第44話:Catch up & Overtake
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ホームストレート側での歓声が聞こえる中、バックストレート側では男子棒高跳びの試技が静かに始められていた。
序盤は、初出場の緑川学園、森が単独で跳躍を行っていた。
バーの高さは既に4m60cmまで進められてる。
この高さから同校の田伏、そして継聖学院の高薙兄弟も後に跳躍を控えた。
江國、若越、伍代はこの高さもパスし、江國と若越は4m75cm、伍代は4m80cmから試技に挑もうとしていた。
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試合時間30分前。
若越と伍代が棒高跳びピットに着くと、既に2人の選手がその場に到着していた。
「…どーもはじめまして。…っても、俺はあなた達を一方的に見てたから、初めてではないんですけどね。
緑川学園1年、森 慎助です。以後お見知りおきを。」
かつての六織と同じ深緑色のジャージに身を包んだ、若越より少し低い170cmくらいの背丈の選手はそう挨拶をした。
勇猛無比な雰囲気を醸し出している六織とは異なり、飄飄踉踉とした雰囲気の森は、眉が被さる程に伸びた前髪を掻き上げながら余裕そうな態度である。
そこに、森の背後から田伏が現れ、森の後頭部を軽く小突いた。
「…ったくお前は…調子に乗ってんじゃねぇぞ?
…にしても、インハイぶりだな。伍代。
そっちが例の、若越くんか?」
田伏は、呆れた顔で森を見ながら、意味深にそう言った。
「よう、田伏。紹介するよ。俺の後輩の若越だ。」
伍代がそう言うと、若越は軽く会釈をした。
「若越 跳哉です。宜しくお願いします。」
「緑川学園の田伏だ。こっちは新入りの森。
支部予選での活躍は耳にしているよ。今日は君の跳躍を見れるのを、俺も森も楽しみにしている。」
田伏は、そう言って若越に握手を求めた。
若越は田伏に手を差し出して、2人は握手をした。
手には肉刺が出来ていて、皮膚が硬くなっている。
田伏の努力の証を感じながら、若越は新たなライバルの存在を実感した。
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その頃、羽瀬高の待機ベンチでは、準決勝を終えた2人を迎えようとチームメイトが集まっていた。
そこにスパイクを手に現れたのは、蘭奈たった1人であった。
「…陸、お疲れ様!やったじゃん、決勝。
…お兄は一緒じゃないの…?」
巴月は作り笑顔で、大健闘を見せた蘭奈を出迎えたが、本心では兄を心配する気持ちが強く、その思いが言葉尻にも現れていた。
「…ありがとな。…勝馬さん、見当たんなくて…。ゴールしたところまで見てたんだけど、その後姿見失っちゃって…。」
大きな結果を持ち帰ってきた自信家の蘭奈も、今回ばかりは少し不安そうな悲しい表情でそう言った。
とても、準決勝1着で抜けてきた選手、ましてやそんな蘭奈 陸とは思えない様子である。
「…私、探して…。」
「…いや、俺が行く。」
巴月は兄を心配し、居ても立っても居られずに探しに行こうとした時、音木がそれを静止した。
そして音木は、1人で七槻を迎えに行ってしまった。
「任せましょう、彼に。」
不安な表情で音木を見送る巴月に、丑枝が巴月の肩に手を置いてそう言った。
先輩に言われるがまま、巴月は只々音木と見えない兄の姿を見つめることしかできなかった…。
(…私にはやっぱり、何もできないんだ…。
あの時みたいに…諦める…事しか…。)
巴月は強く唇を噛み締めた。
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男子棒高跳びは、バーの高さが4m75cmに上がっていた。
