84 - あの嘘つきにクレームを!
菜優はしばらく手首を引っ掴まれたまま、議論に勤しむ二人の友人を、呆れたような目で睨み続けていました。しかし、この二人を呼び止めたのは、呼び止めたなりの理由があったわけでして、菜優はそれを忘れたわけではありません。せっかく人が腹を括って、喉元でつっかかってしまいそうな一言を口にしたと言うのに、二人はきっと、そんなことを知る由もありません。
菜優としては、決めた覚悟が引っ込む前に、ヴェルザンデイとの話に決着を付けたいのですが、こうも引っ掴まれていては、話をはじめようにも始められません。菜優はだんだんと眉根を潜めたり、ぴくぴく動かしたりしていますが、議論に夢中な二人の友人は、そんな菜優の様子に気付くことはありません。
やがて歯までもがぎりぎりと音を鳴らし始めた頃に、菜優はようやく、このままヴェルザンディを呼び出してみようと思いつきました。それでも二人で話し続けるようなら、この二人には後でぐりぐりをお見舞いしてやろう、とも頭の隅っこで考えながら。
菜優は指輪に祈りを込めました。意識を指輪に集めるにつれて、シノに掴まれている手首の痛みが、じりじりとせりあがって来るような感じながら、指輪の反応を待ちました。そして間もなく、ごうと幻の炎が上がったような温かさが、辺りを舞い上がって間もなく散っていったような不思議な感覚がすると、指輪から声が聞こえてきました。
『おっす、菜優っち! ご機嫌いかがぁ? 』
間延びした声に、つかれた嘘と。痛む手首。私を置き去りにしていった友人たちへの怒りが綯い交ぜになって血流に乗って、一気に頭に流れ込んでくるのを、菜優は感じました。何かが切れたような音も聞いた気がしました。気が付けば菜優は、これまで出したことのないような大声を、指輪に向かって叩きつけていました。
「ご機嫌いかがぁ?違うわアホぉ!」
菜優のにわかな怒声に、その場にいた全員が凍りつきました。コアトルは身体をすくみ上がらせていますし、シノも信じられないものを見たように、目をまん丸に大きく見開いています。近くにいたエステルも、窓の外に見える子供たちも、ぎょっとした顔で一斉にこちらに振り返っています。
そんな周りのことなんて、菜優は知ったこっちゃありません。喉元にあったつかえはすでボロボロに決壊していて、どうどう流れる懸河の如く、怒声轟々と、いっぺんにまくしたてました。その剣幕の凄まじさたるや、シノと、騒ぎを聞きつけたデールとが、二人がかりで羽交い締めにして、大慌てで止めようとするほどでした。
それでもなおひとしきり騒ぎ立てたあと、菜優は、勢いそのままに泣き崩れしまいました。大粒の涙がいくつもいくつも溢れ出して、雨雫のようにぼたぼた落ちて床を濡らしていきます。菜優は膝に力が入らなくなって、やがて、へなへな座り込んでしまいました。
『ちょ、ちょお待って!あっしが嘘つきって言いたいわけぇ?そんなご無体な、ちゃんと元の世界に這い上がれたっしょお?』
「そやったら言うてみいさ。私が今おる、ここはどこや?」
『ええ?ルナーでしょ?ちゃんとイースティアに帰れてるっしょ?』
「……それは日本って言わへんやろ!」
涙声を混じらせながら一声怒鳴って、菜優はまた膝を抱えました。菜優は思っているよりも大きな声が出たことに、内心びっくりしていたのですが、それをなるべく表に出さないように努めました。菜優自身に怒鳴るつもりがなくても、菜優の心の中を吹き荒ぶ嵐が、菜優の言葉が胸元から喉を通っていくうちに、その語気を強めていくのです。そして口をついて外へ飛び出してくる頃には、篠突く雨を伴った、嵐のように激しい言葉になってしまうのです。分かっていても、止められないのです。
デールが背中をさすって、シノが自分の腕を菜優の口許に噛ませて、コアトルはしきりに音の小さなクラッカーのようなものを鳴らしたり、吹き戻しを吹いたりして、落ち着かせようとしてくれています。情けないな、とは思うけれど、今の菜優では、どうしようにもありません。―コアトルを除く―二人には悪いけれど、これ以上、心の嵐を外に出したくなくて、菜優は抱え込んだ膝に頭を押し付けてしまいました。
それを見てシノは、菜優の指輪にそっと顔を寄せました。
「おい、ヴェルザンディ様よ。ナユに代わって種明かしをするとだな、ナユはどうやら、イースティアではない、どこか遠くから来たようなのだ。ナユが言うには元の世界とは、どうやらそちらのことと捉えたらしい。つまるところ、ナユと貴殿とでは、その元の世界、という言葉の解釈の点ですれ違っておるのだ」
『あややっ、そなの?』
ヴェルザンディの、間の抜けた声が帰ってきました。やはりな、とぼそりと呟いて間もなく、指輪からもう一人の、やはりヴェルザンディと同じように間延びをした声が響いてきました。
『だぁから前から”言葉には気をつけろ”って言ってるよねぇ、ちいねえ。だのに、何してんのぉ?』
その声はふわふわした語調とは裏腹に、毒っけをたっぷりと含ませていました。デールが目を点のようにしながら、誰?とシノに尋ねると、おそらくスクルド様だろうな、と答えました。
『ちいねえっていぃっつもいい加減だよねぇ。中途半端な希望を持たされて、それが失われた時の失望感ってぇ、結構重いんだよぉ?知らなきゃ良かったぁなんて、みんな思うんだよねぇ』
『まってよスクルド!あっし、ナユっちがイースティアの人じゃないなんて、初耳なんですけどぉ!』
『そこらへんがおざなりなんだよ、ちぃねえは。前も言ったじゃん』
『これはノーカンじゃねぇ!?だって、知りようないじゃん、そんなこと!』
二人は指輪越しにわぁわぁ言い合いを始めてしまいました。くどくどくどくど説教を垂れるスクルドに、ヴェルザンディも二倍、三倍ほどの悪口盛り付けて言い返す。するとスクルドは十数年ほど前に抱いた食べ物の恨みを持ち出してヴェルザンディを脅そうとします。まるで犬も食わない姉妹喧嘩です。質が悪いのは、それが指輪の力を通じて、赤の他人の耳にまで届いてしまっている、ということです。
「……なんかよくわかんないッスけど、大変なんスね。どこもかしこも」
「全くだ。ワルキューレも一端の神だろうに、これではまるで、ただの子供の喧嘩ではないか」
苦笑いを浮かべたデールと、頭を抱えたシノとが顔を見合せて、もう一度、苦々しげにまた笑うのでした。




