85 お前のためなんだ、許してくれ
「アリス、こっちなの?」
「はい、連れ去った少年の魔力が残っていますから」
再び気の遠くなるような廊下を走りながら、エリザがそう言って見えはしない魔力を探すように視線を動かす。対して、隣を走るアリスは迷いのない足取りだ。そして、その後ろを走るシュティレは顔を俯かせたまま続く。
そんなシュティレの口はキュッと引き締められ、青色の瞳は怒りや悲しみと言った様々な感情が織り交ざっている。
「守るって……言ったのに……っ」
噛みしめた口からわずかにそんな言葉が漏れた。今度は守ると決めていたのに、相手がオリバーの姿をしているということに驚いて躊躇してしまった。シュティレは、今すぐにでも自分を殺してしまいたいほどの後悔に包まれる。だが、もしそれで本当に死んでしまえば、きっと彼女が悲しむなんて考えるまでもないので絶対にそんなことはしない。
暫く走っていると、突然アリスが立ち止まり片手で止まるように指示する。二人がそれに従い立ち止まり、エリザが声をかける。
「アリス?」
アリスは聖剣を鞘から抜き、警戒しながらエリザの呼びかけに答えることはない。そして、切っ先を廊下の脇に座り込むようにしている少年へと向けながら近づいていく。だが、その警戒心はすぐに解除される。
なぜなら、誰の目から見ても少年が死んでいることは明白だからだ。何かに貫かれたであろう。胸に大きな穴が開いており、握りつぶされたであろう心臓のような物が近くに転がっている。
「こいつは、フェークじゃないの……?」
近づいたエリザがそう言って、少年の死体に空いた穴を覗き込み、落ちているぐちゃぐちゃに潰れた心臓とも呼べない肉塊をつまみ上げる。アリスは、その躊躇ない動きに一瞬ギョッと瞳を見開くが、同意するように頷く。
そう、フェークに人間の心臓は無い。代わりに動力源である魔力をため込んだ魔力核がある筈だ。加えて、経験上からフェークの死体が残っているということがおかしいのだ。
「どう見たって、人間の心臓よね……死体もいつもみたいに消えてないし……ピーナッツ、こいつはなんなの?」
『ニオイ的には間違いなくフェークやエラーの類だとは思います。ですが、魔力核を持っていな……いや、これが魔力核なのでしょうか』
「まーた、嫌なもんが出てきたわね」
エリザとピーナッツが死体を観察していると、何と無しにシュティレの方へと振り向いたアリスは、大きく瞳を見開く。なぜなら――そこに居るはずの人がいなかったから。
「エ、エリザさん! シュティレさんがいません!」
「はぁ!? まったく、あの子は!」
エリザの怒号は廊下を響き渡った。
いくつもの棚が並んだ小さな部屋。その棚には液体の入った瓶がところ狭しと並べられ、その瓶の中には小さなボールのような物が入っている。部屋には消毒液のようなニオイが充満しており、アードシアはその匂いに顔を顰めながら、作業台のような物に向かっている白衣の男性へと声をかけた。
「父さん……」
暗い表情。声は普段の彼女からは想像できないほど小さかったが、通る声だったおかげで問題はない。ゆっくりと振り向いた白衣の男性は、アードシアを見るなり温和な表情を浮かべ、ハンカチで手を拭く。
茶色の瞳は優し気に細められている。が、アードシアは気まずそうに顔を逸らす。そんな様子に男性はより一層優しい笑顔となる。
「アンド、どうしたんだい?」
「……その、俺……父さんを……その」
歯切れの悪い言葉だが、男性はうんうんと頷く。その優しさがアードシアにとって不快でしかない。が、そんなことを表情に出さないようにし、ぎこちない笑顔を浮かべると、その手に抱えていたエスティアを床へと降ろした。
その瞬間、男性の優し気に細められていた瞳が限界まで見開かれる。そして、おそるおそる、エスティアの横へと両膝をつけ、眠る彼女の頬を撫でる。そのゆっくりとした触り方は野に咲く花にでも触れているかのようだ。
「ああ、エスティア……こんなに、大きくなって……」
その瞳に涙を浮かべた男性。目元の皺が、より一層彼の喜びを表しているようにも見えたアードシアは一歩下がる。
「どうしてだい?」
その言葉の意味がわからないわけではない彼女は、グッと拳を握りしめ、ぎこちない笑みを浮かべながら頬を掻いた。
「父さんの怖さを、思い知ったから。まさか、ナーテを殺すとは思わなかったよ。……父さん、これが俺にできる一番の謝罪だ……だから、また俺に家族をくれよ」
胸に手を当て、悲痛な面持ちでそう言ったアードシア。瞳を閉じ、苦し気に吐き出した言葉は悲しみに満ちている。そんな彼女に男性は心の底から同情しているようだ。まるで、自分のことのように、その茶色の瞳に涙を浮かべた彼は立ち上がり、彼女を抱きしめる。
ハッとしたように、アードシアは口を開きかけたが、それよりも早く、彼が言葉を紡ぐ。
「また、何度でも用意してあげるよ。君には家族が必要だ、家族が居ることで君は最大限の力を発揮できる」
「父さん……」
「だけど」
抱きしめていた腕を緩め、男性がアードシアの頬を撫でる。そこには、先ほどのような悲しみに同情し涙を流す優しさなど幻想だと思わせるほどに、歪みきった下卑た笑顔だった。
マズイ。そう思った時点でもう遅い。アードシアが彼から離れようとしたその時、トスン、と音とも感触ともいえない不思議な何かが彼女の脳へと響く。