森は既に4m65cmの試技を失敗し、4m60cmの記録で競技を終えていた。
控えテントで既にジャージ姿になっていた森は、残った他の選手の姿を呆然と見渡していた。
(…京さんの言ってた意味が、何となく分かった気がするぜ…。
今の東京のレベルは、間違いなく全国に匹敵する…。
こいつらに勝てなければ、俺に上に上がる資格はねぇって事だよな…。参ったもんだ…。)
助走路には、森の先輩の田伏が出番を控えていた。
日頃から六織を慕っていた彼は、森に対しても厳しい指導をしていた。
森はそれを、六織に憧れている田伏の自己満足と感じていたのだが、それは違った。
森にとって少し上の世界にいる六織、そしてそこに並ばずともそのすぐ後を追う田伏。
この2人をもってしても、勝ちきれない相手が"羽瀬高"と"継聖学院"であった。
その事を漸く、森は身をもって理解する。
(…でもねぇ、先輩。あなたのやり方でも、俺はこいつらには勝てないと思いますよ。
…だから、俺は俺のやり方で、若越や江國たちに追いついてやりますよ。
決めた。それが俺の今後の目標っすわ。)
森が胸中で意を決すと、田伏は勢いよく走り出し、力強い踏み切りで跳躍した。
田伏は、4m70cmを2回目でクリアしたにも関わらず、75cmは1回目でクリアを決めた。
(…まだまだ、俺が"羽瀬高"や"継聖学院"に置いていかれるわけにはいかねぇんだよ。)
マットを降りて、ポールを拾い上げた田伏は、控えテントで自らの番を待つ宙一たちに強い視線を送った。
続く宙一、江國、皇次、若越も4m75cmを1回目でクリア。
バーの高さが4m80cmに上がったところで、漸く伍代が登場し、今大会に出場する全ての選手が出揃った。
田伏、宙一、江國は1回目の試技を失敗。
次に試技順を迎えるのは、皇次。
皇次は、助走路で大きく深呼吸をしながら、4m80cmのバーを見上げた。
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助走路の皇次は、依然闘志を燃やしていた。
(…支部予選、若越はこの高さを1発で越えた…。)
相変わらず、若越に対する対抗心は消えぬまま。
しかし、今回の皇次はそれだけではなかった。
(…それに、江國ぃ…まじで今回は、お前の事も蹴落とすつもりだから、覚悟しておけよ…?)
支部予選後の一悶着を、皇次は未だに引きずっている様子であった。
"己"にのみ執着する江國に対し、"ライバル"の記録に執着し、自らがそれを越えることを目的とする皇次。
2人の間柄が修復されることはなく、むしろ皇次は江國に対する対抗心まで燃やしていた。
バーの設置が終わると、審判員が白旗を振った。
「行きまぁぁぁぁぁぁぁっす!」
皇次の咆哮が、棒高跳びピットを越えてバックストレート側のスタンド席にも響き渡る。
「はぁぁぁぁぁい!」という仲間たちからの応答を受け取った皇次は、右足を少し引き、短く息を吐いて走り出した。
皇次の助走路は、至って自然にリズミカルであり、力んでいる様子ではなかったが、地面を蹴る足音は確実に獲物を捉えようとする獣のような力強さを感じた。
思いの込められた左足の踏み切りが、ポールを弓形に曲げる為の力として見事に繋がっていた。
ポールが元の形に戻る頃には、皇次の体は上下前後反転し、バーの上を捉えていた。
ポールが真っ直ぐ元の形に戻ると同時に、皇次の体にその反発力が伝わってくる。
彼はその力を最後の糧に、バーの上を大きく越えていった。
手放したポールが、地面に落ちるよりも先に皇次の体がマットに落ちると、観客席から大きな歓声が響き渡った。
「っしゃぁっ!」
皇次はすぐにマットの上に立ち上がると、小さくガッツポーズをして喜びを示した。
(…江國、若越…お前らには譲らねぇよ。次世代の東京チャンピオンは、俺だっ!)
