勢いが、若越とバーとの距離を一気に縮めていく。
(…宙一さん、江國、そして伍代先輩…誰にも負けるわけにはいかないんだよぉ!)
若越が右手のポールを手放すと、その体がふわっと浮かび上がり、バーの上をすり抜けていった。
しかし、ポールを手放した右手の軌道上に、バーが迫っている。
(…やべっ!)
修正は間に合わない。
右手で勢いよくバーを弾くと、若越諸共バーはマットに落下した。
審判員の赤旗に、観客席からは落胆の声が聞こえてきた。
若越は舌打ちで悔しさを露わにしながら、マットから降りた。
顔を上げた先には、自信満々の表情の伍代がいる。
(…次、必ず越えて…5mで決着つけてみせますよ…伍代先輩…。)
(…悪いな…若越。俺は先に行ってるぜ。
必ず、着いてこいよ。)
「…行きまぁぁぁぁぁぁぁっす!」
伍代の迫力が、周囲を圧倒する。
その気迫、助走の走り、踏み切り動作、空中動作全てを見入ってしまうような雰囲気を放つ伍代は、その場の空気を自分のものにしてみせた。
伍代がそのバーの上を華麗に越えると、大きな拍手と歓声がバックストレート側にて響き渡った。
江國、伍代が1本目で4m95cmを成功。
残されたのは、宙一と若越。
先に越えた者が、その先への大きな一歩を手に入れることができる。
4m95cm、2本目の試技。
再び宙一は跳躍失敗に終わった。
若越は僅かなチャンスの予感を感じていたが、浮ついている余裕はない。
自分も再び失敗すれば、そのチャンスは遠のくまでだ。
そう自分自身に言い聞かせながら、若越が助走路に入ろうとした時、会場のアナウンスがホームストレートで行われる男子100mの選手紹介に入った。
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『…第5レーン、渡辺くん、江戸川。』
蘭奈の隣で名前を呼ばれたその選手は、手を上げて深々とレーンにお辞儀をした。
観客席からは彼の同校のチームメイトたちの歓声が聞こえてくる。
「ファイトォー!渡辺ぇ!!」
「しょーさん!ファイトォォ!!」
しかし、会場を渦巻く歓声など蘭奈の耳には届いていなかった。
渡辺が横で「よぉし!」と深呼吸をする声すら、蘭奈には風の流れる音や虫の羽音程度にしか感じられなかった。
それだけ、蘭奈の集中力は極限の状態にあった。
『…第6レーン、蘭奈くん、羽瀬。』
「蘭奈ぁぁ!!ファイトォォォ!!」
「ぶちかませぇ!!陸ぅぅ!!」
ホームストレート側の観客席では、長距離ブロックメンバーと丑枝、巴月が集まって蘭奈にエールを送っていた。
しかし、巴月は黙ってスタートの蘭奈の姿を見ているだけであった。
兄への心配と、思い返される過去の自分の事の不安から、声をかける事が出来ずにいた…。
「…負けんじゃねぇぞぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!!」
すると、羽瀬高メンバーのエールから少し遅れて、聞き覚えのある声がそう叫んでいた。
何処からか、七槻がそう叫んでいた。羽瀬高メンバーは辺りを見回すも、その姿は見つけられなかった。
(…なんだ、勝馬さんいるんだ。良かった。)
スタートラインに立つ蘭奈は、そのエールに安心した。
そして大きく息を吸い込んで叫んだ。
「っっっしゃぁぁぁぁぁっ!!」
猫の威嚇のようにそう叫び、周囲の選手を圧倒する。
しかし、蘭奈のゴールを見つめる眼差しは、"虎"のように鋭く光っていた。
会場では、大きな歓声が沸き起こった。
その後も、続々と選手が紹介されていく。
『第8レーン、村上くん、都大附属。』
男子100mに出場する、8人目の選手の名が告げられた。
身長180cm以上の長身のその選手は、ハーフのようで日本人離れした洋風な顔立ちをしていた。
爽やかな雰囲気の彼は、観客席からの声援を受けてスタンドとレーンに向かって大きく2回礼をした。
(…やっぱり、残ってたよね。)
観客席の巴月は、その選手の姿をじっと見つめていた。
どうやら、巴月はその選手を知っているようであった…。
『…On Your Marks…。』
会場が静寂に包まれて、選手や観客が息を飲んだ。
東京都代表として、新人戦関東大会へ進出する3名が決まる、決勝戦。
緊迫した空気に放たれる号砲から約10秒後、その結果は明らかとなる…。
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男子100m決勝のスタートラインナップがアナウンスされる中、若越は4m95cmの2本目の試技に入った。
2本目だろうと、失敗は許されない。1本目の僅かなミスは、既に大きな痛手となっている。
1本目同様、強く踏み切って浮き上がった若越の体は、ポールの湾曲に合わせながら上下反転し、バーの上に狙いを定めた。
高さは申し分ない。
あとは、1本目でミスをした最後の右腕がバーを越えるのみ。
その時であった。
「っっっしゃぁぁぁぁぁっ!!」
対面のホームストレート側から、叫び声が聞こえた。
蘭奈のものである事は、跳躍中の若越にも分かった。
(…俺だって…っ!!)
若越は、ポールを手放した右腕を大きく頭上まで上げてバーの上を通過した。
マットに着地した反発を利用して、そのままマットの上に立ち上がった若越は、右手でガッツポーズしながら、小さく「よっしゃ!」と呟いた。
審判員の手から白旗が掲げられ、若越の跳躍成功が確定した。
その様子を助走路脇から見ていた宙一にとっては、大きなプレッシャーとなった。
(…ここで、負けるわけには…っ!)
しかし、宙一は2本目の跳躍も失敗に終わった。
宙一に残された、四つ巴の戦いに生き残るためのチャンスはあと1回…。
3本目の跳躍に挑む宙一が、助走路に立った。
すぐ側には、この後の5mの跳躍の1本目を控える江國がいた。
「…なぁ、江國。」
宙一はふと、江國の名を呼んだ。
「…なんですか?」
江國は、普段通りにぶっきらぼうにそう答えた。
「…"自分に勝つ"ってことの答え、お前は持ってるのか?」
宙一の突然の質問に、江國は眉を潜めて不思議そうな顔をしたが、すぐに返答した。
「…宙一さんの質問がよく分かんないんですが、迷ったり諦めたりして立ち止まらない事…だと俺は思ってますね。」
「…そうか。ありがとう。」
江國の返答に、宙一は納得したのか再び前を向いて跳躍のタイミングを待った。
その様子を江國は不思議に思っていたが、少し首を傾げただけで深くは考えなかった。
(…俺はまだ、"自分に勝った"なんて思ったことは1度もないですよ、宙一さん。
俺にはまだ、自分に勝つための長い道程が待っているから…。)