「とう、さん――テメェ……ッ」
赤紫色の瞳を限界まで開いて男性を睨むアードシアは、怒りと悔しさの混じった声で呟く。すると、男性はまるで出来の悪い子供でも見るかのような視線と、励ますような声色でこう言った。
「アードシア、君は彼女と同じで嘘が下手だな。それに、その瞳じゃ、余計に難しいだろう」
「くそ、が……っ!」
突き刺すような細くも鋭い痛み。左胸へと刺さっている“メス”を睨みつけながら、その刃が自分の心臓一歩手前まで来ていることを悟る。あと、ほんの少しでも力を入れられたら卵の殻よりも軟な石はすぐに砕けるだろう。
アードシアはメスを握る彼の手を強く握りしめると、赤紫色の瞳を憎悪にぎらつかせ、今にでも喉笛に飛びつきそうな勢いで凄む。
「最初から通用してねぇなら、やって損したぜ。テメェのことは必ず殺してやるからな」
「ははは、どうやって殺すか楽しみにしておこう。まぁ、そんな機会は来ないがね」
「――ぐぁ……っ!」
メスの切っ先が心臓をかすめ、傷を入れる。彼女のようなフェークにとってはそれだけで十分。アードシアは自分の魔力が流れ出すのを感じる。焼け付くようでいて、冷えていくようなそんな痛みはどんどん増していき、まだたいして流れていないにもかかわらず、アードシアはその場に膝を付き、激しくせき込んだ。
「げほっ、がは……っ。くっそ、ハァ……こんなに、くる、しかった、なんて……っ」
「君は魔力が多いからね。余計に苦しいはずだ。その傷じゃ相当長く苦しむことになる。どうだ、最後の慈悲として今殺してもいいが」
のんびりとした口調で言う男性をアードシアは鋭く睨む。
「はっ、お気遣いどーも。だが、テメェが死ぬまでは生き延びてみようかね」
「……そうか。まぁ、その状態じゃ動くこともできないだろうから。そこで、見ているといいよ」
ニヤリと笑う男性。ゾッとしてしまいそうなその笑みはまるでヘビが獲物を見つけたかのようだ。そして、彼は苦しそうに眠るエスティアを抱き上げ、近くの椅子へと座らせる。
「どうやって、君が光を力を手に入れたのか。それを見せてあげよう」
パチン、とエスティアが動けないようにいくつもの拘束具を付けた彼はそう言って、嬉しそうに笑う。声を出して笑うその姿は子どものように、しかしどこまでも狂気に染まっているそれに、アードシアは生まれて初めて恐怖を感じるのだった。
「そこを、退いてぇぇぇえええええッ!」
暗い廊下を走るシュティレは目の前から迫ってきていた、オオカミのような姿をしたエラーを魔法の氷で斬り裂く。的確に心臓を砕かれたそれは、叫び声を上げる間もなく消滅していく。
一息をつく間もなく、どこからか降って来た巨大な蜘蛛の形をしたエラーがその口から白い糸を吐き出す。完全に背後を取られてしまっているために避けることは不可能だろう。だが――
「邪魔しないでっ!」
腰の宝剣を引き抜いたシュティレは、流れるような動きでソレを振るう。宝剣を滴る水が白い糸目掛けて放たれたその瞬間、飛び散った水しぶきが一瞬にして凍り付き、鋭い弾丸となって白い糸を斬り裂き、蜘蛛の体を貫通した。
蜘蛛の体は穴だらけとなり、その体から弾き出されるように淡い紫色の小石が飛び出す。シュティレは宝剣を軽く振るい、飛んできた小石を砕く。見ている暇はないので、そのまま踵を返し再び廊下を駆ける。
「はぁ、はぁ……こっち、なんだよね」
腰に納めた宝剣に話しかけるようにそう言ったシュティレは不安げに瞳を伏せる。
彼女の腰に収まっていた筈なのに、いつの間にかシュティレの腰に収まっていた宝剣。まるで、前からあったかのような違和感のなさに全く気付かなかったが、気付いた瞬間に宝剣は光り輝きシュティレは導かれるように駆け出していた。
魔剣のあるところにエスティアがいる。おそらく、宝剣は魔剣の居場所がわかるのだ。それ以外に手がかりはないのでシュティレは不安ながらも、道を塞ぐ障害物を壊し続ける。
「エスト……ごめんね……私が、しっかりしなきゃいけないのに……っ」
エスティアが狙われていることはわかっていたのに。シュティレは宝剣の柄を強く握りしめ――振り抜く。見よう見真似で振るわれたとしても宝剣がサポートしてくれたようだ。道を塞ぐように立っていた人型のエラー二体の胸を横一文字に斬り裂き、黒い砂が噴き出し消滅していく。
早く行かなきゃという彼女の気持ちを叩き潰さんと、廊下の奥から雪崩の様に白い物体が我先にと迫る。
「ほんと、邪魔……っ!」
宝剣を引き抜き、刀身の水を撒く。すると、それが凍り付き廊下の奥へと一気に撃ちだされ爆発音のような物が響き辺り一帯が凍り付く。だが、それで排除できたのは最前列にいた奴らだけだったようだ。凍り付き砕けた仲間の死骸を這い上るように様々な形をしたエラーたちが現れる。
おそらく、まだまだいるのだろう。シュティレの頬から顎を伝って汗が流れる。宝剣との相性がいいためか、魔力の消費が少なくともずっと走り続けていたのだ。疲労の影響が戦闘に出るのも時間の問題だ。しかし、シュティレは余裕を見せるかのように口角を上げ、宝剣を構えた。
「エスト、無事でいてね」
シュティレがそう言って一歩踏み出したその時――
「剣よ斬り裂けッ!」
そんな気高き声と共に、光が降り注ぐ。それは、剣の形をした流星だった。
次回更新日は2019年4月20日(土)を予定しております。