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控えテントから皇次の跳躍を見ていた若越は、皇次が跳躍成功した姿を確認すると、徐に立ち上がって観客席の近くに向かった。
観客席と若越たちがいるグラウンドとは高さがあったが、若越は観客席の桃木を見つけ出し、手を挙げて合図を送った。
桃木もそれに気がつくと、スタンドの最前列の柵まで降りてきた。
「…桃さーん!次、グリップ位置(※1)上げるんで、踏み切りとか確認お願いしたいです!」
若越が桃木に届く声でそう言うと、桃木は少し驚いた顔をしながら答えた。
「大丈夫?まだ80だったら、そんなに無理して変える高さでもないんじゃない?」
桃木の言う通り、グリップ位置を高くすると言うことは、踏み切り位置や助走距離の微調整が必要になったり、ポールの曲がり具合も変わってくる。
現状、若越たちの置かれた状況的には、下手にチャレンジを行うよりも、確実に記録を残して上位3枠までを狙うのが、一般的な考えと言えるだろう。
「…今変えないと、間に合わないかもしれないんで。
失敗したらそれはそれで、調整するんで、お願いします!」
若越は、そう言うと桃木に軽く頭を下げて控えテントに戻って行った。
(…大丈夫かなぁ?若越くん…。)
桃木も、若越への心配を胸に元いた席に戻っていった。
そこへ、丑枝、紀良、高津が桃木の元へ合流した。
「玻菜、どう?2人とも。」
丑枝がそう言いながら、桃木の隣に腰掛けた。
彼女に続くように、高津と紀良も並んで席に座った。
「彩ちゃん、お疲れ様!今4m80で、残りはまだまだ拝璃と若越くん入れて6人って感じ。
それより、蘭奈くん凄かったね!…勝馬くんは残念だったけど…。」
桃木は、男子100mの観戦に行っていた丑枝たちにそう言って状況を説明した。
「…なるほどね。…七槻は残念だったけど、まあ、彼の事は満くんに任せてきた。」
丑枝も、桃木にそう状況説明したが、桃木はその意味をあまり理解できていなかった。
「…この6人から、半分が次に進めて、半分が落ちるのか…。」
その隣で、紀良が棒高跳びピットを見下ろしながらそう呟いた。
「それが、勝負の世界だからね…。だからこそ、勝つしかないのよ。…勝負ってのは…。」
高津がそう呟くと、4人は再び棒高跳びピットへと視線を集中させた。
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助走路の若越は、タンマグを手に馴染ませると、先程までより指2本分の5cm程高い位置でポールを握った。
足元の助走路脇のメジャーを見ながら、助走の開始位置も10cm程後ろに下げる。
(…80は無理しないでも行ける高さってのは、俺自身も分かってるんすよ…桃さん。)
審判員が白旗を大きく振った。
若越は、ポールの先を高く持ち上げて、胸の前で構えた。
(…でも、俺の目的は80を越えることじゃない…。)
ゆっくりと吸った息を、勢いよく吐き出す。
(…5m跳んで、伍代先輩に勝つんだ…っ!)
「…行きますっ!」
そう高らかに宣言し、若越が走り始めた。
仲間たちからの「はぁぁい!」と言う声は、既に助走を駆ける若越の耳には届いていなかった。
ポールを握る位置を上げ、助走距離を伸ばしたことで、先程よりも同じ歩数での踏み切り位置までの距離は少し遠く見えた。
(…これなら…行けるっ!)
踏み切った左足が強かったのか、少し後ろに流れてしまったが、若越にとっては好都合であった。
上がっていた右足を少し下ろして、両足を勢いよく空中目掛けて振り上げる。
それはまるで、体操選手の鉄棒種目の如く。
体勢を整えながら、バーの上を捉えた若越の体は、ポールからの反発力を受けてふわっと浮かび上がった。
バーの上を越える若越の腹部は、4m80cmの高さのバーよりも20cm程高い場所にあり、バーに触れる可能性を微塵も感じさせずに、そのままマットへと落下した。
再び、観客席から拍手混じりの歓声が響き渡った。
若越はマットの上に立ち上がると、観客席の桃木の元へ視線を送り、指で小さく"OK?"と合図を送った。
桃木は、軽く2回首を縦に振って若越のそれに答えた。
若越には、僅かに安堵の顔色が窺えた。
その様子はかえって、皇次の闘志に油を注ぐ。
「…若越、やるな!」
助走路で試技待ちをする伍代は、若越にそう声を掛けた。
しかし、若越は伍代を少し睨むようにして見て言った。
「…ありがとうございます。…漸く見えてきましたよ。先輩の姿が。」
若越は伍代にそう言い残すと、ジャージのズボンを履きながら、リュックを漁り始めた…。
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続く伍代も、着実に1本目で成功。
その後、2本目の試技にて宙一と江國が成功。
残念ながら、田伏は3本目の試技も失敗に終え、この高さにて競技終了となった。
バーの高さは、続けて4m85cmに上げられた。
2本目までの試技が進み、先程同様若越、伍代が1本目で成功、宙一と江國が2本目で成功を収めていた。
助走路には、残す最後の3本目を迎える皇次が、呼吸を僅かに荒げていた。
(…クソッ…こんな所で負けてられるかよ…。)
風は僅かに、追い風を示していた。
眉間に皺を寄せ、皇次は吐き捨てるように大きな声で叫んだ。
「行きまぁぁぁぁぁぁぁぁっす!!!」
※1:ポールを握る場所。使うポールの強度や長さ、助走距離や踏み切り位置などによって、選手それぞれがポールへ力を加えられる最も有力な場所を握る。大体がテーピングを滑り止めとして巻いている位置にあたる。




